裸足で外に出たとみられ、その後、行方が分からず、警察が捜索を続けています。
疋田君は丸刈りで、身長およそ115センチの細身、茶色のトレーナーと、青色のズボンを着用していました。
トレーナーのタグには、名前が書かれているということです。
(黒柳)さて今日のお客様は前から人気がおありでしたけど何といっても『がばいばあちゃん』の大人気でもうご本は売れる芝居になる何になるってもう大変な人気でいらっしゃいます。
島田洋七さん今日のお客様です。
よろしくお願いします。
でもそのあと奥様のお母様の介護のために佐賀にお引っ越しになるというお優しい方でもいらっしゃいます。
色々と伺わしていただきます。
よろしくお願いいたします。
お願いします。
まあそれにしても『がばいばあちゃん』の話は私が聞いたこともないような面白い話で。
本当に貧しい話なんだけど人間はそうやっても生きられるんだっていうのがわかって本当に勇気が出ましたね。
ありがとうございました。
この番組で初めて喋ってそれからなんですね。
そうなんですってね。
はい。
初めは自費出版で本をお出しになったんだけどそのあと『徹子の部屋』でお話しになってそれでもう本当に泣き笑いのお話で素敵だったんですけど。
それから火がついた感じだったんですってね。
最初の時はね自費出版の時にここ出してもろうたんですよ。
その時ね。
そうです。
そしたらテレビ朝日に電話がものすごいありまして。
そうですそうです。
その時家に30冊しかなかったんですよ本が。
あっそうなの?それからもう一回やり直して全国に売れるようになったんです。
全部で370万部も?600…なんぼですかね。
あっ600…。
すごいですね。
もうびっくりしますね自分でも。
でも本当にそういう貧しい生活の中で…。
この方です。
非常にね…がばいばあさんって。
随分色んな方が女優さんがおやりになりましたけども。
まあ本当にいちいちなさること全てがとても面白いお話でして。
でも初めにあなたが広島のほうからお母様と別れておばあさんとこ行くんだよって言われて…。
子供心にねあの家じゃないことを望むみたいなね。
歩いていったらその家の前でピタッ止まったんですよ。
もっとぼろぼろのばあさんが出てきましてですね。
そこから8年間ばあちゃんと。
ばあちゃんとね。
しかも小学校2年生なんだからね。
その時色んな面白いお話伺いました。
たくさんある話の中でちょっとそれもしもご覧になってなかった方または本読んでない方では何が面白いですかね?やっぱりねあのまあ…2年生3年の時は家が貧乏って気づかないんですよね。
6年ぐらいになった頃にひょっとしたらうち貧乏かなと思ってばあちゃんにご飯食べながら聞いたことあるのよ。
「ばあちゃんうち貧乏?」って言うたらばあちゃんがひと言「気づくな」って言いましたからね。
「気づくな」…。
そういうところがすごいのね。
それが中学3年ぐらいになって意味がわかったんですよ。
その時は「気づくな」ってどういうことかなと思ってたんですね。
でもよくあなたそういうことをいちいち覚えていらっしゃいましたよね本に書くほど。
テレビとかラジオがなかったから同じ話をね夜寝るまで火鉢でこう…何時間も喋るんですよ同じことを。
だからずっと記憶に残ってますね。
それからあなたが広島のお家に帰りたくて汽車に乗っていきたいと思うんだけどおばあさん行かないって言うんでしょ?その汽車が。
汽車がね。
広島まで通ってないって言うんですよ。
でも来る時は広島から来たんですよあれ乗って。
そうよね。
それを福岡までしか行ってないからと。
無理言うなとかね。
そういう…ああ言えばこう言うっていうねあれがとても面白かった。
でもあなた一度でも貧しいのが悲しいとかそういうとこはなかったんですってね。
一個も思わなかったですね。
うちのばあさんがそうでしたからね。
なんか威張ってましたもん。
うちはそんじょそこらの貧乏と違うと。
由緒ある貧乏やからと。
先祖代々貧乏やから気にすることはないと。
それ言われたら子供やからあんまり悲しいという感じが全然しなかったですね。
大体おばあ様っていうのはおいくつぐらいだったんでしょう?その時。
58の時に預けられたんですよ。
