歴史秘話ヒストリア▽悪女の涙が日本を救った!?日野富子 足利将軍家の妻、母 2015.02.25


「悪い女」と書いて「悪女」。
もともと性格の悪い女性を意味しますが時に男をとりこにする魅惑的な女性を指す事も…。
我が国の歴史上「悪女」といえば必ず名前が挙がる人物がいます。
室町時代将軍の妻そして母として君臨しました。
その評判はと言えば…。
内乱を起こした「戦争の首謀者」などなど散々。
しかし改めて歴史史料をひもとくと家族にとことん尽くした全く別の姿が明らかに!親子関係というものが強かったんではないかなと。
夫は…しかし仕事を放り出し酒に溺れるダメ亭主でした。
更に息子は女性問題ばかり起こすトラブルメーカー。
それでも富子は家族を愛しました。
世紀の悪女かあるいは聖女か?今宵は自らの信念に生きた一人の女性の真実に迫ります。
今からおよそ600年前室町時代の中頃の事。
今回の主人公日野富子は京の都で産声を上げました。
実家は朝廷に仕える公家日野家。
もともと中堅の家柄でしたが室町幕府の時代になって急速に格を上げていました。
その原動力となったのが結婚。
ところが日野家と血縁のない足利義教が6代将軍の座に就くと風向きは変わります。
義教は力を増し続ける日野家の存在を将軍家への脅威と判断。
敵視しました。
その結果…。
義教は富子の祖父を殺害。
更に危険の芽を完全に摘み取るため日野家を取り潰そうとまでします。
しかしそのさなかに当の義教が暗殺されてしまいます。
間一髪日野家は難を逃れましたがこの時一族には計り知れない恐怖が刻み込まれたのです。
「安寧に生きるには将軍家との関係が第一」。
富子は幼い頃からそんな教えを受けて育ちます。
そしていずれ将軍の妻になる事を期待されていました。
それから時は経ち富子16歳の年。
待ち望んでいた…お相手は弱冠二十歳の将軍義政。
大層な美男子で芸術の分野にも通じた教養派。
富子にとっても日野家にとっても申し分のない話でした。
婚礼の準備はとんとん拍子に進みその年のうちに結婚。
美男美女と世間でも大評判。
富子は幸せいっぱいでした。
心の声私はなんと果報者であろう。
公方様に心を込めてお仕えしよう。
ところが…。
いざ始まった結婚生活は富子が思ったようなものではありませんでした。
あ〜ハッハッハッハッハ!なんと夫の義政は乳母だった今参局にべったり。
昼から酒を飲み仕事にも身が入らない始末です。
それをいい事に今参局はやりたい放題。
幕府の重要な人事にまで口出ししていました。
その様子はまるで大臣のようだったとか。
相当威張っていたようです。
将軍家に来たばかりの幼な妻富子はただ耐えるしかありませんでした。
孤立無援の富子…とそこに救いの手を差し伸べた人物がいます。
だらしのない息子の行いを正し正室である富子の立場を守ろうとしました。
そんな関係もあって富子に特別な優しさを見せたようです。
しかしこの複雑な関係が入り交じった結果…。
将軍家の女たちを二分する争いが勃発。
富子・重子に対し今参局。
2つの派閥に分かれいじめや嫌がらせの応酬が始まります。
富子は重子に守られながら将軍家でのサバイバル術を身につけていきます。
富子の嫁入りから4年後新たな命が芽生えます。
富子が義政の子をみごもったのです。
「家のごたごたは世継ぎの誕生で収まる」。
そんな期待がかけられました。
悲しみに暮れる富子。
ですが…きっかけはあるうわさでした。
今参局が自分の地位を守るために子を呪い殺した。
そんな話がささやかれ始めたのです。
これは人から人へと伝わり都中に広まっていきました。
やがて幕府も放置する事ができなくなり…そして…。
やっ!この後…将軍家で巻き起こったこの一連の事件。
実はある人物が計画したとの記録が残ります。
その人物とは?なんと義政の母・重子です。
「全ては将軍家の安定そして息子・義政を正道に戻すため」。
そんな思いがあったのかもしれません。
しかし騒動からまもなく重子は急死してしまいます。
もはや敵も味方もなく義政のそばにいるのは富子だけに。
