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この時代の刀身組織観察は光学顕微鏡が唯一であり、刀身腐食の断面普通写真が一部 撮られたものの写真品質が悪く、炭素濃度の分布が大まかに分かる程度であった。 従って組織の観察は顕微鏡目視の結果を手書きで描画するしか手法がなかった。 本格的拡大顕微鏡写真を目にするのは、昭和14年の陸軍小倉造兵廠・将校用軍刀の研 究からであった。 戦後、顕微鏡、鋼材分析装置などは格段の進歩を遂げた。 旧来の技術環境とは雲泥の差がある。 |
(上図は造兵彙報より流用)
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著者は、日本刀の合わせ鍛えとして従来の新々刀に基づく五種を説明し、これに 丸鍛えを加えて各々の造り込みの種類を説明をしている。 然し、掲載11種の組織分布は、火造り鍛延に依る鋼の変位を勘案しても、従来通 念の構造分類に当てはまらないものが存在する。 現在の造り込みの認識は、均質な硬・軟鋼を前提とした新々刀期の分類である。 この分類を不均質鋼の古刀構造に摘要することに無理がある。 日本刀の造り込み(構造)はもっと多様であった。 |
刀 銘 | 著 者 (近重教授) 説 明 | 筆 者 推 定 |
青江次忠 | 大火での焼け身。左側は焼き戻しでフェライト晶 肥大。刀身構造の説明なし |
大火に遭って半面だけ焼けたという説に些か違和感り 全身焼け身→外皮吸炭 ? 古青江の銘(即ち時代) は疑問 |
将軍家佩刀 | 大阪城中で切断の伝説あり。刀身構造の説明なし | 丸鍛え(一枚鍛え)。組織の粒状が極めて微細 |
来國■ | マクリ鍛えらしい | 中央鍛接面左右の粒状、刃金の軟鋼部への食い込みから見て 単純なマクリとは思えない。銘の欠落で来の何代目か解らない |
関兼元 | 単純マクリ鍛え | 何代目か不明。練り材本体と棟部に焼入硬鋼の合わせ鍛え |
相州正廣 | 組織の粒状が微細。刀身構造の説明なし | 不均質鋼本体と棟部軟鋼の合わせ鍛え |
備前春光 | 備前丸鍛え | 丸鍛え(練り材)。但し、硬・軟鋼の練り方の解説図に異論あり |
壽命 | マクリ鍛え | 何代か不明。マクリ又は甲伏鍛え。皮鉄の棟側への展延が少ない 刃の損傷による研ぎ減りなら、棟〜刃側の皮鉄が先に減る |
三品宗次 | 四方詰め | 両側面の皮鉄は軟鋼。従来説の四方詰めとは違う |
備前祐永 | 軟、中硬、硬鋼を組合わせた特殊マクリと推定 | 硬・軟鋼の単純練り材 |
藤島友重 | 構造説明無し | 従来概念で説明がつかない為か ? 硬・軟鋼の単純合わせ |
眞龍子壽茂 | マクリ鍛えの皮鉄を棟に曲げた | 明治維新直前の作刀。構造は何とも判断し難い |
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化学腐食断面写真 黒色=高炭素領域 白色=低炭素領域 灰色=中間炭素領域 黒点・線=非金属介在物 最高含炭量: 刃金 0.6%C 最低含炭量: 棟部 0.1%C |
←左は本試料の「吉包」 右は小倉陸軍造兵廠の委託で造られた 優秀刀工「F」のマクリ鍛え ←右は玉鋼と包丁鉄の均質鋼を合わせた新々刀 以降の一般的マクリ鍛え。 当時の写真、印刷技術が粗悪な為に不鮮明だが、 中央に鍛接面が確認される。 「吉包」の造り込みを新々刀と同一の概念で捉 えるには無理がある |
「吉包」の皮鉄の役割と芯鉄の複合材を考慮して、刀身の基
本を割刃鍛えと想定した。 即ち、芯金を刀身本体そのものと捉えた。 上図は三枚、又は甲伏鍛えに近似した例。 下図は割刃鍛えに皮鉄の組合せ。皮鉄は滲炭材を兼ねる 現代常識を超越する造り込みがあったことを想定した |
硬・軟鋼は約800℃位の鍛造温度で固体の状態のまま原子の 相互移動に依って鍛接される。 接合面では硬・軟鋼の両者の鉄(Fe)と炭素(C)が同時に拡散 する。 左図は身巾方向の炭素濃度の分布曲線で、当然の事ながら 鍛接境界に近い程硬鋼の脱炭量と軟鋼の吸炭量は多い。 炭素拡散の見かけ上の範囲(遷移の発生した距離)は9oに及 んでいる。日本刀の平均的重ねより長い距離である。 重ね方向(側面から側面)に関しては刃先から7o、8oの位 置のデータはあるが何れも刃金の範疇である。 刀身中央附近のデータは残念乍ら記載されていない。 側面皮鉄の厚みと軟鋼との遷移の相関々係に興味を惹かれ る。 ←左図曲線上下の○は二点の測定値 |
※ 南北朝期の古名刀に関する工藤治人博士の見解
この時代の備前のタタラの産物は銑鉄=白銑であった。(刀身地肌の)木目を見せる黒い筋は鉄滓である。 今日は精鋼を得る為に、ヒを初めに高く焼いて鉄滓を流動状にし、鎚で絞って鉄滓を除去するが、古名刀は此の鉄滓除去 をして居ないと思われる(鍛接剤として有用なウスタイト系ノロ)。 炭素の高い鋼は低温鍛錬が出来ぬので、左下場で出来たヒと、本場で卸(さ)げた包丁鉄(錬鉄)を合わせ、何れもの持って居 る鉄滓を逃がさぬ様、出来る丈低く焼いて鍛えたものと考えられる。 低い温度で叩いて傷の出来ないためには鋼の炭素の低い事を要するので、ヒの炭素を低くするために包丁鉄を交ぜ、鉄滓 をも増加して居るものと思う。 @ 初め高温に熱して除滓する(新刀以降の)和鋼独特の作業をしない事 A なるべく低温に焼く事 B 低温鍛錬を可能ならしむるため、打上げた時 C 0.45〜0.5になるように低炭素の素材を選ぶ事 C 心金を用いず丸ギタエにする事 D 折り返しは少なくする事 これは鎌倉・南北朝期の古名刀の地鉄に対する工藤博士の不動の考えだった。 ()は筆者注 |
代表例以外に、どの時代でも様々な造り込みが行われていた。 古代刀の「硬・軟鋼の合わせ」は確認されるもので7種類を数える。 古代刀掲載例の右図は「割刃鍛え」。大陸では既に紀元前から行われていた。 慶長以降の新刀も、皮・心鉄構造だけではない。上掲の「東洋練金術」刀身断面図を参照されたい。 軍用日本刀には、時代の趨勢により、合金鋼の丸鍛えが登場した。 下段の右図は、古刀に挑戦した現代刀匠・小林康宏の刀身断面。 |
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