原水禁・平和フォーラム



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Japan Congress against A- and H-Bombs

原水禁ニュース
2009年11月号

2009年11月 1日

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平和フォーラム結成10周年特集
連合からのメッセージ
日本労働組合総連合会会長 古賀 伸明


05年のNPT再検討会議に向けたデモ(ニューヨーク)
 「フォーラム平和・人権・環境」結成10周年をお慶び申し上げます。
 2005年5月、日本労働組合総連合会(連合)・原水爆禁止日本国民会議(原水禁)・核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)の三団体は核拡散防止条約(NPT)再検討会議開催中に、国連総会本会議場において日本国内から核兵器廃絶の願いを集めた850万人もの署名をデュアルテNPT再検討会議議長に手渡し、8月には種々の障害を越えて平和の実現と核兵器廃絶に向けて統一した大会を成功させました。これは平和と核兵器廃絶を求めて取り組んできた三団体が、多くの困難を克服し初めて共同で行った取り組みでした。
 それから、4年、私たちは着実に取り組みを広げ固めてきました。
 米国オバマ新大統領は、4月、チョコ共和国プラハにおいて「唯一の核兵器使用国としての道義的責任」として「核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意」を表明しNPT再検討会議での核軍縮推進やCTBT(包括的核実験禁止条約)の早期批准、カットオフ(核兵器用核分裂物質製造禁止)条約容認の姿勢を打ち出しました。


連合、原水禁、核禁会議主催の「核兵器廃絶平和大会」
(05年8月・広島)
 9月24日に行われた国連安全保障理事会では、日本の鳩山新総理大臣が、世界の指導者に対して広島・長崎への訪問を要請するとともに、被爆国日本として非核三原則を堅持し、核廃絶に向けて先頭に立つ意志を表明しました。
 世界は今、確実に核兵器廃絶への道を歩み出しました。
 私たちはNPT再検討会議に向けて、核兵器廃絶を求める1000万署名に全力で取り組むとともに、国際労働組合総連合会(ITUC)をはじめ、米国労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)や多くのNGOとも連帯する中、国外においても署名活動を展開しています。
 世界の潮流が核廃絶にむかうなか、NPT再検討会議の成功のために三団体の取り組みを一層強めていきましょう。
 皆様の今後のご活躍を祈念するともに、平和実現・核廃絶、そして被爆者課題に取り組んでいくことの決意を申し上げメッセージといたします。
2009年10月

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平和フォーラム結成10周年 目標は高く
平和フォーラム代表 福山 真劫

憲法理念を生かすために全力で取り組む
 平和フォーラムには、10年の歴史の中で重要な3つの基本文書があります。この基本文書は闘いの中から、作り出されたものであり、私たちの目標、運動のあり方・組み立て方、すべて書かれています。例示しながら、平和フォーラムの10年を振り返ってみましょう。
 平和フォーラムは、1999年に結成され、今年10月22日で結成10周年を迎えました。この間、多くの人々、団体に支えられて、ともに運動を組み立ててきました。規約の3条(目的)には、「この会は、戦争も核もない平和な、そして人権が遵守され環境保護の確立された21世紀を作ることが目的です。またそのために、憲法の理念を生かし、国内はもとより世界のあらゆる人々と連帯し活動します」と書き込んでいます。平和フォーラムに結集する仲間たちは、全国各地から、その目的の実現のために、全力で取り組んできました。
 この10年は、憲法理念を実現する取り組み、ブッシュ・ネオコン勢力の強行したアフガニスタン・イラク侵略戦争に国際的な平和勢力と連帯して反対する取り組み、自公政権の「アメリカの侵略戦争」に追従して中東への自衛隊派兵、有事法体制の確立、米軍再編成、教育基本法改悪、憲法改悪への動きなど戦争する国づくり路線と対決する取り組み、過去の清算と日朝国交正常化の取り組み、核軍縮の取り組み、被爆者支援の取り組み、脱原発の取り組み、食や環境問題の取り組みなど、多くの課題に全力で取り組んできました。
 また毎年の原水禁大会、護憲大会、食とみどり、水を守る集会などの定例的集会が平和フォーラムの歴史の中に刻み込まれています。私たちは、この間の取り組みに誇りを持っています。もう一度この目的をかみ締め、11年目へ出発したいと思います。

連合とも連携し課題の前進をめざして
 平和フォーラム・原水禁は、常に労働運動のナショナルセンターである連合との関係について、討議を重ねてきました。07年度の総会で確認された組織検討委員会提言には、「平和と民主主義をめぐる状況を考慮すれば、平和運動の大きな一翼を担う平和フォーラム・原水禁の果たさなければならない役割はますます重要となっています。そうした認識に立って、平和フォーラム・原水禁の組織と運動の重要性について、再認識し、組織と運動の強化をめざします」書かれています。
 議論としてあった連合・原水禁・核禁会議・平和フォーラムの4団体の外に、「新たな平和団体」を作ることや、平和フォーラム・原水禁組織の解消と運動の連合への持ち込みなどの案について討議することは当分凍結することとしました。そして現在この「提言」に沿って、連合とは一致する課題での連携を深め、課題の前進をめざして奮闘しています。核軍縮、被爆者支援、8月のヒロシマ・ナガサキ平和集会の取り組み等の充実と共同行動課題をさらに拡大しましょう。

「新しい時代」づくりに参加しよう
 世界的な政治経済情勢の激動の中で、今年9月、私たちのめざしてきた政権交代が実現しました。民主・社民・国民新党による連立政権の誕生です。鳩山連立内閣は国連など国際舞台での核軍縮や温室効果ガスの大幅削減の表明、また国内的には補正予算の見直し、官僚主導ではない政治主導のシステム作りなどをめざして奮闘しています。そして私たちは政権が変わったのだということを日々実感しています。
 こうした事態に対応するため、9月9日、平和フォーラム常任幹事会で「政権交代に伴う基本認識について」という議案を確認しました。基本認識には、「戦後初めての本格的政権交代であり、新しい時代の始まりです。私たちがめざして来た『憲法理念』・平和フォーラムの制度・政策要求が実現する可能性が大きく拡大しました」「運動のありようも従来の抵抗型・対決型中心の運動から、より政策実現型の運動に『運動の組み立て方』の考え方を転換する必要があります」と書かれています。
 新しい時代の始まりです。私たちは3党連立政権を支援し、「基本認識」を踏まえて、「新しい時代」づくりに参加しましょう。また平和フォーラムが掲げてきた課題の中には連立政権でも前進が困難な課題もあります。そうした課題はじっくり構えて、多数派作りに取り組みましょう。
 平和フォーラムは結成10年を迎え、3つの文書をかみしめながら、この時代を担っている組織として、国内最大の平和団体として、目標を高く掲げ、歴史的役割を果たしていきましょう。

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平和フォーラム結成10周年特集 《特別寄稿》
平和フォーラム、つぎの10年に向けて
軍事評論家 前田 哲男

ピースボートの船上にて


 「政権交代」のニュースを南シナ海の洋上で聞いた。「ピースボート」船上においてである。総選挙の4日前にわたしは、「地球一周の旅」に乗りこんでいた。日本との時差は1時間。その夜、開票時刻がくると、「オセアニック」船内に特設されたインターネット版「衆議院選挙速報」のフロアに100人以上の人が集まってきた。ほとんど期日前投票をすませて乗った人なので、意識も関心も高い。開票経過がスクリーンに映しだされるたびにどよめきと歓声があがる。「東京選挙区はどうなっている?」、「久間さんは落ちたの?」などと質問が飛び、注文に応じて画面が切り替えられる。自民党総崩れ、民主党大勝、新政権誕生へ...予測と期待どおりの結果だ。あちこちで「乾杯!」「万歳!」の声がまきおこる。
 それにしても、日本から遠く離れた洋上の一点で、これほど素早くニュースを受けとれるとは思わなかった。「情報化時代・国際化社会」の現実に接する思いだ。選挙結果の実感は、翌日からピースボートがインド洋からソマリア沖海域へと進んでいくなかで、より強く湧いてきた。そこには「補給支援法」と「海賊対処法」のもと、自衛隊の海外活動が続く「軍事の海」がひろがっている。船がアデン湾入口の「ポイントB海域」に差しかかると、一列にならんだタンカーやコンテナ船を護衛する各国の軍艦が遠くに見えた。そのなかに自衛艦も混じっているはずだ。上空をP-3C対潜哨戒機が通りすぎていく。ピースボートは、「軍艦による護送」を受けることなく紅海に抜けた。
 新政権が発足すれば、この海に派遣されている海上自衛隊の活動も、やがて中止・転換させることができる......青く澄んだ広大な海を眺めながら、私は、いまこの瞬間、日本国内で「護憲運動の新時代」の潮流が現実化しつつあることを痛感しながら、「フォーラム平和・人権・環境」の10年――21世紀を展望して反核・平和・人権・環境に向かい「地球規模で考え、地域から行動する」、開かれた運動の今後について考えをめぐらせていた。
 「平和フォーラムの10年」は、その大部分が「21世紀最初の10年」と重なっている。それはまた「ミレニアム」と呼ばれる西暦1000年記の「始まりの10年間(decade)」にも位置づけられる。同時に、単に時代のひと区切りとしてあるだけでなく、より巨視的な変化への予兆、ないし「歴史の年輪」がくっきり刻まれた時間の流れとして、将来にわたり記憶されるに違いない世界史の区分ともなるだろう。そこに「この10年の前半と後半」に生じた国際情勢の構造変化――「断層」ともいうべき明確なしるしを読みとれるからだ。

「平和フォーラムの10年」、世界に何が起こったか?


