世界が君を待っている。
今こそ真のリーダーシップが求められているからだ。
ハーバードケネディスクールで人気教授が行うリーダーシップについての特別ワークショップです。
アメリカ東海岸マサチューセッツ州。
ここにハーバード大学はあります。
その設立は1636年アメリカの建国より前の事。
以来現代までこの大学で議論されてきた政治経済哲学は世界をリードしてきました。
ハーバードにはロースクールビジネススクールなどより専門的なカリキュラムを持つ大学院がそろっています。
そこで学ぶ人の多くは社会経験を一度積んだ人たちです。
社会に出たその経験があってからこそより高度なスキルが大学院で身につくとされます。
その大学院の一つケネディスクールは「PublicPolicy」公共政策を課題の中心として世界のリーダーたりうる人材を送り出してきました。
国連事務総長パン・ギムンやリベリアの女性大統領エレン・ジョンソン・サーリーフなど世界各国の大統領首相もここで学びました。
今95か国からの学生がその国の次世代を担うべく学んでいます。
そのケネディスクールで30年にわたり「真のリーダーシップとは何か」という問いに迫り続けてきたのがロナルド・ハイフェッツ教授です。
今回のワークショップではケネディスクールで学ぶ人たちが自らの経験をもとにリアルな現実の問題にどう立ち向かうのか深い議論が繰り広げられます。
多くの人が「リーダーシップ」について全く誤解しています。
経済や技術系に比べると全くと言っていいほど研究されていないからです。
リーダーシップは決して謎めいたものではない。
今日も実例からひもときリーダーシップは日々の暮らしの中で誰もが実践できる事を明らかにします。
またそれが社会にとって必要な事で世界を良くする事だからです。
第1回のワークショップでは「リーダーシップ」と「権威」の違いについて探った。
混乱の第1の要因が…今後はリーダーシップの考え方を探り発展させていこうと思う。
ではリーダーシップを考える時混乱を招きやすい第2の原因について。
それは…リーダーはつくられるものじゃなくて生まれつきのものだと思われがちだ。
リーダーシップを発揮するには素質がないといけないと。
君たちの中でリーダーシップは学べると信じている人は?じゃあ学べる事に疑いを持っている人は?変わってきたのはここ10年20年の事。
私が教壇に立った30年前はほとんどの人が学べないものだと思っていた。
当時私の講義の他にリーダーシップについて教えていた学校はアメリカ国内に一つだけだった。
ウエストポイントの陸軍士官学校だ。
それから10年たってようやくハーバードのビジネススクールでリーダーシップについて教え始めた。
今や一大ビジネスだ。
リーダーシップは学べるものだと信じる人が増えてきてはいるがそれでもまだ多くの人は生まれ持った素質でまたリーダーシップとはリーダーになる事なのだと思っている。
ピーター。
教授リーダーシップを教える事ができるとしてもリーダーには素質も関係あるんじゃないですか?僕もリーダーシップは「学べる」と思いますが「教えられる」とは思えません。
そうか。
君は「学ぶ」と「教える」の違いを指摘しているんだね?僕の経験では…ええそうでした。
その経験は?人は主に経験を通してリードする事を学ぶんじゃないでしょうか。
生まれ持ってのものではない事だとも思いますが。
そうだね。
「リーダーシップは経験に基づいて教える」という点は同感だ。
しかも教えるのはとても難しいからね。
このワークショップでは主に「リーダーシップの考え方」について教える。
1回目では自分を例にして考えたね。
今後も自分をモデルにして演習を行っていく。
演習を行う場合クラスあるいはワークショップそのものを例にする事もある。
そうやって経験から学ぶ事をするんだ。
どうぞ。
僕もこれまでは彼と同じように考えていました。
教授に質問です。
強く社交的なカリスマ性がある人をリーダーとして前面に押し出す傾向がありますが「物静かなリーダー」というものもあるんでしょうか?それは文化によって異なるだろう。
ある文化では鶴の一声を発するような人はトラブルに陥りやすい。
だが別の文化ではそれが特徴になりえる。
だがどの文化にもリーダーに権限を与えるための基準手順や方法ルールといったものがある。
権力を委ねるかどうかその人物を評価する基準があるものだ。