あっそう。
おばあちゃんといってもね。
だから昔の58やからもう今の58歳とは全然ちゃいましてね。
まあそうですね。
もんぺはいて髪クルッと結んで化粧も何にもなくて。
だからすごいおばあさんやなと思ってましたもんねその時。
でも助かったのがうちのばあさん勉強せえってひと言も言わなかったんですよ。
中学校卒業するまで。
すごい。
それがすごい自分では助かったっちゅうかね。
したくなかったでしょ?いずれにしても勉強は。
本当に頭は悪かったしそれでまた勉強せえって言われたらつらいんで。
だから今でも僕の行ってた学校で言い継がれてるのが社会科の時間ね歴史。
「歴史の時間歴史のテストがあるからばあちゃん何て書いたらいい?」って。
「俺もうわからん歴史は」って言うたら「過去にはこだわりませんって書いとけ」と。
私ね本当に書いたんですよ。
そしたら呼び出されて過去にこだわりませんってどういうことかと。
ばあちゃんが書けと言うたと。
ほんなら先生が「明日6時間目終わってからばあちゃんと2人で職員室来い」って言われたんですよ。
ほんで学校終わって帰ってばあちゃんと2人で行ったら「過去にこだわりませんっておばあさんが言ったんですか?」って言ったらばあさんが「はい私が言いました。
過去にこだわって何があるんですか?」と。
「人間は前へ前へ行かなあかん」。
「地球も一回でも反対には回らん」と。
「時計も1秒たりともね逆には行かんから」と。
「だから前へ前へ行くのが普通なんですよ。
どう思います?先生」言うたら先生が「なるほど」って言いましたからね。
そんなことがあってね。
強いねでもばあちゃんね。
「もう帰りなさい」とか言われて帰る時にばあさんが「用事なかったら呼ばんかったらええのに」って。
それをものすごい鮮明に覚えてますね。
だから本当にああいう…私の背中を押して勉強だけじゃないんやと。
学校出たらね社会にはいっぱいいい教科書があるから大丈夫やって言われたからものすごいこう…気が楽でしたね8年間。
そうね。
でも本当にいい生活なさいましたよね。
もう本当に…普通預けられてねばあちゃんと2人で…。
そうですよ。
しかもぼろぼろの格好してらしたそうだからさ。
普通だったら友達に見られたら嫌だなとかさ思うじゃないですか。
そんなことなかったんでしょ?別に。
僕なかったですね。
今度なんか小さい子供たちにもばあちゃんの語録を知らせたいっていうことで絵本になさったって聞いたけど。
そうなんですね。
ここへちょっと今日は持ってこさしていただきましたけども。
『毎日楽しくてしょうがなか!』というね。
小学生向きの絵本でことわざですね。
いいですか?見せていただいて。
どうぞどうぞ。
「がばいばあちゃんが教えてくれたこと」ってさっきちょっと見せていただいたらね面白かったんですけど。
これ。
こういうシーンがあります。
これはですね…。
「カルシウムやけんたべんしゃいといってばあちゃんは魚の骨をかなり太い骨までおれにたべさせた」「それでもぜったいにかみくだくことができないようなかたい骨は茶わんにいれて熱湯をかけお吸い物がわりに飲んだ」「さらに残った骨はくだいてニワトリのえさにした」って。
「ほらほらたべんしゃい」ってニワトリにやって…。
人間がもう食べられないような骨だったのね。
でもそれにお湯をかけておだしを出して飲んでそれでそのお骨はニワトリにやったってね。
色んなことでたくさんあるんですよ面白いことが。
それからねこれも面白い。
「コラー!昭広ー!いっしょうけんめいはしったらダメ!」「えっ?なんでいかんと」「はらがへるから。
それからはだしではしれ!」「靴がへる!!」フフフ…。
「海水パンツなんかいらん!実力で泳げ!」だって。
すごいわね。
「ばあちゃん!ばあちゃんはどうしてそんなにまえむきなん?」「え?」「うしろむきはあるきにくい」だって。
楽しい。
これ子供たちが読んでくれるとね。
『毎日楽しくてしょうがなか!』これご本になりましたんでこういうおばあ様がいらっしゃったっていう方も子供たちにお知らせになるのはいいと思います。
わかりました。
