SWITCHインタビュー 達人達(たち)「辰巳芳子×川瀬敏郎」 2015.02.28


(野菜を切る音)ニンジンは厚さ5ミリのいちょう切り。
ジャガイモは1センチのいちょう切り。
セロリは3ミリの小口切りにする。
厚手の鍋に薄切りにしたたまねぎとオリーブオイルを入れ火にかける。
火加減は10段階の3くらい。
蓋をしては蒸らし時々かき混ぜながら炒めていく。
食材の癖を抑えよさだけを引き出すように。
幼子からお年寄りまで食べ心地よく体の養いとなるように。
手をかけ心を込めて作られるそのスープを人はいつしかいのちのスープと呼ぶようになった。
料理家辰巳芳子90歳。
食べる事と生きる事との関係を考え続けてきた。
食は生死を分かつっていう事をよ〜く時々思い出してちょうだい。
そして…これは本当の気付きだからね。
食材という物言わぬものに向き合いその声を聴く。
それを全ての出発点としてきた辰巳が心動かされた一冊の写真集がある。
花道家川瀬敏郎による「一日一花」。
一年366日の間一日も欠かさず花を一つずついけ続ける。
東日本大震災後に始めた鎮魂の記録である。
被災地のむき出しの地に咲く草花とそれを眺める人々の無心の笑顔を目にした時川瀬はこの国に自生する草木花を無性にいけたくなったという。
枯れた葉や虫が食った葉茎が折れた花すらも川瀬はいける事で生かしてみせた。
川瀬敏郎66歳。
どこの流派にも属さず花をいける事を独自に追求してきた孤高の花道家だ。
京都大徳寺玉林院。
この日川瀬は国の重要文化財に指定されている茶室蓑庵で花をいける事を特別に許された。
わらを混ぜ込んだすさ壁の床の間に掛けたのは千利休の手になる竹花入。
こういうところでやってるとね意識が消えてしまうので難しい。
何かやろうとかって意欲が…ほの暗い空間に映える白いフヨウの花。
フヨウは利休好みの花である。
ところが川瀬は竹花入からフヨウを外した。
手にしたのはヤマイモのツルと枯れたキササゲの枝。
ああこっちの方がずっとあれだと思いますよ。
じゃあちょっと軽く露だけ打ちましょう。
枯れた枝とみずみずしい緑が響き合う。
花っていろんな人の思いが全部結集して集まるでしょ。
そうすると救済事業みたいなもんなんですよ。
いける人間っていうのは。
本当に救済っていうか…川瀬もまた花という物言わぬものにひたすら向き合いその声を聴いてきた。
だからね…。
お話し相手としてはとっても喜ぶべきお相手。
何かそこからまた出てくるものもあるような気がしてね。
とても楽しみに。
12月のある日川瀬は辰巳の自宅を訪れた。
ここ辺りいいような気がする。
辰巳邸は鎌倉の丘陵地の緑に抱かれるように建っている。
冬のさなかもツバキなどが花を咲かせていた。
辰巳先生お邪魔しま〜す。
こんにちは。
お久しぶりでございます。
お元気そうで。
ありがとうございます。
今日はどうぞよろしくお願い申し上げます。
こういう仕事の現場に入るのがとってもあれなんです。
どうしようかなと思うぐらい緊張してしまうんですけれども。
そうね。
こういう場面じゃなくお目にかかりたいわね。
そうですね。
フフフフ。
ともかくよろしくお願い申し上げます。
花を通して日本と日本人の心を追い続けてきた花道家川瀬敏郎。
食を通して命を見つめてきた料理家辰巳芳子。
2人の魂の対話が始まる。
あそこの一塊ってねヤマブキなの。
あああれですね。
川瀬が辰巳のために庭の花をいけるという。
こういう何でもないような線もすごくきれいなものなんですよ。
いけてみると。
目を留めたのはカラスウリの枯れたツル。
もうこれだけで絵になってしまいます。
なかなかこういうのあれしてても引っ掛かってくるものっていうのはあるようでいてないんですよ花って。
(取材者)先生の中で引っ掛かる花って…。
人間と同じように呼ばれてるもの。
これを何が何でも…。
お能と同じように…お庭のもの頂戴してきました。
でももう一つあるんですけど。
私はこういうような枯れたものとか…。
これはすごいですね。
何でしょうそれ?あっヤブミョウガ?そうなんです。