憲法理念の実現へ(09年5月憲法記念日集会・東京)
 第1に、「ふたつの9月」というマークが見いだせる。01年の「9・11事件」と08年の「サブ・プライムローン問題」に象徴される衝撃の痕跡である。ともに国際社会を震撼させたが、「ふたつの9月」への影響と対応は、まったく異なるものとなった。一方がアフガニスタンとイラクにおける「戦争と殺りく」につながったのに対して、もう一方の9月では、世界恐慌を阻止するための「国際協調・連帯」が求められた。対決ではなく協力、軍事型経済からのパラダイム・チェンジ(認識転換)が、危機に対応する時代の要請となった。「G7」から「G20」へ、また「食料問題」や「地球温暖化ガス削減」という共通の目標の設定など、「ふたつの9月」がもたらした落差は、このように目に見えて違うものとして国際社会に認識された。
 第2に、ブッシュ時代(01年~)からオバマ時代(09年~)に示された「米政権の断層」がある。「テロとの戦い」「核兵器の先制使用」を掲げた前半期のブッシュ政権に米有権者ははっきりと「NO」を突きつけ、「イラクからの撤退」「核兵器なき世界」を公約したオバマ大統領を選んだ。その結果は、つぎの10年を待たず「プラハ演説」(09年4月)や「国連総会演説」(同9月)において動きだしており、米世界戦略の転換を新世紀10年間の前後半にはっきり映しだすことになった。「ブッシュ・ネオコン路線」から「オバマ核軍縮路線」へ。このアメリカの民意に現れた変化も注目すべき時代相である。
 そして第3に、日本政治における「変化への胎動」もまた、このdecadeを対照的に区分する出来事として特筆されるべきであろう。前半期の「小泉政治」(01年~)とその亜流政権が、後半期の参院選(07年)で不信任され、ブッシュ政権に追従し「イラク・アフガン侵略戦争」への加担、米軍再編成の強行、ミサイル防衛、自衛隊海外派兵の恒常化など日米軍事一体化・解釈改憲・憲法改悪路線・戦争する国づくり路線を継続してきた「自公政権」は、ついに崩壊した。この変化について、改めて触れるまでもないだろう。

今後取り組むべき課題は何か
 これら10年間に凝縮された事象を、ミレニアム(1000年記)のなかの"ミリレニアム"、世界構造における変化の特徴と捉えうる。そこに「21世紀の時代精神」が、すでにほの見えているのではないか。したがって、99年の結成時「平和フォーラム」が掲げた目標理念――「21世紀への展望」は、その後あらわれた「世界史のあらたな息吹」とみごとに合致しているといえる。国際社会はゆるやかであれ、「核軍縮」「人間の安全保障」「地球環境保全」の方向に歩みだした。そのような国際的・世紀的枠組みのなかで、いま、国内政治にあっても「政権交代」という確固とした足掛かりをえたのである。
 であるなら、「平和フォーラム」が今後取りくむべき課題はおのずと明らかだろう。
 結成時(1955年)の「党是」に「憲法改正・自衛軍創設」を明記した自民党が政権および多数党の地位から転落したことにより、半世紀以上つづいた「改憲権力に対抗する護憲運動」の対立構図はひとまず決着したことになる。少なくとも自民党がもくろんでいた、「憲法審査会の始動・2011年にも改憲案発議」という路線は破たんした。それは「9条を変えさせない」護憲運動の勝利でもある。
 とはいえ、それで「護憲の目標」が達成されたわけでないのも確かだ。旧政権の残した「負の遺産」が、冒頭に見た「ピースボートからの光景」のように「解釈改憲・憲法空洞化」の現実として存在し続けている。とくに「ミサイル防衛」や「米軍再編」問題のような、安保・防衛政策において差し迫った課題だ。根底に、従属的な日米安保体制下の諸問題――日米地位協定、思いやり予算、沖縄問題があることはいうまでもない。改憲路線が否定されたのなら、では、それに代わる「憲法復元のビジョン」をどう描くか?
 つぎの10年に「平和フォーラム」の護憲運動にも「パラダイム・チェンジ」がなされなければならない。「改憲を阻止する護憲」の時代から脱却し、「憲法を具現化する政策」提起へのさらなる肉づけと踏みだしが必要になる。当然ながら、そこにおいて「安保即時廃棄」や「自衛隊解体」にいたる憲法理念を見すえつつも、「望むこととできること」「なすべきこととなしうること」を弁別しつつ、「憲法具現化のビジョン」を立案・実行していく英知と努力がもとめられよう。一直線でなくとも、前に進むかぎり前進である。そこにおいて、「つぎの10年」に向け「平和フォーラム」が果たす役割はかぎりなく大きい。

憲法理念の具現化のビジョンを
 今年11月は、冷戦終結の契機となった「ベルリンの壁」崩壊から20年目にあたる。それは第2次大戦開始(1939年のドイツによるポーランド侵略)の70周年でもあった。世紀的な「始まりと終わり」の節目である。「壁崩壊」を機に、ドイツは「再統一とEU(ヨーロッパ連合)」へと安全保障の軸足を移す国家戦略の転換をなしとげた。NATO(北大西洋条約機構)体制にとどまりながらも、対米追随外交からぬけだしEU主体の「共通の外交・安全保障」に移行させる路線選択を現実のものとしていった。イラク戦争に反対し地位協定を改正した。いまやドイツは、ヨーロッパ共同体に「非戦国家」「非核国家」として迎えいれられている。
 「自民党長期政権という壁」が崩壊したいま、「平和フォーラム」に求められることは「憲法理念具現化へのビジョン」の一日も早い提案であろう。「憲法論」(違憲の自衛隊)から「憲法政策」(自衛隊の縮小と統制)へ向けた方向を示すこと――政策的にいえば、「自衛隊の任務限定」(一切の海外活動からの引き揚げ)、「核不保持と宇宙平和開発の確認」(非核三原則の法制化とミサイル防衛からの撤退)、「先端技術と軍事産業の切り離し」(武器輸出三原則の法制化)などを柱とし、そのための自衛隊の縮小・改編を盛り込んだ「平和基本法」を早急に制定することである。そうすることで日米友好の新たなかたちと「東アジア共同体」の明日が展望されるだろう。

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平和フォーラム結成10周年特集 《特別寄稿》
政権交代で日本をどう変えるか
北海道大学教授 山口 二郎



 民主党政権の国内政策、対外政策を中心に、政権交代でどうなっていくかを考えてみたいと思います。
 カッコ付きの「平等社会・総中流社会」
 国内政策では日本型社会民主主義をどう確立していくかに尽きると思います。日本はこれまで裁量型政策によるリスクの社会化路線を取ってきました。代表的なものは補助金行政、行政指導による護送船団方式の業界保護、談合による業界の共存共栄、こういったものが裁量型政策だったわけです。これは、非常に不透明で不公正です。そういう関係の中で、リスクを社会化してきました。政治献金をもらって、選挙の時に票をくれた人のところに公共事業をもってくる。結果として地域間格差が是正され、所得分配がある程度平等になる。あるいは地方で雇用を確保するという効果を伴いました。それでカッコつきの「平等社会、総中流社会」ができたのです。
 1990年代以降問題になったのは、この裁量的政策のもたらす様々な弊害です。汚職・腐敗、非効率が横行し、政治家の我田引水で予算をまくので、無駄なものをあちこちにいっぱいこしらえる。そうなると、納税者、特に都市の納税者が怒るということで、改革をしようという話になりました。小泉改革は、基本的にはリスクの社会化からリスクの個人化への転換であったと言うことができます。しかし、相変わらず郵政の「かんぽの宿」の資産の処分などを見ますと裁量的部分が残って、オリックスの宮内社長みたいな政商が、政治家とつるんで利権をあさっています。
 そういう意味では、小泉改革は、アメリカ型の競争社会、自己責任社会と日本の族議員、官僚支配の悪いところを組み合わせたものだったわけです。国民も、改革と言われて、裁量型政策を是正して、透明性の高い、ルールに基づいた政策に転換してくれると思って期待をしていた。しかし、実質は違ったわけです。リスクの個人化路線がいかに社会を破壊するかということを、みんなようやく気づいたのです。
 そこで、民主党が目指すべき道は、普遍的政策に基づくリスクの社会化、別の言葉で言えば「制度的再分配」です。社会保障、地方財政の2本柱で、きちんとしたルールに基づく再分配を行う。個人に対しても自治体に対しても、最低限の生活や公共サービスを保障するための金をきちんと確保するということが内政上の最大の課題です。

