江川小学校跡地を管理されていた自治会の方々とも歓談した。
日本には村社会が存在していて、良き提案であっても、よそ者としての存在は拭いきれない。
一連の写真が示すように、人と人との触れ合いは、その空間と時間の共有が必要となる。
ネット社会に毒され始めている、僕たちを取り巻くこの環境は、今さら後戻りはできないが、知恵を絞り出して、デジアナ社会を上手に活用して付き合いして行くしかない。
デジタル社会に馴染めない人たちも、まだかなり大きな母数として中山間地域には現存しているからこそ、毒され始めている僕たちが、アナログな社会生活を営む地域住民と、デジアナの付き合いが必要となる。
『上善水の如し』
世間では、そんなカタチでの人間関係が最良とされる中、互いの価値観の違いを埋めていく作業も、BERTの防災・減災を推進していく中で重要なファクターとなることは間違いない。
もとよりBERTは『百年の計』と定めてはいるが、そんなに時間を掛けていては、生きている間に何も完成できない。
急がず、慌てず、脚止めず。
あきらめる事なく、突き進んでいく必要がBERTにはある。
一連の写真の流れから、人と人の対話の流れと空気が見えてくる。