さてそこのとこまではとても大団円だったんですけどあなたの奥様のお母様がご病気におなりに…何ていうか介護が必要っていうことになって。
それから私はあなたのその覚悟に…。
なんで奥様のお母様が介護が必要になった時佐賀にお帰りになったかっていうとそもそもあなたは奥様とは佐賀で会ったのね?そうなんです。
佐賀で出会ったんですね。
それですごく若い時に2人で駆け落ちみたいな状況?そうですね。
お義父さんお義母さんに黙ってそのまま嫁さんと2人で家出したんですよね。
会って本当に数か月で。
2か月ぐらいでしたね。
ねえ。
気が合ったの?うん。
彼女も家からデパートの経理。
でやっぱり都会に行ったことない。
私もずっと佐賀と広島。
2人で話が合ったんですよ。
都会に出てみようという。
何でもいいしみたいな。
全員が反対でしたね。
言ったら…。
はい。
親戚全部ね。
そりゃそうでしょ。
だって何にも頼りも…誰も知ってる人もいないのに佐賀からいきなり東京行くっていうのは。
でもやっぱり東京行ってみたいっていう気持ちは…。
ものすごいありましたね。
それで最後にうちのがばいばあちゃんに相談したら「好きな人と一緒になるのがええからばあちゃんだけは応援するから出ていけ」って言われたんです。
すごい。
相当おばあちゃん覚悟のできてる人ですね。
ほいでね東がええと。
日当が高いって言うてましたよ。
そうなの?その頃本当新聞読んだら募集してたら佐賀とか広島じゃ500円とか700円日当。
東京はなんかすごかったですねオリンピック前かなんかで。
1000円とか…。
2000円ぐらいした。
ばあさんがそれ見て「ほら見ろ!」。
だから高いからって「東!東!」って。
「学歴ないんやから東行け!」って。
へえー。
これをずっと覚えてますね。
その奥様になった方と一緒に21歳の時に。
21ですね。
すごいね。
そのあまり走ってないはずの電車に乗って東京にいらっしゃって。
はい。
でも何のあてもなくいらっしゃったんで本当に大変だったんですってね。
「ニューオータニに行ってください」って言うたんですよ僕タクシーに乗って。
ニューオータニしかないと思ってたんですよ。
ハハハ…。
東京には…。
そしたら運転手さんが「いいとこ泊まるね君ら」とか言われて「いいとこも何も1つしかないんでしょう?」って言ったら「いっぱいありますよ」って言われて。
それ覚えてますね。
ニューオータニ?はい。
でもニューオータニ行ったらニューオータニ行ったでまた驚いたでしょ?あそこ。
こんな大きな…。
いやーびっくりしたし…新婚さんって思われたんでしょうね若いし荷物持ってて。
で「どうぞ」って言ってあとからお金を預かりたいと。
パッと見たら1泊2万2000円でしたからね。
四十何年前に。
そんな高かった?はい。
僕が八百屋でバイトしててひと月…月に2回しか休みなくて3万でしたからね。
2万2000円って…。
1泊で出ましたよ。
すごいね。
もうよう払わん言うてね。
それからまあ…大阪の先輩野球部の先輩に電話して今東京来て何していいかわからんと。
そしたら「わかった。
そんなら大阪までとりあえず来い」と。
今度大阪まで来いって?はい。
大阪で2〜3日して帰れと。
親に心配かけてどうすんのと。
その時初めて新幹線ね。
乗って?東京〜大阪。
初めて乗って。
速っ!みたいな気ぃして。
で先輩の家行ってね。
そしたら先輩が「昼仕事してるから漫才でも見に行き」「関西は漫才がものすごいはやってる」と。
私全く知らなかったです。
落語も漫才も。
漫才なんていうものはねうん。
見に行ったらものすごい面白かったんですよ。
嫁さんにひと言「俺これになる」って言うたんですよ。
うんうんわかる。
嫁さんが「何言うてんねん。
こんななられへんやろ」言うて。
そしたら僕の先輩がたまたまそういう会社の先輩を知ってて紹介してもらって。
「売れるか売れんかわからんしこんなものは大変なことやぞ」と。
「やるんならやってみなさい」って言われて。
うちの師匠を紹介してくれはってね。
島田洋之介・今喜多代さんをね。
そこからずっと始まったんですよ。
すごいですね。
奥様もそれに連れて…。
はい。
嫁さんは近所で会社探してまた経理やって。
