テーマ:気持ち/カツ
不合格体験記…
そんなの公表せずに闇に葬りたい
と思ってる方も多いとは思います
でも
これから受験する人たちへの
大きな戒めになると信じてるからこそ
お願いしたいのです
合格体験記もお届けいただけたら
もちろん嬉しいのですが
本当に役に立つのは
こうしておけば良かった
こうすべきでなかった
こう考えておくべきだった
甘かった
というような
闇に葬られる言葉の数々なんだと
思います
だからこそ
挑戦をする人の明るい未来のために
そして
ご自身の反省をも含めて
一人でも構いませんので
そういう言葉をお寄せいただくことを
切に願います
コメントではブログをやってる上で
支障があるようなら
以下の宛先まで
メールでお伝えいただけたら
と思っています
なお、
修正なしで
この記事に掲載させていただきますので
その旨もよろしくお願いします
sirius_sougou_gakusyuukan@yahoo.co.jp
↓↓↓↓ココから不合格体験記↓↓↓↓
不合格体験記①
自分への戒めとこれから大学を受 験する人に少しでも参考になればと思い自分の不合格体験記を書きます。
自分は中学のときあまり勉強せず、偏差値50くらいの高校に進学しました。
高1のはじめの段階では英語の中学の文法すら良く分からない状態でした…
でも、自分は高校ではしっかり勉強して良い大学に入りたいと思っていました。
そこで、高校に入ってすぐに中学の英語の復習をはじめました。
高一の最後でやっと中学の復習を終えました。 あまりに、学力がひどすぎて中学の範囲すら復習にかなり時間をかけてしまいました。
そこから、大学受験の勉強に入りました。
でも、今振り返ると落ちた原因が主に3つあります。
1つ目は評判が良いからといっていきなり自分の実力とかけ離れたレベルの参考書を買ってやっていたことです。
例えば数学では青チャート 化学では重問などある程度の力がないと使いこなせないような参考書ばかりやっていました。
せっかく、順調に上がっていた学力も伸びなくなりました。
そして、自分は難しくて分かりにくい青チャートや重問に挫折し良い参考書を探し色々な参考書を買い集めました。
でも、ほとんど身につかないままいろんな参考書をやったせいで成績は伸びませんでした。
そして、2つ目は過去問中心の対策をする時期が遅かったのが失敗の原因だと思います。
センターは2次の対策をやってればできるようになると勝手に思い込んでいて11月までほとんどセンターの対策をしてませんでした。
でも、いざやってみると全然点が取れないしさらに2次試験もしっかり対策できていなかったのでかなり焦りました。
結局、満足できる対策もできずにセンターに突入。 勿論、点数は大変なことになっていました。
そして、3つ目は勉強時間ばっかり気にしていたことです。
自分は勉強時間を記録していましたが、学校があっても月300時間以上は勉強していました。 夏休みは月450時間ぐらいの勉強時間でした。
しかし、あまりにも無駄なことをやり過ぎたことと休憩したら落ちると思いしっかり休憩をとっていなかったのは失敗だと思いました。
休憩をする勇気も集中力を保つためには必要だと今では考えます。
以上が自分の不合格の主な原因だと考えています。
でも、自分は全て失敗したわけではありませんでした。
唯一、2次試験の英語だけはおそら く9割前後の点数を取れていたと思います。
自分は最初でも言ったように英語は高校入学当時、中学レベルすら良く分かっていませんでした。
でも、毎日サボらず英語に触れていたら本番でしっかり点数を取ることができました。
自分は一番力を入れてきたつもりの2次試験の英語で点数を取れたことだけが今の支えとなっていま す。
自分が今年受験した大学は千葉大工学部のみです。
千葉大より高いところを志望している人も多いと思いますが、自分の失敗を参考にしてくれれば嬉しいです。
今、自分は現役時代の失敗を反省し試験で点を取るために何をやるべきか考え直しました。
自分はこれからセンター過去問やマーク模試中心で基礎を固め、センターで網羅されていない範囲は問題集で埋め合わせをし、問題集は1つに絞り何度も繰り返し、ある程度繰り返したらすぐに志望校 の過去問をやりこんでいこうと思っています。
あれこれ、手を出したら結局何も身につないことを知ったし、センターの対策ははやくからやっておくべきだと思います。
皆さんの参考になれば幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。
→ありがとうございました。あれこれやるのではなく、きちんとこなすことが大切だと分かったことも、一生懸命にやってたからだと思います。この痛い経験を生かして、今度こそ第一志望大学合格を果たしてください!!!