文化によって異なるがほとんどの場合でその基準に共通しているのは「男」である事だ。
求められる振る舞い方はそれぞれだ。
更に女性が権限を得ようとするとその振る舞い方は周囲の期待や基準しだいというところがある。
だが基準は変わっていく。
文化も発展し変化していくからだ。
それでも基準はある。
まず「リーダーシップは一連の個人の特質である」とするその考え方にはそれなりの理由がある。
長い間その考え方は支持されてきたがその特質はいまだ何一つ見つかっていない。
リーダーに共通する特質は何かと無数の研究で特定を試みたにもかかわらずだ。
しかしその結果は生かされず生まれつきのものだとする考え方は根強く残っている。
なぜ変わらないのか。
そこには複数の理由がある。
一つは人々はリーダーシップを権威と同等に見なすからだ。
権威と同等に見なすがゆえにリーダーシップを社会的な優位性とも見なす。
私たちの誰もが経験しているね。
クラスで他の子より優位な子供がいた事を。
子供の頃の経験を通して知っているはずだ。
先生の覚えが良かった子は当然のようにスポーツチームのキャプテンに指名されたりした。
女の子なら他の女の子からまねされるようなファッションリーダーになったりした。
世界中どんな社会環境にあっても社会的に優位な階層がある事は誰でも知っている。
子供の頃から知っているんだ。
だから私たちのほとんどは優位な子供か優位じゃなかった子供の経験を持っている事になる。
優位じゃなかった場合どんな態度をとるべきかどう振る舞うべきかといった事を学んでいく。
学校で優位じゃなかった子供だった人は?優位な子供だった人は?子供の頃社会的に優位だった子供がハーバードに進学するのは偶然じゃない。
(笑い)社会的に優位じゃなかった子供でハーバードに進学した人は振る舞い方信用の勝ち取り方を身につけてきている。
社会的な優位性なしにやっていく術を学んでいるんだ。
それは取る行動によってかあるいは権威を得られるような何かに秀でているのかもしれない。
その権威も社会的なものじゃなくて仲間から一目置かれるといった範疇でだ。
ある新生児の調査がある。
ハーバードの心理学部教授ジェローム・ケーガンは画期的な本を書いた。
「子供の本質」というものだ。
教授はある実験を行った。
被験者は生後6週間の新生児だ。
どんな実験かというと…音を立てたりさまざまなやり方で揺らしたり動かしたりしたんだ。
その結果はごく普通の分布曲線を描いた。
どのように分かれたかというと…。
少人数だったが刺激を与えるとすぐ怖がる新生児がいた。
どんな刺激にも敏感に反応する。
その対極にいるのがどんなに揺らしても振動を吸収するショックアブソーバーのような動じない赤ちゃんだ。
まるで頑丈なトラックのようだった。
どんなに揺らしても平気なんだ。
あらかじめ備わっているようなんだ。
生き延びるための耐える力だった。
当然だがほとんどの赤ちゃんは中間にいる。
「彼らはどんな大人になるのか?」。
ケーガン教授は20年以上追跡調査を行った。
4歳から6歳の年齢になるとこの怖がった赤ちゃんは他の子供たちより恥ずかしがり屋さんになっていた。
状況に対して立ち向かう事に躊躇する。
そしてその子たちが二十歳になった時ほとんどの場合社会的に優位に立っている事はなかった。
それが調査結果だった。
左の社会的に優位じゃない人10%だ。
対極にあるこの10%のショックアブソーバーの赤ちゃんたちは社会的に優位な子供になる傾向があった。
この子たちは他の子供たちが怖がってまごついてどう対処していいのか分からないような状況で自然に指揮を執る。
状況を把握して対処の方法や意思決定の方法まで整理してまとめる。
そして他の子供たちから頼られる事に慣れていた。
自然に指示したり守ったり秩序を保ったりする。
他の子供たちのために基本となる社会的な機能を果たしてあげていた。
ほとんどの子供はタイプが不明だったので優位になるのかあるいはならないのかその後の事は予測できなかった。
いろいろな要因があるからだ。
例えばある子供が小学生の低学年で仲間の中では一番年上だったとしよう。
その子供がずっと一番年上であり続けたならば社会的に優位なタイプになるだろう。
だが社会的に優位だったその子供が転校したり飛び級して上の学年に入ったとする。
