反米国家イランの高官もまめに目を通しているという米国の一流紙『ニューヨーク・タイムズ』が最近、過去の記事が誤っていたことを公に認め、世界の読者に向けて頭を下げた。同紙は、自社のホームページに「93年前の1922年11月21日付の記事で、当時ドイツの新進政治家だったアドルフ・ヒトラーを友好的なニュアンスで取り上げるという誤りを犯した」と記した。
問題の「ヒトラー記事」は、全40面からなる当日の紙面の18面に、2段にわたって掲載された。タイトルは「ババリア(バイエルンの英語表記)に新たな民衆のアイドル現る」。内容は「ヒトラーの反ユダヤ主義は、うわさされているように本気の主張や暴力的なものではなく、大衆を引きつけ興奮させる餌のような、単なる宣伝用のスローガンにすぎない」というものだった。後にユダヤ人数百万の集団虐殺という蛮行を犯すに当たっての思想的道具となるヒトラーの反ユダヤ主義の在り方を「大したことはない」と誤って分析する記事を載せていたのだ。この記事について、同紙は「核心的部分が大きく誤っていた」と悔やんだ。
ニューヨーク・タイムズ紙の「ざんげ」は、これだけにとどまらなかった。「ドイツの新たな権力者ヒトラー」というタイトルの23年1月21日付記事、「ヒトラーは監獄で飼い慣らされた」というタイトルの24年12月21日付記事も公開した。クーデターを試みる直前だったヒトラーを「新たな権力者」と評し、クーデター失敗で1年間投獄された後も極右民族主義を掲げ、最終的には政権をつかんだヒトラーを「飼い慣らされた」と速断したことを認めたのだ。
「あなた方の新聞がかつて掲載した誤った記事を、全てありのまま告白すべき」と誰かがやらせたわけではない。メディア監視団体などが誤りを指摘し、訂正報道を求めたわけでもない。同紙が自発的に特別チームを作って過去の記事の誤りを探し、結果をホームページ上の特定のコーナーで公開したのだ。そのコーナーを見ると、1910年代に、当時新人だった天才画家パブロ・ピカソを「変人」「気違い」と評し、彼の作品について「子どもの遊びのような落書きは、何の興味も抱かせない」と評する記事を載せたという、愛嬌(あいきょう)交じりの自責の記事もある。
ニューヨーク・タイムズ紙の細かな「反省記事」を注意深く読み進めていたとき、心の中にある単語が思い浮かんだ。「信頼」だった。90年余りも前の、誰も知らない、自分たちの腐った部分を明らかにして、出血覚悟で果敢にこれをえぐり出す姿に「良心的だ」という印象を受けたからだ。信頼というものは、頭で考えるものではなく心に湧き出てくるものではないか、という思いも抱いた。もしニューヨーク・タイムズ紙が、論理的に「ヒトラーは当時、否定的に見えない部分があったため、こういう記事を書いた」といちいち弁明していたら、頭では「そうかもしれない」とうなずいただろうが、心では「見苦しい」と感じていただろう。
これは、新聞だけのことではないはずだ。当座の責任回避のため自分の汚点を巧みに隠そうとするのではなく、むしろ率直にそれを明らかにして本当に反省する時、人もまた他者から「信頼」を得るのではないか。