映画感想インデックス(50音順作品感想リスト) | 江戸川番外地(ホームページ)
2015年02月28日 アガレ☆未開幕少女「幕が上がる」
■[映画][感想]「幕が上がる」

監督:本広克行
脚本:喜安浩平
原作:平田オリザ
本広克行監督の新作である。
そして、主演はももいろクローバーZ。ポスターにはそう書いてある。
つまりこの映画は「アイドル」が主演ですよ、という明確な意思表示が為されている。
個人的にアイドルにずっぽり嵌まった経験がないから、アイドルについて語れる要素が私にはない。ももクロについても、彼女たちの唄は個人的に聞いたり買ったりはしているけど、積極的に彼女たちのライブを観に行くこともないし、テレビやラジオなんかでなんとなく二次情報を得る方が多い。
アイドルとは。
うすぼんやりしたアイドル観しかない私が考えるアイドルとは、自分の実像とは違う「虚像」の物語に寄り添うことなのではないか、という事なのだろうと思う。実像と虚像の狭間で、全力で「虚像」の自分を「実像」として体現し、そしてその「虚像」に自身を重ね合わせることで生み出される「物語」に自らの青春を捧げているという事なのだろうと思うのである。
アイドル映画というジャンルが昔からあるけれど、それは言わば「映画内の役柄」がそのままアイドルとしての物語として現実世界にフィードバックされて、続いている形を取るから成立しているわけだけど、「物語」が、アイドルを送り出す側によって作られてしまっている現在では、逆にムズカシイ。
近年、アイドルが映画に関わることはままあるし、そういう映画も見てきてはいるのだが、いかんせんアイドルという虚像が醸し出す「物語性」が、映画という虚構を演じるにあたって、マイナスになりこそすれ、プラスになる事はなかったように思う。
本格的に映画に出るとなると、それこそ「アイドル」から「卒業」して、「女優」になることでアイドルとしての「虚像」を脱ぎ捨てるほかないわけである。それでもしばらくはその「虚像」の「物語」は彼女たちの足かせとなる。たとえば、去年公開された「紙の月」で演じた大島優子は、奔放で計算高い本性を隠し持つ女子銀行員を演じ、その演技に対して評価する声が上がってはいたものの、個人的にはやはりアイドルという虚像を長年演じてきた事で、物語の中の役柄に対して、大島優子という「虚像」が大きく足を引っ張ってしまってしまう存在になってしまっていたように思うのである。
昔なら、たとえば映画では無いけれど、朝ドラで「あまちゃん」を主演して演じたキャラそのままにタレント性を現実にフィードバックしてテレビ番組に出ている能年玲奈ちゃんなんかは、むしろ「アイドル」として売られてもおかしくはないけれど、今では彼女は「アイドル」ではなく「女優」と区分されてしまうという状況も、「アイドル映画」が成立しにくい状況を生み出しているのではないかと考える。
AKB48のドキュメンタリー映画のように、彼女たちが虚像を演じるために一生懸命に汗と涙を流す「実像」を映し出す、という形で映画になることはあるけれど、それもまた「実像」のように見せた「物語」であり、アイドルとしての「物語」の方に映画の方がが吸収されてしまっているように思う。
ということをふまえての本作である。
この映画の本筋は「弱小演劇部」の部長に突如抜擢されたけど、どうしても演劇に情熱を傾けられない女の子・高橋さおり(百田夏菜子←ももクロの赤の子)が、様々な出会いを経て、少しずつ演劇という麻薬的な世界にハマっていき、青春を賭ける物語である。
年に1回だけ大きな大会があり、そこで負けたら努力が水の泡になる高校演劇の世界。2年間負け続けてきたさおりは今ひとつ演劇の魅力にハマれずにいる。やるなら勝ちたい。でもどうやって勝てばいいのかわからない。だから・・・ハマれない。そもそも親友のユッコ(玉井詩織←ももクロの黄色の子)に誘われて入った演劇部。演劇に対する思い入れも無い。
受験で引退する先代部長は大学行った後も演劇に関わりたいと目を輝かせて言うけれど、さおりには今ひとつ理解できないわけである。