人間の尊厳が守られる社会へ


11万人が集まった沖縄戦教科書問題集会
(07年9月・宜野湾市)
 もう1つは、新しい社会像を打ち出す必要があることです。民主党のマニフェストを読んでも、思想というのが全く伝わってこない。思想というのは、私たちがどういう社会で生きたいのかということだと思います。今の日本に必要な思想とは、人間の尊厳が守られることだと思います。人間が人間らしい生活が送れるように、きちんと賃金を得て、家族を持って生きていける。あるいは生まれ落ちた家庭や地域の状況に関係なく自己実現できるような社会を取り戻していくということが、私の考える思想です
 もうこれからは高度成長の時代みたいに賃上げなどは言えない時代です。しかし、ストックはもうだいぶできています。住宅はまだ多少改良の余地はあるけれども、耐久消費材は持っています。そうすると、夫婦が二人とも働いていくためには、教育や医療、介護などの公共サービスのコストを社会化しなければいけない。こうしたものの個々人の自己負担が少なくてすむ仕組みを作っていくことが課題だと思います。
 内需中心の経済構造に移って、みんながそこそこの所得を得て、安心して暮らしていく、そういう社会のイメージです。そうすると、従来の虚妄の経済成長路線から訣別をしなければということになります。特に、教育と労働政策にもっとお金を投入していくべきです。機会の平等を本当に確保しようと思ったら、小さな政府ではダメです。政府がちゃんと再分配をして、ある程度まで結果を平等にしないと機会の平等もできません。お金がなくて大学に行けない人のために、学費や生活費を支援するのは、金額から言えばほんの僅かで済むわけです。そういうことにお金を再分配することが大事なことです。
 そうすると、財源をどうするのかという議論になるわけです。そこで公平な負担のあり方を考える必要があります。私は、経済界に対して応分の負担を求めるべきだと思います。これまで長期の経済成長をしたにもかかわらず、労働分配率は下がり続け、低賃金労働が横行してきました。それだけでも、企業は社会的な義務を果たしていないということをまず正面から言って欲しいと思います。法人税の税率が日本は高いと日本経団連は言いますが、企業の社会的負担というものを考えた場合に、決して日本は高くはない。ドイツでは企業が環境税を払っています。フランスは賃金税という形で、雇用形態に関わりなく、賃金に一定の税金をかけ、それを社会保障の財源にするという仕組みをとっています。日本でもそのようなことをして、非正規労働者に対する社会保障を確保することが必要だと思います。また、相続税をもっととることや、累進課税を強化すればいいと思います。そのうえで、最後の手段として消費税増税もあるだろうと思います。

より現実的な安保外交論を
 次に、外交安保をどうするかです。これは、野党時代のように簡単な話ではなく、外交交渉ですから、こっちの言ったことが実現するとは限らないということを見ておく必要があります。たとえばインド洋から自衛艦を引き上げる。これはおおいにやればいいと思います。国民がそういう方針を選んだのですから、アメリカに文句を言われる理由はないのです。ただし、日本は日本なりの方法で、憲法の理念に沿って貢献するということも言う必要があります。学校や病院を作るためにお金を払うと言えばいいのです。ただし、日米安保体制そのものは、当面維持せざるを得ないでしょう。安保を解消して、日本が自主防衛すると言ったら世界中が脅威を覚えるでしょうから、安保は維持でいいと思います。
 米軍基地問題も政権交代が起こったのだから、議論をし直すよう言うべきです。辺野古基地建設も再検討したいということを言うべきです。それで向こうがどう出るかを受けて議論をすればいいのです。もちろん、それはそれで大変なことですので、平和フォーラムも民主党の中のハト派をしっかり支えて、これからより現実的な安保外交論を展開していかなければなりません。今までは野党の立場から運動論としてやってきましたが、これからは与党の政策を議論し支えていくという、全く未知の経験をしなければなりません。
 その意味では、先日、沖縄県議会の人が超党派で東京に来て、連立政権の合意の中に沖縄問題をちゃんと入れてくれと運動したのはとても良いことでした。沖縄には保守・革新を超えた民意があるわけで、基地の縮小に向けたプログラムを地元からも意見を吸い上げながら提起していくことです。今までは選択肢が1つしかなかった。選択肢を少しでも広げるために、こういう運動体の中からも提起していくということが必要だと思います。

アジアに対する未来志向のメッセージを
 それから、アジアに対する未来指向的メッセージを鳩山政権で打ち出していくということは期待できると思います。鳩山・岡田・菅・小沢といった幹部の歴史観は極めてまともです。中国、韓国の関係も重視しています。来年の韓国併合100年という節目で、「戦後50年の村山談話」(1995年)に匹敵するようなメッセージをアジアに向けて出していく運動をしていこうと提起したいと思います。特に大事なのは、北朝鮮も含めた朝鮮半島全体に対するメッセージです。植民地支配について改めて責任を明らかにするということ、拉致事件の解決のためにも、北朝鮮と対話をしていくという基本姿勢を明らかにすること、それから東アジアの非核化という大方針を示すことが必要です。
 北朝鮮の核開発問題には、捨て身で取り組む必要があります。脅威というのは能力と意図という二つがあって成り立つわけです。中国は核武装をしているけれど、中国が日本に核を撃ち込むということは想定出来ません。それは中国が日本に対する攻撃の意図を持っていないことが明白だからです。北朝鮮との関係でも、核攻撃をしたいという意図をなくすという面での努力も必要だということを強調しておきたいと思います。
 政権交代で、我々にとってチャンスが広がったのですから、平和フォーラムも与党に向かって政策提言をして、おおいに力をふるっていただきたい。そして、民主党のリベラル派をしっかりと支えて、大きく広げていっていただきたいと思います。
 ※この講演は、9月16日に行われた平和フォーラム全国責任者会議の講演の一部を編集、加筆したものです。

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※結成10周年にあたり、主な課題について関係者から「平和フォーラムに期待すること」を寄せていただきました。

平和フォーラム結成10周年特集 《期待する取り組み》
「WORLD PEACE NOW」の活動と平和運動
杉並区議会議員 須黒 奈緒

大きなイラク反戦のうねり
 私は、2002年から始まったイラク攻撃反対の運動「WORLD PEACE NOW(WPN)」で初めて平和フォーラムの皆様とお会いしました。イラク攻撃を阻止するために、できることは何でもやろうと実行委員会をつくり、その中心で、多くの企画、運営に携わりました。特に2003年1月と3月に行った大規模なパレードの準備においては、連日打ち合わせを行い、国会や大使館への要請行動や集会などを行いました。
 WORLD PEACE NOWは、思想・信条・立場の違いを超えて幅広い世代の人が集まりました。そのため会議の中ではしばしば激論が交わされました。20代、30代の若者が中心となり、ピンク色のハートマークや英字のロゴの作成、DJカーや着ぐるみなどでアピールをした際には、年配の方から心配とともに批判されることもありました。そのような中で、平和フォーラムの皆様は若者世代の自発的な提案を快く受け入れ応援してくれました。そして、次第にメディアから注目、報道されるようになり、徐々に認知されていった結果、3月のイベントでは参加者は5万人を超えるまでになりました。世界の平和運動と連帯して大きな反戦のうねりをつくることができたのではと実感しました。

平和フォーラムのスタッフとして


WORLD PEACE NOWのイラク反戦パレード
(05年3月・東京)
 2004年からの2年間は、平和フォーラムで非常勤職員として勤務させて頂き、集会やデモ、国会議員への要請や講演会の準備などに携わりました。
 韓国に訪問した際には、平和団体と交流し、数万人規模のデモに参加しました。日本では見たことのない民衆のエネルギーを肌で感じ圧倒されたことを今でも思い出します。また、国民の多くが南北統一を望み、そのための準備が着々と進められていることを知りました。日本の報道では伝えられない事実を、現地に足を運ぶことで知った貴重な経験でした。
 原水禁大会の子ども企画『メッセージfromヒロシマ』では、小中学生が平和について考え発信するためのイベントを作りました。私はこうした経験から、平和フォーラムの大きな役割の一つは、「人々が体験を通して学び、つながり合う場」を提供することだと認識するようになりました。
 先日、とあるイベントでお会いした20代の男性が「沖縄の平和行進に参加して本当によかった。戦争の爪あとをたどるフィールドワークでは、初めて知ることばかりで衝撃を受けた。」と語っていました。若い世代が、こうした実体験を重ねながら、戦争の真実を学ぶことは非常に重要なことだと思います。
 また、現代では若い人の横のつながりが希薄化しています。職場や地域で孤立し、悩みがあっても一人で抱え込んでいる人が増えています。全国の同じ立場や思いを持つ仲間が語り合い、つながる場を大事にすることで、今後の労働運動、平和運動での連帯がより強くなっていくことが求められていると思います。ぜひ、これからも引き続き、若い人の意見や新しいアイデアを取り入れ、可能な限り反映する雰囲気をつくって頂きますようお願い致します。

