職業レリバンスとは実体ではなく社会構造である、って何回言ったら・・・
世の中では依然としてつまらない議論が続いているようですが、言いたいことは
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-fac6.html(要は、ジョブ型なら職業教育、メンバーシップ型なら「文系」)
に尽きているので、少し脇道から。
就職に強いといえば、かつての女子短大は最強でした。四年制大卒女子が軒並み土砂降りで泣き濡れているときでも、すいすいといくらでも就職できたのです。それも、なまじ栄養学科なんていう仕事に役立てようなんて色気のありそうなところじゃなくって、英文科とか国文科とか、絶対に職業人としてやっていく気なんてこれっぽっちもありませんから、と言わんばかりなところのほうが就職率は良かったわけです。
それは極めて明快な理由であって、男女異なる労務管理がデフォルトルールであった時代には、一生会社勤めしようなどと馬鹿げたことを考えたりせず、さっさと結婚退職して、子どもが手がかからなくなったらパートで戻るという女性専用職業コースをたどりますというメッセージになっていたからでしょう。あるいは、結婚という「永久就職」市場における女性側の提示するメリットとして、法学部や経済学部なんぞでこ難しい理屈をこねるようになったかわいくない女性ではなく、シェークスピアや源氏物語をお勉強してきたかわいい女性です、というメッセージという面もあったでしょう。
現実の社会構造の中で、それが会社への入口で高く評価される以上、それも立派な職業的レリバンスに違いありません。だから多くの十代の女子たちは、自らの将来設計を冷静に冷徹に見据えた上で、そういう意思決定をしていたわけです。そしてそれは(少なくとも入口では)確かにペイするものでありました。
ところが、1990年代に舞台設定ががらりと変わり、それまでいくらでも採用してくれていた女子短大というレーベルが、とりわけ英文科とか国文科といった定番のレーベルが、一番お呼びでないものになってしまいました。文系男子と同様、ばりばり会社のために無限定に働きますというメッセージを発する文系女子のレーベルは、それまで可愛くないと忌避されてきた法律経済系の四大卒に変わってしまったわけです。もちろん、それだって、どのジョブのどのスキルとはなんの関係もない「意欲」と「能力」の指標でしかないわけですが、求められる「意欲」と「能力」ががらりと変わってしまった以上、そっちが職業レリバンスのあるシグナルであることはどうしようもありません。
その時期に、女子短大英文科の教授氏が、なぜ日本社会は(俺様の教える)英文学の価値を理解しなくなったのだ、などと悲憤慷慨してみても、あんまり意味がない、というのと、まあよく似た話だと言うことですね。
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