大量定年時代の日本。
第二の人生あなたはどう過ごしますか?私、山本哲也も気がつけば定年目前。
心豊かなあしたは、どこに。
その答えを求めて、街へ出ました。
退職してから、たくましくあしたを切り開いた人がいます。
名付けて、あした見つけ人。
リタイア後、始めたのは大工の仕事。
ドアノブが取れたと聞けば駆けつけペンキが剥がれたと知らせがあればブラシでひと塗り。
その名も、コミュニティ大工。
しかしかつては1つの土地に根を下ろせない転勤族のサラリーマンでした。
そこから一転、地域に根ざした大工になるまでには、いったいどんなことがあったのでしょう?さあ、あなたもごいっしょに!あしたを探すヒントがここにあります。
生字幕放送でお伝えします合原⇒「ゆうどき」「あしたをさがそう」のコーナーです。
ゲストに清水国明さんをお迎えしています。
清水⇒どうも。
山本⇒お久しぶりですお変わりなく。
合原⇒このコーナーではリタイアしたあと、どう生きるのか迷いを乗り越えあしたと生きがいを見つけた方をご紹介しています。
山本⇒今回も私が取材しました。
ご紹介するのは中山照彦さん75歳です。
定年後始めたのはコミュニティ大工。
お聞きになったことありますか?いや、ことば的には初めてですけどそういうことをなさっている方は何人か。
これは中山さんが作ったことば、造語なんです。
定年後、始めて14年になるんですよ、もう。
ずいぶん長いんですけど普通の大工といったいどう違うのかご覧ください。
神戸市須磨区。
造成からおよそ40年がたつ住宅街が、今回の舞台です。
ここですか、こもれび工房大工仕事承ります。
失礼します。
今回の、あした見つけ人中山照彦さんです。
コミュニティ大工と名乗ってから14年となります。
ここが作業場ですか?そうなんです。
結構広いですね。
工房の広さは、およそ9坪。
もともとは阪神・淡路大震災後に使われていた仮設住宅でした。
拝見すると、冬ですけども一部、風通しがよさそうな部分が。
家賃は5万円。
地域支援を行うNPOの一角を間借りしています。
大工道具にかかった費用はしめて100万円。
できるだけ中古品を探したり引退した大工から道具を譲り受け安く手に入れました。
道具箱は手作り。
大切に保管しています。
この箱もそうなんですか?大工仕事が生きてますね。
なるほど。
材料にも、こだわりが。
高級素材の、ひのきです。
この木はどうされたんですか?でも実は、ただ。
つきあいのある材木店から提供してもらいました。
使う人を思い浮かべながら細部にこだわります。
この日は、ガーデニング用のプランターを作りました。
注文があったのは1か月前。
種まきのシーズンに間に合うよう作業をします。
ひのきの風合いを生かすためあえてニスを塗りません。
アンティーク風の飾りでちょっとおしゃれ。
オリジナルのプランターいかがでしょうか。
近所に住む井上清子さんです。
もうつきあいは10年以上。
好みを知り尽くしています。
出来上がっていかがですか?さっき、ご覧になったとたんに目がきらっとしました。
ひのき材のプランター2つで4000円なり。
このお宅には中山さんが手がけたものがたくさんあります。
エアコン室外器やガスメーターのカバーなど。
どれにも木のぬくもりがあります。
頼まれればその場で仕事を引き受けます。
この日はドアの取っ手の取り付け。
中山さん、これはきょう急きょ?これは、サービス?今では大工姿が板に付いた中山さん。
以前は生命保険会社の営業マンでした。
全国各地の支店などに転勤を繰り返すこと10回。
そのたびに、家族を連れての引っ越しになりました。
慣れない土地で自宅と職場を往復するサラリーマン生活でした。
そんな中山さんに転機が訪れます。
定年目前で、地元・神戸に念願の自宅を建てたのです。
老後は夫婦2人ふるさとに戻って暮らそうと決めていました。
そんなとき、新聞の折り込みちらしに目が留まります。
定年後の生き方を考えるセミナーの案内でした。
半信半疑で参加した中山さん。
ここできっかけをつかみました。
思い出したのは、子どものころの大工になりたいという夢でした。
中山さんが5歳のとき戦争で父を亡くしました。
父は立派な大工道具を持っていて、それで遊ぶのが中山さんの何よりの楽しみでした。
中山さんは父の残した大工道具でいろいろなものを作りそのたびに母が大喜びしたことが忘れられませんでした。