一番年上だったのが一番年下になると社会的に優位じゃなくなる。
他にも要因がある。
その子供の両親が出世するどころか全財産を失ったりあるいは親のどちらかが刑務所行きになったりするとその子供はたちまち社会的に優位な子じゃなくなる。
子供の優位性は両親の優位性の上に成り立つ事が多いからだ。
周りの子供たちはそれを両親からのシグナルで受け取る。
ここで要因を整理すると「年齢」「体の大きさ」「見た目」「親の社会的な地位」といったものがあった。
その他に遺伝的体質的なものもある。
10%の子供に備わった精神的な強さだ。
このような状況や遺伝的な要因は子供の頃から私たちに大きな影響を与える。
そして個々のアイデンティティーを形成していく。
ここからどんな人物が権威を得る地位に就くのかタイプの傾向が見えてくるね。
だんだん分かってきたんじゃないかな。
自分から志願するタイプだ。
そうしてこう言う。
「私を信頼して権威を与えて下さい。
見合ったサービスを提供します。
あなたを失望させる事も不確かな将来も恐れていません」。
このような事を言えるのは子供の頃から自分の力に自信を持てるような生活環境で育ったからだろう。
例えば8歳の時に何かの遊びでチームをまとめたとか集団行動を指揮したりしたとか。
だがリーダーシップは…するとこんな疑問が生まれる。
「成長する過程で権威を得る人のどの能力が伸ばされているのだろうか」。
いろいろとある育て方の中で何がリーダーシップを発揮しやすくさせるのかを特定するのは非常に難しい。
それでは今から自分たちを実験台にしてちょっとした実験をしてみよう。
私は少しの間ここで黙っている。
この場を君たちに預けるよ。
自由に話してみてくれ。
大人だろ?僕はいつもからかわれます。
人の話を聞かず…。
また君が口を開いたのは偶然じゃない。
(笑い)なぜだか分かるかね?なぜならほとんどの軍人はどんな組織よりも秩序を取り戻す訓練を受けているからだ。
だから世界中の国々で緊急事態が起きた時軍が出動する。
軍は秩序の回復と社会的な均衡を取り戻すのに中心的な役割を果たす組織なんだ。
私が座って5秒もしないうちに君は話しだした。
だがそれを許したのは君たちだ。
彼に権限を与えてしまったんだ。
なぜなら…君たちが注目しない限りデイブは「注目」という力を得られない。
注目の力を得て彼は君たちのために「均衡」を取り戻そうとしたんだ。
私が座った瞬間に君たちは方向性を失ってクラスに混乱が生まれた。
ではもう一度。
デイブは話さない。
それが君がチャレンジすべき新境地だ。
不均衡な状態に耐える力をつけたまえ。
今日もこれからのワークショップでも混乱と不均衡に耐えうる力がないとみんなをリードできないぞ。
みんながパニックに陥らないように生産性のある範囲で自分をコントロールするんだ。
それには「我慢」。
だが君がパニックに陥って秩序を保ち平穏をもたらそうとしてもこのうまく仕組まれた無秩序から何も生まれる事はない。
権威に従うという従属的な態度と雰囲気はデイブの一人舞台を作り出した。
それなのに優位に立っているという事だけで非難する。
みんなそうだろ?そうじゃないって?それはどうかな。
では試してみよう。
私は黙るよ。
よく分からないんですが同じ人が何度も発言する事について教授のおっしゃった事によると何度も発言する人を無視したり発言内容でその人を判断したりするとある時点から単にマイクを持って話してるからだけでもう既にその人は特異な存在になっているんじゃないでしょうか?私は3姉妹の長女です。
今の事ではなくて野心がどうリーダーシップと関わるのか野心のバランスについて興味があれば議論したいと思います。
野心はいいのか悪いのか。
リーダーシップを発揮するのにどんな役目を果たすのか。
野心とそれを実行する者の主体性は一致しているべきです。
野心を持っていても目標達成のために使えるものを整理して戦略を立てられなければ好ましい結果は得られません。
行動を起こす者と野心は一体で重要な役割を果たします。
「野心」は本当に興味深いポイントだと思います。
僕はいつも「野心」と「志」を区別します。
「野心」というものは自分のステータスと理解されたいという欲求に関係していると思います。
「志」は何かをやりたいという根底にある衝動だと思うんです。
この事からじっくり考えたんですがそれはこの議論の根幹を成す重要な事に思えます。
