ありがたいことにネタのタレコミ&質問をいただきましたので今回はそれについてを。
日本のアニメや漫画では、戦う動機として
「なにげない日常を守る」
というのをそれなりに見かけるかと思いますが、これに関してちょっと引っかかる中国オタクの人もいるようです。
中国のソッチ系のサイトトでは
「日本の主人公は日常守りたがり過ぎ」
といったことに関するやり取りが行われていましたので例によって私のイイカゲンな訳で紹介させていただきます。
ふと思いついたんだが、日本の主人公は日常守りたがり過ぎ。
様々なことに巻き込まれたり、ひどい目にあっても最後は日常に戻って学校に行きたがる。
そしてそれはすごい特殊能力を持っていたり、特殊な経歴を備えているようなキャラでも同じだ。
言われてみれば妙に日常を守ろうとするよな!
ウチの国のネット小説とかから考えると、日常はともかく学校とか意味ないよね。日常に関しても、富を得る方向というか人生の勝ち組ルートにいくからそれ以前の日常とは別物になる。
でも日本の作品、アニメや漫画、ゲームの主人公は以前の、変化していない日常を守りたがるし戻りたがるんだよな。
いやいや。日常の何が悪いの?
悪くはないけど、主人公があんなに苦労して守るものか、力を手に入れているのにそれを捨てて、或いは命をかけても維持したい、戻りたいものかってことだろ?
確かに冷静に考えると引っかかるものはあるかもな。
その「日常」には「自分が主人公として過ごすことのできる二次元の学園」も付随するわけだし、守りたくもなるだろう。
日本人は年代ごとに型にハマるのを好むからだろう。
少年が主人公なら学生に戻らなければならないという社会的通念があるんじゃないか?
言ってしまえばストーリーを作る上で、戦う理由として便利だからってことでは?
そこまで深い意味は無いと思うが。
この場合、学校に行かなきゃその後の進路に響くとかいう話ではないわけね。
まぁ私も何かの戦いに巻き込まれて特殊能力に覚醒しちゃったりしたら、リスク無ければそのまま戻らないでもいいかとかは考えちゃうな。そこにヒロインも付いてくるなら何も迷わなくなりそう。
まぁアメリカの某ヒーローもメガネかけて新聞記者になっているくらいだし、別に日常守ろうとしても良いだろう。
でもクラーク・ケントさんは二重生活状態が普通に続いているじゃないか。しかも記者やっている理由は「スーパーマンでは救えない人を救うため」だ。
これはあくまで私の印象だけど、日本の作品の日常守りたい系主人公は特殊能力と縁の無い日常を守り、帰りたがっているし、特殊能力を活かした生活を続けようとはしないように思う。
現代世界の学園が舞台ならともかく、異世界転移モノだとそうでもないんじゃないか?
いや、異世界行ってもわりと何気ない日常とか、笑って暮らせる世界とか、そんな感じの見える範囲の生活を守りたがっていると思うよ。
異世界系でも学校とか、自分の構築した、或いは関係する生活環境を守りたがるよね。日本の社会的な価値観が影響しているんじゃないだろうか?
どんなヒーローでもしょっちゅうトラブルに巻き込まれるより平穏な日常の方が良いだろう。
確かにそうかもしれないけど、日本の作品における「守りたい日常」の記号的な扱いは分析のネタとしては面白いと思うぞ。なぜ日本では主人公のモチベーションとして強い説得力を持つのかとか。
作者の能力の問題でしょ。突出した、超常的な能力をもつキャラクターが現代社会で暮らす上でのストーリー、成功者像を描くことができない、想像できないという問題。
もしそんな能力や資本を持っているなら、狭い世界に自分を押し込んで平平凡凡とした生活を送る人間なんてそういないんだから。
日本の作品はいつの間にかスケールが小さくなることが少なくないからね。
あと学校などの日常生活と世界を守る戦いの二極化した舞台設定にもなりがち。そうなると日常守るくらいしかモチベーションにはならんよね。
日本の作品は何かに巻き込まれる、異常な環境での戦に巻き込まれる前の生活、特に学園生活が安定しているからじゃないか?