僕はちっちゃい時から憧れてなくて普通の芸人さんは子供の頃憧れてその会社入るんですね漫才の。
私はポッと入ったからいつ辞めてもいいやぐらいの感じで入ったんです最初。
でもまあそうしてるうちにあなたの奥様になった方のお父様とお母様に会うことになったんですか?最初はもうね…4回行きましたけど4回会ってくれませんでしたもんね。
佐賀まで。
あっそう。
お義母さんは会うんですけどお義父さんはいないとか言って。
5回目ぐらいですかね。
行ったらお義父さんが「わかった」と。
「そこまでやったらお前も本気やろしうちの娘をちゃんとやるからしっかり頑張れ」って言うたのが2年目ぐらいでしたかね。
大変ですよね。
でも責任重大でね。
そうそう。
ほんで2年経ってそれぐらいで僕NHKのコンテストでなんか優勝したんですよ。
やっぱりお義父さんが頑張れって言うてくれはったからうれしかったんでしょうね私も。
だからそれがきっかけですね。
じゃあもうあなたの…奥様のお父様とお母様はあなたを信用?はいそうです。
まあNHK出てね賞を取ったんだったらね。
じゃあ漫才でも大丈夫って…。
でもあとから聞いたらお義父さんは「許さん」って言いながらも家出して1か月ぐらいの時に「布団送ったれ」とか言うてたのはお義父さんらしいです。
あっそう。
お布団送ってきたの?そうなんですよ。
ありがたいですね。
あと味噌とかね。
なんか醤油とか。
「送れる腐らんものは全部送ってあげ」と。
でも俺が行っても会ってはもらえんかったんですね。
でも可愛がってた娘のことは困らないようにね。
路頭に迷わないようにとお思いになったんでしょうねきっと。
あちらのお母様とあなたはどうだったんですか?お義母さんはもう最初から会ってもらってたんで。
ほいでやっぱり僕が行ったらすごく笑わすからお義母さんはものすごい僕のファンでしたね。
フフフ…。
普段から笑わせてもらえて。
だからそのあとも売れたりしてももう年に何回も東京のほうにお義母さん来てましたからね。
顔見るだけでハハハッて言うてはったもんね。
このお義母様?そうお義母さんですね。
ユイさんと仰る。
ユイさんですね。
へえー。
随分お奇麗な方なんですね。
漁師なんですけどむっちゃおしゃれでしたね。
漁師?はい。
へえー!お義父さんと夫婦でね。
のりの養殖ですよ佐賀の。
なんてしゃれた格好してらっしゃるんでしょう。
頭の毛といいなんといい…。
大学の先生っていってもそうかなと思うようなね。
こんな感じでサングラスにはびっくりしましたからね…。
そうですね本当ね。
でもこのお義母様がお倒れになった?そうですね。
もう今から14〜15年前にね脳梗塞で倒れて。
それを嫁さんが…最初1年ぐらいはね月に1回看病…。
奥様が通ってたの?佐賀に。
通ってたんですね東京から。
そしたらやっぱりだんだんだんだん疲れてくるのがわかるんですよ。
これ疲れとんなって思ったからよっしゃと思って嫁さんに黙ってね僕は佐賀に家を建てたんです。
佐賀に家を建てた?はい。
まだがばいばあちゃん生きてました?その時は。
もう亡くなってました。
14年前ですからね。
そしたら毎日介護行けるから。
嫁さんに黙って僕はちょこちょこちょこちょこ佐賀行って土地を探して家を建てて。
8割ぐらいできた時に僕もまあお義母さんの介護に行ってたんで一緒に佐賀空港行って。
ばあさんが入院してるとこの途中に家がありましたから「これ俺の家や」って言うたのテレビみたく。
「嘘ばっかり言うて!」って言うて。
そうでしょ。
びっくり…。
「書いてあるやん」言うたら「徳永邸工事中」って書いてあったんですよ。
「どうしたの?」って言うて。
「こっち帰ってくれば毎日行けるやろ」とお母さんのとこへ。
「あなたはどうすんの?」と。
「おとんはどうすんの?」って言うから「俺は適当に通えばええやんか」と。
その時初めて言うたんですよ。
えー男らしい。
いやいや。
もうやっぱりねえ好き勝手芸人の時させてもらってるんでやる時はやらなと思って。
照れるしね嫁さんに。
最初からこう…お前が看病するために家を造るから言うたら嫁さんそんなことしないでいいって言うに決まってますから。
そうですよね。
でもそれだってがばいばあちゃんと暮らしたから…。