「己を知る事」です。
自分の動機がどこから来るのかと自分を掘り下げる事です。
教授のさっきの設問「どんな要素が人にリーダーシップを発揮させるのか」ですが僕は己を知る事が要素の一つだと思います。
「野心」についてですが何を達成しようとしているのかを見極めるのが大事だと思います。
私が会ったリーダーはほとんどの場合自分のために野心的になっているのではありませんでした。
皆大義を掲げていたり目にした社会問題を解決したいと思って問題解決にまい進しています。
野心的かもしれませんがそれは個人的な利益を得るためじゃありませんでした。
(笑い)でもそれはリーダーが善人だと推定しての事だと思います。
太平洋にある私の故郷では自分たちの役目を果たさない悪いリーダーが大勢います。
彼らの野心というのは…はっきり言って金を搾り取る事です。
所属している組織や社会システムから。
ですからリーダーシップの概念と志の関係を掘り下げればリーダーシップをとろうと思う動機とそれが導くものが見えてくると思います。
どうかな?リーダーシップについて話すとすぐ権威と結び付けて話してしまうようだね。
質問があります。
教授がおっしゃっている事は…。
どこの人かね?南スーダンです。
教授はカリスマ性について触れられていませんがカリスマ性もリーダーシップを構成する要素でしょうか?「彼はカリスマ性があるリーダー」とよく人々は言います。
それは人々が勝手に言っているだけですか?そこが分からないんです。
「カリスマ性」を持ち出してもらってよかった。
最初リーダーシップの定義とそれを学ぶ方法を議論した時に思った事がありました。
多くの人はリーダーシップを学べるものだとは認識していません。
なぜならリーダーシップとカリスマ性を同等に見なすからです。
私はリーダーに備わっているカリスマ性は生まれ持った資質だと思います。
「野心」の問題に戻りますとリーダーがその地位にたどりつくまでに払う社会的代償つまり精神的な負担の代償は大きいと思います。
大抵の場合ビジョンを持ち世の中を良くしたいと思ってリーダーになるのだと思いますがそのための道を模索し続ける原動力も資質だと思います。
前に突き進むために個人個人に野心のもととなる動機があるはずです。
じゃないと否定されたり厳しいフィードバックを受けたりする中で前に進む事はできません。
階段を上っていくのは苦しい挑戦です。
ビジョンを持ち続けるのも大変です。
ですから私は野心も要素の一つだと思います。
僕はリーダーシップは個人的なものだと思う。
あとにどれほどの人が続いているとか逆にどれほどの人が取り組んできたかではなく自分が心痛めている問題にどれほど取り組めるかそれがリーダーシップなんじゃないですか?社会や政治を取り巻く環境がリーダーシップのスタイルに影響を与えると思います。
私はリベリアから来ました。
私の国では声高に主張する人たくさんしゃべる人が優れたリーダーだと思われていて大風呂敷を広げてただまくしたてる人もいます。
リーダーシップのスタイルは自分が尽くす相手や社会が求めている事に左右されるので環境がリーダーシップのスタイルに影響すると思います。
「なぜリーダーに話をさせてしまうのか」という問題に戻っていいですか?私たちはリーダーたちの主張に賛成できなくても消極的になってやり過ごすだけでリーダーたちに話をさせてしまいます。
なぜならそれが簡単な事だからです。
誰かが友人や家族にこう言ったとします。
「世界をよりよくするビジョンを持ってるの。
議員に立候補するわ」と。
するとほとんどの友人や近所の人はこう言うでしょう。
「すばらしい考えだわ。
是非やりなさい。
立候補すべきよ。
あなたこそがリーダーにふさわしい」。
そうやって議員に選んだあと私たちはその人が話すビジョンを批判して過ごす傾向があります。
声を上げて議員に立候補するよりも傍観者となって批判する方が簡単な事だからです。
それが現実です。
話をさせてしまう責任は私たちにあり私たちが声を上げなければこれが続くでしょう。
その主張に反対でも我慢するしかありません。
まずリーダーになるために「志」は必要ですがある時点からは「責任」の問題になると思います。
なぜならそのリーダーは人々に支持されて全権を委任されているからです。