ヤブミョウガって鎌倉のお印って…。
そうなんですか?そう。
日本の…何て言うの花そのものを見た訳ではなくて要するに心の花っていうか心にまで昇華した花を見ようとめでてきた文化なのでどちらかっていうとこういうありとあらゆる普通でいったりすると…こういうものを汚いと思う人もいると同時にやっぱりすごく命の壮絶な終わろうとする姿の美しさだとご覧になる人もいらっしゃいますね。
ヤブミョウガの葉っぱって元気な時は何と言ったらいいか一種の邪魔者みたいだけどね。
このぐらいになると非常にいいですよ。
そうですね。
不思議な事にみんなそうなんですよ。
普通で見たりするとヤブミョウガなんかも私もそんなにいけたいものじゃないんですけどもこの時期になってみるとやっぱり独特の魅力のあるものですね。
こういう姿。
私そんなこう…縮れ方っていうんですか?生の葉っぱの時にない縮れ方ね。
もうこれがみんな弱っていきますので独特の雰囲気ですよね。
だからきれいなものをいけても美しい花になるかどうか分かりませんし反対に…こうしたものに清雅な白菊を合わせる事も可能な事なんですねこう…。
でも先生がお花をおいけになるところを見られるなんて…なんという幸運でございましょう。
菊の奥に実がポツン。
いいですね。
実がちょうどいいところに収まりました。
ちょうどね花と。
ええ花と…。
関係がちょっと…関係ができたんですね。
一見あんな枯れてるようだなと思ってもやっぱり…そういう連続ですよねいけるっていうのは。
同じすがれたものでもこういう…。
続いて川瀬が取り出したのはカラスウリの枯れたツル。
ここに一つだけ…ササのところにこれが残ってる。
ササが絡んでるんですねここの部分に。
でちょっとだけあれですけれども…。
思わない事ですね。
思わない事ですけどね。
こんな面白い線がね…。
残ってるんですね。
これもちょうど一つだけここに枯れた部分がツバキなんかでいったりすると霜よけ葉っていうんですけど霜をよけるようにこういう葉が1つあるっていうのをそのまま残して。
わ〜きれいね。
きれいでございますね。
先生とってもつまらない質問してよろしゅうございますか?そこの主な枝ぶりの横に脇に細いのが出ておりますね。
その長さっていうのねちょうど先生はその長さがいいとお思いになるんですか?こういうようなものは自分で…こういう部分は最後まで自然のままをのっけておかないと非常に人工的な感じがして最後残ってしまいますね。
花の場合は…露ない時は生けてないんだと思わなきゃいけないものにあたるというのです。
そう。
あ〜。
ササの葉に絡んだツルと寒さに耐えて赤い実を残したサネカズラ。
ローマ時代のガラスの瓶に古材の敷板を合わせた。
それとあと1つだけ水仙があれなんでこう…ここに1つ水仙だけを。
ちょうど初花っていうかこの季節らしい水仙ですので。
これローマですのでね。
小さな壷は古代ローマの遺跡から発掘されたもの。
この水仙が入ったところをつくった人に見せてあげたいな。
そうですね。
いやいつもそういう事を思いながら…。
我々はやっぱりこういう事を通じていろんな人に…それでそれらを引き寄せそういうものを通じて生きた…。
でもローマの人たちとかっていうのは何か力みたいなものを好きだったんじゃないかと思うんだけれどね。
思いますね。
でもこういう何気ないものというのも非常に…。
かわいい。
なんてかわいいんだろう。
長い年月を土の中で過ごし銀化したガラスの小壷に水仙1つ。
室町時代の根来塗の盆に置いた。
今日のこのツバキなんかでも何とも言えませんね。
そうですね。
ツバキは辰巳の母が生前丹精込めて育てたものだという。
調理もそうでしょう。
人間が食するっていう事はある種の罪な事もたくさん含んでる訳ですね。
それと同じようにやっぱり切っていくものっていうのは変な話ですけどやっぱり…パラドックスですよ。
抽出できないっていうか…。
やっぱりその事に…その事がやっぱり向こうからのものを唯一引きずり出せていく方法かなとは思ったりしますね。
