STEALIVE  幸福の子  拝啓、真広慶介殿。貴方への返答が遅れた事をまず、詫びたい。その上で、まことに勝手ながら、ひとつ約束して欲しいのだ。  まず、この手紙を読んだ後、燃やして、捨てて欲しい。一片の灰も残さずに。私がこの様に手紙などという不便極まりない方法を取った事に、理解が欲しい。  君に与えられた時間は少ない。それでも、命を大事にして欲しいのだ。君は命を失うことは無いのだから。  真広くん、人々の願いが叶う世界は、幸せだろうか? 皆がそれぞれ、思い思いの願いを叶えられる世界は幸せだろうか?  富を得たい。愛を得たい。幸福になりたいという欲求は、水準以上を求める。  誰もが幸福を求める世界は、その地平線の上に人を置けば、やがて際限無しに肥大化する。しかし、これは、不幸を知っているが故の出来事と言えるだろう。  その前提での話だ。世界は不幸で縁取られている。  丸雛文は無脳症で生まれた。先天的に脳の半分以上を欠損しており、また、両手と左足が無い。  彼女の母、白堂グループ会長の長女、丸雛君江は業務で中東を訪れた際に武装組織に拉致され、約半年間の監禁生活を送った。丸雛文を妊娠して、二ヶ月目の事である。  救出されるまでに行われた数々の行為が、彼女の発育に影響を及ぼしたかは定かではないが、彼女は不幸の縁に立っていた。  帰国後、産道を破損させられていた丸雛君江は帝王切開で文を出産。無脳症であった事と母体並びに文の衰弱ぶりから、医師には余命数週間を宣告された。だが、彼女はその言葉の通りになる事は無かった。今も生きている。  無脳症の子供がまれに一年以上存命するケースはある。しかし、彼女は、今も生きている。  当時、センセーショナルな話題であったから真広くんも記憶していると思うが、白堂グループ令嬢誘拐監禁事件は昭和69年3月の事だ。  その際に、マスコミには文の存在は伏せられていたのは白堂グループにあって忌み子であったからだ。  母体の健康面に不安がありながらも、出産をしたのは、丸雛君江の強い願いによるものだ。彼女は書く。「文は幸福の子」であると。  丸雛君江は完全な防音が施された地下に監禁されていた。その部屋に明かりは無く、彼女が明かりを見る時は大抵、暴行される時である。それでも、闇よりはマシだった。  何も無しに十日以上放置されていたこともあったという。何も無い、闇の中に。  そのような地獄にあって、彼女の希望はお腹に宿る丸雛文だった。彼女のたった一本の足。内側から蹴り叩かれる感触。これだけが、彼女が闇の中で己を認識させる術であった。  幸福の子、丸雛文は母の愛情を受け、潤沢な富の元で、生命活動の殆どを機械で補佐され、今も、生きている。  だが、彼女には脳が、無い。おおよそ人間が持ちうる機能は彼女に無い。目は見えない、耳も聞こえない、嗅覚は無い、当然ながら味覚も無いし、触覚も無い。わずかな反射も見られない。  頭部の半分を欠損し、まぶたは無い、見開くことしか出来ない目がある。眼球は壊れたカメラのピントのように瞳孔を開き続けている。  口は開かれていて、乾かないように生理食塩水のミストを眼球と口内に吹きかけられる。  丸雛君江が霧吹きを噴き、床擦れで化膿しないように注射を我が子に打つ。辛うじて、人のようなものである我が子に。  幸福の子、丸雛文は、不幸だろうか?  真広くん、私はこう思う。彼女は闇の中で育ち、闇の中で生まれた子だ。  しかし、私は歪みの根本を絶とうとは思わない。それが死の概念の塊である命でも。そう考えていた。丸雛文は、母の受けた闇を、苦痛を、死ぬまで繰り返す死んでいる命だ。  だが、彼女には意識が無い。意思が無い。あろうはずが無い。考えるための脳がない。そう考えていた。  そう考えていたから、私はこうして筆を取った。医師である私の筆はここで終わる。  問題は、魂の所在だ。  私には最早疑うことは出来ない。彼女の本質は闇だ。  人々の願いが叶う世界は、幸せだろうか? 幸福には上限は無いがその総量は有限だ。だからこそ問いたいのだ。人々の願いが叶う世界は、幸せだろうか? しあわせです。わたしはとてもしあわせです。