戦後70年となる今年、日経ビジネスオンラインでは特別企画として、戦後のリーダーたちが未来に託す「遺言」を連載していきます。この連載は、日経ビジネス本誌の特集「遺言 日本の未来へ」(2014年12月29日号)の連動企画です。
第18回目は、臨済宗相国寺派管長で金閣・銀閣の住職の有馬頼底氏(82)。有馬氏は長年、京都仏教会理事長として影響力を持ち、京都駅ビル建設時には景観論争を主導してきた人物です。時に政治をも動かした「平成の怪僧」の半生を振り返ります。
有馬頼底(ありま・らいてい)
久留米藩主の流れをくむ有馬家に生まれる。幼少期は天皇の学友だった。8歳の時、大分で仏門に入り、後に京都・相国寺へ。京都の古都税問題や景観論争では重鎮として存在感を放った。臨済宗相国寺派管長で金閣・銀閣の住職。京都仏教会の理事長。1933年2月生まれ。(写真:杉本幸輔、以下同)
私は昭和8年(1933年)生まれの82歳です。そろそろ死亡適齢期ですわ(笑)。そういや、ブンちゃん(故菅原文太氏)もこのあいだ死んでしもうた。
ブンちゃんには亡くなる20日前、私の依頼で講演してもらったんや。
あの時は元気でね。講演では沖縄県知事選挙で、新知事になった翁長雄志さんの応援演説に行った話は大いに盛り上がりました。仲井眞(前知事)さんが落ちたんは、ブンちゃん、あんたの一撃が効いたんや。
三八式歩兵銃を磨いた
死亡適齢期である我々の世代の記憶の多くを占めているのは、やはり大東亜戦争です。よく覚えているのは学徒動員で私らも兵器工場で働かされたこと。そのおかげで勉強しなくてよかったから、私なんかは内心、喜んでいました。
戦中、小倉にあった陸軍造兵廠が空襲を逃れて、私のいた大分県日田に引っ越してきました。壕の奥に、新たな兵器工場が造られた。
私たちはその壕の中で毎日、一生懸命、三八式歩兵銃を磨きました。兵隊さんがすぐ使えるようにと、何百丁と磨いたでしょうか。三八式歩兵銃というのは旧式で銃口が長く、とても重たいんです。
そのうち新式の九九式歩兵銃というのが広がり出してね。それは銃口が短く、とても軽くて持ちやすいの。兵隊さんが戦地に行っても扱いやすいように造られたんですな。この九九式も一生懸命磨いたもんです。
弾薬箱の型打ちもしました。型枠に板をきちっとはめて、釘を打つんです。その中に入れるのは迫撃砲弾です。弾薬箱は1日に20〜30箱は造りましたかな。