心の声私が…私が…公方様と足利家を支えねば!富子は自らの決意を世に示します。
その舞台となったのがこちら…公家や武家だけでなく一般庶民まで参加する幕府最大級の行事です。
これは当時の配席表。
誰がどんな順に座ったのか詳細に記されています。
注目すべきは随伴したお供の数です。
将軍・義政は6人。
対して妻・富子が従えていたのは50人!前代未聞の多さでした。
なぜこんなにも多くのお供が必要だったのでしょう?やはり自分が義政の正室になってやるべき事というのは…将軍家での過酷な日々を乗り越えた富子。
その心はいつしか鍛えられ将軍の妻にふさわしい強さを持つまでになっていました。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
足利将軍家の激しい女の闘いをくぐり抜けた日野富子。
そのあとは一転夫の足利義政と甘い結婚生活を送っていたようです。
2人そろって出かける事が多く仲むつまじく花見をしたり能の鑑賞をしたりしたと当時の僧侶の日記に記されています。
まさに幸せいっぱい。
あとは…しかしこの「次の将軍」をめぐる問題が大きな動乱につながっていくのです。
そしてそれは富子が「悪女」と見なされる原因にもなります。
続いて…その真実に迫ります。
地震に大雨台風更には日照り…。
さまざまな異変が3年もの間続きました。
これにより…餓死した者は京の都だけで8万人以上。
人口は1/3にまで激減したと言われます。
まさに国家の緊急事態。
この時将軍・義政はなんと人々を救うどころか趣味にしていた豪華な屋敷の建設に没頭していました。
一体どういう事でしょう?現実逃避していたのです。
やがて義政はとんでもない決断をします。
弟・義視を屋敷に呼び出しこう言いました。
そなたに将軍職を譲る。
突然の政権交代宣言です。
(富子)何ですと!公方様今何と?これに驚いたのが富子です。
お待ち下さいませ!わしは将軍の座を退き弟に譲る。
もう決めた事じゃ!万事休すか?心の声必ずや…必ずや男の子を産み将軍の座に就けようぞ!義政が将軍であるうちに男の子さえ生めば逆転のチャンスはある。
富子はまだ見ぬ我が子に一縷の望みを託します。
京都市内に建つ法界寺。
代々日野家の菩提寺となってきた寺です。
世継ぎ問題で窮地に立たされた富子はここに足しげく通ったと伝えられます。
秘仏の薬師如来像。
富子が熱心に拝んだ本尊です。
「どうしても世継ぎを産みたい」。
富子はここでそう願い続けたのです。
それから2か月。
富子の執念が奇跡を起こします。
待望の妊娠そして生まれた子は男の子でした。
新たな将軍候補…これにはさすがの義政も大喜び。
次期将軍の座をめぐる話は振り出しに戻ります。
ようやく富子も一安心。
…と思いきやこのめでたい話をきっかけに日本全国を巻き込むとんでもない事が起こります。
そこに義尚と義視…対立に一層拍車がかかりました。
そして…。
ついに戦いの火蓋が切られます。
いわゆる応仁の乱です。
戦場となった京の都は瞬く間に火の海になります。
激しさを極めた戦い。
その様子を知る新たな発見が最近になってありました。
京都市内・相国寺の発掘調査である品々が出土したのです。
より有利な形での戦争終結を望んだ武将たち。
都のほとんどを灰にしても戦いをやめる事はありませんでした。
文明5年戦いが始まってから早6年。
一向に収束の兆しが見えない戦況に嫌気がさした義政はついに決断します。
富子の強い説得で…時に義尚9歳。
義尚である。
皆の者励めい!はは〜!室町幕府9代将軍の誕生です。
そのためにある秘策を用意していました。
軍事力でゴリ押しするのでなく経済を武器とする全く新しい発想でした。
その第一段階としてまず始めたのは資金集め。
富子は京の都に通じる街道に関所を設置。
通行税を徴収し始めます。
また米を買い占めて高値で転売する計画も。
更に高利貸しまで。
たまった金を増やす事にも余念がありませんでした。
でもそれほど多額の蓄財を富子は何に使ったのでしょう?その手がかりとなる当時の史料があります。