そうですね。
花もそれは同じだと思いますね。
いや私はもうそのまま…。
一般的には私は平仮名で書くんですけどそれは…不思議なんですね。
命っていうのはね漢字で「生命」と書きますと…命の生物学的な…。
そうそう…。
感じしますよね。
何て言うかしら…生物学的な命なんですね。
でも平仮名で「いのち」って書くと命全体の実存としての命なんです。
魂の…。
同じように心もそうなんです。
平仮名で「こころ」と書いた方が今おっしゃるみたいなようなものは伝わるんですけども漢字で「心」と書いてしまうとちょっと観念的なものにも思ってしまうところがあってスッと入ってこないんですよね。
花は仏教や何かで草木国土悉皆成仏っていう言葉ありますけれども日本っていう国で初めて心っていう部分をやっぱり花っていうものに見いだしてきたから自然といっても心の自然なんです。
本場のインドは花はやっぱり心がないというかそういうものとして草木とかは入ってないんですね。
そうでございますか。
川瀬54歳の時の作品。
縦に並べた白いツバキと横に並べた赤いツバキは日本の花における2つの骨格を表している。
立てる花たてはなと入れる花なげいれ。
たてはなの起源は古代松などのときわ木を神の憑代とした事にある。
室町時代に書院造りの床の間を飾るものとして花留めを用い中心にまっすぐシンを立てる形式が出来上がった流派いけばなはこの流れの上に展開していく。
一方のなげいれ。
千利休がわび茶の湯の花として洗練したものだ。
花留めを用いず直接水に放ってあるがままの風情を生かす。
四季の草木花の変化に心を寄せ命の形を見てきた日本人ならではのものだ。
立てるたてはなと入れるなげいれ。
2つは日本の花の縦糸と横糸だと川瀬は言う。
こういうあの…。
わらっていうものでもって立てるものは立てるんですね。
何という名前でございますか?こみわらっていうんです。
こみわら。
こみわらは稲のわらを束ねて作った花留めだ。
花器の中に仕込み花や枝を立てるために用いる。
神仏に奉る花を起源とするたてはな。
そこに稲を用いたのはこの国を象徴する神聖な植物だからだと川瀬は言う。
これは麦のでは駄目で…。
稲でないと駄目ですね。
よくこういうもの考えたものですね。
この上の部分だけを…でもこの中に入るとどう言ったらいいんですかね…。
優しいんです稲に包まれるっていう事は。
これが剣山だったらやっぱり我々はそんな感覚受けないです。
何か違うものっていうか異質な…。
何かいつも花がかわいそうだな…。
かわいそうになりますね。
でもこれはやっぱり優しく全部受け止めてくれるっていう意味ではやはり稲っていうものが持ったものは大きい。
ですので私はやはり…そうですね。
私なんかは日本の風景の中で稲が…稲の若い真っ青な時も実った時もあんなに幸せっていうか…。
やはりあの風景を見てるだけで本当の安心した幸せを得られるっていったら稲だけなんですよ。
段々畑とかああいうものでもそうですけどもあんなような所を開拓してまで稲っていうものを水を回してやり抜いてきたっていう事と…。
ただ単なる食糧って意味だけじゃなくてやっぱり我々の…多くのものはみんなあの事によって生活のリズムのようなものから…それは本当私もとても思うんですね。
ところが北海道に行ってず〜っとトウモロコシず〜っとジャガイモ。
それはそれで稲と同じでございますね。
そうですね。
人間にとって必要なんですね。
それをみんな考えなければいけないと思う。
考えないとね。
でねそれをこれかあれかっていう事をやっていくと…そうですよね。
私もそう思ってます。
私もそう思いますそれは。
お思いになりません?それは食糧だけじゃないです。
これは全部宗教に至るまで全部稲が関わり続けてきた訳ですよねこれは。
だからそういう意味で私は…私もそれは本当にそう思います。
ほかの穀類とはまた全然違いますね。
川瀬は当代随一の目利きとうたわれた白洲正子が唯一認めた花道家だった。
京都の大きな花屋に生まれ早くから天才花道家として注目された。
時代物の巻き簾に色とりどりのボタン。