アメコミのヒーローとか、学生時代ははみ出し者だったりいじめられたりで「楽しい青春」的な暮らしを送っているのはわりと少ないと思う。
ウチの国?もう生活どころか異世界トリップの妄想するしかありませんよ!
日本の作品に出てくるキャラって、不良系であってもなんだかんだで学校生活大好きだし、学校に行きたがるよね。
どこまでが創作のためのご都合主義なのかは分からないが、学校及びそれに関連する日常生活のイメージが日本ではかなり良いものになっているというのはあるんじゃないだろうか?そしてそんな「日常生活」だから主人公の戦う目的として説得力が出るのでは?
日本では既にある程度社会が安定しているからじゃないかなー
ウチの国も昔に比べて若い世代が安定志向、草食系みたいなことになっているし、日本だと尚更だろう。普通の、穏やかな生活が幸福ってイメージが強いんだろう。
「日常のため」っていうのが読者や視聴者にとっては比較的受け入れやすい理想なんじゃないかね。しかもその日常というのが二次元補正のかかった、一人暮らしや女の子が付いてくる生活なんだから。
それちょっと要求のレベルが低過ぎやしませんかね?
まぁ自分も現実を考えると美女と住む家、いや部屋でもいいや……それが揃っていたらなーと思わなくもないが、日本の主な受け手である若い世代はそうは思わないだろう。
常に世界を救わなきゃいけない生活なんて嫌だろ。
でも日常を守るために世界を破壊するくらいの勢いになるのはどうだろう。
そういうのが嫌いとまでは言わないが、その手の作品に関しては「あんなに苦労したのに、日常に戻るだけかよ!その能力を使ってもっと何か得られないのかよ!」とか少し思ってしまったりもする。日本の主人公ってリターンが少なくないか?
自然災害が頻発するので日常が簡単に壊れる、でも他の場所に行けない島国だから日常を守るという発想が強くなるのではないだろうか?
ウチの国だとなんかあったら移動する、逃げるという選択があるが日本ではそれができない。
強大な力を持ちながらも、社会的に認められなくても、日常的な平和を守るというのが日本のヒーローの基本だね。仮面ライダーなんかもそうだし。ただ、最近のヒーローは日常に帰れるというケースも多いようだから一応昔よりもイージーになっているんじゃないだろうか。
ほとんどの主人公の能力って日常生活だと役に立たないことが多いし、それに加えてその手の主人公って受け身な性格だったりすることも少なくないし、そりゃ日常に戻ろうとしちゃうのも当然だよ。
日常生活向きの能力持った主人公ってのも少ないかもしれないが、それにしたって社会における活動や飯のタネとして何らかの活用はできるじゃないか。
別に戦う必要はないけど、自分のために使うのを放棄するというのもいまいち納得し難かったりする。
前提が違うんだよ。二次元の異能力者に対する社会や政府、あと科学者や企業の扱いのヒドさを考えてみろ!
日本の高校生という強力な要素が大切だからに決まっているじゃないか!
