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佐野円香
東京生まれ。15歳より独学で写真を始め、2006年からアシスタントをしながらフォトグラファーとして活動開始。2008年独立。2011年制作チームpu'u設立。主に広告、雑誌、CDジャケットなどで企画・ディレクションも含め活動中。
http://puu333.com/
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取材協力:アドビ システムズ 株式会社
All images: ⓒ 佐野円香
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Profile & Works
●中学生でカメラマンを決意
−−佐野さんは今の「女子カメラ」的女性が、そのままプロになられたイメージがあるのですが、まず、カメラマンになられた経緯を教えてください。
佐野:中学の頃からとにかくクリエイティブなことがしたくて。当時一番はまっていたのは切り絵だったんですけど、ステンドグラスみたいなものを作ったりと、いろいろやっていました。美術部だったので油絵なども描いたんですけど、片付けが嫌で(笑)。もっと簡単に楽しくできる表現はないかと思っているときに、たまたま母親の知り合いからキヤノンのすごく古い一眼レフカメラをレンズごといただいたんです。
−−フィルムカメラですよね。
佐野:もちろんフィルムです。身近に写真を撮っている人も教えてくれる人もいなかったので、とりあえず古本屋さんで「四季の撮り方」みたいな本を買ってきて、撮り始めたんです。当時ウサギを飼っていて、とにかくそのウサギを可愛く撮りたくて一生懸命撮ったんです。でも、今思えばそのカメラは中の羽根が壊れていたんですね。フィルムが必ず感光して、赤い帯が入っているんです(笑)。でも、そのカメラをもらったときに、私これで仕事しようと思って。これでご飯を食べていけるようにこれから生きていこうって決めました。
−−中学生でそう思ったなんて早いですね。
佐野:そうですね。親の反対もあったのですが美術系の高校に入って、Nikon Uを買いました。全部オートで撮れて簡単に使えるカメラですね。価格的に手が届きやすかったというだけで、特にニコンを選んだ理由はなかったんです。レンズもショップの人のアドバイスで50ミリと標準のズームレンズを買って、お花を撮ってみたり(笑)。でも、何も感じない写真なんですよね。シャッター押して楽しいけど、それが自分でも何も感じない写真だって分かるんです。ただシャッター切ってるだけだから。
で、写真部に入って、当時は紙焼きが面白くて暗室にはまった3年間ですね。リバーサルを覚えなさいと言われて、適正露出が撮れるようにということでやっていたんですけど、ずっと、どうしたら上手に撮れるかなっていうのを勉強しながらの日々でした。
−−当時の被写体は花やウサギですか。
佐野:スナップですね。人は、商店街とか漠然としたものを撮っていました。あとはとにかく、ひたすら動物を撮っていました。野良猫とかペットとかをしつこく追っかけて。乗馬クラブで馬を撮ってみたり。当時、私はすごく岩合光昭さんの写真に憧れていたんです。今でも一番好きなカメラマンさんの1人なんですけど、岩合さんの写真はとにかく動物が好きっていうのが伝わってきます。すごく引きの写真でも「そう、そこが可愛いんだよね!!」っていうのを感じる写真なんです。本当に動物が好きで撮っている、そういう気持ちがあるから伝わる写真になっているんだなと。私も一番執着があったのが動物だったので、馬のここが可愛いんだけどなあって、言いながら撮ってみたり、そういうことを一生懸命やっていましたね。
−−写真部の先輩とか、写真を教えてくれる人はいなかったんですか。
佐野:いなかったですね。私が自分でやりたいっていう気持ちがすごく強かったのもあります。今でもそうなんですけど、なんでこの写真のこのモデルさんは、こんなに可愛く見えるんだろうとか、常に考えているんですよ。だからその当時も、魚眼レンズで撮った猫の写真を見て、何故こういう感じになるんだろうかとか、ずーっと考えながら撮っていました。
−−自分で追求する派だったんですね。岩合さんからは影響を受けましたか。
佐野:今でもかなり影響を受けていると思います。岩合さんにコアラを撮った写真があるんですけど、それがすごく衝撃的で。コアラが地面に座っているところを下から撮っているんですけど、その距離って野生の動物が怖かったら近づけないだろうし、向こうも警戒するじゃないですか。そこに一歩踏み込めるという、被写体に対する愛着。そもそも動物の写真ってテクニックだけでは語れなくて、それはきっと何にでも置き換わるものだなあっていうのを漠然と思いました。だから今でも、ポートレートでも相手の懐に入っていくじゃないですけど、そういうところはすごく影響を受けていると思います。


