NHK高校講座 世界史「アフリカ史(3)植民地から独立へ」 2015.02.27


歴史の大海原を旅するキャプテン歴史アイドルの小日向えり。
世界中のさまざまなゲストと一緒にいざ船出しよう!
(拍手)
(小日向)すばらしいですねえ!ありがとうございました。
美しい歌声に聞き入ってしまいました。
ありがとうございました。
すいません申し遅れました。
私歴史アイドルの小日向えりと申します。
初めまして。
南アフリカ出身プリスカです。
よろしくお願いします。
初めまして。
ようこそいらっしゃいました。
今回のゲストは南アフリカ共和国出身の…ジャズシンガーとして活動するかたわら大学で英語やアフリカの文化などについて教えています。
プリスカさんすばらしい歌ありがとうございました。
一体どういう歌なんですか?実は南アフリカの国歌です。
国歌ですか。
そうです。
今日のお土産です。
歌がプレゼントだなんてロマンチック〜。
高校講座「世界史」39回目にして初めてですよ。
そうですかうれしいわ。
歌詞は南アフリカ共和国語とか?南アフリカ語ないです。
実は…そんなに!?そうそう。
私の…え〜5つも入ってたんですか!?どうしてでもいろんな言葉が交じってるんですか?じゃあこちらを…。
何でしょう。
おっ。
「アフリカ史」。
「〜植民地から独立へ〜」。
そう。
見ると分かるですよ。
2010年アフリカで初めて開催されたサッカーのワールドカップ。
人種の違いを超えて世界中の人々が同じ瞬間に熱狂し熱い声援を送った。
しかしここに至るまでにアフリカは長い長い道のりを歩んできた。
今回の舞台は…19世紀以降アフリカ大陸はヨーロッパ列強によってほぼ全土を植民地化された。
自由と尊厳を奪われたアフリカに20世紀半ば独立の波が押し寄せる。
搾取に苦しんだアフリカの人々が求め続けた自由への道のりを見ていこう。
ワールドカップ盛り上がりましたよね。
そうです。
ところでアフリカにはどういうイメージ持っていますか?アフリカのイメージ…う〜んそうですね。
貧しい子供たちが飢餓に苦しんでいるとかあとは紛争が多いっていうイメージがありますね。
やっぱり私が教えている学生も同じ。
今日はそのイメージの原因は何でそういう原因があるのかね見ていきます。
まずは独立までの道のりから見ていきましょうか。
19世紀以降植民地となったアフリカ各地。
白人が黒人から土地を奪って低賃金で働かせ税金を徴収するような搾取が行われた。
こうした理不尽な政策に対して19世紀後半には既に各地で抵抗運動が起こっていた。
そのほとんどは鎮圧されたがそれが後の独立運動の原動力となる。
またインドやアジア諸国が次々と独立した事などもアフリカの独立意識を後押しした。
更にヨーロッパ諸国に代わって台頭したアメリカはヨーロッパ列強の帝国主義を批判し植民地の独立を支援した。
このような機運を受けたアフリカ諸国は1957年のガーナを皮切りに次々と自由を手に入れる。
特に1960年には17か国が独立を果たし「アフリカの年」といわれた。
その3年後のケニア独立はアフリカ人自身の運動によって自由を勝ち取った典型例である。
この地域は比較的涼しい高原地帯でイギリスから多くの入植者がやって来た。
白人はケニアで最も農業に適した土地をホワイト・ハイランドとし牧場や大農園を経営するようになった。
一方黒人の土地の多くは痩せて農業に不向きで白人から水を買わなければ生活できないような場所もあった。
1952年ついに黒人の不満が爆発した。
ケニア土地自由軍が蜂起したのだ。
イギリスはこれを支持する農民など110万人を逮捕してなんとか鎮圧。
しかし植民地経営の4年分の予算を費やしただけでなく本国の世論から激しい非難を浴びた。
土地自由軍の蜂起は鎮圧されたものの独立への勢いは加速するばかりだった。
イギリスにはもはや植民地支配を維持する力はなかった。
1963年ついにケニアは独立を勝ち取った。
新しい国づくりを進める初代大統領には独立闘争の指導者ケニヤッタが就任。
黒人が主権を獲得し新しい時代がやって来たかに見えた。
しかし…。
その後アフリカは更に苦難の道を歩む事になる。
もう世界では植民地なんて時代遅れだってそういう流れだったのかもしれないですね。
ただ植民地時代の名残もあって実は私もちろん南アフリカ人だけど出身ですけど…私通ってた学校では私の母国語しゃべってはいけない。