そうなんですね。
ねえ結局そのお義母様を大事にしなきゃという気持ちは生まれたんでしょうきっとね。
だからそういう形とったのもうちのばあさんが人に親切にする時は相手にわからんようにしなさいと。
わかったら気ぃ使うやろと。
だからものを人にあげる時もたくさん買い過ぎたのよとかもらっちゃったのよとかそうやって渡せばもらいやすいと。
お返しも考えんでいいと。
わざわざ買ってまいりましたって言われたんじゃね。
そういうのをずっとばあさんに言われてたんで家の件も黙って家を建てて…。
じゃあいずれにしても奥様はお喜びになったでしょうきっとね。
毎日行かれるものねそうすればね。
それでまあとても奥様お喜びになってそれで介護っていうことになって。
最初やっぱり電話かかってきた時は病院でももう1週間10日ヤマ場って言われてましたからね。
それがだんだん長くなって結局は14年。
えー。
はい。
脳外科の先生もね看護師さんも忙しいから「薬です」とかお食事ぐらいしか言えないと。
でも横で色んなこと喋ってたらひょっとしたら脳がね少しずつ回復するかもわからんみたいな話を聞いてたんですよ。
だから僕は引っ越すっていうことを決めて。
嫁さん毎日2時間ぐらい普通の話をしてたんです。
どんどんどんどん意識回復して。
すごい。
喋るようにはならんかったけど「違う」とか「はい」ぐらいは言うようになって。
すごいですよね。
だけど何週間としか…。
2週間。
長くて2週間ですから。
それが14年っていうことはやっぱり孤独だと人間は病気になってねつまんなくて死んじゃうっていうことあると思いますよね。
精神的なものがねすごく…。
すごくあると思いますよ。
それが毎日毎日ね。
このちっちゃい女の子おたくのお子さん?あっ孫ですね。
可愛いわ。
こんなことがあったらおばあ様にしてみたら本当にね。
そうか。
あなたが行くっていうことは孫やなんかも一緒に行くっていうことだからね。
一緒に行きますね。
そうなんですか。
へえー。
だから入院してから4年経ってからは年に2回1泊ずつ外泊してどこか温泉行けるようになったんですよ。
あっそんなに。
はい。
親戚中集めて「おばあちゃんいつ亡くなるかわからんからみんなおいで」って言って必ず25人か30人ぐらいで年に2回行ってたんです。
すごい人数ね。
「いつどうなるかわからん」言うたら全員参加するんですよ。
でも8年目ぐらいの時に「長いな」ってね食事中に。
そうですよね。
そしたらばあさんが何が?みたいな顔をしてねうん。
でもお幸せでしたよね。
もう2週間かもしれないのが14年っていうのは随分色んなことたくさん…。
孫も増えたしね色んなこと…。
はい。
だから孫は2歳3歳5歳やから集まりやすいですね大人じゃないから。
学校行ってないしね。
はい。
ずっと成長を見てそれで去年ですかね。
ばあさん亡くなりましたけどね。
去年お亡くなりになったの?そうですか。
じゃあ奥様も悲しかったでしょうけど看病なさったっていうそういうね。
ほんでもうやっぱり言葉あんまり出ないけどやっぱり気にしてですねお義母さんも。
笑いながらでも「早くお迎えに来てほしい」みたいなねことをこう言いはるんですよ何回も何回も僕にも。
あっそうなの。
うん。
笑いながらでもそうやって言わはんのね。
俺が一回「自分から逝け」言うたことあったんですね。
そしたらばあさんが「逝かん」って。
ハハハ…!この会話がすごかったですよ。
すごいですよね。
フフフ…。
これ担当の者が…。
奥様律子さん?はい律子です。
律子さんからあなたへのお手紙。
僕ですか?ええ。
はあ…。
よろしいですか?はあ…。
「おとんへ」「あらたまって手紙を書くのは初めてだと思うけど“ありがとう”を言わせてください」「母が倒れて東京から佐賀に看病で通っていた時家事のことは気にするなと言ってくれましたね」「そして突然佐賀に引っ越すぞと言われ驚きました。