一人の自治体議員として
 現在、私は杉並区の区議会議員として活動をしています。戦争をさせない社会をつくるために、政治の内側からの改革を模索しているところです。政権交代が実現し、あらゆる分野で変化が起こり始めています。これまでに平和フォーラムが訴えてきたことが、いよいよ反映されていく段階に入ったのだと感じます。
 高い志を持ち、日本の平和運動の中心を担う平和フォーラム。世界の市民運動と手をつなぎ、次世代に平和の尊さを伝えながら、持続可能な社会の実現に向け、これからも力強い運動を続けてくださることを期待しています。

 

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平和フォーラム結成10周年特集
これからも、地域の力を充分発揮できるように支援してください。
非核市民宣言運動・ヨコスカ  鈴木 千尋
聞き手・新倉裕史

―平和フォーラムの10周年特集号に、横須賀の若者の意見をというリクエストがあり、鈴木千尋さんにということになりました。最初に関わりから聞きます。


 最初は「原子力空母横須賀母港化を許さない全国連絡会」ですね。2005年12月、原子力空母を配備ないように訴える「訪米団」へ参加し、ゴードン・トンプソン博士へ依頼した原子力空母事故想定調査の横須賀での結果報告会では、資料の画像の投影係として全会場を回りました。それから、2008年7月の「原子力空母の横須賀母港化を許さない全国集会」の準備スタッフ、9月の座り込みへの参加です。デモ行進には、普段活動している「よろずピースBAND」で参加させてもらいました。

―そこで感じたことを率直に。
 訪米団も、トンプソン博士の報告会も、通訳をスタッフや参加者がこなしていて、素晴らしいと思いました。国際的活動も展開できるのは、心強いです。全国集会は横須賀では見たこと無い人数。公園が満杯で圧倒されました。座り込みは、思っていたより堅苦しくなく、賑やかしもありましたが、通行人へのアピールをもっとできたら良かったと思いました。

―原子力空母配備問題では、現地スタッフの一員になったわけですが、どんな経緯ですか。
 08年6月、私は「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」事務所のスタッフでした。2度目の直接請求で署名を集めた住民投票条例案が市議会で否決され、事務所を畳む作業に入っていました。3階に「成功させる会」の事務所を構えていたのですが、2階に平和フォーラムの「現地闘争本部」が置かれ、スタッフを頼まれたということです。

―スタッフになって、内部からフォーラムを見つめたわけだけど、そこで感じたことは。
 見つめるほど内部に居たとは思っていないですよ。何かを決定するような会議には出てないし、議論も聞いてない。指示された末端の実働作業を手伝っただけです。大きな団体の問題点は見つけようと私はする人ですが、なぜか思いつかない(笑)。

―「思いつかない」というのは、問題点をそうは感じなかったということ?


原子力空母横須賀母港化反対集会
(08年7月・横須賀)
 いや、今思い出せないという意味です。現地闘争本部事務所は、堅苦しい名前とは違って、ユーモアのあるスタッフの笑いがあふれていて、楽しくやっているように見えました。ただ、横須賀市民があまり参加してなく、平和フォーラムばかりで運営されている。そういうものなのだろうかとは思いましたね。長く協力してきた市民団体と、もっと共同してできないのだろうかって...。集会は、がっちり昔ながら感がある。この差がどこでどうでき、変化するのでしょうか?

―がっちり「昔ながら感」ですか。
 列が続いている。でもそれが前の車に従っているばかりに見えてしまうのは残念です。形は続いているが、元気は続いていますか? 参加している人それぞれの主体性があまり出ていないように見えるのはもったいないです。

―鈴木さんは金沢で開かれた「非核平和条例を考える全国集会」(2008年11月)にも参加されましたが、集まってくる地域の皆さんの印象は。
 分科会で、住民投票条例案の直接請求について報告しましたが、皆さんの真剣な眼差しに体が強張りました。こういう場で、しっかり報告できる能力はないので、押しつぶされそうでしたね。報告者が多くて、会場の人とのやり取りが短かったのが残念です。準備段階から、熱心に取り組まれているように感じました。

―これからの「平和フォーラム」に望むことがあれば。
 地域の人たちが行動を起こしている時に、地域の力を存分に発揮できるように支援してほしいですね。

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平和フォーラム結成10周年特集
「メッセージfromヒロシマ」に参加して
反差別国際運動スタッフ 小笠原 純恵

 2001年8月、私は、実行委員会スタッフ・メンバーとして、第1回「メッセージfromヒロシマ」に参加しました。小学校に入るか入らないかの時から、親に連れられて反核デモでメガホンを持ったりした経験はありましたが、自分自身として市民運動に参加したのは、このイベントがほぼ初めてでした。

広島から子どもたちが平和を訴える意義


今年のメッセージfromヒロシマ(09年8月・広島)
 第1回当時、大学1年生だった私が参加した際に感じていた魅力、そして、現在も継続するそれが持つ大きな意義だと考えていることは、「子どもたちがつくる平和イベント」というこのイベントの趣旨です。
 世界の歴史を学ぶにつけ、戦争を動かす背景には、「正義」や「国民の安全を守る」など広く発せられるメッセージとは別に、権力や経済的な要素など、一部の大人の利益のための動機が深く絡んでいることを知りました。また、現在も世界中で子どもたちがそのような戦争の犠牲となっていることを知りました。「核も戦争もいらない」というメッセージを、子どもたちが、原爆の被災地である広島から世界に発信するということは、いまだに戦争を止められない世界において大きな意味を持つと思い、このイベントに参加しました。また、今でもそのように信じています。
 実行委員会は、高校生や中学生も含む学生を中心としていて、東京圏から参加したスタッフだけでなく、広島や長崎でも実行委員会がもたれ、合同での打ち合わせを通じて、イベントのネーミングから企画の内容、採択するアピールの立案・英訳まで、平和フォーラムの方々からの強力なサポートも得つつ、一つ一つ話し合って作っていきました。
 イベントは、日本中の様々な地域から子どもたちが参加し、また、核や戦争の被害に遭っている外国の子どもたちをゲストに迎えて開催されました。第1回は、参加者みんなが折った折り鶴を使ってモニュメントをつくるというもので、それ以降のイベントも、参加した子どもたちが平和へのメッセージを託した共同製作を取り入れたものになっています。また、例年、参加者で採択したメッセージを、核保有国にメール送信するという形をとっています。こうした企画によって、参加する子どもたちが、少しでも、戦争のない未来のために自分たち自身の声を届けたという思いを持つことができれば、そのようなメッセージを発し続けることができればと思います。

誰もが参加することのできる運動を
 仲間と一緒に一つのイベントを組み立て、実現する経験は、その後の自分を構成する基礎の一つとなっていると考えています。私は、大学卒業後、国際人権NGOでインターンをし、また職員として勤務しましたが、その場での活動においても、「メッセージfromヒロシマ」で得ることができた、ひとつの目的のもとに多くの人とともに活動を組み立てていくという経験を生かすことができたと思っています。また、その後も続く仲間・友人を得ることができました。広島や長崎でも、このイベントに継続的に関わり、最初は年少メンバーとして参加していたのが、他のスタッフをリードするようになっている人たちを知ることができました。一年ぶりに行った広島で、知っている人たちに再会することはとても嬉しいことでした。
 実際、参加した子どもや若者が、その後もそれぞれの場で、「核も戦争もない平和な21世紀に」という思いのもとで活動している姿を見ることができます。その意味で、平和フォーラムが、現在も、メッセージfromヒロシマの開催と、学生や若者からなる実行委員会をサポートし続けていることは、これからの世界のために、とても重要なことだと考えます。
 また、現在、変わり始めた日本の社会のなかで、このような活動は、大きな意味を持ちえると思います。政治への関心が強まり、日本が向かう方向が多くの人に注目されている今、平和・人権・環境を掲げる平和フォーラムが、広く様々な市民活動とネットワークを広げ、誰もが参加することのできる運動を目指すことは、本来、社会に生きる人たち皆の願いであるはずの「戦争のない平和な世界」を求める声を、一部の運動体だけではなく社会全体からのものに広げていくことにつながると思っています。

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平和フォーラム結成10周年特集
脱原発をめざす運動の核になってほしい
原子力資料情報室 共同代表 伴 英幸