夏座敷に出現したハスの大群。
樹齢200年を越える紅しだれ桜が金びょうぶに怪しく浮かび上がる。
豪しゃで前衛的な作品は国内外の芸術家たちに大きな影響を与えた。
先生が昔々お花いけてらっしゃってるところのお写真っていうのを拝見した事ありますけどそれこそこんな大げさなお花でしたよ。
私はやっぱり…ですからある時はボタンなんかだったらその時期に100輪200輪と使い続けてきた人間なんです。
でもそれはやはり20代は20代なりに…辰巳先生私に「先生80っていう時になったら考えが変わりますよ」っていつかおっしゃって下さいましたけど白洲先生も自分っていう人間に…要するに人間が思考っていうものをなくして何かが体だけが動いたものの中から取り出していくものというものを多分望まれた事なんだろうなって思ってるんですけど…。
そして体の力も望みを…その人の望みを果たしてくれるのが体だけれど…だから年取ってまあいいかなって思う事は…。
そういう事…。
そういう事でしょうか?あんまり年の事は考えないで今まで来てしまいましたけれど…それを自然にそういう事になるからね。
結局は…そうですね。
我があります。
そうなんです。
本当におっしゃるとおりです。
それでやっていくよりほかしかたないんですね。
私ももうこれぐらいの年ですけども花としてみてはもう力がかなり抜けてしまったんですね。
それだからこそ自由になれたんです。
体を使い手を使った無言の表現である事。
それが2人に共通する。
先生は世阿弥の中の「稽古は強かれ」って言葉と「物数を尽くす」って事を非常に大切にされてると聞きますけどやっぱり花でも物数を尽くさないと。
やっぱり何度も何度も。
すごいですね。
そうですね。
先生は例えばお料理をおやりに…。
要するに調理をなさったりする時にも最も大事になさってる事っていうのはどういう事なんですか?そうね…。
私の花も同じなんですけどね。
従っていく。
そのためにはやっぱり…そういうものになっていくためには。
それでやっぱりねそれもある種の経験が必要であれこれものの扱いを「これはこう。
これは」っていう事を教わりますからやっぱりしっかりした皮一つむくにもテクニックが備わっていないと向こうの注文に応えられないですね。
それでやっぱりね人間って本当にバカですのでね…そうね。
やっぱそれは数限りなくありとあらゆるものに向き合わなければならないんですよね。
よく花とかでも好きって言葉がありますけど好きって好きな事だけやってたら同好会みたいなものになってしまうんですよ。
やっぱり変な話…私思います。
それは。
あっそう。
苦手な事ね。
最も嫌な事を…そういうようなものがないとなかなかありとあらゆる花に向き合っていけませんね。
こうやっていく時に。
ありとあらゆる花にとね。
最後の本当の真言っていうか真実に当たっていくところ。
本当のご自分になるためですね。
そうです。
本当の自分になっていく道っていうのはやっぱり自由な道なんですね。
仕込みもの。
辰巳は保存食の事をこう呼ぶ。
例えば梅干し。
生のままでは食べられぬ梅の実を塩漬けして天日に干す事で疲労回復や防腐効果の高い食品に生まれ変わらせる。
「仕込みもの」は辰巳が89歳でまとめ上げた250ページ近い大著。
ピクルスからたくあん干物やアイスバインに至るまで古今東西の保存食の知恵を集大成したものだ。
いかに自然に手をかけ食べられるものにしていくか。
仕込みものには「ものに仕え心を込める」との意味がある。
台所でございますが…。
辰巳が川瀬に見せたいものがあるという。
あ〜すごいですね先生。
すごい。
どうしてこんなもの好きになっちゃったんでしょうね。
取り出したのは6キロもある生ハムの塊。
実は辰巳は日本で初めて生ハム作りに成功したとされる人物なのだ。
いや〜きれいですね。
美しい。
川瀬さんなさってみる?いやいやいやいや!とんでもないですけどこれは難しいですけど。
本当に驚きますよね。
辰巳先生の仕込みものの中でも生ハムってのは別格でしょこれ。
別格。
