気温はマイナス8度。
男はこの日も2時間ドラマの撮影に臨んでいた。
おはようございます。
うぉ〜すごいね。
巨悪を許さず情にもろい刑事役。
あったかそうだな。
係長…。
やみくもに捜したって風邪ひくだけだぞ。
2時間ドラマへの出演はこれまで300本以上。
「2時間ドラマの帝王」と呼ばれている。
お〜…怖い。
(スタッフ)チェックOKです。
家族の系譜も華やか。
父は演技派俳優船越英二。
お〜そろってますね!。
洒脱で温和なキャラクターを持ち味に多くの映画やテレビに出演した。
母は時代劇を中心に活躍した…そして大叔父は「永遠の二枚目」とうたわれた…俳優として初の国民栄誉賞に輝いた。
まさに俳優界のサラブレッド。
だが英一郎には有名人だった両親以上に気になる人物がいる。
母方の祖母まつ。
その人生は謎に包まれている。
英一郎が聞かされていたのはただ一つ。
番組では英一郎に代わって家族の歴史を取材した。
浮かび上がったのは建設業で莫大な富を築いた曽祖父。
評判の…逃げろ〜!家族の運命を変えた凄惨な事故。
娘たちは一家離散の窮地を救うため立ち上がった。
更に…親子2代の人気俳優知られざる衝突の日々。
取材の結果を伝える日。
英一郎さんは初めて自らのルーツと向き合う。
なんか緊張しますね。
今まで…明治に活躍した建設業者の名簿に英一郎の曽祖父の名前がありました。
母方の曽祖父飯島次郎。
幕末の文久元年茨城の農家に生まれた次郎。
次男ゆえに実家が継げず10代半ばで上京しました。
(汽笛)当時は鉄道が開通したばかり。
あちこちで路線拡大の工事が行われていました。
次郎はそこに着目しました。
明治16年線路工事の下請け「飯島組」を設立。
腕利きの職人たちをかき集めました。
業者名簿によると飯島組は当時の新宿駅の駅舎など鉄道全般の工事に着手していきます。
関東一円に6つの出張所を構えるほどの快進撃を続けます。
更に次郎には大きな自慢がありました。
(三味線)大正の初め次郎が屋敷を構えていた場所は…湯島天神から程近い一等地でした。
次郎の自慢それは妻りいとの間にできた4人の娘たち。
幼い頃から芸事を習わせその上達ぶりを鑑賞する事が次郎の何よりの楽しみでした。
長唄が得意な…三味線は師範並みの腕前を持つ…後の英一郎の祖母となる女性です。
2人の姉の姿を追いかけお花やお茶を習う…「三味線が聞こえる飯島家の前を通れば美しい娘たちに出会える」。
近所でも評判の四姉妹。
特に二十歳になる次女のまつはしんが強い女性と言われていました。
この日次女のまつは友人と渓流下りを楽しもうと出かけました。
突然の出会いでした。
知的で上品な雰囲気をまとう男性。
まつの一目ぼれでした。
あなたの絵見せて頂けますか?まつの長女90歳になる美津さんです。
この時の出会いをまつは晩年までのろけていました。
2人はすぐに意気投合。
男性はとある良家の長男でしたが既に伯爵筋の令嬢を妻に迎えていました。
刹那の恋で終わるはずでした。
しかし互いに諦めきれませんでした。
「愛人になっても添い遂げる」。
まつのしんの強さをよく知る父次郎はその決断を受け入れました。
更に6年後長女美津を授かります。
未婚であってもまつは幸せを感じていました。
しかしこの後全てを覆す事件が起こります。
現在の第一京浜東京と神奈川の県境六郷橋です。
大正12年大規模な橋の架け替え工事が計画されました。
勢いに乗る飯島次郎は大勝負に出ます。
飯島組は全長450mに及ぶ大型橋梁の工事に参画。
多摩川の水中に橋脚を建てるという難しい区間に名乗りを上げました。
しかも最新の工法で挑もうと考えたのです。
それは井筒工法。
橋脚を建てる場所に囲いを造り土を盛ります。
そこへ「井筒」と呼ばれる空洞のコンクリートを挿入。
内部を職人たちが掘って地盤に沈めその後コンクリートを詰めて橋脚の基礎にします。
当時の橋の建設技術に詳しい…「鉄道以外の分野へ事業を拡大させたい」。