そうやって支持してくれた人々に対して責任を持つべきでリーダーシップを発揮し続けるのならその事を自覚していなければならないと思います。
どうだろうか?リーダー像について話す時にどうしてもその権威と同列にして話しているようだね。
20世紀初頭の偉大な社会学者マックス・ウエーバーが「カリスマ」という表現を導入した時「リーダーシップ」ではなく「支配」が念頭にあったんだ。
カリスマ的支配は支配のしかたの一つだ。
私はそれは正しいと思う。
カリスマ性は権威を得る資質の一つだ。
文化によってはそれが信任を得るのに必要だとする一つの理由でもあり基準でもありハードルでもあるんだ。
そのカリスマ的支配力で人々を導くかは別問題だ。
私が見た限りカリスマ性を備えた人は正しくリーダーシップを発揮していない。
むしろみんなを崖っぷちへと導いている。
という事で無意識に「リーダーシップ」と「権威」を同等に見なしてしまう傾向があるから自分の発言に気を付けてみてほしい。
特に「リーダー」という言葉の使い方や自分が「リーダー」と認識している人物を考えている時にだ。
教授質問があります。
それは…反逆するといった極端な行動を起こすのもリーダーシップですか?反逆側でも?いい質問だね。
実は反体制側の指導者を教えた事がある。
長く王朝支配が続いた国でその王朝を倒した人物だ。
だがすぐに彼は締め出されてしまった。
とにかく彼はケネディスクールに入学した。
彼もまた大勢の人と同じように人生を見つめ直して2度目のチャンスを得ようとやって来たんだ。
では彼は人々を導いたのか?実は大義を間違った方向に掲げるというとんでもないミスを犯していた。
彼は政治に問題があると判断したから「反逆」という行動に出た。
だが実際には問題を一つも特定していなかった。
前の政権に取って代わっただけで同じ体制を維持しただけだった。
政権入りした彼は問題の本質を特定する術も解決に導く術も知らなかったのだ。
反逆行為はリーダーシップを発揮した行為なのだろうか。
それは問題をどう捉えたかしだいだね。
反逆側は何を問題として捉えたのか。
根本的にそれを解決する方策を持っているのか。
それとも単に首を据え替えるという表面的な方策なのか。
リーダーシップを社会が直面している困難から引き離してまたその困難を打開するために集団を動かした努力から引き離して評価するのは難しい。
今回は違うものの見方をしてほしい。
分析単位を変えてほしいんだ。
権力を分析する単位としてリーダーシップを考えあるいは人物の特徴を分析単位にしていたものをだ。
この2つの分析単位を変えてみよう。
今回リーダーシップの分析に使う単位は「仕事」だ。
または「問題解決の進展状況」というものだ。
まずこんな質問から始めよう。
リーダーシップを発揮するのにどんな活動があるのか。
どんな立場があるのか。
権限を持った高い地位か。
非公式の権限しか持たないが信望の厚い地位か。
あるいは公式の権限は持たない何かの社会運動の指導者か。
はたまたそのどれも持たず公式にも非公式にも権限を持たない者か。
「人を導く」というのは重大な問題の解決に向けて人を動かすという意味で使う。
そうなると重大な問題を避けるのに人を動かす事はリーダーシップをとるとは言えない。
一つ例を出そう。
私のキャリアは医者として始まった。
医療の世界では人々は治療法を求めて必死になる。
その人自身が重病かあるいは愛する家族が重病なのかもしれない。
どちらの場合も治療法を求めて必死になる。
その人たちは医者を頼って医者に大きな権限を与える。
「治療」というサービスを受けられるという希望を持ってだ。
ある医者はうその治療を施すかもしれない。
大儲けするためにだ。
またある医者は絶望的な状況につけいって幻想を売りつけるかもしれない。
人々は絶望すると簡単に幻想にも飛びついてしまう。
するとその医者は巨大な権限を得る。
カリスマ性を備えているように見えてくるんだ。
なぜなら大勢の患者に囲まれているからだ。
患者が何時間も待合室で待ちやっと会えたその偉大な医者は大抵の場合男で体格もいい。
人々が喉から手が出るほど欲しがっている治療を提供してくれる。
だがその治療費は2万ドル3万ドルとか。
君たちの国の通貨でもどんな通貨でもとにかく高額なんだ。
医療の世界で考えると分析単位は問題解決つまり治療に進展が見られるかどうかという事だ。
対象の病気に治療法がない場合残る課題は何か。