我々から考えたら小さい時から日本の…ロースハムとか非常に売られてる安いハム。
自分がやはりヨーロッパに留学しててその時に生ハム食べた時の衝撃ってないですよね。
あっそう。
ええ。
やっぱり一体これは何なんだろうって我々が食べてきたハムは一体何だろうかなと思うぐらい驚きましたやはり。
それはそうね。
先生でも生ハムがこういう状態になるまでの間は何年ぐらいかかったんですか?あのねそこを聞いて頂きたかったの。
そうなんですか!はい。
あのね最初からこの形のものに取りつきませんでした。
たるに2杯分ぐらい買ったんです。
乾くのは…それが成功のもとだったと思う。
生ハム作りは実に15年掛かりの大仕事だった。
1969年イタリア料理の勉強にローマに行った辰巳。
日本でその味を再現しようとしてもうまくいかない。
それは生ハムという決め手がないからだ。
生ハムっていうものにある種の衝撃のようなものを受けられたんですか?あのね生ハムそのものよりね私が一番これは何て言うかしらまねしようがないなと思った事はね…以前確かお書きになってたかもしれませんけど…だから何でもないサルサ・ポモドーロ・フレスカってね…その時もちょっと…生ハムを切った脂とかありますがあれをねジュクジュクジュクジュク弱い火でもって脂を吐かせちゃう。
それでいわゆる家庭はね…そういう事っていうのはねどうしても…知恵でもあるし。
そういうものをねしっかりそれに面白みとか悲しさとかいろいろな事すっかり分かってこれを何となく分かって作るのとそうじゃないのと違うんですね。
それぞれの気候風土の中でいかに食べていくか。
食文化とは人間と自然との闘いの歴史であり民族の知恵の結晶である事に辰巳は思い至る。
皆さんはこう小さい例えば料理だったら料理そのものだけを見てらっしゃるけれどもやはり全体が部分というのはどの場合でも全体でしょ。
同時にやっぱり全体は一個の非常な部分でもあるんですよね。
お花に例えたらどういう事かしら?やはりねこういう感覚のものっていうのは変な話が花でしたらね…でもそれを…それをやっぱり何らかの形でこなさなければならないんですね。
それにちょっと似てるところがあるかもしれませんね。
とってもうれしい例えで…。
わ〜きれいですね。
こうやって切って見せる。
切りたてをあげるとかっていい感じですよ。
そうですね。
フフフフフ。
先生おいしい。
すごくおいしい。
よかった。
ハハハハ。
変な言い方だけどコックさんたちがね私の事を相手にしてくれるんですよ。
それでなぜかっていったらねやっぱり生ハム作った人だからなの。
あ〜そう。
それ大きいんですね。
それがないとやっかいなおばさんっていうだけですよ。
ハハハハ。
お料理好きのやっかいな人がねお料理場に来たがって本当にあれは面倒くさいんだよと。
先生これすごくおいしい。
そう?よかった〜。
本当に。
よかったよかった。
人間っていうのは本当にすごい…そうだわね。
また反対に…同じみたいなところありますね。
これはものすごいです。
ちゃんと静まってますこの生ハム。
ありがとうございます。
本当においしいですね。
いいですね。
はいいいですすごく。
辰巳は西洋料理の手法を学び料理の本質に目を向けた。
その経験は日本の家庭料理を新しい角度から捉え直す事につながった。
例えばけんちん汁。
野菜の扱いにイタリア料理の蒸らしいためを取り入れた。
鍋蓋をして蒸らしながら時々かき混ぜ炒めていく。
油と野菜の水分を利用して7分どおり火を通すのだ。
野菜同士の匂いが移る事なく持ち味とうまみが混然となる。
辰巳先生のけんちん汁というのを初めてうちのあれが作った時もう「目から鱗」っていうかすごく驚いたんですよ。
あそう。
あんなに澄み渡るっていうかねあのようなけんちん汁になるなんていう事はほとんどない…だと思います。
そうと思います。
あこれが辰巳先生の一つの有り様なんだというのを見せられたぐらい…。
それでその時にふっとねよしけんちん汁をあれでやろうってこう思ったの。
そうすると変わるって。