●独立までの紆余曲折
−−写真で食べていくと決めてから実際に社会に出るまで、迷いはありませんでしたか。
佐野:高校卒業後、日本写真芸術専門学校に入学して、デジタルカメラを使い始めました。でも専門学校を出てから、なかなか就職できなかったんです。どうせ働くなら大手に行きたい。アマナ、代官山スタジオなどいろいろ受けましたけど、私小柄なので二次面接段階で軒並み落ちたんです。それで一時、映像系のハウススタジオに入ったんですけど、コーヒーを出したり灰皿を替えたりっていうことがルーチンワークで、これでは私がやりたいことに近づいてるとは思えなくて。それで人づてに、サードアシスタントまでいらっしゃるグラビアの先生のところに入ったんです。ところがそこは先生とファーストアシスタントの方が師弟関係ですごくもめていて、先が見えなかったんです。
結局そのファーストアシスタントの方と一緒に辞めました。その人はポートレートやグラビア写真集を撮っていたカメラマンで、私が目指していた写真に近いなって思い、私もどうしても人を撮りたかったので、その先輩のお手伝いをしながら、自分はアルバイトを始めました。
それから、その先輩の紹介で、ファッションを撮っている人のところに1年くらいお世話になりました。当時、私はすごく生意気だったんだと思うんですよね。超跳ねっ返りで、「すいませんでしたっ!」みたいなヤツで(笑)。今思えばあんなに素晴らしい方はいなかったんですけど、当時は、15歳のときからずっと夢を持ってきていたのに、写真がぜんぜん楽しくなかったんです。面白くなくて、写真を撮ることに希望がなかったんです。楽しくやれていないことにすごくストレスを抱えていて、それで飛び出して辞めちゃったんですよ。
で、そのまま独立の流れですね。今思えば本当に僅かですがお仕事を頼んでくれる人がいたんです。私、音楽のイベントのスタッフとしてアルバイトでライブの写真を撮っていたんですね。そしたら、仲良くしていたミュージシャンがメジャーデビューすることになって、CDジャケットの撮影の仕事を私にぶつけてきたんです。ライブ写真しか撮ったことのない22歳の女の子に。若気の至りですよね。「これはやれるかもしれない」みたいな気持ちになって(笑)、それで、先輩のお手伝いをしていたときにお付き合いのあったナショナル・フォートさんにご挨拶にうかがって協力していただけることになりました。で、当時私は5Dしか持っていなかったんですけど、標準ズームと広角ズームと、あとライブを撮っていたので70-200のズームレンズを3本とりあえず揃えて仕事を始めました。サブ機も持っていないのに、絶対やれるって、独立したのが23歳のときです。
−−グラビアの先生、そこで出会った先輩やファッションカメラマンの皆さんとの仕事から、プロとしての自信を付けていったのですか?
佐野:当時は、私は写真を撮りたいのに人のお手伝いをしているのが何か違う、だったら、アルバイトしながら自分の作品を撮ったほうがいいっていう気持ちになっていたんです。今思えばお仕事の仕方、営業の仕方、気遣いの仕方などたくさん教えてもらっていたんですけど、そんなことを教えてもらいたいんじゃないっていう気持ちになっちゃって。そういうことよりも自分が撮る仕事をしたかったんです。バカだったと思います(笑)。
−−そこから今日に至るまでの流れは、順風満帆でしたか。
佐野:いや…独立したときに初めて、これからどうしようかなって思ったんですよね。本当にそれまでバカの一つ覚えのように写真以外の将来を考えたことがなかったんです。でも15歳のときの直感は、やはり他では得られなかったし、もうちょっとやってみよう、2年か3年やってダメだったらアシスタントに入ろうって考えていました。
その当時はmixi全盛期だったので、ヘアメイクの専門学校生とかを探して作品を撮っていたんです。あるとき、アマナの先輩に連絡したら、作品撮りのアシスタントに呼んでくれて、そのときに一緒になったヘアメイクさんが「僕のアシスタントとじゃなくて僕と一緒に作品撮ろうよ」と言ってくださったんです。それで日本人モデルでプレ撮影をして、これと同じ写真を撮りたいからモデルを貸してくれってインターナショナルモデルに営業に行って、そのまま何度か作品を撮らせてもらいました。