次郎の号令の下職人たちは果敢に挑みました。
実際の六郷橋工事現場の写真です。
画面右奥の囲いでは1つ目の井筒が挿入完了。
手前では2つ目の井筒が職人たちによって掘り進められていました。
その時でした…。
逃げろ〜!川をせき止めていた囲いが突然崩れ井筒の中に大量の水が流入。
逃げ場のなくなった職人たち。
更に囲いの上にいた職人たちまでも次々に井筒の中へのみ込まれていったのです。
多くの犠牲者を生んだ大惨事となりました。
代々近所で暮らす木内さんは飯島組が起こした事故の様子を親から聞いていました。
事故の原因は井筒内を掘る作業を急ぐあまり急激に圧力がかかり水が噴き出したと考えられています。
申し訳ありませんでした。
六郷橋の事故以来次郎は遺族への賠償に追われました。
更に親会社への謝罪に奔走。
「信用を失えばもはや仕事はもらえない…」。
お願いします!見捨てないでくれ。
なあ頼むよ見捨てないでくれ!死亡事故を起こした飯島組に工事を任せる会社は皆無になりました。
飯島組は倒産に追い込まれたのです。
かつては娘たちの芸事で華やいだ飯島家。
長女は既に嫁ぎ未婚の母であるまつも2人の子供を抱えたまま。
更にこの時3人目の子供をおなかに宿していました。
「死亡事故を起こした家族」という汚名と借金だけが残りました。
その時まつが思いも寄らない言葉を発しました。
まつが語った「花街」とは料亭芸者遊郭などが集まった地区の事。
大正当時東京ではおよそ40か所に点在していました。
まつは家族の猛反対を押し切り芸者になる覚悟を固めたのです。
まつ29歳。
その時の胸のうちをまつは娘だけに打ち明けていました。
まつの相手の男性は支援を申し出ました。
しかしまつは「実家の事で世話になるわけにはいかない」と申し出を断りました。
まつが新橋で芸者を始めた頃の写真です。
慣れない仕事にもかかわらず必死にお酌をして回りました。
三味線の腕前はまつの大きな助けになりました。
幼い頃から父次郎が授けてくれた芸事。
芸にうるさい新橋の客たちをも魅了したのです。
(拍手)大正13年12月まつは次女を出産。
その子こそ後の英一郎の母となる琴子でした。
仕事と子育てに奔走する姉に妹たちも立ち上がります。
繁とせつも芸者の道へ。
「姉だけに苦労はかけさせない」。
実家の窮地を救うため3人は懸命に働きました。
後に三女繁をひいきにし結婚したのが俳優の長谷川一夫でした。
実家の借金返済のめどが立ったのは昭和の初めの事です。
まつは花街から引退。
自分の娘たちには繰り返し言い続けてきた事があるといいます。
きょうだいの中で最も芸事に熱心だったのは次女の琴子。
英一郎の母です。
このあと映画女優として活躍する事になります。
いや…正直曽祖父の話はあまり詳しく僕は聞いた事がなかったものですからこれほとんどが僕にとって新しい情報ですね。
本当にお姫様のように本郷で何不自由なく育ったんでしょうからうん…。
まあ想像を絶する覚悟とその思いたるやはまあ僕にはちょっと想像がつかないような苦労があったんだろうなと思いますね。
「名優」とうたわれた英一郎の父船越英二。
本名は栄二郎。
英二の人生もまた波乱に富んだものでした。
平安時代の武将藤原秀郷を祭っています。
ここに船越家のルーツが眠っていました。
あっ出てきました。
こちらですね。
初代船越六郎増綱。
藤原家から分家した増綱が「船越」を名乗り始めた事が分かります。
増綱は鎌倉幕府の御家人。
その後も安土桃山時代の12代目信安までが武士でした。
江戸時代になると武士の地位を奪われこの地で寺の住職神社の宮司を担います。
明治以降は商売人へ転身。
新宿で生地問屋「船越商店」を開いたのが英一郎の祖父32代目栄一でした。
大正12年英二はその次男として誕生。
家業の影響もあって商売人に憧れ…ところが徐々に戦況は悪化。
昭和18年二十歳以上の学生の徴兵が始まります。
