日曜美術館「文明開化の光と影〜小林清親“東京名所図”〜」 2015.03.01


文明開化の象徴洋風建築の新橋駅。
室内の明かりやランタンの光に照らされ闇の中に浮かんでいます。
変貌を遂げる東京を詩情あふれる姿で描いたのは…光と影を駆使した絵は「光線画」と呼ばれました。
夕暮れの光が隅田川の川面をほんのり茜色に染めています。
夜のとばりが下りこうこうと輝く月の光が照り映えています。
これまでの浮世絵の常識を破ったリアルな光線画。
それはどのようにして生まれたのか当時の摺りを再現して秘密に迫ります。
清親の絵の魅力は水彩画をそのまま木版画にしたというところにあると。
全部で93点に上るシリーズ…文豪の永井荷風は……と絶賛しました。
今年は小林清親が亡くなってちょうど100年。
清親の代名詞光線画の魅力をたっぷりとお伝えします。
幕府直参の御家人の家に生まれた…尊皇攘夷の嵐が吹き荒れる幕末をくぐり抜け明治9年28歳の時突如浮世絵師としてデビューします。
清親が描いたのは江戸から明治へと急激な変貌を遂げる東京の姿でした。
洋風建築人力車ガス灯博覧会。
文明開化の波が押し寄せる明治9〜14年まで5年間の光景を「東京名所図」は克明に捉えています。
明治5年初めて蒸気機関車が新橋横浜間を走りました。
高輪の海岸沿いを走る機関車です。
煙を吐きヘッドライトが光っています。
清親の絵がいかにリアルか当時の錦絵と比べてみましょう。
こちらはまるでおもちゃのような蒸気機関車。
それに比べて清親の絵の機関車はまさに現実の風景の中を疾走しています。
ここは明治村。
今でも明治の汽車が走っているよ。
・「汽笛一声新橋を」って「鉄道唱歌」に歌われたのを知ってるよね。
ピーッと汽笛を鳴らして蒸気機関車が新橋駅を出る。
時速にするとおよそ30キロ。
まあ今じゃノロノロ運転みたいなもんだけどきっと当時は猛スピードで走る怪物のように見えたに違いないよ。
汽車を初めて見た当時の人々が何て呼んだか知ってる?陸を走る蒸気船というわけさ。
まあ何といっても石炭をいっぱい積んで真っ赤に燃やして煙を吐く。
こりゃ熱くてかわいそうだと機関車に水をぶっかけた人もいたそうだよ。
それでもこの陸蒸気を歌ったなかなか粋な歌が残っているよ。
雨の夜の新橋駅。
大勢の人々が行き交いランタンの光がぬれた道を照らしています。
窓から明るい光を放つ洋風建築の駅舎がそびえています。
明治4年アメリカ人が設計した駅舎が完成するとたちまち東京の新名所となり他の絵師たちも競って錦絵に描きました。
石張りの外観が威容を誇っています。
一方清親はその洋風建築をわざわざ闇の中に沈め詩情をたたえた姿として描き出しました。
高層ビルが林立しているね。
ここは東京の新橋。
そこに…ほらほらありました。
これが明治の新橋停車場新橋ステーション。
これトリビアだけど気が付いた?清親の絵のタイトルは「新橋ステンション」。
当時の人は「ステンショ」と言ったらしいんだ。
まともかくこの駅舎再建されたもの。
関東大震災で焼けてなくなり貨物駅になっていたのを再開発の際に発掘調査をしたんだ。
そして当時と同じ位置に当時の写真などを参考にして12年前に駅舎を再建。
こんなふうに写真になっているのもこれが純洋風の駅舎で文明開化の象徴だったからだよ。
ほらこの再建された建物も当時とそっくりでしょ。
それにしても象徴たる建物も今となっては何という小ささでしょう。
「明治は遠くなりにけり」という名句があったけどこれじゃ「明治は小さくなりにけり」だなぁ。
明治10年晴れやかな西洋式の町並みが銀座に完成。
青い空が広がり行き交う人力車や馬車がくっきりとした影を落としています。
通りにはレンガ造りの建物が並んでいます。
まさに文明開化の晴れ舞台銀座煉瓦街の様子です。
ここは江戸東京博物館の中。
ここになんと銀座の煉瓦街がそっくりそのままミニチュア模型で再現されているんだよ。