そのときまで、私レタッチャーっていう職業が何をしているか知らなかったんです(笑)。テストモデルの営業用に、モデル事務所に写真をすぐ出さなきゃいけないんですけど、画像処理をどうしたらいいか分からない。それで、検索でヒットしたレタッチャーさん何人かにメールをしたら、「メールのやり取りだけで立ち会えないけど、それでよければいいよ。データを見てあげる」といってくださった方がいました。後になってSTUDIO VOICEの「100 Photographers」にその作品で載せていただけたんですけれど、そのレタッチャーの方は、もともとアマナにいらして、コマフォトにも掲載されるような人だったんです。私のことは「この子若くて面白いな」っていう印象だったみたいなんです(笑)。
−−独立当時はまだ定期的なクライアントはなかったんですか。
佐野:月に何回かお仕事をくださっていたメンズのストリートファッション誌が1本ありました。ストリートスナップを撮ったり、ショップのスタッフを撮ったり、そういう仕事を少しずつやりながら、ライブの写真を撮っていました。それだけで食べているという状態ではなかったですね。で、先ほどのお世話になったレタッチャーさんのところでアシスタントを始めました。知り合って半年後ぐらいにその方が表参道に事務所を構えたのでご挨拶に行ったとき、パス抜きとか教えるから手伝ってよみたいな感じになって。撮影の仕事がないときは事務所に行って、本当に役に立っているのか分からないようなお手伝いをしばらくさせていただいていました。
そのうち、写真の仕事じゃないことは止めて、撮影の仕事が取れるように頑張りなといってくれて、徐々に写真の仕事をメインにやれるようにしていきました。
−−レタッチに関してその人は恩人ですね。
佐野:本当に、人生で一番お世話になってるんじゃないかって思っているぐらいです。
−−「アニマルガールズ」は、肌などかなりレタッチが入っていますよね。そういうレタッチのテクニックなどもその人の直伝ですか。
佐野:そうですね。レタッチはテクニック本なども参考にしましたが、本に本当のことが書いてあるわけないですよね。そこで「こういうところをもっとこういう表現にしたい、どうすればいいんですか?」という質問に対してずいぶん教えていただきました。ペンタブレットも使えるようになりました。
−−カメラは5D Mark IIを使われていて、RAWデータで撮って現像。そのときはレタッチまでは踏み込んでいなかったんですか。
佐野:自分ではゴミ取りや肌荒れの修正くらいで、それ以上のことは経験がなかったんです。
−−佐野さんの写真の作風としてはナチュラル系ですよね。ですから最終的にはいかにもレタッチしましたという絵にならない。そのさじ加減、バランスが面白いところだなと思って拝見したんですけども。
佐野:そうですね。あまり作り込んだものは、好きじゃないですね。

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▲フォトブック「アニマルガールズ」(クリックで拡大)
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●「アニマルガールズ」刊行へ
−−2012年3月に発売された写真集、「アニマルガールズ」(メディア・パル)が刊行された経緯を教えてもらえますか。
佐野:2011年11月に、ナショナル・フォートの44周年の企画「新鋭写真家44人による写真展」に参加させていただきました。「アニマルガールズ」はそれがきっかけです。私、いわゆる内向性の強いファッション写真やちょっと排他的な写真があまり好きじゃないんですね。見て直感的に美しいと感じられる、「わあ、きれい」っていうのが好きで。作り込んでいない、ナチュラルな本人が見えるものですね。
20歳くらいの頃に藤代冥砂さんの「もう、家に帰ろう」(ロッキングオン)や長島有里枝さんの「not six」(スイッチパブリッシング)などが盛り上がった時期に私一番、写真に対して想いを募らせていたんだと思うんです。見終わった後に、そこに写っていた人とすごく楽しい、よい話をしたような気持ちになるじゃないですか。そういうのを感じるものを撮りたい。本人とお茶して帰ってきたみたいな、今日はなんかたくさんしゃべったなみたいな。そういう充実感のある写真が撮りたいっていうのが根本にどうしてもあって。「新鋭写真家44人による写真展」用に、今の私が撮れるそういう充実感がある写真がいいなあと思って、女の子のヌードの写真を撮ったんです。セミヌードですけど、髪の長い女の子に可愛いパンツを履いてもらって窓際に立てもらって、パッと撮って「やっぱ女の子が可愛い!」と(笑)。私、女の子大好きなんです。笑えば可愛いし、怒ったって可愛い!