………………………………………………
不合格体験記②
私は高校受験ではあまり勉強をせずに そこそこの学校(偏差値60くらい)に入ることができました。
はずかしながら、高校2年生の冬まで ろくに勉強せず、 偏差値は 英語38 国語68 世界史50 (2年次に受けた春から秋の模試の最高偏差値でした。
しかし、2年生の冬。 担任の先生に明治を第一志望にしてると告げたら、
普通は下げた方がいいとか、やめとけとか、 厳しいぞとか、言われますよね??
でも、私の担任の先生は明治が好きならそれでいいけど、 特に意味なくなんとなく明治なら早稲田を狙え。といいました。
で、僕も単純な性格なもので、そうか、早稲田行こう!ってなるんですよね。笑
そこから、2年生の冬の間にターゲット1900の1~800までを暗記。 (いまごろかよっ!!とかは置いといて。)
とまぁ、勉強にやる気をだした僕の2年次の最後の模試の成績は 英語52 国語65 世界史51 でした。
ここで、ひとつ言えること。 とりあえず単語覚えれば英語はなんとかなる。です。
で、私は野球部に所属していて それなりに強い野球だったので、 自分は背番号もらえるか、もらえないかの瀬戸際で 勉強どころではなくなりました。
そして、3年の夏。 野球を引退して、 初の模試。
…死にました。
英語42 国語57 世界史48
ここから本格的にスタートした私の早稲田挑戦が始まりました。
夏休みは 英語7時間 世界史4時間 国語1時間 計12時間+間の時間。 のペースで勉強していました。
夏の終わりの模試では 英語42 国語55 世界史55
だいぶ心にきました。 でも、 担任の先生からこんなもんだ。 夏休み頑張った成果は秋の終わりに でる。 といわれ、
ここで終わってはいけないと思い、秋も猛勉強。
11月の模試では、 英語58 国語60 世界史60
12月の模試 英語65 国語65 世界史70
この時点で私はもう余裕だと思ってしまいました。 そうです。 ここまでは完全に合格体験記の流れです。
今回、私がこれから受験するみなさんに 伝えたいことはこの先です。
冬休み、 学校がなくなり、 朝起きられず、 夜は集中できず、 自分は大丈夫という余裕から 効率の悪い勉強をして、 毎日見ていたターゲットも見なくな り、 まともに勉強する時間が減りまし た。
そこから、センターまで自宅で勉強していましたが、 見たいわけでもないテレビを見て、 時間を無駄にしていました。
そして、センターの結果は 英語160リス38 国語147 世界史100 でした。
そうです、 ここで目立って成績は落ちませんでした。 だから、余計にこのままやらなくても大丈夫じゃないか と思ってしまいました。
ここから2月までほとんど勉強していませんでした。
そして2月にはいり 滑り止めの対策を始め ひとつめふたつめの受験を終えて まぁ受かったと手応えはありまし た。
そして三つ目、明治。 赤本5年分くらいやりましたが いっかいも合格最低点をこえたことがなく受かる気がしませんでした。
明治の当日も何も起こらず順当に落ちたな。という手応えでした。
そして、早稲田。 早稲田の対策は12年分やっていた こともあり 8割くらいとれるようにはなっていましたが
安定感はなくかつ平準化があったので 決して余裕ではありませんでした。
当日、たまたま見ていたところが 問題にでていて、びっくりしました。 そんな奇跡もあったため、 受かるような気もしていました。
しかし、結果は不合格。 原因は間違いなく、冬休み。 それ以外ありません。
私が言えることは
いついかなるときも どんだけ偏差値が高くも 完全に勉強の手を止めてはいけない。
どれだけ苦しくても
どれだけ辛くとも
どれだけ偏差値が低くとも
どれだけ周りが無理だと言おうとも
どれだけ可能性が薄くとも
正しくやれば必ず偏差値は伸びます。
正しく勉強する方法は人それぞれで す。 私の場合は 夏休みにバカみたいに量をこなして やりやすい方法を見つけることができました。 はっきり言って夏休みの勉強は 非効率的な勉強がほとんどでした。 色んな方法を試し自分にあった方法を見つけることが大事です。
効率の良い勉強ができるようになると 一気に偏差値は伸びます。
そして、 私のように一気に偏差値をあげた人は 1度勉強しなくなると
ある日突然、まったくできなくなることがあります。 それもブランクが短ければ 数日で取り返せますが、 長ければ長いほど、 取り返すことが難しくなります。
受験結果 武蔵 経済◯ 成蹊 経済◯ 明治 商 × 早稲田 商 ×
お金の事情により 滑り止め校は早稲田の発表のあとに 振り込みの締切がある学校のみの3 校に決定しています。
→頑張って自分なりのやり方を見つけ必死に歯を食いしばってやってきたものが、少しの油断から、見えないところから崩れていく…
本当に悔しい体験をされたわけですね
だからこそ
攻撃の手を緩めず
最後まで戦う姿勢が大切なんだ
ということを身にしみさせた経験こそ
飛躍への力へと変えれるチャンスだと
とらえ
またの世界で
今度こそ勝ち取ることを頑張ってください!!