原発技術は核兵器開発につながるもの


「もんじゅの廃炉を求める集会」
(07年12月・福井県敦賀市)
 核兵器廃絶へ向けた運動の中には原子力の平和利用を容認するような考えが存在する中で、平和利用にも反対する主張を展開してこられたことに、私は非常に勇気づけられています。この立場は、原子力発電や再処理などの核燃料サイクル技術が核兵器開発技術へつながるものだとの認識に裏付けられていると考えます。また、ヒバクはどちらにも共通して人々への影響が長期におよぶ深刻な問題であるとの認識だと受け止めています。  この10年に原子力の分野では大きな事故が起きました。一つは1999年のJCO(東海村)における臨界事故であり、一つは2004年に美浜原発3号炉(福井県)で起きた蒸気管の破断事故でした。前者は2名の労働者が、後者は5名の死者を含む11名の死傷事故に至りました。原子力開発が始まってから40年強、それまでに無かった死傷事故が短い期間に続いたのでした。  また、02年と06年には電力各社が長年にわたって事故を隠し、定期検査の不正などを行なっていたことが、次々と明らかになりました。これらの背景には安全性よりも効率を重視する姿勢、換言すれば経済性を重視する電力会社の姿勢が如実に現れています。あろうことか、政府はこの事件のどさくさにまぎれて「維持基準」を導入し、機器類に生じた傷を残したまま運転を容認する道を開いてしまいました。
 近年の動きを見ると、政府が温暖化防止を口実に原子力産業を保護するためか、ますます効率重視を打ち出しています。この6月に経済産業省が取りまとめた「原子力発電推進強化策」にその内容が示されています。原発の新増設を進めるために事前に建設費を積み立てることを容認し、原発の設備利用率を上げるために定期検査間隔の24ヵ月までの延長を認め、さらには出力を5%程度上げることも認めています。現在の電力需要からすればすでに飽和状態になっている原発をさらに増やすために、出力調整運転への道を開こうとしています。推進側は「科学的合理的」な規制と自画自賛していますが、私たちは安全余裕の底なしの切り詰めと捉えています。

規制強化と保安院の独立を
 近年「想定外」の場所で想定外の地震が多発し、原発は大きなダメージを受けるようになりました。「原発震災」と呼ばれる未曾有の事態に至らずにすんでいるのは幸運としか言いようがありません。これに対して原子力を推進している人たちは相変わらず活断層の長さを値切るなどして耐震安全強化のための追加策を回避しています。また、誰一人として、上記に述べた原発の効率利用の諸策と耐震安全性とを重ね合わせて考えていません。原発諸施設のどこで次に地震が起きるか「神のみぞ知る」のですから、まさに薄氷を踏むような状況が続いているといえます。
 政権交代という歴史的な事態に直面して、原子力をめぐる政府の姿勢は大きくは変わらないかに見えますが、しかし、民主党はこれまでに無い公約をしています。安全重視の姿勢を打ち出し、原子力安全・保安院の経済産業省からの独立をマニフェストに書き込んでいます。同院設立当初から闘わされてきた論議が実現するかもしれません。
 現状では経済産業大臣が原発推進を言うだけでなく、環境大臣までもが川内原発(鹿児島県)の増設容認や「もんじゅ」の推進を公言する事態です。規制強化と保安院の独立といった選挙公約を実現させるためには、多くの労働者や市民が一丸となって協力しなければ、とうていかなわないことでしょう。
 皆が一丸となるためには「核」が必要ではないでしょうか? すでに多くの人がさまざまに議論を始めていると思いますが、ぜひともフォーラム平和・人権・環境がこの「核」となって進めていくことが期待されていると思います。

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平和フォーラム結成10周年特集
核兵器に依存しない安全保障確立
NPO法人ピースデポ事務局長 中村 桂子

 「核兵器のない世界」への政治的気運は今、より大きな潮流へと変化を遂げつつあります。この文章を書き始めたときに、オバマ米大統領のノーベル平和賞受賞のニュースが飛び込んできました。賛否両論は当然のことと思いますが、「世界は変われる」とのビジョンを共有し、具体的な行動へと移していくことの重要性を世界に訴えた点は十分に評価されるべきでしょう。

世界的な核軍縮の気運と日本の課題
 しかし、オバマ大統領の掲げるビジョンの現実化に向けては、いまだ乗り越えなければならないいくつもの壁があります。米国をはじめ核兵器国は、核不拡散条約(NPT)下の核軍縮義務を履行している証として「削減」努力を繰り返し強調してきました。しかし、その根底に流れる「冷戦思考」には根本的な変化はありません。核兵器によって安全が守られるという「信奉」はいまだ根強く各国の指導者層を縛っています。
 こうした中、世界的な核軍縮気運、とりわけ米国の変化を受けて、日本の私たちの直面する課題があらためて浮き彫りとなってきました。被爆国として核軍縮を訴えながら、米国の拡大核抑止力=「核の傘」に依存する日本。こうした長年の「ゆがみ」が、ようやく核軍縮へと扉をひらいた米国に、あろうことか「待った」をかけるという、皮肉なかたちであらわれているのです。先日の安保理会合に出席した鳩山首相は、オバマ大統領のプラハ演説に呼応する形で、被爆国としての「道義的責任」を明言しました。その中身が具体的に示されるのはこれからです。しかし、新政権の誕生が、被爆国日本がこれまで果たせなかった核兵器廃絶への役割を果たすべき歴史的な好機を生んでいることは紛れもない事実と言えるでしょう。

「核兵器は人類と共存できない」原則に立って


NPT再検討会議での被爆者団体と秋葉忠利広島市長のデモ
(05年・ニューヨーク)
 私たちの緊急の課題は何でしょうか。まず一つ目は、「絶対的に核兵器を否定する」ことだと思います。当たり前と思われるかもしれません。しかし、昨今の「核兵器のない世界」気運のきっかけとなったキッシンジャーらの提言をはじめ、核兵器ゼロに声を挙げた人々の多くが「核兵器ではテロを防げないし、より危険だから」という理由のみに依拠しています。これを否定するものではありませんが、私たち日本の市民は、被爆者が長年訴えてきた「核兵器は人類と共存できない」という原則にきちんと立った議論を展開するべきです。こうした被爆国の揺るぎない姿勢が、核兵器禁止の国際規範作りにつながる、「モラル・オーソリティ(道義的権威)」としての力を持つと考えます。それが、核兵器の「非合法化」を実現するための一歩です。平和フォーラム(原水禁)や連合など三団体が取り組んでいる「核兵器廃絶1000万署名」の重要性もここにあると考えます。

「核の先制不使用」と「非核兵器地帯化」
 二つ目に、核兵器に依存しない安全保障体制にむかうための具体的措置を講じていくことがあります。具体的には、核兵器の役割を核攻撃の抑止に限定し、けっして先に使わないと約束する「先制不使用」政策について、日本政府を支持に向かわせることが喫緊の課題です。新政権になって新しい兆候は見えはじめていますが、この点で日本政府の姿勢を明確に転換できるかどうかが問われています。
 あわせて、東北アジアにおける「核兵器のない世界」の枠組みという視点も重要です。日本が、核兵器に依存しない安全保障体制へと進むことは、「核兵器のない世界」を創る世界的努力に大きく資するものです。そのひとつが、核の脅しではなく、国際法のもとで安全を保証する「非核兵器地帯」という選択です。核兵器の脅しによる「安全」ではなく、持続的な平和と安全のメカニズム構築に一歩を踏み出せるか否か、被爆国・日本の真価が問われている局面です。
 上述した2つの課題については、まさに平和フォーラム・原水禁が長らく訴えてきていることであり、先日、鳩山首相、岡田外相にあてに出された要請書はまさにタイムリーでした。来年のNPT再検討会議、そしてその先にむけて、私たちピースデポもともに力をあわせていきたいと考えています。

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平和フォーラム結成10周年特集
平和・人権・環境の視点から米軍基地問題への取り組みを
普天間米軍基地から爆音をなくす訴訟団 高橋 年男

基地を取り戻し戦争に終止符を
 普天間爆音訴訟は今年度中に控訴審の結審を迎え、来春早々にも判決を迎えます。昨年6月の一審判決は、普天間の爆音が、周辺住民に受忍限度を超える耐えがたい被害をもたらしてきたことを認め、国に対して原告全員への損害賠償の支払いを命じました。普天間基地をめぐる初めての司法判断は、米軍と日本政府を弾劾する内容でした。
 そもそも普天間基地は、沖縄戦のさなか米軍が住民を収容所に追いやり土地を強奪して建設した基地であり、現在は宜野湾市のど真ん中に位置する「世界一危険な米軍基地」です。控訴審では、現場検証(現地進行協議という形)や、原告による被害実態の訴えの他にも、普天間基地の設置・運用基準の違法性を主張するために、参考人として伊波洋一宜野湾市長の出廷が実現するなど、危険な普天間の閉鎖を求める市民の声を裁判所に訴えてきました。
 2004年8月に起きた沖縄国際大学への米軍ヘリコプターの墜落から5年が経ちますが、日米地位協定の改訂も事態はなんら進展していません。日米合同委員会の騒音規制措置も、市街地上空の訓練飛行禁止の取り決めも、まったく守られていないのが実情です。
 私たち住民の願いとは裏腹に日米安保によって、沖縄は朝鮮戦争・ベトナム戦争のための基地の島に造りかえられていきました。いくさによって先祖伝来の屋敷・田畑を追われたまま、米軍基地のフェンスに囲われた故郷の地を二度と再び踏むことができずに世を去ったお年寄りの無念はいかばかりか。沖縄にとって戦争は、沖縄戦からずっと止むことなく、別の形をとって、この60余年継続しているのです。安息の地を奪われた霊がさまよう祖先崇拝のこの島に、平穏な人間の営みが訪れるのはいつの日のことでしょう?