だから私よくね…言うけどそれなんですね。
だからその事それに類する事はほかの事でもいっぱいあると思うんですね。
で私こないだからね…ちょっとねそれを…まあ公に申し上げるような事ではないのだけれど私はね…それがねありがたすぎちゃってるんじゃないかと。
そうですね。
恐らく求めてあれして生きてきたんだけど…そうですね。
日本の春は。
次の梅雨から夏に移っていくとまた目の前に開けていくものが違うからね考えていく事もまた変わってってしまう。
今度はそれに乗せて考えようかとまた何々してると秋になっちゃう。
だからね…ドキュメンタリー映画「天のしずく」。
辰巳芳子の「いのちのスープ」が生み出されるまでの道筋とスープがつなぐ人の絆を描く。
自然の恵みを最も吸収しやすい状態に仕上げるスープ。
それがどれほど命の助けになるか気付いたきっかけは脳血栓で倒れた父を介護した経験だった。
嚥下障害により食べ物を飲み込みにくくなった父のために8年間工夫を凝らしたスープを作り続けたのだ。
寝ていて…庭に出る訳もいかない。
やっぱりそれを…それはいいところですね。
辰巳の母浜子は料理研究家の草分けとして活躍した女性だった。
辰巳は19歳の時結婚。
しかし直後に夫は出征し戦死してしまう。
僅か3週間の新婚生活だった。
その後結核を発症。
15年に及ぶ闘病生活を余儀なくされた。
本格的に料理の修業を始めたのは40代。
そのまなざしは常に食べる事作る事の根源的な意味に注がれた。
辰巳が家庭料理の要として位置づけまとめ上げてきたスープは主婦だけでなく栄養士や保育士医師からも注目されている。
中でも玄米スープは離乳期の赤ちゃんから死の床にある人まで万人の命を養う究極のスープといえる。
終末期医療の現場でも辰巳のスープを作って供する取り組みが広がっている。
うまい!後味がものすごいいいですな。
あらゆる人をいたわる玄米スープを辰巳が作ってくれると言う。
私も玄米スープで助かった人間なんですよ。
そう。
体調をずっと崩してたんですよ。
それでずっと玄米スープとかクレソンのスープとかけんちん汁とかをずっと供してくれる人がいてそれによってどれだけ助かったか分かりません。
本当に感謝しております先生。
ようございました。
厚手の鍋を火にかけ10のうち3の火で玄米をからいりしていく。
先生は非常に火や何かも事細かに10のうちの…まあ沸騰点のようなものはそんなに使う…煮炊きでもする訳じゃないとお書きになってたりしたのを覚えてるんですけども。
そうですね私…ハハハハハハハ…。
辰巳先生らしいですそれは。
だから「例えば」と言ってね…でその上にプラス…そういう解説をしておりますけどね。
あんまりおっしゃらないわねほかの方。
そうですね。
ですからよく料理番組でね本当に素人が見てて火の扱い方の時にすごく曖昧ですよね皆さん説明がね。
やはりこれはどういうような火でどれぐらい煮るもんなんだろうかって僕は全く分からない人間だけによりそれを思ってしまうんです。
あ〜そう。
でも10の火を3使いますっていうと割とはっきりするでしょ?はっきりします。
ええ。
ほらピチピチって音がするでしょ?音がねだんだん…。
これは先生どれぐらいこのようにいる訳なんですか?あのね25分かかりますよ。
ああそうですか。
こういう時って何か考えていらっしゃるんですか?あ〜でも何か…単調な作業というのはそういうとこありますよね。
そうね。
私もね単調な作業っていうのは若い頃ものすごい苦手でした。
そう…それは分かります。
アハハ…。
母親はいっくらでもできたのね。
私はね例えば柿の葉ずしなんかねこんな桶に1桶作って…つきあうの大変です。
でも私もね同じとこありますね。
母はねこれが心地よいって言うんだからもう参っちゃいましたね〜。
でも私も逆に年とともに単調な作業というのは嫌いじゃないですね。
ああそう?ええ。
私も今嫌じゃないのね。
煮干しの頭なんか楽しく取ります。
(玄米をいる音)だからねこれを結局ご病人にお届けする時は…それでやるんだからやっぱりそれが祈りなんですね。