………………………………………………
不合格体験記③
コメント欄だと字数オーバーしそうなので、メールにしました。
くだらない体験ですが、誰かの今後の参考と私への戒めになれば、と思います。
以下、医学部不合格体験記です。
多浪、再受験をしている方へのメッセージと自分への戒めのために書きます。
私は、両方経験しています。
医者になりたいと思い勉強を始め多浪の末、薬学部に行き中退し国立の理学部に行き、一度、卒業しました。
今は、また医学部を目指して勉強しています。
全てを書き出すと長文になりすぎてしまうので、近年の不合格について言及していきたく思います。
最大の失敗の原因は、いうまでもなく、もうしんどいからです。
先の見えないものに向かい突き進む不安とやる気の低下。
過去なら、何も考えずにできたことが、しんどくてできない。また、年齢を重ねるにつれて受験当初だったら、考えなくていいようなことまで、考えなくてはいけません。
正直、本当に私は、医者になりたいのか?と常々思います。
若くして憧れを抱いて見えていた幻想がそうじゃないものに変わったりするからです。
長く続けると迷いが生じます。
純粋に勉強するということだけを考えればいいという状況ではなくなってきます。
勉強するためには、お金がかかります。
浪人当時もアルバイトはしてました。基本的に、勉強するには金がかかるからということで勉強に関しては全くの無知な親が快諾してくれる訳もなく、借りて予備校に通いました。
勉強だけでもしんどいのに、その前に何かとお金の心配でした。
それで、報われればよかったのですが、医学部に合格することはできませんでした。
毎日、続けていればきっといつかはと信じていました。
色んな先生に色々なアドバイスを求めて、ひたすらひたすらこうするといいよと言われたことをやり続けました。
浪人の時点で、見るもの全てがわからない。偏差値も30とか40とかでした。何を読んでもわからない。高校生の頃は、まず座って勉強すること正直、結構苦痛でした。
関西大学あたりが通れば、すごすぎるとされてるような府立高校だったので、大学受験そのものが謎に包まれていました。当然ながら、進路相談なんかで、医学部に行きたいなんて言えるわけありませんでした。
当時は、今みたいに分かりやすく解説が書かれた参考書は少なかったと思います。本もどれをやればいいのか全くわかりませんでした。買ってみたはいいものの、まず国語力がないし、活字を読む力がないので、何が書いてあるのかさっぱりでした。
予備校では、ひたすらバカげた質問に何回行っても長時間付き合ってくださり、教えてくださった先生方には感謝しています。
学力を上げる、勉強をできるようになるというのは、並大抵の努力だけでなんとかなるものではないというのも、よくよくわかっているつもりです。
全くのまっさらで、合格者の前例のいない所からのスタートは、厳しすぎるものがありました。
勉強をできるようにする以前に、まず、大学を目指すことそのものに関しても、無理に決まっているじゃないのという目線。
学校の先生、予備校のチューターなんて、特にそうです。
高校の名前を出す時点で、ものすごい劣等感を感じます。
そして世の中、そんな劣等感をもった人ばかりだということ。
ただ、そんな人がたくさんいる中、本気で生徒の事を考えてくれて、何とかしてあげようと思ってくれる人はいます。
私の通う高校から誰も合格したことのない薬学部、国立理学部に合格できたのは、紛れもなくその少数の人たちの支えがあったからです。
医学部合格、ましてや大学に合格することは、ものすごい天才じゃなければなし得ないことなんだと言うのが常に、頭にありました。
ただ、それは自分ができる側に回ってしまうとたいしたことじゃないんだと思えるようになりました。
できるできないの差って、ほんのわずかなことなんだと思います。
医学部合格であっても、普通の事を普通にやればいいだけのことだと。
そして、以外とその普通の事が出来ていない人が多いこと。
私の場合、多浪の輪廻を断ち切って一度、大学に行ったのもよかったのだと思います。
学問というのは、色んなものがありすぎて、高校までで習うことなんて、ほんのほんのごくごく一部しかないのだと言うことがよくわかりました。