英語だけ。
あとヘアスタイル…悪い事だから…だから私たちやっぱり残念ながら自分の文化とか自分の伝統的な事はナンバーツーだと感じてたね。
だから白人のものは一番いい。
英語もすごいいいなと思ってた。
自分たちの文化は下だっていうふうに自分自身でも感じてしまうぐらい…。
今はもっと大きな問題になりました。
それを見てみましょうか。
はい。
次々と独立を果たしたアフリカ諸国。
しかしその後数々の紛争に苦しむ事になる。
その中の一つナイジェリアのビアフラ戦争を見てみよう。
ナイジェリアは「イボ」「ハウサフラニ」「ヨルバ」という3大勢力と大小250以上の民族で構成される。
独立後イボ人の住む地域では石油が発見され工業化と経済発展が進んだ。
イボ人はビアフラ共和国としての分離独立を宣言。
そしてこれを認めないナイジェリア連邦政府との間に内戦が始まった。
更に大国による軍事援助が行われフランスはビアフラをイギリスソ連は連邦政府を支援した。
大国の代理戦争となった事で戦いは長期化した。
連邦政府による包囲で食糧物資の供給を絶たれたビアフラは飢餓に苦しんだ。
犠牲者200万人のうち150万人が餓死者といわれている。
当時世界中でこの戦争が報道されおなかの膨れた子供の姿が人々の記憶に強烈に残された。
アフリカ=飢餓・紛争というイメージが広まった原因の一つはここにある。
この内戦はアフリカ共通の根深い苦しみを抱えていた。
植民地時代に列強の都合で引かれた国境線が民族の間に利害対立を招く。
また大国の介入によって長期化した内戦が飢餓や貧困の原因にもなる。
独立後のアフリカの背後には根強く残る大国の影響があったのだ。
アフリカの飢餓のイメージ最初私言いましたけれどもこういうところからきてるんですね。
そうですね。
今ナイジェリアの方見ましたけれどもプリスカさんの故郷南アフリカはいかがですか?南アフリカはやっぱりもっと大きな別の問題がありました。
別の問題?はい。
それを見てみましょうか。
アパルトヘイト。
1991年まで南アフリカで行われていた人種に基づく差別政策だ。
政治に参加する権利や職業を選ぶ自由は白人のみに認められ住む場所も歩く場所も人種によって区別された。
異なる人種同士の結婚はおろか恋愛も禁じられた。
世界中から非難を浴び国連をして「人道に対する犯罪」とまで言わしめた差別政策が今からほんの20年前まで続いていたのだ。
南アフリカには17世紀以降にオランダ系移民のボーア人が19世紀にはイギリス人がやって来た。
その後白人同士の戦争が行われ1910年には白人国家南アフリカ連邦が成立する。
圧倒的な少数派だった白人は黒人やそのほかの人種に飲み込まれないようにするため人種の分離を推し進めた。
1948年にはアパルトヘイトが法制化され差別は強まっていく。
立派な屋根の付いたバス停は白人専用のものだ。
黒人専用のバス停には野ざらしのベンチがあるだけだった。
また黒人は身分証の携帯を義務づけられ住む場所も限られた地域に押し込められた。
しかしこうした激しい差別にもはや黒人たちは黙っていなかった。
反アパルトヘイト運動の中心に立っていたのが…大学生の頃から黒人解放を叫び続けていた彼は1962年に逮捕投獄される。
マンデラは黒人独立の象徴となり黒人たちの抵抗運動はマンデラの釈放要求を軸に激しさを増した。
度重なる暴動やストライキに加えて世界中から経済制裁を受けた南アフリカはアパルトヘイトの撤廃を迫られた。
1990年マンデラは28年ぶりに釈放された。
彼は黒人の支配でもなく白人の支配でもない平等な国家建設を訴えた。
94年には黒人を含めた全人種による選挙が初めて行われネルソン・マンデラを大統領とする新生南アフリカが誕生した。
「虹の国」とは黒人白人などの人種だけでなくさまざまな民族が融和する多文化共生を目指す国家の事である。
11言語からなる公用語と5つの言語を取り入れた国歌がその象徴だ。
苦しみを乗り越え新たな国づくりを目指すアフリカ諸国の歩みに世界中の注目が集まっている。
実はマンデラ大統領が日本来た時私彼に会った。
すばらしい人ね。
えっ会った事あるんですか!?もう本当に尊敬します。
はい。
普通あの〜出る時そういう…白人嫌いじゃない?普通の人はそうでしょ。