中山さんの初仕事は80歳近くの女性のために階段の手すりを取り付けることでした。
その後、仕事の場は地域に広がり自治会からは花壇の木枠を作る注文が。
区役所からも公園のウッドデッキを設置する仕事を、請け負いました。
サラリーマン時代とはひと味違う夫の姿に、妻・桂子さんは。
現役のときと今とどちらが輝いていると?今では月に5件ほどの注文がきます。
この日、舞い込んだのは庭仕事をするためのいす。
80代のおばあさんから腰の痛みを和らげたいとのことでした。
庭仕事に使いやすいようひと工夫。
いすの脚に角材を2本つけました。
そりのようなものがついてるいすって、初めて見たんですけど。
座って、土仕事をすると。
横にずらすときに。
なるほど。
早速、いすを届けに出かけました。
中山さんと15年のつきあいになる田中肇さん・康子さん夫妻です。
夫婦ともに80代の田中さん。
子どもたちは遠方に暮らしていて近所に住む中山さんは心強い存在です。
電球の交換など細かい頼みごとをすることもあります。
人が喜んでくれることが自分自身の喜びにつながる。
定年後改めて見つけた生きがいです。
清水⇒いいですね。
人の役に立つというのが何よりの報酬やねやっぱりね。
合原⇒何でもしてあげたいそれが幸せ、というのが伝わってきましたね。
普通は一家のあるじ、男の役割で全部やっていたんですけど今できない人とかのほうが多いのかもね。
ああいうちょっとしたもの作るのがね。
僕もああいうもの作ったりするのが大好きだから、自分の持っているのと同じ道具が工房にたくさんありましたね。
山本⇒ご覧になってどうですか。
いろいろ、島に住んだり富士山のふもとに、家もあったりと。
コミュニティ大工コメディー大工をやってみようかね。
ああいうふうに役に立てるんだったらいいですよ。
ああいうようなことが好きな人とか得意な人がいるから趣味を生かす実益じゃなくてその趣味を楽しいことに生かす。
コミュニティ大工コミュニティーというだけあって地域をつなぐというか人と人とをつないでいる感じがありますね。
そういうことでお役に立っていることによってまた顔を出せるしね。
あれはいい方法ですね。
中山さんはもともとお母さんが喜んでくれるのがうれしいとおっしゃってましたが本当はログハウスをお母さんに造ってあげたかったんです。
ログハウスというと清水さんですね。
俺はチェーンソーですけどね。
チェーンソーを持たせたら芸能界では清水国明かジェイソンかという。
もう17棟ぐらい無人島に作っています。
ああいう箱を作るのの延長ですからね、同じことです丁寧な仕事されていましたね下の穴を開けてそれからビスをやって面取りをやったりして。
ああいう丁寧な仕事は本当に大工さんですよね。
この中山さんからあしたへのヒントをいただきました。
それやわ。
人のため、ということです。
後半人生これに生きないと僕も近くにある別荘地でお年寄りがたくさん住んでいるところはいらいらしているお年寄りが多い。
人のために働かずに自分の老後のために守りに入った人というのは猫が歩いただけで管理人室にクレームをする人もいるわけです。
人に役立つとか子どもたちに英語を教えたり遊んだりそういうのはクレームがない。
人のために何かすることが老後の安らかな人生あとは任せたぞと言いながら死んでいける人生になるんちゃうかなと思います。
このシリーズは7回お伝えしました、人のためというのは共通していました。
「あしたをさがそう」でした。
「ゆうどき」の番組スタッフは震災直後から被災地に入り混乱が続く中、被害を受けた人たちが訴えたいことを全国に伝え続けました。
そのとき出会った人は、600人。
おはようございます。
あれから4年。
出会った人たちは今どんな思いで暮らしているのでしょうか。
被災した一人一人の今を見つめ震災から4年目の課題を考えます。
山本⇒東日本大震災からまもなく4年。
被災地の今を見つめる「それぞれの4年目」です。
合原⇒きょうは復興に向けての事業が進む被災地で人々の暮らしがどうなっているのかを見つめていきます。
リポーターは角田さんです。
角田⇒まずは、この4年間で復旧復興がどれだけ進んだのか。
復興庁が発表したデータをご覧ください。
鉄道は91%、復旧が完了した。
漁港は一部完了したところを含めて、95%完了したということなんです。
一方で私たちの住まいや、店を建てる前の大前提となる土地の整備状況を見てみますと宅地の引き渡しが一部始まっているところを含めても24%ということなんです。