だから、試験でよく出る基本を網羅し、そこを全て完璧にするくらいしか、逆に出来ないのだと身に染みて感じました。
難しい問題を解くのは、当たればでかいというのも経験はしています。一定以上の偏差値レベルでは、難しいとされる問題も似通っていたりします。
その層ばかりの問題を解いていました。センター試験レベルの基本を無視して。
高校生までで、基本を固めて土台がきっちり出来ていればよかったのでしょうが、土台が固まっていない状態で、周りだけを取り繕っている勉強をしていました。
また、土台の段階をきちんと教えられる教師も少ない気がします。
実際に、土台の重要性やその難しさを知ったのも、予備校での上のクラスに入ってからでした。
あの時、もし土台を完璧にして、積み上げていれば、きっともっと楽に受験勉強を仕上げれていたと思います。
実際、偏差値上位の薬学部に合格し、下位の薬学部には落ちました。国立大学の方もリサーチで、ボーダーマイナス50近くの所を返しての合格でした。
ただ、国立医学部にしか通えない場合、センター試験、二次試験の一発勝負に当たればでかいは、通用しません。
超得意科目があったとしても何かの不得意科目があれば、そこでやはり終わりです。
そして、超得意な科目を作るより、全てをまんべんなく出来るようにし、出来ないものは徹底してつぶす方が、時間のロスは少ない。
一般入試で合格するためには、センター試験対策を徹底してできるようにする。
ただこれだけにつきるのだと思います。
ずーっとセンター試験は、私には取れないものと思ってました。
センター試験は、決して簡単では、ありません。
合計得点を9割以上に確実に乗せるには、相当やり込まないといけないものです。回数を重ねるにつれての当日のプレッシャー。時間をかければかけるほど、このセンターに対するプレッシャー大きくなります。
余裕すぎるくらい余裕で、センター試験を迎えるようにするにはどうすればいいのか色々探しました。なんとか出来ないものかと、色々探しました。そしたら、このブログに行きつきました。
ここがなんとかできれば、私の不足しているほとんどが補えることになります。
あとは、長いようで短い、短いようで長い受験までの間を上手くがんばるだけです。
今年は、自分の心と身体の声を聞くことを大事にしたいと思います。頭で大丈夫と思ってはいても、口では大丈夫だと言ってはいても、いきなり精神ポキッといっちゃうものです。
ここからは、これまでの経験からなんだかよくわからない難物なのですが、大きな何かを得るためには、等価交換で何かをこちら側も差し出さないといけないということなのか、色んな避けようのない事態が起きてきました。
事があるたびに、もう辞めようかと何度も何度も思い、別の道を考えたりもしました。
また、何かあるかもしれませんが、私自身がくさらずに、絶対に医学部合格を果たすつもりです。
長く続ければ続けるほど、しんどいのは、言うまでもありません。
医学部受験を初めてちょっとやって合格するという人もいます。書店でよくある偏差値��から合格しましたなんかも、あります。
でも、その人たちはやっぱり、それなりのいい高校に入ってます。そして、親が医者などの高学歴で、勉強する環境は驚くほど整われており、勉強することだけを考えればいい人がほとんどです。
もし、これから浪人、再受験などをして医者になりたいと考えてる人がいるなら、それなりの覚悟が必要だと思います。
実際、目指すほとんどの人が消えていく世界です。
成功すれば大きなものが得られるかもしれませんが、不合格になった場合や諦めないといけない状況になった所からの再スタートは、軽く始めた時とは比べものにならないくらいの労力が必要になります。
医学部受験には、学力、忍耐力それよりも、何よりも要領と運もお金も必要なんだと思います。
受かる人って、世渡り上手も多かった気がします。
大袈裟に言い過ぎかもしれませんが、勉強以外の何か得体の知れない能力が必要なのも医学部受験の特徴なのかも知れません。
なんでこの人落ちたんだろう。。。そんな化け物みたいな人も、たくさん見ました。
そして何より、医学部に合格しなければ、医師にはなれない過酷な世界。
やるなら短期間で必要最低限のことだけを集中してやり、すぱっと一年で決める。