そうですね。
(玄米をいる音)火というものの持ってる力というかね私はお茶なんかでも炭手前っていうものにも特別な思いを抱いてしまう人間なんです。
やはり火っていうのは人間が初めて手にしたものだけに非常に聖なるものであると同時にそこに一家でも火のある所に集って団らんになって人は幸せだけれども同時に寄ってくる事によって欲望のるつぼになってしまう。
生き物の中でね火を自由自在に扱って生きるのは人間だけですもんね。
そうですね。
ありがとうございます。
すごいいい色になりましたね。
いいでしょちょうどいいでしょ。
いいですね。
小麦色になるまでね。
ちょっといいですか?はい。
ああいい!ちょうどいいね。
ああいいですね。
それでね…。
これに梅干しと…。
梅干しと昆布を入れます。
いった玄米に梅干しと昆布を加え30分静かに煎じる。
家庭料理とは手をかけ時間をかけて家族への愛命への愛を形にする営みなのだ。
料理家というとちょっとその意味する…頭にイメージするものがちょっと違いますけども辰巳先生はやっぱし…だって作るだけじゃないでしょ。
片づける事も入ってるからね。
買い物に行く事も入るから全部計算するとね4時間なんですよ。
いやでもかえってその事を通じて一番学ぶのはいつでも自分だなと思います私は。
簡単な事じゃないですけど…。
やっぱり…それはよく分かりますね。
それはやっぱり辰巳先生のやはりスタンスというか有り様一貫してそういうようなスタンスでやってらっしゃったすごさだと思うんですよ。
それを支えるのはねやっぱりそういうような何て言うかしら…それは本当ですね。
ねえ。
先生頂戴致します。
どうぞ。
う〜ん…。
いや言葉ないですねこれは。
そうでございますか?はい。
おいしい?おいしいです!やっぱりほかにないかな。
ほかにないですね。
体の中にこう…2つの要素が同時に入ってくる感じですね。
その2つがやはりこのスープってものの中にはあるなっていつも思いながら飲んで…。
呼応するんですね。
持ってるものとね。
いや本当に体にしみてしまいますね…。
花道家川瀬敏郎。
この日能舞台の上で立花供養に挑んでいた。
能「半蔀」において行われる特別な演出。
観客の目の前で花を立てるのは異例の事だ。
これからも花をいけ花を生きる道を歩んでいく。
料理家辰巳芳子。
90歳の今新たに取り組んでいるのが…お粥は日本のポタージュだと辰巳は言う。
この日はくずでとろみをつけたコンソメスープを添わせるという新たな発想のお粥を披露した。
あって当たり前と私たちは思っているけどねだけれど考えてみればねとっても…ほかの麦とかよその国の持ってらっしゃる穀類そばとか何かから比べたらねもう…90代の大仕事としてお粥の本をまとめるつもりだ。
みんなが「何だろう?」と思ってくれるといいな。
まねしてくれるといいんだけどね。
2015/02/28(土) 22:00〜23:00
NHKEテレ1大阪
SWITCHインタビュー 達人達(たち)「辰巳芳子×川瀬敏郎」[字]

「いのちのスープ」で知られる90歳の料理家辰巳芳子と、白洲正子が唯一認めた孤高の花道家川瀬敏郎。食を通し花を通して命を見つめ、日本を考えてきた二人の魂の対話。

詳細情報
番組内容
辰巳は日本で初めて生ハム作りに成功するなど、東西の食文化を深く理解し、家庭料理をとらえ直すことを通じて、食と命の関係を問い続けてきた。川瀬が東日本大震災後、1年間毎日生け続けた鎮魂の「一日一花」に、深く心を打たれたという。枯れた葉や折れた茎にも、生けることで命を吹き込む川瀬。もの言わぬものと向き合い、体を使い手を使って思索してきた二人が、日本人にとっての「花」「米」「いのち」の意味を語り合う。
出演者
【出演】料理家…辰巳芳子,花道家…川瀬敏郎,【語り】吉田羊,六角精児

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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