治療法がない患者を診ている時は解決しなくちゃならない課題が山のように出てくる。
患者が死ぬ可能性がある時どうやって患者の心の準備を手伝うのか?家族の心の準備やその病気と折り合いをつける手助けをしたり残された時間を充実して過ごす事をどうやって助ける?つまり医者の医療行為を分析単位とすると優れた医者というのは人気のある医者ではない。
単に影響力を持った医者でもない。
患者が直面している問題の解決に手助けできる者が優れた医者なんだ。
「仕事」を分析単位とした場合リーダーシップとは何者かという事ではなく実践する事だと解釈できる。
「何をするか分からないけど私はリーダーだ」というのはありえない。
「私がリーダーなのはみんなが頼ってくるからだ」。
これでは実際に何も解決へは導いていない。
これはただ特定の家に適応力を持って生まれ落ちただけだ。
そして子供の頃から社会的に優位であると言われ続けチームを率いる事ができただけかもしれない。
秩序をもたらすのがうまいだけかもしれない。
しかしそれで社会問題の解決に進展をもたらせられるのか。
山のように積み上げられた社会的な難題は解決策が見いだされないまま放置されている。
女性の声に耳を傾けた者がその解決策を導きだす事ができるかもしれない。
こうした新しいリーダーシップの考え方を受け入れて試してみてほしい。
リーダーシップとは大きな職を得る事ではなく重要人物や頼られる人物になる事でもない。
そのような人物がリーダーシップをとる事もあるが多くの場合はとらない。
そこでこうしよう。
リーダーシップの概念を切り離してみるんだ。
権力影響力権限からね。
切り離したリーダーシップの概念を何と結び付ける?次の事に結び付けてみよう。
困難や問題それに立ち向かい前に進むために大勢を動かす手腕だ。
ルーベン。
もし誰か人々を動かす事に一生懸命な人がいるとします。
例えば何かの反対運動をするために。
でも少数派だからその運動によって事態の進展はなかったとします。
たとえ事態の打開が図れなくてもその反対運動の指導者を「リーダー」と見なせるのでしょうか?そもそもその人を「リーダー」とは認識しない。
「反対運動」という権威の象徴として捉える。
もっと専門的な言い方をしよう。
君たちには正しい用語の使い方を学んでもらいたいからね。
いいかな?その反対運動を組織した人物は反対運動の参加者から非公式な「権威」を得たと言っていいだろう。
その人物は参加者を奮い立たせそれぞれに役割を提供した。
だからその人はみんなから権威を与えられたのだ。
だが問われるのはその人物が重要な問題において事態を動かすような事をしたかどうかだ。
その非公式な権威を与えられた人物はその権威を公式化するかもしれない。
権威を公式化するためにちゃんとした仕事もあり何らかの投票システムもある実態のある組織をつくるかもしれない。
そうするとその反対運動においてこれまでの非公式な権威に加えて公式な権威を得る事になる。
次に問うべき事は社会が直面しているさまざまな困難に対して進展をもたらすような働きを何かしたのかという事だ。
正義についてや不平等貧富の差公衆衛生や健康環境の問題君たちがケネディスクールで掘り下げて勉強したいと思うどの分野の問題でもかまわない。
そこが決め手となる。
それらの問題でリーダーシップが発揮されたのか。
私は人をキャリアで線引きはしない。
だからめったに「リーダー」という言葉を使わない。
歴史に出てくる偉大なリーダーと言われている人々は偉業を成し遂げる以上に失敗を犯している。
このケネディスクールの確か上の教室に行くとウィンストン・チャーチルの肖像画があるはずだ。
人々はチャーチルの事を偉大なリーダーだと言う。
だが第2次世界大戦がなければ最悪なリーダーだと評されただろう。
なぜなら第1次世界大戦で大きな過ちを犯し10万人以上の死者を出してしまったからだ。
その後の第2次世界大戦ではチャーチルはすばらしいリーダーシップを発揮した。
だが終戦を迎えると政権の座から引きずり下ろされた。
なぜなら戦時には卓越したリーダーシップを発揮したものの戦後は大英帝国を維持しようとして失敗した。
彼は旧体制の支持者だった。
戦後植民地を失い帝国を維持する事ができないのは明白だったのに。
インドや他の大英帝国時代の植民地出身の人はいるかな?え?