なんとかやる気になってはみたものの、新入部員を勧誘するために作った「ロミオとジュリエット」は散々な結果で意気消沈。
そんな時に、一人の新任教師とさおりは出会う。彼女は美術教師の吉岡美佐子(黒木華)である。彼女は美術室を稽古場に借りようとした演劇部に対し、人生や周りの家族を題材に自分の経験をを元にして演じる「肖像画」という手法で劇を作ってみれば?と提案してくる。そんな彼女に対して、先ほどの演劇の散々な結果のいらだちが残るさおりは、「やってみせてくださいよ」と反駁する。すると、吉岡先生は圧倒的な演技力を見せ、目の前の空気を一変させてみせた。
ネットで検索すると吉岡先生は「学生演劇の女王」と呼ばれたほどの学生演劇経験者であった。さおりは吉岡先生に指導してくれるように懇願し、吉岡先生も渋々と了承する。
こうして、弱小演劇部たちの青春は音を立ててゆっくり確実に前進し始める。
「肖像画」上演会で確実に演劇の楽しさと手応えを感じ始めた頃、吉岡先生は自分たちでシナリオを作り演出する演劇へのシフトを提案してくる。そして吉岡先生は言う。「全国へ行きましょう。」と。
元々「勝ちたい」と思い続けてきたさおりにとっては魅力的な提案。だが、それはさおりたち3年生の部員にとっては将来の道を棒に振るリスクを持って目指す道でもあった。
大会を勝ち上がるために演出に専念するように言われたさおりだったが、シナリオづくりは遅々として進まない。目指すべき道がわからず迷うさおり。そんな時に、強豪校から自分たちの高校に編入してきた、中西さん(有安杏果←ももクロの緑の子)と出会い、彼女に誘われて地方の高校演劇大会にヘルプとして参加して、その他校の情熱を目の当たりにすることで、目指すべき道を定め、シナリオ「銀河鉄道の夜」を完成させて、いよいよ本格的に秋の大会に向けた練習が始動する。
転校生の中西さん、元部長の先輩、そして吉岡先生。さおりは情熱の「先達」たちに導かれるように、演劇のキラキラとした魅力にとりつかれていく。その「キラキラとしたなにか」に導かれるように、「がるる」こと西条美紀(高城れに←ももクロの紫の子)や後輩の明美ちゃん(佐々木彩夏←ももクロのピンクの子)部員達との情熱や絆も次第に深まっていくのだが、その情熱を試される展開がやがて訪れることになる。
この映画は演劇の魅力だけを描いた映画ではない。演劇の魅力にとりつかれるということの、「どうしようもなさ」を描いている映画でもある。それはまるで「呪い」にも似て、簡単にはふりほどけないものであると示してもいる。
「物語」というかたちのないもの。それを自分たちで作り上げ、そしてその「世界」を観客と共有する快感。その魅力はある種麻薬的でもある。さおりに道を示した人が、起こす「ある行動」に部員達はショックを受ける。
しかし、それでも。さおりたちは自分たちの人生を賭けて、「物語」に青春のすべてと貴重な人生の時間を賭けようとしている。
「私たちには宇宙への切符はある。私たちはどこまでも行ける。けれど、決して宇宙の果てへは行き着けない」
それはまるでアイドルたちが自分たちの「物語」を自分の青春のすべてを賭けて紡ぎ、そしてファンと共有する魅力にとりつかれる「業」と呼応しているようにも思える。夢はどこまでも追える。だけど決して果てはない。そんな旅に彼女たちは旅立とうとしている。
ももいろクローバーZがファンとともに紡ぎ出してきた物語が、映画の中の物語と見事に呼応する時、僕はわけもわからず涙が溢れて溢れて止まらなくなっていた。この映画は間違いなく青春映画の傑作であり、映画とアイドルが奇跡的にお互いを高め合う、まごう事なき純粋なる「アイドル映画」であります。
「サマータイムマシン・ブルース」で演劇と映画の融合を模索し始めてから10年。これが本広克行が導き出した答えである。大傑作。(★★★★★)
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