山本⇒暮らしの土台のところが。
いちばん大事なところですよね。
いちばん遅れているということですよね。
実際に復興事業がどのように進みそこで暮らす人々の生活この4年間でどのように変わってきたのか宮城県の気仙沼市で取材してきました。
宮城県気仙沼市。
市内の4割近く9500世帯が被災しました。
現在、沿岸部全域で復興のための工事が行われています。
震災から4年たとうとしている今も、6000人余りが市内の仮設住宅で暮らしています。
おはようございます。
加藤勝子さん、64歳です。
加藤さんは震災で自宅兼店舗を失いました。
夫の敬一さんと二人暮らしです。
震災後に夫婦で国民年金の早期受給を始め生活してきました。
加藤さんに初めて会ったのは震災のおよそ2週間後。
ちょうど温泉に招待されたあとでした。
大滝温泉の皆様。
あれから4年。
町の姿は、日々変わっています。
加藤さんが震災前に暮らしていた鹿折地区です。
この地区では加藤さんの家を含めおよそ2400棟が損壊しました。
地盤は、およそ70cm下がり現在、かさ上げ工事が進められています。
住宅地などは震災前より2m高くします。
地区全体の事業が終わるのにあと3年かかる予定です。
この復興工事が行われている鹿折地区の中に仮設の商店街があります。
加藤さんは、この商店街の一画で店を開いています。
被災したとき借金も残っていた加藤さんたちは年金だけでは暮らせないと商売を再開しました。
店では生鮮食料品など地域の人の生活に必要なものをそろえています。
実は、今のこの店は加藤さんにとって2軒目の仮設店舗になります。
最初の店を開いたのは震災のよくとし。
加藤さんにとって復興への第一歩でした。
当時の店のすぐそばには津波で流された大型漁船共徳丸がそのまま残っていました。
その船を見るために連日、大勢の観光客が訪れ加藤さんの店も繁盛していました。
しかしそれも長くは続きませんでした。
船が撤去されたのです。
店の客は半分以下に激減し経営は苦しくなりました。
さらに、状況が悪化します。
去年9月、かさ上げ工事のため今の場所への移転を余儀なくされたのです。
前の場所ほど近くに仮設住宅や住居がなく人通りが少ない場所でした。
加藤さんはかさ上げ工事が終われば鹿折地区で自前の店を再建する予定です。
再建が先になるほど年齢的にも経済的にも厳しくなります。
復興が遅いと感じ、鹿折地区を離れる決断をした人もいます。
加藤さんと同じ仮設商店街の小野寺由美子さんです。
地元の食材を使った乾物などを販売しています。
前の場所では多い日は、1日10万円以上の売り上げがありました。
今の場所に移転してからは客が1人も来ない日もあります。
小野寺さんの自宅があった場所は今の店の目の前です。
はっきりは分からないんですねこの状態なので…小野寺さんは、かさ上げ工事が終わるのを待たずに別の地域に移ることに決めました。
予定では、加藤さんは来年3月工事が終わりしだい自分の土地を確保できることになっています。
しかし、店を再建できても本当に町に人が戻ってくるのか不安がつのります。
清水⇒遅いですね。
ようやく準備ができたとか予算がついたときにはそこの住民の方がいなくなっているというケースが今、起きつつありますからね。
何よりもスピード感だと思いますね。
山本⇒震災直後もスピードが大切ですが持続的スピードというか今になってもスピードですよね。
時間の壁をどうやって越えるかという。
規制とかあるじゃないですか。
僕も震災の年には64回行きました。
NPOとかで戦後の復興をして焼け野原でやみ市とかであっという間に復興しましてね。
でも今は国の規制があって自由に今、自分の力を発揮しようとしてもできないんですよね。
どこでも家を建ててもいいよというくらいに民間の力をもっと生かしたほういいと思います。
住んでいる人も気持ちを振り絞って生活を続けられているというのが分かりますよね。
復旧というスタート地点に戻るわけです。
その4年間をどうするか、ということです。
被災者の方からも復興が遅いという声がありました。
番組で気仙沼市に取材したところファックスで回答が寄せられました。
まとめました。
鹿折地区については115万立方mの盛り土の材料の搬入が必要です。
かなりの材料を運びこまなければいけないということです。
地盤を固めるために半年間必要だということです。
それも大切ですよね。