スタートラインに立てなければ、どんなに難しい事をやろうが、無意味以外のなにものでもありません。
しんどいなんて、口に出してしまえば、そのまま精神状態おかしくなるんじゃないだろうか、そんな毎日との闘いです。実際、薬を飲んで、副作用からの薬湿のため、数ヶ月病院で過ごしたこともあります。
正直、医者になることが良いことなのかもよくわかりません。
でも、医学部医学科の合格通知を手にしたら、きっときっとこれまでの全てのしんどいこと辛いこと悲しいことを受け入れてあげられるくらい嬉しいと思えるんだろうと思います。
辛いときに支えとなるのは、がんばってきた過去の自分です。
今、こうして再スタートに立てているのは、過去の合格があるからです。
一人で抱えるものは抱えて、生きてきましたが、頼れるものは色々頼りつつ、迷惑もかけながら、またがんばっていこうと思います。
→現在、受験のために人知れず苦労して仕事でお金を稼ぎながらも受験をすることになる国公立医学部再受験の人も、全国には数多おられる状況ですね…
先が見えない不安や、自分は間違った道を歩もうとしているのか?、、、自責の念にかられる毎日なんだと思います
だからこその
早めの成功なんですね
苦行をキッチリ1年で終わらせて
医者になるための勉強で苦労する
報われた流れにするために
あとひと踏ん張り
気力を尽くせるよう
微力ながらも私なりにも協力させて
もらおうと思います
そして
とても言いにくい胸の内を
自分への喝とともに
申し上げていただき
誠に有難うございました
………………………………………………
不合格体験記④
ポロリもあるよ! 水着美女たちの大運動会!!
特に、現役で部活動をバリバリやっている人に見てもらいたいです
この題名に惑わされる下衆な心のように、成績も振るわない君に捧げます。
今年、私は地元の国立医学部を受けて不合格でした。不合格の要因は、主に二つあります。
①勉強を始めるのが遅すぎた ②自分のレベルにあった勉強をしなかった
①ですが 私の通っていた高校は、いわゆる 進学校で、それに入ったというだ けで慢心していました。
部活が始まってから終わるまで総 計10時間も勉強してないと思います。
これではどうにも成績は伸びません。 しかし、部活で忙しい…と愚痴をこぼすそこのあなた!
ポイント!
定期テストの度、自分が受験で使う教科だけはその範囲をやりきりましょう。 これは現役で受かろうと思った時、最低ラインです。 これができなければ、国公立の大学に現役ではいることはまず不可能でしょう。
そういった他の生徒よりも一歩リードしたいそこのあなた! そんなあなたは、上のことに加えて、何か一教科、他の人に負けないよう仕上げてください。 ここまで出来たら部活動生徒としては十分すぎます。
②ですが
私は、部活が終わると塾に通い始めました。 しかし、高3の7月です。 一年生の時から部活もたいしたぜず、地道に勉強を続けていた人は既に演習に入ってるわけです。
でも!!
ポイント!! 部活動生は焦ってはいけない。 ここが一つの正念場です。 自分自身、周りに影響されて難しいことをしたくなりましたが、意味がありません。
我慢して、じっくりと一年生の時からやってきたことに抜けてる部分がないかを調べてください。
ここで定期テストとかをおろそかにしていると時間が足りなくなります。
それが終わったらいよいよ実践! やってきたことを組み合わせてください。
結論: 基礎がポロリ(約束通り)と抜けて いるとどうにもならない。定期テストで基礎を固め、夏以降の追い上げで勝負を決める!
→まさにしておかないといけないことがポロリでは、成功するわけはないんですね…
進学校が何かをしてくれるのではなく
自分が必要なことをしておく!
受験で成功するということは
そういうことですよね
学校のレールにきちんと乗って
トップクラスにいる人は
受験でも成功しやすいのは事実です
そして
レールから滑り落ちた人は
自分でやっていくしかない
過酷でもありやりがいのある世界でも
あるんですよね
的確な行動をどれだけ起こせるのか?
受験生はそこをきちんと考えておいてほしいものです
AD
いいね!した人
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