「能登の…」富子は京の都で戦う武将におよそ1億5千万円にも相当する多額の金を貸したというのです。
この直後…実はこの一連の出来事こそが経済を武器にする富子の戦略でした。
体裁上金を貸した事にはなっていますが実際はあげたも同然。
次第に憎悪を募らせていきます。
人々の恨み言はやがて富子の耳にも届きます。
富子が詠んだ歌です。
「私が泣くのを人は不思議がっている。
根も葉もないうわさに苦しんでいるとも知らないで」と苦しい胸の内が明かされています。
「世のため」と力を注ぎながらも蔑まれた富子。
それでも戦いを終わらせる努力は続けられました。
そして文明9年。
ついに全国で停戦が実現。
応仁の乱は誰も勝者とならないまま終わりを告げます。
戦いが始まってから実に11年の歳月が流れていました。
ようやく訪れた平和それは富子の知られざる努力と苦しみの末にもたらされたものでした。
ご覧頂いたように富子の悪女伝説が生まれた訳それは…大きくその2つでした。
しかし他にも人々が富子を悪女とした理由があります。
時の天皇後土御門天皇との不倫のうわさです。
将軍の妻である富子はふだんから後土御門天皇にお目にかかる機会が多く信任もあつかったと言われます。
2人がいかに親しかったかというと…一方夫の義政は居心地が悪かったのかなぜか別邸へと移り…何かあると人々が疑ったのも無理もない事でした。
結局真偽の程は定かではありませんがこのうわさもあって悪女・富子のイメージが確立したようです。
そして「歴史秘話ヒストリア」続いても…長きにわたった戦乱の世。
その代償は大きく…そこでまず富子が最優先としたのが朝廷対策です。
そのために富子はある作戦を実行します。
朝廷に仕えた女官の日記にその子細が記されています。
「7月23日瓜が届けられる」。
「7月26日魚が届けられる」。
「9月9日松茸が届けられる」。
これは富子が献上した品の数々。
実は「ただたくさん贈る」だけでなくその贈り方に心憎いばかりの工夫を凝らしていました。
富子はまず…ですがさほど量はないため食べられるのは天皇をはじめ僅かな者のみ。
お付きの女官などはただ眺めるだけです。
しかし後日今度は同じ品を大量に届けます。
手に入りやすくなった時期を見計らい宮中の多くの人に行き渡るようにしたのです。
これにはみんな大喜び。
「まるで祭りのようだ」と日記につづられています。
また舟をかたどった純金の台座に献上品をのせて贈るなど演出力にも長けていました。
いやはや見事な贈り物戦術。
富子は万事こうしたこまやかな気配りで朝廷との結び付きを強めていきます。
更に富子は庶民の暮らしにも目を向けています。
焼け野原になった都をいかに復興したのか…。
その一つとして行ったのが神社仏閣の再興です。
こちらの神社も富子が建て直したものの一つ。
富子は潤沢な資産を使い人々の心のよりどころをつくる事で社会の安定を目指したのです。
更に動乱で途絶えていた祭りも復活させています。
これらの取り組みは功を奏し京の都そして人々の暮らしは次第にかつての姿を取り戻し始めました。
「将軍たる者」。
あとは息子義尚が一人前になれば言う事なし。
そのために専属の家庭教師まで。
当代一流と評判だった政治学者一条兼良もその一人です。
兼良は専用の教科書まで作る力の入れようで将軍の職務に必要なさまざまな知識を授けます。
義尚は富子に見守られながら一人前の青年へと育っていきました。
ところが!平穏だった一家に突如激震が走ります。
断じてならん!。
父上こそお控えあれ!正月早々父義政と義尚が大げんか。
その原因とは…。
なんと側室の取り合い。
お互い同じ側室を好きになっていたのです。
おやめなされ!お二人ともいいかげんになされ!何とも情けない理由に富子も大激怒。
更に酒の味を覚え夜は夜で大宴会。
やがて将軍の職務さえまともにできないようになります。
ようやく取り戻した平和な世にあって富子の家族はバラバラでした。
「もはや足利の家もこれまでじゃ」。
しかしある災いが転じて富子の家族を再び一つにします。
その災いとは?生死の境をさまよう危険な状態でした。
