SNSのせいで「自分もスゴいことやらなきゃ病」にかかった人が見習うべきはマイルドヤンキー
為末さんの著書『諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない』からソーシャルメディアによって、自分たちはめちゃくちゃ生きづらくなってるな、幸せを感じづらくなっているな、と気づいたので、書いてみます。
マイルドヤンキーって幸せになる天才なのかも知れません。
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「こんなしょぼい成功で満足していいのか?」という罪悪感に悩まされるように
為末さんは、ソーシャルメディアの発達によって、そこそこの幸せを目指す事が難しくなってしまったと指摘します。
わかりやすいビッグな目標、絵に描いたような幸せ。こうしたものを求める感覚は、ソーシャル・メディアの発達によって拍車がかかっているように思える。
すべてがつながって、何でも見える世の中になったことで、町民大会で終われなくなってしまったという感じがする。
町民大会で勝ったら市大会に進む、そこで勝ったら県大会、全国大会、果てはオリンピックと、際限なく成功の階段をのぼり続けないと「こんなしょぼい成功で満足していいのか?」という罪悪感や未達成感がある。
もちろん、より高みを目指すのは価値のあることだ。だが「自分はここまででいい」という線引きがしにくい時代になっていることは確かだと思う。
この一節を読んで、僕はこんな風に思いました。以下はnoteへの投稿です。
為末さんの著書。「SNSのせいで街の人気者、公務員で満足できてたのが世界でスゴいことしないと満足できなくなった」みたいな記述があって納得した。
外の世界を知らなければ知らない程、幸せだなんてことは往々にしてある。地元の役場で働いて一生を終えることを幸せに感じる人もいるんだよな。
SNSのせいで自分もスゴいことやらなきゃ病にかかる人が増えたのは確かに弊害。
引用元:らふらく^^のスズキ(ブロガー @TwinTKchan )
僕もSNSが普及したせいで、スゴい事をやらなければいけない強迫観念にかられるようになりました。SNSが発達するまでは、地元で公務員になって一生を地元で過ごす事が幸せだと思ってたのに。
意識高い系の最上至高は止まらない
SNSによって、周りが起業とか良い会社に入ったりして、どんどん意識が高くなっていき、公務員じゃ満足できなくなったんです。もっとすごいと言われるために、上を上を目指していたら、いつのまにかブロガーになっていました。
俗にいう「意識高い系」になっていたんですね。
そして、すごい先輩プロブロガーを見るたびに、もっと頑張ろう、このままじゃだめだとある程度の幸せでは満足できなくなったんです。でも、これってあるクラスターからしたら、異常な光景だと思うんです。
マイルドヤンキーと呼ばれる方々です。
マイルドヤンキーは狭い世界しか知らないから幸せ
ちなみに、マイルドヤンキーとはマーケティング・アナリストの原田氏によって定義された言葉で、以下のような特徴がある人たちです。
EXILEが好き
地元(家から半径5km)から出たくない
「絆」「家族」「仲間」という言葉が好き
車(特にミニバン)が好き
ショッピングモールが好き
内向的で、上昇指向が低い(非常に保守的)
ITへの関心やスキルが低い
近くにあって、なんでも揃うイオンSCは夢の国
小中学時代からの友人たちと「永遠に続く日常」を夢見る
できちゃった結婚比率も高く、子供にキラキラネームをつける傾向
喫煙率や飲酒率が高い
有名な言葉ですし、特徴からもどういった方々か想像がつくはずです。そして、上記の「狭いコミュニティを好む」「ITへの関心が低い」「上昇志向が低い」は、SNSで上を目指す人とは真逆です。
マイルドヤンキーからしたら、意識高い系の行動は理解できないでしょう。地元で公務員になるのが最強なのに、わざわざ苦労して上を目指していくなんて。
若い時に結婚して家庭を持つというそこそこの幸せも
さらに、結婚の時期を送らせてまでストイックに努力し続ける姿なんて奇妙で仕方ないでしょう。
マイルドヤンキーというのは、「20代前半までには結婚して、子供を数人養っている」、「ほどほどに働いて、家庭を持ってプライベートを充実させる」というスタイルが一般的ですから。それが十分満足できる生き方になっているんです。
もちろん、世間的にも上記のマイルドヤンキー的ライフスタイルは理想的に見えます。僕もうらやましいと思います。では、なぜマイルドヤンキーがそういった幸せを築けるか、ITへの関心が低く、SNSを熱心に見ないからだと思います。
広い世界を知らない事が幸せにつながる
現に、地元の友人はFacebook、Twitterにはアクティブではありません。僕以外の田舎出身者に聞いても、地元の友だちがSNSを頻繁に利用しているという話を聞いた事がありません。
つまり、SNSに触れない事で、広い世界の多様な幸せを知らずに済みます。それ故、自分たちが所属している狭い世界のものさしだけを見て幸せな道を見つけられるのです。
SNSで広い世界を知ってしまった意識高い系からしたら、「ここで満足しても良いのだろうか?」と思うことにも、疑問を持たず、そのスタイルを貫ける。だから、マイルドヤンキーは幸せになれるんだと思います。
高学歴ほど上を目指しすぎて幸せを見失っていく
一方、意識高い系、特に超意識高い系はそうではありません。広い世界を知ってしまった事で、現状に満足できなくなり、上を上を目指してしまいます。
以前、タイムショックというテレビ番組に、「東京大学を出てMBAを目指すためにお金が欲しいです」という方が出演していました。その方は、学費を稼ぐために3畳1間で質素な暮らしを送っていると言っていました。
一般的に、東大を出るほど頭が良かったら、公務員になるなり、大企業に行くなりしてある程度の幸せを掴めるはずです。しかし、広い世界を知ってしまったために、そんな生活を送っていたのです。
こうした話は、ワーキングプアと呼ばれる、大学院博士を出ていながら、仕事が見つからず、大変な思いをしている人にも当てはまります。そこそこの幸せを目指していたら、彼らもマイルドヤンキーのような幸せを掴めたのではないでしょうか。
上を目指しすぎない。そこそこの幸せもあり
紹介してきたように、そこそこの幸せで満足できるマイルドヤンキーは幸せな生活を送れています。しかし、広い世界を知ってしまって、上を上を目指してしまっている意識高い系は、そうではありません。
ここから言えるのは、狭い世界のある程度の幸せで納得することも必要ということです。たぶん、僕みたいな意識高い系は頑張りすぎなんです。最上至高すぎるんです。
それをやめて、そこそこで満足できるようになったら、また違った楽しい人生があったかもしれません。だからこそ、最後に8年前の自分に言いたいのです。
「地元で公務員になる幸せもあるのだぞ」と。
みなさんも「ある程度の幸せ」を意識してみて下さい。あんまり頑張りすぎるのも問題だし、そっちの方が幸せになれる事だったありますので。
ではまた!(提供:らふらく^^(@TwinTKchan))
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