大学3年になった英二は自ら陸軍を志願します。
この写真は出征前日に撮影されました。
昭和20年1月英二が配属された先は香川県にあった陸軍船舶幹部候補生隊。
海からの敵前上陸を主な目的として徹底的に訓練を行います。
英二たちに下った最初の命令は自身の遺影を撮る事でした。
これがその時の写真。
緊張した面持ちの英二が写っています。
実は部隊には過酷な任務が負わされていました。
水上特攻マルレ作戦。
「マルレ」とはベニヤ板で作ったボートの事。
既に英二の先輩たちはマルレに250kgの機雷を積みフィリピンと慶良間諸島へ出撃していました。
敵艦への捨て身攻撃を命じられたのは英二と年の変わらない青年将校たち。
既に1,800人が戦死していました。
体が大きかった英二には入隊当初から大きな期待が寄せられていました。
ところが最初は自覚がありませんでした。
上陸訓練では真っ先に敵陣へ飛び込み船を固定させるいかり役兵士の出来不出来が作戦成功へのポイントです。
(上官)進め〜!ですが英二は…。
基礎体力がありませんでした。
(上官)船越!しっかりせんか!船越!更に学生気分が抜けきれずこんな事も…。
連日続く過酷な訓練。
ある晩の事でした。
英二は片手に一升瓶を持ってきました。
中身はしょうゆ。
英二と相部屋だった松下修一さんです。
89歳となった今も忘れられないといいます。
「熱を出してでもとにかく一度休みたい」。
その一心で回し飲みしたしょうゆ。
翌朝英二たちは見事に発熱。
(上官)進め〜!ところが発熱で訓練が休めるほど軍隊は甘くありませんでした。
(上官)気合い入れんか!立て!しっかりしろ船越。
日に日に厳しさが増していく訓練。
ついに英二は周囲の仲間たちに本音を漏らします。
その言葉は上層部に筒抜けでした。
英二は一人の上官に呼び出されます。
鉄拳制裁を覚悟する英二。
しかし上官は諭すように言いました。
この時の上官は今も健在でした。
戦後は新京成電鉄の会長を務めました。
細川さんは英二に「一度逃げるとこのあとも逃げる事になる」と訴えました。
この出来事を境に英二は変わったといいます。
足腰をもう一度鍛え直し上陸訓練では簡単に転ばなくなりました。
重要ないかり役として日に日に安定感が増してきました。
ウ〜!ウァ〜!ボートによる特攻の訓練でも我先に乗り込んでいったといいます。
瀬戸内海を挟んだすぐ向こう側が一瞬で消滅しました。
英二が戦場に出る事はありませんでした。
部隊の解散直前今後の生き方について英二は寄せ書きに記しています。
元上官の細川さんが今も手元に残していました。
(細川)これはね「一身万軍に当たる」と書いてあるんですよ。
「大勢の敵多くの苦難に一人でも立ち向かう」。
22歳の英二は今後の人生から逃げない決意を固めていたのです。
あの…父からは本当に軍隊時代の話を僕はよく聞かされたんですね子供の頃。
細川さんがおっしゃった「逃げるな」っていう言葉も僕には本当に言い続けましたね。
「男は逃げちゃ駄目だ」と。
二言目には「男!」という言葉を。
男はこう生きるべき男はこうあるべきっていうのを物心付いた時からそういうふうにたたき込まれてきましたんでね。
それがやっぱりこの軍隊時代に父親の中で培われたものであるという事がよく分かりましたね。
終戦後英二は地元新宿へ戻りました。
商売がしたいと僅かな元手で写真屋を開きます。
仕事は軌道に乗りませんでした。
すぐに元手もなくなりました。
でも「苦難から逃げない」と心に誓う英二は次なる道を模索します。
今度は体一つで挑戦できる役者の世界。
大映のニューフェースへ応募します。
しかし演技の勉強もせずに飛び込んだ現実は厳しいものでした。
「マスクが甘いだけの存在感のない俳優」。
そう言われ続けました。
長い下積み生活。
でも「逃げ出さない」英二。
発声方法から歩き方まで演技の基礎を学び直します。
昭和28年英二に出会いがありました。