国境を越えた連帯が始まった


危険な普天間基地の早期閉鎖を(沖縄・宜野湾市)
 小松、厚木、横田、そして嘉手納の爆音訴訟に続いて声を上げた2002年からこの7年の私たちの行動は、ささやかではありますが新たな時代への一歩を踏み出すものでした。宜野湾市では、普天間基地の返還を公約にした伊波市政が誕生しました。沖縄県議会は2008年4月の選挙で革新勢力が過半数を制し、普天間閉鎖と辺野古新基地建設反対を県民の声として県議会で初めて決議しました。今年8月の衆議院総選挙沖縄選挙区では、辺野古推進派が全員落選し、普天間閉鎖と県内移設反対という沖縄の声が国政を、安保を動かす好機を迎えています。
 また、この普天間爆音の提訴と伊波市政の誕生以来、米軍再編問題で揺れるアジア各国(韓国・フィリピン・グァム・ハワイなど)のマスコミ・地方議会・住民運動団体などが、宜野湾市を相次いで訪れるようになりました。とりわけ辺野古や高江とリンクして米軍基地の移設拡張が住民の生活を破壊して強権的に行われた韓国からは、平和・人権・環境などさまざまなチャンネルの視察交流団が訪問し、米軍基地の爆音訴訟、汚染浄化、地位協定などをめぐって共同調査など具体的な連帯交流が深まってきました。
 韓国における米軍基地問題は、沖縄(日本)と同じように民主的な労働組合の主要な闘争課題であり、労働組合は住民運動・市民運動と連携して大きな役割を果たしています。そして最近の韓国との交流会では、韓国側から労働組合同士の海を越えた交流を求める声をよく聞くようになりました。
 来年の2010年は日本帝国主義が朝鮮半島を植民地支配した併合条約から100年の節目を迎えます。国家としての正式な謝罪はもちろんのこと、個人としても団体(組合)としても翼賛勢力として天皇制国家に組み込まれ、朝鮮・アジアをじゅうりん・侵略した歴史の反省にたち、新しい時代を切り拓く東アジアの民衆同士による草の根の交流と連帯を築いていこうではありませんか。米軍基地をめぐる平和・人権・環境の問題への取り組みは、その鍵を握っていると思います。

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平和フォーラム10周年特集
平和フォーラムと日韓連帯、そして日朝国交正常化
立教大学准教授・日朝国交正常化連絡会事務局長 石坂 浩一

韓国訪問からはじまった運動
 平和フォーラムとのお付き合いは、私の記憶では、2001年1月から2月にかけて韓国の運動団体との交流ということで同行した頃からだと思います。まだ、田窪雅文さん(当時原水禁スタッフ)が原水禁で活動していて、その前年に私に声をかけました。
 この韓国訪問では、まず田窪さんがセットしたカトリック大学での反核平和のためのシンポジウムの後、韓国側の団体と連絡を取り合って、韓国の環境運動連合や被爆者団体を訪問したと思います。この時は佐藤康英さんが事務局長でした。韓国でいちばん寒い時期で、私は途中で熱を出して苦しみました。  それがきっかけで、2回くらい準備の話し合いを行い、平和フォーラムが中心となって「日朝国交正常化を求める市民学習会」の名前で活動を始めました。4月5日に市民学習会主催で「朝鮮半島とアジアの平和」という講演会を行ない、その後学習会を継続しました。会の名称は「市民学習会」から「市民学習交流会」を経て「市民連絡会」となったようです。

北朝鮮への非難の津波のなかで


日朝国交正常化を求める集会
(08年7月・総評会館)
 2002年には「日朝国交正常化を求める市民提言」を作成、意見集約集会を5月28日に行って政府にも提出しましたが、その後、9月に日朝首脳会談が実現の運びとなり、日朝関係が前進するかと期待されました。ところが、拉致問題を解決できず日朝関係はまたも厳しい状況に直面しただけでなく、ブッシュ政権が投げかけたウラン濃縮疑惑をきっかけに第二次朝鮮半島核危機に立ち至ったのでした。
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)非難の津波の中で、少しでも冷静に事態を見るための視点を得ようと、2003年3月26日には新千年民主党所属で国会の国防委員会委員長でもある張永達議員をお招きし、講演会を行いました。
 そして、同年4月27日から5月1日にかけて平和フォーラムは訪韓団を派遣、国会議員や参与連帯、民主労総、民族和解協力汎国民協議会(民和協)などを訪問、日韓連帯を通じ朝鮮半島の平和にコミットするための基盤を固めたのでした。この訪問に際して6月の平和行動参加を勧誘され、以降はいろいろな形でおのずと韓国の市民団体と協力が進んでいきました。そして、この年の10月9日に「北東アジアに非核平和の確立を! 日朝国交正常化を求める10・9集会」を行い、12月8日に「東北アジアに非核平和の確立を!日朝国交正常化を求める市民連絡会」を発足させたのでした。

新しい東北アジアの実現に向けて
 その後、朝鮮半島では二度の核実験をはじめ、いくつかの衝撃が走りました。しかし、平和フォーラムが中心となった非核平和の運動は、すべての国の核兵器保有に反対するという原則的立場を守って継続されてきました。2008年7月24日には、日本による朝鮮半島の植民地化から100年目の2010年を目前にして、日朝国交正常化と平和構築の運動をいっそう推し進めるため、全国規模で「東北アジアに非核平和の確立を!日朝国交正常化を求める連絡会」(日朝国交正常化連絡会)へと組織強化をはかって今日に至っています。歴史的責任の清算と平和の確立、これが日朝国交正常化の意義にほかなりません。
 非核平和の目標は当然ですが、その実現は日朝国交正常化というプロセスを経ることなくしてありえない、という認識の下に進められてきた平和フォーラムの日朝国交正常化の運動は、日本の歴史上において重要な活動と評価されていくにちがいありません。でも、まだ目標は達成されていません。北朝鮮の普通の人びとが幸福に生活し、日本とも交流していける新しい東北アジアの実現にはまだもう少し時間がかかるでしょうが、平和フォーラムの皆さんとともにがんばっていきたいと思います。

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平和フォーラム結成10周年特集
多民族共生社会のためにもお力を
定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワーク共同代表 田中 宏

 昨年、毎日新聞(大阪)のコラム「私の確言」に「定住外国人参政権-国政と地方で区別を」、「忘れられた無年金問題-在日外国人も救済せよ」、「在日講師の副主任解任-国籍で差別するな」、「外国人学校にも助成を-すべての子の権利を守れ」の4つの点を寄稿しました。いずれも長い間の懸案で、「永田町」なり「霞が関」の壁に阻まれて、動いてこなかった問題です。

後退している定住外国人の参政権
 参政権については、1998年10月、当時野党だった民主党と公明党が共同で国会に初めて永住外国人地方選挙権付与法案を提出しました。翌年10月、自民、自由、公明の三党連立が成立し、その政策協定に盛り込まれましたが、いまだ成立を見ていません。ただ、公明党は法案の提出を続けましたが、その内容は徐々に後退していきました。たとえば、当初案にあった人権擁護委員、民生委員、児童委員の国籍要件撤廃は姿を消し、また、途中からは「朝鮮籍」を除外し、さらに「相互主義」(日本人に地方参政権を認める国にかぎる)を適用したため、韓国、オランダ、北欧3国などごく限られた国のみに後退しました。
 韓国では、2005年6月に公職選挙法を改正し、翌年5月の統一地方選挙においてアジアで初めて永住外国人(19才以上)が一票を投じました。韓国が開放したことによって、OECD加盟30ヵ国のなかで、外国人に地方選挙権をまったく認めていないのは日本だけとなりました(国立国会図書館調べ)。成立した三党連立政権は、この課題にどう取り組むのでしょうか。

