佐藤達弥
2015年3月6日03時00分
約4千人の命が失われた「第1次大阪大空襲」から13日で70年を迎える。生まれ育った街が消え、家族を失った人たちは癒えぬ悲しみを胸に抱えたまま、長い年月を過ごしてきた。
「運命と思い、前を向いて生きるしかなかった」。そう振り返るのは大阪市淀川区の沼田浄子(じょうこ)さん(80)。1945年3月13日深夜から14日未明にかけ、大阪市中心部は274機のB29爆撃機が投下した焼夷(しょうい)弾によって焼き尽くされ、沼田さんは祖父と母、母の弟夫婦の家族4人を失った。
心斎橋にあった老舗錫(すず)工芸品店に生まれ、自宅兼店舗は当時珍しかった5階建てビル。父は3歳の時に病死し、祖父が店を営んだ。
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