お仕事で付き合いのあった女性の編集の方と一緒に「新鋭写真家44人による写真展」の展示を見に行ったんですよ。で、すごくよかった。なんかやろうよっていう話になって、マーブルトロンの社長も乗ってくれたんですね。だけど、今から撮るのに制作費は出せないから、じゃあ面白い企画を出してみようって、いくつか出したうちの1つがアニマルガールズだったんです。私動物大好きだし、女の子可愛いし(笑)。
−−もうまさに佐野さんにぴったりの企画ですね(笑)。
佐野:女の子を動物に仮装させて撮ったら絶対可愛いよっていって、社長も気に入ってくれてスタートしました。だから、鼻やヒゲ描いたのも基本的には私の案です。モデルさんの中には私の友達もいるんですよ、素人枠で。本当にワイワイ言いながら作った感じです。楽しかったですね、これは。
−−モデルさんは何人ですか。
佐野:全部で9人なんですけど、レタッチも全部自分で手がけたので大変でしたね。
−−撮影期間はどのぐらいですか。
佐野:3週間ないぐらい。モデルさんは1人1日で撮ってるんです。1日に2人撮ったときもありました。
レタッチに関しては最終的に5徹したような状況でしたね。ヌードだし、絶対きれいにして出したい、私それだけは絶対にやるっていって。やっぱりお人形じゃないわけですから直してあげなきゃいけないところもあるし、彼女たちが「わあ、よかった」っていうものにならなかったら意味がないと思っていたので、本当に5日間寝ずに作業しましたね(笑)。
●Photoshopを用いたこだわりのレタッチ
−−女性の肌はちょっと荒れているとか、気になりだすと切りがないですよね。少し直して違和感が出たらほかも直すとかで延々と終わらないし、肌は微妙なグラデーションだから大変ですよね。
佐野:そうそう、大変です。でも絶対に妥協できないと思っていて、緊張感でとてもじゃないけど眠いなんていう状態じゃなかったんです(笑)。でもやっぱり寝てないのでそのうちに赤味が見えなくなっちゃうんですよ。デザイナーの方から修正指示入れていただいて、いざモニターで見てみてもその赤味が分からなくて、これやばいぞ、みたいな(笑)。
−−レタッチのテクニック的な面ですが、肌のレタッチなど、具体的にはどのような作業をしているのですか。
佐野:肌荒れはスタンプと、あとは基本的に全部トーンカーブですね。毛穴レベルで修正しています。私が単純に他の方法を知らないっていうのはあると思うんですけど、毛穴で明るくしていきます。みんなムラがあるじゃないですか。そういうのを毛穴1つ1つ触ってトーンを調整していきます。
−−ということは作業ではピクセル、かなり拡大していますよね。
佐野:200%ぐらいで修正しているんですけど、そうすると作業が追いつかないからやめろってよく言われます(笑)。大きく扱うメインの何カットかはSOSを出して、レタッチャーに手伝っていただきました。肌なので、もう手に負えないっていう状態になっちゃって。
ただ、やっぱり違うんですよね。例えば扱いが小さい写真でも、拡大してちゃんと直したものは仕上がりが違うって信じているんです、私は。撮ってもらった人が、最高の自分が写っているというものを出せればいいんですよね、一番。
−−レタッチは地道な作業なんですね。「アニマルガールズ」のレタッチは本当に大変でしたね(笑)。
佐野:集中力も必要ですし、けっこう大変だったかもしれないですね(笑)。どんなに美しい人でも人間ですし、その時の体調で肌が荒れてしまうこともあるわけじゃないですか。ライティングと一緒だと思うんですけど、目が慣れていないと、目が肥えてないと、修正すべきポイントが見えないんですよ。私はわりと見えている方らしいんですが、ここはもうちょっときれいにしてあげないとダメだなあっていうのが気になりますね。
−−ちなみに写真のセレクトもご自分で行ったんですか
佐野:今回はタレントさんが参加してくださっていたので、チョイスはお任せしました。ただ必ず見開きの決めのカットは現場で撮りながら作っていましたね。
−−シャッターを押すのは多い方ですか。
佐野:わりと多い方だと思います。自分の中ではサービスのシャッターはけっこうあります。ワイワイ言いながら撮影するタイプです。私、スタジオにいたことも、誰かの下に長くいたりとかいうこともないので、お世話になっているアシスタントさんに他のカメラマンはどうやって仕事してるのか聞くんですけど、「佐野さんは佐野さんでいいんじゃないですか」みたいな(笑)。多分ちょっと独特なんだと思うんですけど、周りも全部巻き込んでワイワイやりますね。可愛すぎて胸が苦しい!!! とか言ってみたり、わざと怒ったりしながら(笑)。
−−モデルさんのことを撮る前に事前に調べたりすると思うんですが、このモデルだったらこういう決めカットという絵コンテやイメージを作ってから撮影に臨むんですか。
佐野:そうですね。だから絶対資料が欲しいし、このモデルさんが可愛いところってどこなんだろうっていうのを探してからです。このモデルさんのこの表情独特だなとか、この瞬間っていうのが私の中であって、その瞬間を出すために現場で関係ないことを言ったりします。ギリギリまで片足で立ってみてとか。片足で立っているシーンを撮りたいわけじゃないんですけど(笑)。モデルさんも最初は訳分からないんですが、私の狙いが、ああそういうことかってピンと来てから撮る。そこからが本番ですね。

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▲作品(2008年頃)(クリックで拡大)
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▲新鋭写真家44人の写真展 出展作品(クリックで拡大)
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