私が政治の世界に入ってから約9年がたちますが、最近思うのが「若手守旧派政治家」の増加です。
私が守旧派というのには、二つの意味があります。
1)ひとつは旧来型の利益誘導の意味の「守旧派」
2)もうひとつは戦前戦中的な復古調の「守旧派」
そしてこの二つが融合しているケースも多く、私個人としては強い危機感を抱いています。
20代の右傾化といった傾向が投票行動にも表れ、将来的にはより深刻な事態を招きかねません。
収賄で逮捕された美濃加茂市長の藤井浩人氏が、「若手守旧派政治家」の典型例と言えそうです。
藤井氏は28歳で全国最年少市長として初当選。その直前までは市議会議員を務めていました。
大学院を終えて実社会で働いた経験もあまりなく、市議会議員になり、政治の世界に入りました。
正直言って、20歳代の実務の経験のない若者に、自治体の経営ができるとは、私は思いません。
有権者の判断とはいえ、何となく釈然としません。
若さが売り物の新鮮なイメージのその市長さんが、雨水浄化設備の設置をめぐって業者に便宜を図り、見返りに現金30万円の賄賂を受け取りました。
「何かを実現するために」政治家になるのではなく、「自己実現のために」政治家になったのでしょう。あるいは「割の良い仕事」としての政治家かも。
20歳代でさっそく利益誘導政治を実行に移すなど、まさに私のいう「若手守旧派政治家」の定義です。
しかもこの藤井氏は、歴史教育でも復古調です。
ホームページを見ると「小中学校の歴史教育が、日本の活気のなさ、無気力な子ども、人間関係の希薄さにつながる」といった主張があります。
ホームページから抜粋するとこんな感じです。大学院生時に、東南アジアを数ヶ月周遊し、大きな衝撃を受けました。
私から見て決して豊かとは言えない生活の中で、人々が活き活きと一日を過ごし、子ども達は目をキラキラさせ、学生や大人達が電車の中や酒場で、国のことや将来のことを熱く語り合う状況を目の当りにし、現在の日本の「活気の無さ」「無気力な子ども」「人間関係の希薄さ」への歯痒さや、自分自身の「将来への無関心」に強い悔しさを感じました。
それと同時に、現地、東南アジアの人々と話をすることで、海外における日本の評価の高さを実感しました。それにより、先人への感謝の思いと、現状への申し訳なさ、そして、このままの日本ではいけないとの思いを強く持ちました。そして、なぜ日本の現状がこのようになってしまったのかを考えるようになりました。
様々な勉強を重ねる中で、先人との関わり方については小中学校での歴史教育が原因であり、「子どもの無気力」や「人間関係の希薄さ」の原因は「社会で生きること」「自立すること」について、大人が子どもへ伝えるべきことを伝えていないことが原因であると認識しました。
よくある浅薄なステレオタイプ的な観察です。
いわく「東南アジアの子どもたちは貧しくても、目がキラキラしている。いまの日本の子どもが、失くしてしまったものがある」という古典的なステレオタイプです。
私もフィリピンとインドネシアにそれぞれ1年以上、東ティモール等も含め、東南アジア体験は数年です。しかし、藤井氏と同じ印象はもちません。
ひとことで言えば、東南アジアも一様ではありません。インドネシア国内でも人種や宗教もかなり多様性に富み、現地調査したら農村と漁村でも価値観が異なりました。
社会学や文化人類学の基礎の基礎でも知っていれば、藤井氏のような浅い理解にはならないはずです。教養の必要性を痛感させられる文章だと思いました。
マニラのスラムにはすさんだ目をした子もいます。児童買春の対象にされて傷ついた子どももいます。貧しくて小学校に行けない子どもも大勢います。
大雑把にくくって東南アジアの子どもたちの方が、日本の子どもたちより幸せだと単純化できません。統計的には日本の子どもの方がより幸福です。
また、フィリピンの歴史教科書(英語)を読んだら、日本占領時代の記述が多くて驚いた記憶があります。
ぜひ藤井氏にはフィリピンの歴史教科書をひも解いて、東南アジアで日本軍がやったことを知ってほしいです。
東南アジアにおいては「現在の日本=戦後の日本」が、たいへん高い評価を受けているのは事実です。
しかし「過去の日本」の評価はそうでもありません。
脳天気に日本の過去を美化した歴史を教えることが、子どもたちの自信につながるとは思いません。
根拠のない変な自信を持ってマッチョな人になるより謙虚さと冷静な判断力を持つ大人になってほしいです。
政界で増加中の「若き守旧派政治家」と対抗すること、それが私にとっての重要なテーマのひとつです。
FOLLOW US