敵になる。
もちろんそういう復讐したい人特に黒人がいた。
でもマンデラ大統領が「それは駄目。
私たちがレインボーネイション虹の国をするためにやっぱり過去の嫌な事を忘れなければならない。
もちろん私たちの歴史を捨ててはいけないけど勉強して今新しい国をつくりましょう」。
だからそれはすごくいいと思います。
え〜本当にすばらしい人ですね。
すばらしいですよ。
私も前アフリカーンス語全然できなかった。
さっき私が歌った国歌歌った時アフリカーンス語も歌いました。
少しずつ勉強した。
みんながそうですね。
だから私の国歌5つの言語みんなが歌えるようになりました。
ああなるほど〜。
いろんなカラーがあるけど一つになって美しい虹になろうというすばらしい理念ですね。
そうすばらしいね。
おっそれは何ですか?ちょっとこの音は。
先生が呼んでるのでお話聞いてきますね。
じゃあ行ってらっしゃい。
宮本先生ジャンボ!
(宮本)いらっしゃい。
呼びましたか?はい。
何でしょう。
今日は植民地時代から政治的な独立を経て現在に至るまで大体この100年のですねアフリカ史の流れを見てきた訳ですね。
アフリカの場合はですね大陸全体を覆うような帝国があった訳じゃないしそれから宗教があった訳じゃない。
非常に多様ですね。
確かにはい。
ほとんどの国は多民族多言語国家ですね。
この事が独立後も非常にその国づくりを難しくしている事は事実なんですね。
しかしこれは考えてみますと文化遺産であってある意味では私たち今グローバル化の時代といいますけれどもグローバル化の時代でいろんな人種やいろんな言語の人と交ざり合って生きていく時代が今来てる訳ですよね。
アフリカの人たちは植民地化以前のずっと昔から実は多言語多民族の世界に生きていくという共存していくというねそういう知恵を彼らは身につけていた訳ですよね。
そういった知恵からねこれから我々学ぶ事がたくさんあるのじゃないかと逆に思います。
先生アフリカについてよく分かりました。
ありがとうございました。
はいどうもありがとう。
今回のアフリカの歴史はいかがでしたか?アフリカってたくさんの民族がいてたくさんの言葉文化があってそういう多様性が魅力なのかなっていうふうに。
そういうふうに思いましたね。
あとみんな覚えてほしいのはアフリカは国ではないですね。
さっき言った多様な大陸ですよ。
私たちアフリカ人アジア人って言わない。
アジア人もインド人日本人とかいろいろな人がいる。
別々の文化ね。
アフリカもそうです。
ナイジェリア人南アフリカ人エジプト人とかね。
全然違います。
「アフリカ」ってひとくくりにしてはいけないんですね。
そうです。
なるほど。
ほかの国もどんどん見ていこうかなと思います。
是非行って下さい。
列強による植民地支配を経て…アフリカ諸国の独立後に起きた…人種に基づく差別政策アパルトヘイトは激しい抵抗運動と世界中からの非難を受け1991年に廃止。
2015/02/27(金) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「アフリカ史(3)植民地から独立へ」[字]

歴史好きな「歴女」の部屋を、世界各国にルーツを持つゲストが訪れ、現代につながる歴史をたどる…アフリカ諸国の独立とその後の紛争・飢餓など現代につながる問題と課題

詳細情報
番組内容
▽ケニアに見る、白人による植民地支配の実態と独立運動の経緯▽独立後のアフリカ諸国に訪れた紛争・飢餓・代理戦争という新たなる困難▽ゲストが高らかに歌う〜人種差別を乗り越えた虹の国・南アフリカを象徴する国歌▽学習ポイントは「植民地支配からの独立」「アパルトヘイトの克服」「21世紀アフリカの課題」。【司会】小日向えり【ゲスト】プリスカ・モロツィ【講師】宮本正興(中部大学名誉教授)【ナレーション】石川英郎
出演者
【講師】中部大学名誉教授…宮本正興,【ゲスト】プリスカ・モロツイ,【出演】小日向えり,【語り】石川英郎

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趣味/教育 – 中学生・高校生
バラエティ – その他
趣味/教育 – 大学生・受験

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