そのあとにライフライン道路の工事が入ります。
非常に時間がかかるんだということです。
気仙沼市は今後も事業のスピードアップに最大限取り組みますのでご理解をいただきますようお願いいたします、ということばでした。
その間に住んでいる人へのケアというのをそこから離れないように生活できるケアをもっと手厚くしていかないともちません。
人間はかすみを食べているわけではないから。
インフラを整備するのはとても大切で必要なことです。
でも大きな計画がある中で一人一人の実情、事情というかそれをどこまで吸い上げるかというそこがいちばん、暮らすということですよね。
そこは勝手にやってください私たちはインフラをやりますということでは、できません。
両輪だから。
建物とかかさ上げはできたけれど住む人がいなくなったっていうことが現実に起きています。
何のための復興かということがありましたが先ほどの小野寺さんのことばもありました。
3年たって頑張りと復興の速さが一致しないことがある。
こういうことを小野寺さんに言わせるって何だっけって考えるとね。
皮肉なことに船を撤去したら人がこなくなった。
観光客、とおっしゃったけれど震災から学ぼうという方がたくさんいるわけですから震災をコンテンツにしてもっと人が集まるようにできたんじゃないかと。
何もなかったかのようにきれいにしようというわけではなくて人が集まる仕掛けがあると思います。
お金とか地域の人を応援する話になります。
この話はなかなか終わらないと思います。
合原⇒東日本大震災「それぞれの4年目」住民の暮らしについてお伝えしました。
見渡すかぎりの銀世界。
周囲100km北海道でも有数の広さを誇る風蓮湖です。
この時期、ここには漁師たちそして、たくさんのワシさらに、世界各地から写真家まで集まってくるんです。
「行ってみたい!」厳しい寒さがもたらす冬の恵みを探しに行ってきました。
山本⇒一面白の北海道です。
合原⇒リポーターは北海道生まれ北海道育ちそれでも今回行ってるところは寒かったそうです。
矢島明日香さんです。
山本⇒東京、きょうは寒いですがそんなものではないんですよね。
矢島⇒そんなものではありません。
私が訪ねたのは北海道の東の端根室海峡とつながる風蓮湖という湖です。
寒いときは氷点下20度まで気温が下がるところです。
私もロケのときには5枚、6枚着込んでいったんですけれどもそれでも体の芯から冷えてしまいました。
意外と北海道の人は寒がりが多いんですよね家が暖かいから。
寒い時期だからこそ人も動物も冬の恵みを求めて風蓮湖に集まってくるんです。
見てください。
見渡す限りの銀世界が広がっています。
これ全部、氷が張った風蓮湖なんです。
広大な雪原が広がっているようです。
北海道の根室市と別海町にまたがる風蓮湖です。
この時期ならではの珍しい漁があると聞き訪ねました。
こんにちは。
今、こちらで漁をされてるんですか?はい。
漁師歴20年の松原真人さん。
そして、ペアを組んで7年目の菊地裕太さんです。
早速、漁場まで連れていってもらうことにしました。
これで行くんですか?スノーモービルに乗るのは初めての体験です。
この日の気温は氷点下。
顔にじかに当たる風が冷たくて痛いほどでした。
5分ほどで到着です。
何も見当たらないように見えるんですが表面の雪を少しかいて松原さんが取り出したのは木を切るためのチェーンソーです。
(エンジン音)湖に張った氷に穴を開けていきます。
氷の厚さは、およそ10cm。
この氷の下には何かが仕掛けてあるというのですが。
見えてきたのは、網です。
3週間前に仕掛けた、この網を引き揚げていくと。
ええ〜、あっ、すごい。
わあ!生きのいい魚が現れました。
氷の下で眠っていたのは今が旬のチカ、ニシンそしてコマイなどです。
ちなみに、コマイを漢字で書くと…まさにこの凍った湖の下で取れる魚という。
氷の下に網を仕掛け1週間ほど魚を待つその名も、氷下待ち網漁。
100年以上も続く伝統的な漁法なんです。
ここの漁師たちいつも取った魚の一部をこうして置いていきます。
すると…。
一気に集まってきましたね。
待ってました、とばかりに天然記念物のオオワシにオジロワシも集まってくるんです。
風蓮湖では昔から、鳥と人間が自然の恵みを分け合って暮らす営みが続いてきたんです。
冬の風蓮湖は珍しいワシが見られる絶好のスポット。
海外からも多くのカメラマンが押し寄せます。
Whereareyoufrom?