共演した女優の長谷川裕見子と恋に落ちたのです。
裕見子の母はあの飯島家のまつ。
女手一つで育ててきた次女琴子。
それが長谷川裕見子でした。
2人は結ばれました。
妻のためにも俳優として高みを目指したい英二。
日本兵だ。
転機が訪れたのは英二36歳の時。
映画「野火」の主役に抜てきされました。
太平洋戦争末期のフィリピンで極限状態の負傷兵を熱演しました。
鬼気迫る演技は高く評価されその年の映画賞を総なめ。
映画で共演した…こんにちは。
(取材者)よろしくお願いいたします。
撮影現場の英二の様子を鮮明に覚えています。
すごい…英二は10kg以上減量して撮影に臨んだといいます。
圧倒的な役者魂でつかんだ成功。
更にうれしい事が続きます。
翌年待望の長男栄一郎が誕生。
「船越家に34代目が生まれた」。
英二と琴子は手放しで喜びました。
その後長女洋子も誕生し幸せをかみしめる英二。
昭和40年もう一つの夢の実現に動きます。
自宅のある神奈川県湯河原町に旅館を開業。
商売をする事は学生時代からの夢でした。
英二はこの旅館を家族の将来のために残したいと考えたのです。
かつて旅館でマネージャーを務めていた滝澤圭子さんです。
現在別の旅館の支配人。
滝澤さんは人気俳優だった英二の意外な一面を覚えています。
非常に俳優というのは浮き沈みがあるけれどもちやほやされてるからといっていい気になっちゃいけないと。
で仕事がなくなったら分相応にしなきゃいけない。
例えば仕事が途絶えてまあそういうのがなくなったら本当にグリーン車にも乗らずに普通電車で帰ってくるんだよねと言ってましたね。
英二は常に自分を戒めていました。
仕事がもらえる事への感謝を忘れなかったといいます。
長男の英一郎にも厳しさを持って接してきました。
とても優しい面もお持ちですけれどもその優しさを言葉とか形であまり表に出すのは逆に男としてみっともないと思ってたんではないかと。
自分の価値観からすれば実業家のようなものになってほしかったんだと思いますね。
ですから当然旅館も英一郎さんが継ぐとまあ家族中が思っておりましたし。
船越家の恒例行事正月に旅館の前で撮る家族写真です。
22歳に成長した大学生の英一郎。
英二は息子に旅館を託すつもりでした。
しかし…。
その日英一郎は意を決して父と対峙しました。
「俺断言する。
お前は役者として大成をするのは無理だ」と。
こてんぱんに言われまして。
ええ。
「申し訳ないがお前には何の才能も魅力も与えてあげられなかったと思う。
まあ町を歩いても誰も振り向きゃしないだろう。
容姿もそういう事だ」と。
英一郎の甘い覚悟を見透かすように英二は厳しい言葉をぶつけました。
そして最後に言いました。
「一つ誓え」と。
3年やって…まあ平たい事を言えば飯が食えなければすっぱりとやめろと。
「すがりつくなしがみつくな」と。
それだけ約束させられました。
昭和57年英一郎は民放ドラマでデビュー。
しかし「船越英二の息子」と呼ばれるだけで注目を浴びませんでした。
その後はテレビの仕事はなく26歳で劇団を立ち上げましたが話題にもなりませんでした。
父と交わした約束の3年は過ぎていました。
実家への足が遠のき父との溝は深まっていったのです。
母琴子は日記の中でこの時期に息子と交わした会話を書き記しています。
「栄一郎が言っていた。
お父さんとは話し合いは無理。
でも今自分を見つめ直さなければ自分は駄目だ」。
「来年こそお父さんを喜ばせたい」。
英一郎は一から演技を勉強し直しました。
2世俳優としての甘えを捨て貪欲に先輩俳優の演技を研究しました。
制作現場では周囲への気遣いも欠かしませんでした。
早いですね。
おはようございます。
おぉきれいですね。
英一郎が頻繁にテレビに登場するようになったのは28歳を過ぎてから。
その謙虚な姿勢から英一郎をかわいがる俳優スタッフが次々に現れました。