無年金問題や教育への差別をなくせ


定住外国人に参政権を求める集会
(09年5月・東京)
 無年金問題については、学生無年金障害者裁判の原告勝訴もあって、2004年12月、「特定障害者特別障害給付金支給法」が制定され、救済がはかられましたが、そこでも在日コリアンなどの外国人障害者は除かれてしまいました。その後、民主党が議員立法で同法を外国人にも適用する改正案を国会に提出しましたが、成立していません。新政権は、「消えた年金」問題などとともに、この外国人無年金(障害者・高齢者)の解決にもぜひ取り組んでほしいものです。
 現在、全国に200人以上の外国籍の公立学校教員が在職していますが、その国籍差別も懸案のひとつです。同じ教員免許をもち、同じ採用試験に合格しても、外国人は「教諭」ではなく「常勤講師」とし、主任などにはなれないと文部科学省が「通達」しています。学校には、国立、公立、私立とありますが、いずれも「公の性質を有する」とされています(教育基本法6条)。公立校と私立校で教員の職務内容に違いがあるとは思えません。また労働基準法3条には「使用者は、労働者の国籍......を理由として......差別的取扱いをしてはならない」とあります。

外国人学校にも助成を
 外国人の子どもが増え、日本学校の教室も多民族化が進み、外国人学校も200校を超えています。従来からの朝鮮、中華学校などの他に、ニューカマーのブラジル、ペルー、インド学校が誕生し、全体の半数に達しています。外国人の子どもの「教育への権利」をどう保障するかは喫緊の課題です。しかし、教育基本法の全面改正や、教育改革国民会議などのときにも外国人の子どもの教育が論じられることはありませんでした。
 民主党は日本国教育基本法案で、「国及び地方公共団体は、すべての日本国民及び日本に居住する外国人に対し、......適切かつ最善の学校教育の機会及び環境の確保及び整備に努めなければならない」(第4条)としていました。新政権が「国民」の教育から「すべての者」の教育に舵を切ってくれることを期待したいと思います。いずれも、日本社会の多民族共生化のための課題であり、その解決のために平和フォーラムのお力も借りたいところです。

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平和フォーラム結成10周年特集
ジェンダー平等社会の実現をめざして
女性会議神奈川県本部 脇 礼子

 "平和・人権・環境"いかなる人々も尊厳を持って生きていくための根幹にかかわる、すべての課題にとりくむ全国ネットワーク組織として、この10年で欠くことのできない存在を確立した「平和フォーラム」の活動に敬意を表します。また今回、国連安全保障理事会で「核兵器なき世界」の条件作りを目指す決議1887が全会一致で採択されるなど、政権交代により今までの運動の一部が実を結ぶ可能性が高くなったのではないでしょうか。

女性の参画を保証する国連決議
 運動を振り返ってみると、昨年7月に横須賀で開催された、ジョージ・ワシントンの「原子力空母の横須賀母港化を許さない7.19全国集会」は猛暑の中、全国から集まった15,000人で埋め尽くされ、これまで神奈川では経験をしたことがないほど「原子力空母はいらない!」の熱気に包まれた印象に残る大集会でした。
 この集会に先立つ昨年3月、沖縄の北谷町で開催された「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」にも参加をして大きな衝撃を受けました。大雨の中、一般市民が続々と集まり、沖縄県民の怒りを肌で感じた集会でした。
 私たち女性会議はジェンダー平等社会の実現をめざして運動しています。自らがジェンダーの視点をもち、運動に生かすことができるよう学習をし、意識の向上を図っています。今後もジェンダーの視点をもって社会を変えていく運動を「平和フォーラム」とともにすすめていきたいと思います。
 在日米軍再編による基地の強化、拡大に反対するとりくみのなかでは、特に基地、軍隊での性暴力事件についてジェンダーの視点でとらえ、平和構築・維持、紛争解決、復興といった平和創造のあらゆる場面、プロセスで、女性の参画を保証する「国連安保理決議1325」を活用した運動にしていく必要があります。

「慰安婦」問題や女性差別の解決へ


在フィリピンの日本大使館前で抗議活動をする
「元従軍慰安婦」の人々など
(08年4月・マニラ)
 今年は女性差別撤廃条約が国連で採択されて30年、男女共同参画社会基本法が制定、施行されて10年を迎えます。しかしながら、日本のジェンダー・エンパワーメント指数は年々低下をしています。また今年の7月、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)で日本政府の第6次報告の審査が行われ、8月18日、日本政府の姿勢そのものを厳しく問い質す内容の総括所見が発表されました。
 民法その他法規の差別的規定の改正、女性差別撤廃条約選択議定書の批准、女性に対する暴力防止、性暴力ポルノの禁止・法改正、日本軍「慰安婦」問題の持続的解決措置、人身売買の根本的解決、政治・公的活動への女性の参加、女性の雇用・昇進機会の拡大、賃金格差の是正など、勧告は26項目にも及ぶものとなっています。
 今後、私たちは日本政府に対し問題解決に向けた政策の実行を求めていかなければなりません。「慰安婦」問題の立法解決では、これまで「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」が過去8回参議院に提出されながら廃案になるなど、自民党政権下では厳しい状況が続いてきました。
 今回の政権交代を活かして、「戦時性的強制被害者問題解決促進法」の制定や、「平和フォーラム」にも協力をいただき署名活動をしてきた「女性差別撤廃条約選択議定書」の批准など、まず実現させていきたいものです。
 憲法を生かし平和を守ることはもちろん、ややもすれば抜け落ちてしまうジェンダーの視点を忘れずに今後も「平和フォーラム」の運動を推し進めていってほしいと思います。私たちも、ともに学びながらがんばっていきます。

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平和フォーラム結成10周年特集
食の安全問題への取り組みにも力を
食の安全・監視市民委員会代表 弁護士 神山 美智子

BSE問題をきっかけに


BSE問題でアピール行動(06年・アメリカ大使館前)
 食の安全・監視市民委員会は、平和フォーラムも加わって2003年にできたグループです。狂牛病(牛海綿状脳症=BSE)発生を防げなかったことをきっかけに、03年に食品安全基本法が制定され、政府の食品安全委員会が設立されました。しかし食品安全委員会は、消費者を排除して、科学的にのみリスク評価をするエセ科学機関であることがわかり、市民の側の安全委員会が必要だということになったのです。
 以来、さまざまな問題に取り組んできました。アメリカで狂牛病が発生して輸入がストップした後の再開にからんだ政治的な動きもウォッチし、院内集会を開き意見を述べ、街頭行動や、アメリカ大使館交渉も行いました。
 当時の小泉首相はアメリカが日本と同程度の安全性を確保すれば輸入再開すると言っていました。日本では牛の出生届、10桁の番号付与、耳標などの牛トレーサビリティ法があり、動物用飼料に肉骨粉を禁止し、全頭検査を行い、特定危険部位を除去するという対策をとっていました。日本と同等の安全性を要求するなら、これらすべてを満たす必要があります。
 アメリカでも一部の事業者は対応する意思があったのに、アメリカの行政当局がこれを認めず、独自の輸出プログラムを遵守することだけを主張しました。これは特定危険部位を除去した20ヵ月齢以下の牛肉ということです。しかし、アメリカには牛の出生届はないので、肉質を判定して年齢を推定するという方法しかありません。
 これでは輸入再開は認められないと言うべきところを、日本政府は食品安全委員会を利用して、まず国内で20ヵ月齢以下の牛は検査しなくてもリスクは高まらないという答申を得ました。そして検査する自治体への補助を廃止しようとしたのです。農水省は検査そのものを止めさせようとさえしました。平和フォーラムや食の安全・監視市民委員会など多くの団体の働きかけにより、各自治体は補助金が廃止されても検査を続けるという決定をしました。しかし、結局食品安全委員会は、アメリカが輸出プログラムを遵守すれば日本の牛肉と比べてもリスクは高くないという政治的な答申を出しました。

政治的な食の安全問題
 その後も、抗生物質添加物の認可、汚染米、メラミン汚染菓子、体細胞クローン家畜由来食品の安全宣言、特定保健用食品(トクホ)のエコナ問題など、食品の安全をめぐる問題はあとを絶ちません。
 日本で最初に抗生物質が添加物になったナタマイシンについてほとんど報道されません。輸入チーズのカビを防ぐために、抗生物質を塗布するという使い方です。また抗生物質の一種であるナイシンは、世界50ヵ国で乳製品に保存料して使われていますが、日本ではその使用範囲をさらに広げて味噌にまで使えるようにしたのです。この大変な事態を誰も報道しないのはまことに悲しい現実です。
 こうした問題に対して、食品安全委員会は何の役にも立っていません。エコナは花王が現在販売を自粛していますが、数年前から発がん性の疑いがあるとして、多くの消費者団体がトクホ許可の取消を求めていたのです(その後、花王はトクホを取り下げた)。今年9月に消費者庁が発足し、トクホの許可が消費者庁長官の仕事になりました。そこで消費者庁担当大臣は、早急に結論を出して消費者の不安に応えるためにプロジェクトチームを作ったと報道されています。それこそまさしくあるべき姿です。
 食品のリスク評価には自然科学と社会科学両方の視点がなくてはなりません。最近岩波書店から出版された『食の安全』(マリオン・ネッスル著)には、序章として「食の安全は政治的である」と書かれています。こうした政治的な食の安全問題にも、さらに積極的に取り組んでいただくことを期待しています。