日常にも、学校にもそりゃ戻りたくなるって。
日常の良さってのは周囲の人間関係や経済的な環境によるものも大きいし、二次元に出てくるような人間関係が存在して安穏とした日々が送れるなら別に守りたくて戻りたくても問題ないよね。
とまぁ、こんな感じで。
守りたい日常のイメージもそうですが、日常に戻ることに関する重要度に関して、ピンと来ないような所がある人もいるようでした。
日本と中国では成功者やヒーローの活躍、特に
「活躍したヒーローが得ることのできるもの」
に関するイメージにちょっとした違いがあるような気もしますし、この辺については時間のある時にでもつっこんで調べてみたい所です。
とりあえず、こんな所で。
例によってツッコミ&情報提供お待ちしております。
日本のアニメや漫画では、戦う動機として
「なにげない日常を守る」
というのをそれなりに見かけるかと思いますが、これに関してちょっと引っかかる中国オタクの人もいるようです。
中国のソッチ系のサイトトでは
「日本の主人公は日常守りたがり過ぎ」
といったことに関するやり取りが行われていましたので例によって私のイイカゲンな訳で紹介させていただきます。
ふと思いついたんだが、日本の主人公は日常守りたがり過ぎ。
様々なことに巻き込まれたり、ひどい目にあっても最後は日常に戻って学校に行きたがる。
そしてそれはすごい特殊能力を持っていたり、特殊な経歴を備えているようなキャラでも同じだ。
言われてみれば妙に日常を守ろうとするよな!
ウチの国のネット小説とかから考えると、日常はともかく学校とか意味ないよね。日常に関しても、富を得る方向というか人生の勝ち組ルートにいくからそれ以前の日常とは別物になる。
でも日本の作品、アニメや漫画、ゲームの主人公は以前の、変化していない日常を守りたがるし戻りたがるんだよな。
いやいや。日常の何が悪いの?
悪くはないけど、主人公があんなに苦労して守るものか、力を手に入れているのにそれを捨てて、或いは命をかけても維持したい、戻りたいものかってことだろ?
確かに冷静に考えると引っかかるものはあるかもな。
その「日常」には「自分が主人公として過ごすことのできる二次元の学園」も付随するわけだし、守りたくもなるだろう。
日本人は年代ごとに型にハマるのを好むからだろう。
少年が主人公なら学生に戻らなければならないという社会的通念があるんじゃないか?
言ってしまえばストーリーを作る上で、戦う理由として便利だからってことでは?
そこまで深い意味は無いと思うが。
この場合、学校に行かなきゃその後の進路に響くとかいう話ではないわけね。
まぁ私も何かの戦いに巻き込まれて特殊能力に覚醒しちゃったりしたら、リスク無ければそのまま戻らないでもいいかとかは考えちゃうな。そこにヒロインも付いてくるなら何も迷わなくなりそう。
まぁアメリカの某ヒーローもメガネかけて新聞記者になっているくらいだし、別に日常守ろうとしても良いだろう。
でもクラーク・ケントさんは二重生活状態が普通に続いているじゃないか。しかも記者やっている理由は「スーパーマンでは救えない人を救うため」だ。
これはあくまで私の印象だけど、日本の作品の日常守りたい系主人公は特殊能力と縁の無い日常を守り、帰りたがっているし、特殊能力を活かした生活を続けようとはしないように思う。
現代世界の学園が舞台ならともかく、異世界転移モノだとそうでもないんじゃないか?
いや、異世界行ってもわりと何気ない日常とか、笑って暮らせる世界とか、そんな感じの見える範囲の生活を守りたがっていると思うよ。
異世界系でも学校とか、自分の構築した、或いは関係する生活環境を守りたがるよね。日本の社会的な価値観が影響しているんじゃないだろうか?
どんなヒーローでもしょっちゅうトラブルに巻き込まれるより平穏な日常の方が良いだろう。
確かにそうかもしれないけど、日本の作品における「守りたい日常」の記号的な扱いは分析のネタとしては面白いと思うぞ。なぜ日本では主人公のモチベーションとして強い説得力を持つのかとか。
作者の能力の問題でしょ。突出した、超常的な能力をもつキャラクターが現代社会で暮らす上でのストーリー、成功者像を描くことができない、想像できないという問題。
もしそんな能力や資本を持っているなら、狭い世界に自分を押し込んで平平凡凡とした生活を送る人間なんてそういないんだから。
日本の作品はいつの間にかスケールが小さくなることが少なくないからね。
あと学校などの日常生活と世界を守る戦いの二極化した舞台設定にもなりがち。そうなると日常守るくらいしかモチベーションにはならんよね。
日本の作品は何かに巻き込まれる、異常な環境での戦に巻き込まれる前の生活、特に学園生活が安定しているからじゃないか?