それから15年43歳になった英一郎は火災調査官役でついに主役の座をつかみます。
2時間ドラマのオファーも増え民放全局で主役を獲得。
シリーズ化も好調でついに「2時間ドラマの帝王」と呼ばれるまでになったのです。
人を2人も死なせやがって…このバカ女!実は父英二は息子のドラマを欠かさず見ていました。
その様子は母琴子の日記につづられています。
「主人いわく英一郎の体はブヨブヨ。
役者にとって体は表現の道具なのだから引き締めよ。
帰宅して英一郎のビデオを見る主人。
2時までしゃべるうれしそう」。
「英一郎の初めての主役『土曜ワイド火災調査官紅蓮次郎』。
主人いわく『まあまあよくやっていた』」。
かつて英一郎のデビューを強く反対した英二。
しかしその活躍を誰よりも喜んでいたのも英二でした。
いやぁ…なんか面はゆいような。
そうですね…おふくろがこんなに日記をずっとしたためてたのを僕は知らなかったものですから。
おやじが僕と向き合う時には自分が必ず見てるなんていう話もあまりしないものですからね。
まあ陰でずっと見ててくれたんだなと改めて感謝しますね。
その…まあね大げさに言えば一回谷底に落としてはい上がってくるんだったら認めようっていうそういうところがとってもあったんですね。
それはもう先ほどのVTRのとおり軍隊時代に培われたもの。
「逃げ出さないなら認めよう!」というね。
だからとことん僕らを追い詰めるっていう…。
これは全てですね。
全ての事柄に対してそれを最後まで貫き通してくれた父親ですね。
平成19年3月17日その日は突然やって来ました。
湯河原で余生を送っていた英二が急死。
脳梗塞でした。
映画の撮影現場から駆けつけた英一郎。
間に合いませんでした。
それは船越家の倉庫から見つかりました。
英一郎が生まれた時の8ミリフィルムです。
父の英二は自らカメラを回しナレーションまで吹き込んでいます。
「自分を乗り越えていってほしい」。
栄一郎の「一」にその思いを託しました。
生前英二から自慢話を聞いていました。
もうニコニコして「そう今ね私より稼いでるんだよ」って。
なんだあんな反対したのによく言うよと思ってね。
そんなもんだろうな。
生前の日記には口下手だった英二が妻にだけ繰り返し語っていた言葉も残っていました。
「英一郎には是非花のある役者になってほしい」。
用意…はい!百瀬さんですよね?あなた今でも古谷真澄を殺害したのは曽根原佑一だと胸を張って断言できますか?「困難から逃げるな」。
「自分を戒めて生きろ」。
父英二の教えは息子英一郎に受け継がれているのです。
またあしたね。
今日頑張って。
ありがとうございます。
う〜ん…今どうしようもないほどおやじと酒が飲みたいですね。
2015/02/27(金) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー選「船越英一郎〜2時間ドラマの帝王・知られざる原点〜」[字]
父は俳優の船越英二。母も時代劇女優。そのルーツは謎に包まれていた。大正末期に起きたある事件が一家の運命を変えた。そして、父が語らなかった戦争体験。意外な事実が。
詳細情報
番組内容
父は俳優・船越英二。母は時代劇女優・長谷川裕見子。一家のルーツは謎に包まれていた。大正末期に起きた、ある橋の架け替え工事。そこで起きた事件が、家族の運命を大きく変えた。さらに、英二が語ることのなかった戦争体験。同じ部隊にいた人が見つかり、新事実が浮かび上がる。そして、英一郎のデビュー秘話。父が猛反対した本当の理由とは。今回、見つかった記録から父の思いが明らかになる。2時間ドラマ帝王の真実。
出演者
【出演】船越英一郎,【語り】余貴美子,大江戸よし々
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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