実家や介護施設に近いところへ家を建ててくれたおかげで14年間思う存分母の介護ができました」「小さい頃から病弱だった私を両親は大事に育ててくれたのに21歳でおとんと知り合って駆け落ちしてしまい両親には随分と迷惑を心配をかけました」「その親不孝を取り戻し母との絆を深められ介護を十分できたのもおとんが引っ越しを決意してくれたおかげだとすごく感謝しています」「おかげで母の最期もみとることができました」「ありがとう」「私達も高齢者になり介護される側になるかもわかりません」「これからもお互い笑いの絶えない人生でありますよう」「いつまでもそばに置いてください。
律子」いいお手紙ですね。
ありがとうございます。
こんな手紙もらったことなかった?ないですね一回も。
なかなか口に出してあらためてありがとうもねなかなか仰れない…。
こういう漫才やってたら冗談しか言わないですから。
初めてそれ…。
だからきっと担当の者がそう思ったんで奥様にお願いして…。
じゃあどうぞ。
ありがとうございます。
でも奥様の気持ちもわかってね。
なんて奥様感謝してらしたんでしょう。
なかなかこんなことで泣くことなんてあなたないでしょ?人生に。
ないですねほとんど。
ねえ。
どんな時だってばあちゃん言ったから笑ってね暮らそうって思ったと思うんだけど。
さてそのお義母様の介護のことをご本にお書きになって。
はい。
あのまあ…本当に嫁さんが一生懸命介護をやってて。
やっぱり明るい介護でしたんでそういうのをやろう思うたら朝日新聞社のほうが本にしませんか?っていうことで。
すごい。
そうですか。
はい。
あっ本当。
『洋七・おかん』…。
「がばい」っていうのは「すごい」…。
「すごい」ですね。
「すごい介護日記」。
はいそうですね。
がばい。
うん。
もう全然暗くなくてもう笑わしてなんぼみたいな。
介護は明るくてなんぼっちゅうのをね。
パターンなんかないですからね介護に。
まあそうですよね。
よく本に介護はこうやってやるっていうけど一人一人違うと思うんですよね介護の仕方って。
その方の育ってきた色んなこととかねそれは違いますよね。
それからやっぱり家族がちょっとそこにいるのとかいないのとかね。
違いますからね。
でも奥様は随分本当にお手紙にあったように最後までずっとお母様の介護ができてそれはようございましたよね。
はい。
もうかみさんむっちゃ喜んでましてね。
うん。
でもまさかあなたが佐賀に家を建てるとは思ってらっしゃらなかったでしょうから。
今考えたら不思議ですもんね。
20〜30年前はね何もなく2人で東京行って帰る時こんな大家族で佐賀に帰れるのかなと思ってねうれしかったですね。
感動の涙?はい。
出ていく時は本当にね「嘘ついて家出してすいません」と。
でもなんとかこうやってねきちっと…。
本当よね。
そんなふうになるなんていうことは夢にも考えてなかった…。
考えてないですね。
その日2人で一緒に生きていかれればいいっていうような感じでね出てったんだろうから。
はい。
だから今でもばあさんの一番言葉好きで…。
人間ねそんなにね大きい家があったって寝られないですからね。
寝れないですからね。
寝る時は決まってるんですからね。
本当ありがとうございました。
ありがとうございました。
橋本さんお願いします。
2015/03/02(月) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 島田洋七[字]
〜佐賀に戻り“がばい”介護生活!?〜島田洋七さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
『佐賀のがばいばあちゃん』の大ヒットから12年、島田洋七さんがゲスト。
◇番組内容
ドラマや映画・舞台など空前のブームを巻き起こした『佐賀のがばいばあちゃん』のエピソードを語る。“がばいばあちゃん”の後押しもあり21歳で妻と駆け落ちした洋七さん。山あり谷ありの人生を送っていたが、心配をかけた義母が倒れてからは、義母の住む佐賀に引っ越し、妻と二人三脚で14年にわたる介護生活を続けたという。その義母が亡くなった今も佐賀から仕事に通っているという洋七さんの意外な一面に黒柳さんも驚く。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
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