アメコミのヒーローとか、学生時代ははみ出し者だったりいじめられたりで「楽しい青春」的な暮らしを送っているのはわりと少ないと思う。
ウチの国?もう生活どころか異世界トリップの妄想するしかありませんよ!
日本の作品に出てくるキャラって、不良系であってもなんだかんだで学校生活大好きだし、学校に行きたがるよね。
どこまでが創作のためのご都合主義なのかは分からないが、学校及びそれに関連する日常生活のイメージが日本ではかなり良いものになっているというのはあるんじゃないだろうか?そしてそんな「日常生活」だから主人公の戦う目的として説得力が出るのでは?
日本では既にある程度社会が安定しているからじゃないかなー
ウチの国も昔に比べて若い世代が安定志向、草食系みたいなことになっているし、日本だと尚更だろう。普通の、穏やかな生活が幸福ってイメージが強いんだろう。
「日常のため」っていうのが読者や視聴者にとっては比較的受け入れやすい理想なんじゃないかね。しかもその日常というのが二次元補正のかかった、一人暮らしや女の子が付いてくる生活なんだから。
それちょっと要求のレベルが低過ぎやしませんかね?
まぁ自分も現実を考えると美女と住む家、いや部屋でもいいや……それが揃っていたらなーと思わなくもないが、日本の主な受け手である若い世代はそうは思わないだろう。
常に世界を救わなきゃいけない生活なんて嫌だろ。
でも日常を守るために世界を破壊するくらいの勢いになるのはどうだろう。
そういうのが嫌いとまでは言わないが、その手の作品に関しては「あんなに苦労したのに、日常に戻るだけかよ!その能力を使ってもっと何か得られないのかよ!」とか少し思ってしまったりもする。日本の主人公ってリターンが少なくないか?
自然災害が頻発するので日常が簡単に壊れる、でも他の場所に行けない島国だから日常を守るという発想が強くなるのではないだろうか?
ウチの国だとなんかあったら移動する、逃げるという選択があるが日本ではそれができない。
強大な力を持ちながらも、社会的に認められなくても、日常的な平和を守るというのが日本のヒーローの基本だね。仮面ライダーなんかもそうだし。ただ、最近のヒーローは日常に帰れるというケースも多いようだから一応昔よりもイージーになっているんじゃないだろうか。
ほとんどの主人公の能力って日常生活だと役に立たないことが多いし、それに加えてその手の主人公って受け身な性格だったりすることも少なくないし、そりゃ日常に戻ろうとしちゃうのも当然だよ。
日常生活向きの能力持った主人公ってのも少ないかもしれないが、それにしたって社会における活動や飯のタネとして何らかの活用はできるじゃないか。
別に戦う必要はないけど、自分のために使うのを放棄するというのもいまいち納得し難かったりする。
前提が違うんだよ。二次元の異能力者に対する社会や政府、あと科学者や企業の扱いのヒドさを考えてみろ!
日本の高校生という強力な要素が大切だからに決まっているじゃないか!
日常にも、学校にもそりゃ戻りたくなるって。
日常の良さってのは周囲の人間関係や経済的な環境によるものも大きいし、二次元に出てくるような人間関係が存在して安穏とした日々が送れるなら別に守りたくて戻りたくても問題ないよね。
とまぁ、こんな感じで。
守りたい日常のイメージもそうですが、日常に戻ることに関する重要度に関して、ピンと来ないような所がある人もいるようでした。
日本と中国では成功者やヒーローの活躍、特に
「活躍したヒーローが得ることのできるもの」
に関するイメージにちょっとした違いがあるような気もしますし、この辺については時間のある時にでもつっこんで調べてみたい所です。
とりあえず、こんな所で。
例によってツッコミ&情報提供お待ちしております。
物語でも国民性が出るんだな。