(笑い)「アメリカ」って誰か言った?確かに独立戦争では戦ったね。
だいぶ昔の事だがね。
リーダーシップを人物の特徴ではなくて実践という目で捉えてみると対応が必要な状況において対応に成功した者と失敗した者の違いを分析できるのではないだろうか。
その実践を更に詳しく見るんだ。
どのように問題があると診断したのか。
どのように問題解決に向けて行動したのか。
そうやって成功したり失敗したりする理由を特定するんだ。
だが線引きはしない。
「この人はリーダーだ。
あの人は違う」といったようには。
ほとんどの人がリーダーシップを時々とるがいつもではないからだ。
その理由を考えていこう。
(ルーベン)多くの状況で権力が伴う正式な地位に居続けられなければリーダーとして「進展」を見せるには難しいように思います。
政界では選挙に勝たなければそれなりの地位には就けない。
すると「進展」をもたらす事ができずリーダーとして見てもらえないかもしれません。
例えば議会の議席数を伸ばす事ができないとか国民に刺激をもたらす事は難しいのではないでしょうか。
私はそうは思わないね。
君の出身はどこだい?オランダです。
君の国オランダの歴史をよく見てみたまえ。
政権のトップにいなくても卓越したリーダーシップを発揮した者が見えてくるよ。
政権中枢の地位に就いていない人でもリーダーシップを発揮した者はいる。
オランダがどう海と向き合っていけばいいのか過去200年の間で国を動かした者がいる。
1万年に一度という規模の大嵐に備えて堤防システムを構築した者もいる。
ここ30年の話だ。
行動したのは首相だけじゃない。
町や村の人々もだ。
そういった人たちが社会の流れの中にいてその過程に関わったんだ。
時には権限のある高い地位に就くと何かと束縛される。
一番窮屈な思いをする立場だ。
いろいろな関係者を満足させなくちゃならないからね。
むしろ権限がない方が一つの事に集中できるものだ。
人々を束ねて事に当たれる。
ネルソン・マンデラやマーティン・ルーサー・キングには自由があった。
人権を広める自由がね。
当時どちらの国の大統領にもそれはなかった。
なぜなら国民全員の大統領でいる必要があったからだ。
さもないと権威を失ってしまう。
相反するさまざま問題の着地点を見いださなくちゃならない。
キング牧師とマンデラは一つの事に集中できた。
つまり権威ある地位から人々をリードする際の利点と不利な点がある。
また権威を持たずにリードしようとすると別の利点と不利な点がある。
もし君たち男性陣が本当に賢ければきっとこの1年間ずっとここにいる女性陣に権威を持たずにリードする事を聞き回るだろう。
なぜなら権威を持たぬ者の駆け引きや作戦を女性は知っているからだ。
周囲に耳を傾ける事も知っている。
抜け穴や行動に移せる突破口はどこかも。
証拠も残さずに物事を進められる。
女性は物事を前に進めるためにどんなリーダーシップをとればいいのか自然に分かっている。
男性が知らない事ばかりだ。
なぜなら男性は権威を得る事に気を取られているからだ。
権威を得る事がリーダーシップの評価につながるとどこかで信じているんだ。
どうぞ。
先ほどチャーチルはリーダーシップの発揮に失敗したとおっしゃいましたがリーダーシップの発揮を成果と結び付けて考える必要があるんですか?リーダーシップとはその発揮のしかたなのでは?私は評価に重きを置いていない。
評価は歴史的観点から見て…面白い作業だがね。
それよりも現実的な仕事がある。
それは最終的な指標あるいは結論を出す前に短期的中期的な進展状況の指標を出す事だ。
歴史家は10年20年後の結果を評価する事ができる。
重大な問題の解決に向けて時のリーダーが失敗したのかあるいはどう成功したのかという事を評価する。
アメリカでマーティン・ルーサー・キングは…ちょうどワシントン大行進の50周年記念の祝典があったばかりだね。
そのキング牧師は問題解決に進展をもたらしたがその仕事はまだ半ばだ。
彼は終えられなかった。
だが著しい進展をもたらした。
そこから見えるのは進捗状況を指す中間の指標中期的な指標があると言える。
