シリーズ世界遺産100「ノールパドゥカレーの炭鉱地帯〜フランス〜」 2015.03.04


(テーマ音楽)炭鉱の町に建つおしゃれな住宅。
企業が労働者獲得のためにとったリクルート戦略の切り札でした。
フランス北部ノールパドゥカレー地方。
1720年から270年にわたって石炭採掘が続けられました。
現在も100を超える関連施設が残されています。
東西120kmにわたって続く石炭層に延べ10万kmもの坑道が掘られました。
フランスで消費された石炭の4分の3にあたる20億トンが採掘されました。
石炭を取り除いたあとのがれきを積み上げたぼた山が200以上残されています。
19世紀本格的に操業を開始した炭鉱は数多くの労働者を集める必要がありました。
労働者獲得のために造られたのが社宅です。
およそ30世帯が入る長屋風の集合住宅。
内部は快適でした。
PR用に作られた絵はがきから当時の暮らしぶりが分かります。
台所から完全に独立したリビングダイニングで味わうくつろぎの時間。
汚れて帰ってきてもすぐ洗う事ができるこの部屋は床がタイル張りなので機能的だとアピールしました。
社宅作戦は大当たり。
19世紀末には8万5,000人の労働者を雇用するようになりました。
しかし第一次世界大戦でこの地域一帯は壊滅的な被害を受けます。
多くの労働者が兵士として動員され犠牲となりました。
戦後炭鉱各社はフランス国外に広く労働力を求める必要に迫られます。
最初に受け入れたのはポーランド人。
デュトコビアックさんの祖父もその一人です。
デュトコビアックさんの祖父が気に入っていたこの家にはある決まりがありました。
炭鉱各社は野菜作りを奨励し監視員が定期的な見回りを行いました。
厳しく管理する事によって広告塔でもある社宅の景観を保ったのです。
1920年代工業製品が大量に生産されるようになり石炭はエネルギーの主役となります。
炭鉱は一人でも多くの労働者を獲得しようと社宅の向上を図りました。
長屋から戸建てへの転換です。
外観は一軒家ですが実は二家族が暮らせる左右対称の構造。
建設費を抑えながらも大幅に居住性をアップさせました。
1920年代半ばポーランドからの移民は7倍の9万人に上りました。
炭鉱各社はポーランド人が多く住む町の中心部に教会も建てました。
ポーランド人労働者の定着を図るためです。
第一次大戦後延べ29か国から22万人の労働者が集まりました。
最盛期には700の町が生まれ12万軒の社宅が立ち並び炭鉱は活況を呈したのです。
2015/03/04(水) 04:15〜04:20
NHK総合1・神戸
シリーズ世界遺産100「ノールパドゥカレーの炭鉱地帯〜フランス〜」[字]

「労働者獲得は最新住宅で」▽文化遺産▽20世紀末まで操業していた炭鉱の遺構群。産業革命や第1次世界大戦後など、労働者が不足するたびに炭鉱各社は社宅を建設した。

詳細情報
番組内容
20世紀末まで操業していた炭鉱の遺構群。19世紀にフランスで産業革命が始まると、石炭の需要が上昇。炭鉱は労働者を獲得するため、清潔で暮らしやすい社宅を建設。農村部から多くのひとが集まった。ところが20世紀初め、第1次世界大戦で労働者が戦場で命を落とし、炭鉱は人手不足に直面。今度は、外国人労働者を呼び込もうと大型の戸建て社宅を建設した。こうして12万軒の社宅が並ぶ700の新しい街が生まれた。
出演者
【語り】松平定知

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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