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平和フォーラム結成10周年特集 《若い世代からのアピール》

市民と政治をつなぐ役割を
新潟県平和運動センター事務局次長 有田 純也

 私が新潟県平和運動センターに入局したのは06年10月で、安倍政権が発足した直後でした。僅か1年の間に教育基本法の改悪、国民投票法の制定、柏崎刈羽原発の被災などがあり、まさに運動の「当たり年」でした。あれから3年が過ぎ、民主党を中心とした連立政権が発足しました。政治状況が一変し、平和フォーラムに寄せる期待は市民団体も含めて大きいはずです。今後の平和運動を展開する上で、平和フォーラムに期待することは3点あります。
 一つは、市民の声と国政をつなぐことです。自民党政権の下、長い間市民の力は押さえつけられてきました。地方においては、住民投票が行われるなど、不十分ではありますが、市民の意見を政治に反映させる試みが続いています。しかし、国政において市民の意見が聞き入れられる場は多くなかったと思います。今こそ、国政や国際会議の場において、基地や公害など様々な問題について、市民団体などが意見を表明できるよう、平和フォーラムが積極的に国に働きかけるチャンスです。市民と政治をつなぐ役割を期待します。
 二つ目は、平和運動を担う青年層の育成です。少子化が進み、青年の数が減少します。運動が先細りにならないよう、平和フォーラムの青年が活躍できる場を望みます。三つ目は、憲法9条の具現化です。国際貢献という名の下に、自衛隊の海外派遣が正当化され、9条が空洞化しています。この構造を脱するため、武力ではない国際貢献をこちら側で提起をするべきです。9条の平和力を証明するために、平和的国際貢献の具体化を期待します。
 来年10月、APEC農業大臣会合が新潟で開催されるにあたり、市民サイドで何かできないかを検討しています。地域で運動をつくり、中央の後押しで、市民の声を会合に届ける。新時代の平和運動を全国で展開しようではありませんか。

沖縄平和行進から見えるもの
大阪平和人権センター


沖縄・嘉手納基地の包囲行動(07年5月)
 毎年5月の沖縄平和行進に、大阪からは自治労大阪府本部・大阪教組・都市交等から、青年部を中心に200人以上が参加しています。
 そして、7月には府内11コースで延べ1,000人が参加する非核平和行進を行い、続いて8月の広島・長崎原水禁世界大会に参加しています。つぎに紹介するのは、2008年の沖縄平和行進に参加された、大阪教組(豊中市教組)の森咲恵さんの感想文です。
 私たちが沖縄にいた17日。東京都調布市で見つかった戦時中の不発弾の撤去作業について、大きく報道されていた。不発弾の撤去作業は、沖縄では日常茶飯事だという。小学校の建替工事で校舎の下から見つかったこともあったそうだ。どうして、大阪にいる私たちの耳に入らなかったのだろうか。さらに、まだ地中に埋まっているであろう不発弾。それらをすべて処理するには何十年もかかるという...。今、歩いている道に、フィールドワークをしているこの場に、沖縄の人々が暮らしている下に...。地上には、鉄格子が張り巡らされた広大な基地がある。
 昨年度、沖縄をテーマに、平和・文化・環境について子どもたちと学習した。今回、この沖縄の平和行進に参加する際、子どもたちに「実際の沖縄を見てこようと思う」と言うと、子どもたちは「しっかり見てきてや」、「帰ってきたら、どんなんやったか教えてや」と送り出してくれた。何から話そうか、何を伝えようか。実際の沖縄を歩き、見聞きする中で、だんだん見えてきた。沖縄を学ぶのではなく、沖縄を通して自分たちの問題として考えていけるようにならなければいけないのだ。
 「耳に入らないから、知らないから」というのは恐ろしいなと感じた。これを機に、自ら目を向け、学んでいきたいと思う。子どもたちといっしょに考えていきたいと思う。

若い世代が向き合い、考え、参画する
全水道青年女性部長 本木 寛

 私は、自らの生活と権利、安心して生活のできる社会をめざし、様々な課題を多くの仲間とともに運動を取り組んでいます。
 全水道青年女性部長として平和フォーラムの行動へ参加するようになり、多くの活動に参加していますが、主となっているのが、反戦平和の取り組みです。取り分けて、首都圏における反戦集会、沖縄現地での「5・15平和行進」の取り組み等、多くの現地行動に参加してきました。
 私自身、戦争を知らない世代で、沖縄現地などの行動は情報だけでは分かることができない、実際に目で見て、肌で感じることのできるものです。行動を取り組むに際し、何らかの課題はありますが、先ずは参加することが重要であるのと同時に、ただ参加するのではなく、多くの問題を共有する学習の場が必要であると考えます。現地の人々が抱える問題を共有することにより、意識が変わり、行動をともにすることにより同じ志を持つ仲間も増えていきます。
 団塊の世代が活動を支えてきたことは紛れのない事実でありますが、その経験と知識を私たち若い世代に継承していくことが、活動を、社会を変える一歩につながっていきます。平和フォーラムの名称にある「平和・人権・環境」を、若い世代が向き合い、考えて参画していくことが問われてる時代に、自分も積極的に地域、職場の仲間に声を掛けて今後も取り組みを行っていきます。
 平和フォーラムのさらなる発展と充実した情報発信、行動展開を期待します。

「当事者性を高める」活動への支援を
日教組青年部長 江藤 創平


沖縄平和行進に参加した日教組青年部(09年5月)
 私が「平和」に触れ始めたのは、沖縄がきっかけです。単組の「平和の旅」で沖縄学習ツアーに参加したとき、初めて知る事実があまりにも多く、パンクしそうになったこと、話をしてくれた戦争体験者の方と全く同じ意識で同じ話ができるように学習しなければ、と焦ったことを鮮明に覚えています。
 日教組青年部は、「5・15沖縄平和行進」に毎年、多数参加しています。また、各単組青年部でも、沖縄をはじめ、広島、長﨑、韓国、中国など様々な場所で現地学習会を開催し、被害と加害の視点で歴史を学んでいます。その中で、参加した青年たちは「普段の生活の中では知ることができなかった事実を学ぶことができるのも、事実を語り継いでくれる当事者、平和運動をすすめる支援者がいるからこそだ」とか、「子どもたちに伝え、考えてもらうことや、多くの仲間に伝えていくことで、事実を知った責任を果たしていきたい」等の感想をもっています。
 09年度の「5・15沖縄平和行進」では、「私たち青年にできることとは何か」を深めるために、沖縄戦を語り継いでいく活動を行っている大学院生と交流しました。そこで感じたことは「私たちは、現在の私たちの実生活に戦争がどのような影響を与えているかを感じ、私たちが望む社会とは何かを考え、その実現のために行動すればいい」と言う考え方もあるということでした。
 つまり、「自分自身が戦争の当事者となっている部分に視点を当てて、行動する」ということです。そのためには、自分の生活している地域の戦跡、歴史の掘り起こしが有効となってきます。各単組青年部の中には、毎年、地元を歩き回り、情報を集め、教材化しているところもあります。私は、「知らなかった事実に触れる機会」と同様に「自分の当事者性を高める機会」も大事にすべきだと考えます。
 平和フォーラムに望むことは、各地の青年が行っている「当事者性を高める」活動を支援し、活性化させる取り組みを提起していただきたいと考えています。

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エネルギー政策の転換を求める全国集会
原子力政策の問題訴え7,000人参加

 10月3日、エネルギー政策転換を求める全国集会「10.3 NO NUKES FESTA 2009」が東京・明治公園で開催され、原発・原子力施設の現地住民をはじめ、全国から約7千人が参加しました。午前中はあいにくの雨天でしたが、音楽やトークなどのステージ、各地からの物品販売、飲食などのブースは多くの人で賑わい、あちこちで交流の輪ができました。
 午後からは天候も回復し、会場は人があふれかえる中、全体集会が開始されました。共同代表の鎌田慧さんや小木曽美和子さんが原子力をめぐる全体的な状況について語りました。青森から「再処理問題」、佐賀から間近に迫る「プルサーマル問題」、山口・祝島からは「上関原発問題」と、日本の原子力政策の根本的な矛盾について、現地の状況に絡めて報告がありました。また原子力から自然エネルギーへの転換の必要性について提起がありました。最後にエネルギー政策の転換の実現を求めていくことを全体で確認し、青山・原宿の街をパレードしました。

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