(シャッター音)カメラマンたちが一斉にシャッターを切る瞬間がありました。
どういったワシのシーンを撮っているんですか?実は、魚を巡るワシどうしの激しい争いをねらっていたんです。
のしかかったり時には空中戦に持ち込んだりと自然の中で生きるワシのたくましさが魅力だといいます。
ワシも食べているなら私も食べたい、ということで漁師・松原さんのお宅に伺うことにしました。
どうも、お邪魔します。
シカですよ。
この辺りでは普通の風景です。
出迎えてくれたのは松原さんの妻しのぶさんと娘のりんちゃん。
そしてお母さんのゆうこさんです。
用意していただいたのは。
この時期ならではのコマイ汁です。
ぶつ切りにしたコマイとみそで味付けをしたお汁です。
早速いただきました。
だしが出てますね。
淡泊な魚なんですが汁にすると甘みが出ておいしいんです。
さらに、凍ったまま食べるお刺身コマイのルイベもいただきました。
冷たい!このしゃきしゃきっていう…母親のゆうこさんが昔の食べ方を教えてくれました。
氷で覆われた風蓮湖。
厳しい冬ならではの恵みに触れた旅でした。
スタジオにはコマイ汁を用意しました。
いかがですか?きょう来てよかった。
合原⇒甘みがありますね、独特の。
山本⇒だしを飲んだだけでも甘さがくるから。
コマイそのものはもっと。
白身なんだけどすごく味が深い魚ですよね、これは。
寒いところの魚ってこんなにうまいのね。
やっぱりね。
生のコマイも用意しました。
北海道で市販されているものは干物のものが多いんです。
生のものは珍しいんです。
山本⇒ありがとうございます。
合原⇒きれいな色。
地元ならではの料理です。
山本⇒清水さんは映像でワシが出たときにはしゃいでいました。
翼を広げると2mくらい。
ワシは多いときで一日に800羽も見られるということです。
海外からも来られるわけですね。
合原⇒きょうはゲストに清水国明さんをお迎えしました。
「あしたをさがそう」たくさんファックスをいただきました。
VTRの中山さんサラリーマン時代に培った営業力を生かして退職後に生かしているように思いました。
現役時代に得意技を極めることのちのち生かせますねということです。
ところで山本さん、この1年このコーナーをやってきて何か見つかりましたか?山本⇒先ほども言いましたけれどもあるかな要するに人のために人が喜んでくれることをするというのが。
そこから考えようと思っています。
それと楽しいことを見つけるというのが大事ですよね。
楽ではなくて楽しいこと、自分がいちばん好きな、楽しいと思うこと。
山本⇒楽しそうですね。
無人島行ったりログハウスを造ったり、ものづくりというのはいいですね。
子作りとかね。
それは置いておいて。
それも大切なことですからね。
合原⇒兵庫県の方です。
神戸市の中山さんの生き方に共感を覚えました。
他人が喜んでくれる、人が喜んでくれることに喜びを見いだした人生、うれしく思います。
私もボランティアをしています。
喜んでくれる人を思い出して頑張ります。
皆さん共感を覚えるということですね。
山本⇒あなた方は若いから自分のために、ですね。
合原⇒いっぱいいっぱいなことがありますね、自分のことで。
山本⇒自分のことというのは大切なことなんだけど、なんでしょう。
あるときからお返しをする人生になるんです。
いただいた知恵、知識、ラッキーをおすそ分け。
今度は返しますというとあとは任せてよ、ということで人生は終わるんだけれども最期まで抱え込むと、臨終の席でわしの貯金通帳はどこだって言うじいさんにならないようにしましょうね。
合原⇒さみしいですものね。
山本⇒50を過ぎるとあるときから何かしなきゃなとお返ししなきゃなっていうのがあるんですね。
合原⇒使命感とも違うんですね。
好きなことをしながら喜んでもらう。
好きなことで喜ばれるというのがいちばんいいですね。
人生の勝ち組ってそれだと思うんですよ。
お金じゃないんです。
山本⇒楽しいんでね。
あすの内容です。
「人生ドラマチック」はキャスターの滝川クリステルさんです。
2015/03/03(火) 17:12〜18:00
NHK総合1・神戸
ゆうどき▽会社を定年後、“大工”になった人の第二の人生を紹介。[字]
生命保険会社を定年後地域の人に役に立とうと“大工”になった人の第二の人生を紹介。特集は、4年目を迎える被災地の復興計画について、現状と課題を伝える。
詳細情報
番組内容
【キャスター】山本哲也,合原明子
出演者
【キャスター】山本哲也,合原明子
ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
情報/ワイドショー – グルメ・料理
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