(読経)富子はあらゆる寺社に命じて病気平癒の祈とうを行わせました。
息子の命の危機にさすがの父義政も無事を祈り始めます。
それからひとつき後。
義尚は奇跡的に回復します。
それだけでなく驚くべき変化が。
トラブルメーカーの汚名を返上将軍の職務に真面目に取り組み始めます。
更には不摂生を断ち武芸にも励みます。
死に直面した事で意識を大きく変えたようです。
そして義尚は病み上がりにもかかわらずある決意をします。
「我が命に背く者はわしが成敗致す」。
異例とも言える将軍の出陣ですが世間に存在感を示す絶好の機会と捉えていました。
出陣を前に富子と義尚はそろってこの寺を訪れています。
天下の将軍が母同伴で参拝。
過保護のように思えますが富子は将軍職に励む我が子の成長がうれしくてしかたがなかったのです。
それから間もなく義尚は出陣。
戦わずして将軍の威光を示した義尚。
人々からは「真の征夷大将軍」とまで称賛されます。
将軍家に嫁いでから三十有余年。
富子があまたの苦労の末に生み育てた我が子の雄姿。
それは何ものにも代え難い幸せと誇らしさを感じさせたに違いありません。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」最後は…そんなお話でお別れです。
戦乱の後富子とその家族はそれぞれの立場で都の復興に力を注ぎました。
将軍として独り立ちした義尚。
富子はようやく肩の荷を下ろします。
ところがその義尚が再び病に倒れます。
そしてそのまま帰らぬ人に。
享年25。
母より先に逝く早すぎる死でした。
更に翌年夫義政が病死。
ようやく手にしたはずの富子の平穏な家庭ははかなくも失われてしまいました。
義尚の後継者擁立に奔走したのです。
10代将軍義稙は富子の甥。
続く11代将軍義澄は富子の姪を正室にめとっています。
実家日野家繁栄のために富子はできるかぎりの事をしました。
しかし引退したはずの富子が幕府に口出しする事に次第に非難が集中。
軟禁生活に追い込まれます。
そして明応5年5月はやり病のために世を去ります。
富子の墓は京都華開院にあります。
将軍家の習わしで夫や息子の墓とは別の寺。
ただ一人境内の片隅で静かに眠っています。
晩年富子が残した言葉があります。
「自らの地位もこれまでの人生も夫義政がいてこそであった」。
富子の心からの思いです。
悪女の汚名を着せられ波乱万丈の人生を送った富子。
そんな中にあっても信じる道を歩み続けられたのは夫への愛が自身の心を温かく強くしていたからかもしれません。

(山崎)峠を越えて…脱藩!?2015/02/25(水) 00:40〜01:25
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歴史秘話ヒストリア▽悪女の涙が日本を救った!?日野富子 足利将軍家の妻、母[解][字][再]

日本史上ナンバーワンの“悪女”ともささやかれる日野富子。京都の名門貴族から室町幕府8代将軍・足利義政に嫁いだ富子は、なぜ悪女と呼ばれるようになったのか?

詳細情報
番組内容
日本史ナンバーワン“悪女”日野富子。京都の名門貴族日野家から室町幕府8代将軍・足利義政に嫁ぎ、9代将軍・義尚をうんだ。その将軍正妻としてのふるまいが「守銭奴」「私利私欲で応仁の乱を引き起こした」といった悪女伝説を生む。しかし、最近の研究から浮かび上がってきたのは富子の“良妻賢母”ぶり。だらしなくヤル気も無い夫や息子に愛情をもって尽くし、力強く支えた日野富子に迫る悪女秘話。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ

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ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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