改革は革命よりも難しい。政治の世界でそう言われることがある。

 ひとたび仕組みが出来上がれば様々な利害が絡まり、変えるのは容易ではない。どの国にもあろうが、いまの中国もまた、この難題に直面している。

 中国の全国人民代表大会が開かれている。習近平(シーチンピン)国家主席が見守るなか、李克強(リーコーチアン)首相が経済について「改革の深化と構造の調整を行わなければ安定した健全な発展は達成しがたい」と述べた。

 改革メニューは多岐にわたる。民間銀行設立を認め、金利を市場化する金融改革。予算の透明度を高める財政改革。許認可手続きを簡素化する行政改革。一見したところ「官」をスリム化し、「民」を生かし、さらに高い経済水準を実現しようという方向がうかがえる。

 が、どうしても疑問が残る。

 たとえば、今年は公共投資を拡大する。8千キロに及ぶ鉄道の新規建設をはじめ、水利、エネルギー関連の事業が予定されている。これら巨額の投資の決定権をすべて政権が握っている。しかも大型公共投資への民間参入は厳しく制限され、請け負ってきたのは国有企業だ。それをどこまで開放できるのか。

 一方、政府部門の予算と決算を公開し、社会の監督を受けさせるという改革は、中国史上、画期的と言っていい。が、納税者の代表が集まって予算を決められるわけではない。

 民間の力を借り、民意をくむこともあるが、あくまでも共産党による強力なコントロールのもとで国家を統治する。それが目指す全体像なのだろう。

 習政権の強権ぶりが目立つのも、こうした文脈で考えれば合点がいく。

 すさまじいのは汚職の摘発である。党最高幹部だった周永康氏の事件のあとも、一向に手を緩める気配がない。昨年末には胡錦濤・前国家主席の側近だった令計画氏が摘発された。

 「巨悪」追及は多くの市民に支持されている。だが党による調べが司法機関に先行する不透明な手続きであり、単純に指導者・公務員の清廉さを追求しているようには受け取りがたい。

 締め付けは汚職にとどまらない。言論統制の圧力は前政権をしのぐ。知識人が拘束され、インターネットは監視下にある。

 習政権の発足から2年。大方の予想に反し、まれにみる「強い政権」となった。しかし、改革を進めるのであれば、それは本来、人々の暮らしを向上させるためにある。社会を息苦しくするのが目的ではない。