米大使テロ:犯人キム・ギジョンは一体どんな人物なのか

5年前には日本の大使にコンクリート片

米大使テロ:犯人キム・ギジョンは一体どんな人物なのか

 米国のリッパート駐韓大使を切りつけたキム・ギジョン容疑者(55)は、NL(民族解放)系の労働文化運動団体「ウリマダン統一文化研究所」の所長だ。1984年にソウルの有名私立大の法学部を卒業後、キム容疑者は司法試験準備をあきらめ、98年に同研究所を設立した。このほか、97年にはソウル市民文化団体連席会議、2006年には独島(日本名・竹島)防衛運動団体の「ウリマダン独島防衛」も設立した。97年から10年間は聖公会大学教養学部(ソウル市九老区)の外来教授を務めた。

 キム容疑者が韓国駐在の外交使節を襲撃したのは今回が初めてではない。2010年7月にソウル市のプレスセンターでの講演会で、独島問題に抗議するとして、日本の重家俊範駐韓大使(当時)にコンクリート片2個を投げたとして、懲役2年(執行猶予3年)の判決を受けた。北朝鮮は当時、朝鮮中央放送を通じ、キム容疑者を支持した。キム容疑者は2年後の12年8月、禹相虎(ウ・サンホ)国会議員(新政治国民連合)らが開いた記者会見で、「自分が投げた石(コンクリート片)は独島を象徴する」と主張した。昨年には事件の経緯に言及した「独島と私たち、そして2010年」という本も刊行した。

 「在野の文化活動家」と呼ばれていたキム容疑者は、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権期に政界に関与し始めた。2001~03年、05~07年に民主平和統一諮問会議の地域委員を務めたほか、盧武鉉政権期の05年からは統一部(省に相当)が任命する統一教育委員として、4年間にわたり学生や市民に対する講演を行った。

 大学の同窓生はキム容疑者について、「20年前から反米、反日、親北朝鮮の傾向が強かったチュチェ(主体)思想派だ。06年に日本の島根県が『竹島の日』を設定した際、本籍を独島に移し、日本糾弾運動を行い、北朝鮮を訪問して以降は、本格的に反米運動に乗り出した」と語った。キム容疑者は盧武鉉政権期の06年11月から07年4月まで「民族和合運動連合」という団体に所属し、北朝鮮を8回訪問した。北朝鮮南部の開城市で植樹を行うという名目だった。

 北朝鮮訪問後、キム容疑者の活動は過激化した。07年10月には大統領府(青瓦台)前で焼身自殺を図り、やけどを負った。ウリマダンのメンバーが1998年に不審人物に襲撃された事件の真相究明を求めることが動機だった。事件当時にキム容疑者の弁護を担当したのは、当時弁護士だった盧武鉉元大統領だった。キム容疑者は「担当弁護士が大統領になっても事件が解決されない」として、焼身自殺に及んだという。

アン・ジュンヨン記者
前のページ 1 | 2 次のページ
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) The Chosun Ilbo & Chosunonline.com>
関連フォト
1 / 1

left

  • 米大使テロ:犯人キム・ギジョンは一体どんな人物なのか
  • 米大使テロ:犯人キム・ギジョンは一体どんな人物なのか

right

関連ニュース