短期的な指標でもきっと悪い方向よりいい方向に向かっている事を指しているはずだ。
問題解決に向けて指示を出すという観点から指導力を発揮するという観点から望ましい結果を出す可能性を高めるための指標は何かという事を理解してもらいたい。
君は全く正しいよ。
君の洞察力は鋭いね。
結果を決める事はできない。
なぜならさまざまな予期せぬ出来事が起きるからだ。
こちらが思い描いていたように事が運ばず突然手に余るような悲惨な事になる。
つまりリーダーと言われる人を見るのではなくまた人をリーダーとして見るんじゃないんですね。
発揮されるリーダーシップそのものを見るんですね。
そのとおりだ。
リーダーシップを発揮している人はたくさんいる。
私たちだって自分たちの生活のさまざまな面でリーダーシップを発揮しているはずだ。
例えば私生活において社会生活において仕事場において発揮している。
ここにいる君たちもだ。
人生のいい時期に君たちは本来の役割を一時脇に置いてまた学ぶために大学に戻ってきた。
学生という役割でもリーダーシップを発揮する場がある。
集団的な困難に対して集団を動かして対処する事をリーダーシップだと捉えれば君たちもリーダーシップを存分に発揮する事ができる。
学生として学ぶという集団的なチャレンジに集団を動かす事ができる。
どんな専攻でもどんなコースでも学ぶ事にリーダーシップを発揮できる。
だからリーダーシップを実践と捉えるならばリーダーシップを発揮できるチャンスが大小問わず無数にある。
日常生活の小さな事から世界をよくしたいという志の高い事にまでリーダーシップを発揮する事ができる。
この進展を促すという範疇のリーダーシップを発揮する場はマクロからミクロまである。
権威があってもなくても。
では権威を象徴する人物を見る時はその人が取り組んでいる問題を一つ一つ細かく見るべきなんですね。
「彼はこの分野ではリーダーだがあっちの分野では違う」といった事になると思います。
という事は複合的に考えるんですか?そのとおりだ。
「歴史的に見てこの人物はこの件においてリーダーシップを発揮したが他の件では発揮しなかった」と私なら言うだろうね。
だがそれで私がその人物を評価するか。
するかもしれないね。
例えばパーティーで物理学者が「彼女はパワーを持っている」と言ったとする。
でもそれは「彼女がある質量を加速させる」という意味じゃないよね。
(笑い)冗談はさておき私は「あの人たちが達成した事を見てごらんよ」とは言うだろうね。
誰にでも人を鼓舞する資質はある。
だがリーダーシップを発揮して失敗する事もある。
その原因を考えないとそこから学ぶ事ができない。
誰もが間違いを犯す。
ガンジーだってキング牧師だって孔子だってしかり。
これは挑発的な発言だったかな。
今日はここまでにしよう。
(拍手)2015/02/27(金) 23:00〜23:55
NHKEテレ1大阪
白熱教室海外版 リーダーシップ白熱教室 第2回▽リーダーシップは素質ではない[二][字]
ハーバード大学ケネディ行政大学院・通称ケネディスクールで人気を誇るロナルド・ハイフェッツ教授のリーダーシップに関する特別ワークショップ全6回の2回目。
詳細情報
番組内容
リーダーには生まれ持っての素質があると一般的に思われているが、それはまったくの間違いだとハイフェッツ教授は言う。リーダーシップを「問題解決の進み具合」という尺度で測り直すと、その本質が見えてくる。従来のリーダー像から切り離して「社会が抱える問題をどう解決できるか」という視点を持って見るべきだ。人を特別な人=リーダーとして見るのではなく、発揮されるリーダーシップの実践そのものを見る必要がある。
出演者
【出演】ハーバード大学ケネディ行政大学院教授…ロナルド・ハイフェッツ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
英語
サンプリングレート : 48kHz
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