文明開化のシンボルとして政府が力こぶを入れこの赤レンガの街を造り上げたんだけど当初は「レンガのうちに住むと青ぶくれになって死ぬ」という噂が立ったりしてほとんど入居申し込みがなかったんだって。
意外でしょ。
道幅は15間というのは27m。
これ今もそのままだって。
道の左右にはレンガ敷きの歩道。
そして並木まで植えて体裁を整えた。
「銀座の柳」って歌の文句にあるように柳の並木が有名だよね。
でも清親の絵をよく見て。
柳はなくて桜や楓らしいのが見えるでしょ。
これらが枯れてしまったんで柳になったんだって。
最初は西洋長屋と呼ばれて評判も良くなかったんだけどやがてハイカラな洋酒の店や時計店が軒を連ねる日本一モダンな繁華街としてにぎわうようになったのは皆さんご存じのとおり。
ここにほら「日報社」とあるでしょ。
これ新聞社。
清親の絵にも「東京日々新聞」と描かれているね。
東京で最初の日刊新聞。
今じゃオールド活字メディアなんて時に言われるけど当時は瓦版に代わって登場したハイカラ中のハイカラ。
最先端のメディアだったんだ。
明治10年に西南戦争が起きるんだけど東京日日新聞は臨場感あふれる記事を載せ人気を呼んだんだ。
ほらこれが西南戦争で西郷隆盛が死んだ事を伝える記事。
当時は何しろ見出しがないんだ。
それで小さな活字の本文を読まなきゃいけないんだけどほらちゃんと西郷たちが戦死したと書いてあるでしょ。
満月がこうこうと輝く隅田川の傍らを人力車が走っています。
こんな夜にどこへ急いでいるのでしょうか?乗っているのは女性のようです。
こちらは雪が降り積もった両国の通り。
ぬかるみの中を人力車が走っています。
車夫は前かがみになり渾身の力を込めています。
すっかり街の風景の中に溶け込んでいるこの人力車こそ明治3年初めて東京に現れた文明開化日本の発明品でした。
ここは浅草。
今日も人力車が走っているよ。
今じゃ観光地ではすっかりおなじみになったね。
江戸時代には車といったら荷車か牛車ぐらい。
人を運んだのは駕籠だけど2人で運ぶ駕籠に比べ人力車は1人。
人件費が安いんだ。
あっという間に広がって1年後には東京だけで1万台を超えたそうだよ。
ところで人力車だって急行もあったんだよ。
さっきの絵をよく見て。
車夫が2人で引いているんだよ。
これ急行便。
中には4人で引いた特急便もあったんだって。
清親は客待ちしている人力車も描いているよ。
花見客を呼び込んでいるようだね。
こんなふうに人の集まるところなんかには人力車のたまりがあったっていうから全く今のタクシーと同じだね。
もちろん政治家や実業家や医者などお金持ちはマイカーならぬマイ人力車を持っていたんだよ。
ここは日本橋。
馬車や人力車が行き交い大勢の人が歩いています。
橋の両脇にガス灯が白く輝いています。
人はシルエットになっていますが道路には明かりがこぼれうっすら影が出ています。
明治7年東京の街を彩るようになったガス灯。
江戸時代には提灯や行灯で身の回りを照らすしかなかったところに街の明かりがともったのです。
ここは…ガス灯の光がレンガの洋館を照らし出している。
う〜ん明治そのものだねぇ。
ガスっていえば今じゃガスレンジのように熱として使っているけど最初は明かりとして使ったんだね。
ガスを普及させようとした渋沢栄一が面白い事を言ってるよ。
確かにガス管を引かなければ売れないね。
当時ガスのライバルが石油ランプ。
石油は持ち運べて値段も数分の1だったそうな。
清親も石油ランプを描いているよ。
ほら粋なおねえさんの顔が真っ白に輝いているよ。
その傍らで光線を放っているのが石油ランプ。
「其の明るきこと毛一筋をも見あやまる事なし」な〜んて言われたんだ。
でもねガス会社も頑張って改良を重ねたんだ。
これが最初のガスの灯だけどコンロの火そのものだね。
それがマントルという発光体を使うとほ〜ら蛍光灯みたいに白っぽくなる。
そしてこれが花ガス。
花の形をしてるのが分かるでしょ。
まあガスのイルミネーションってとこだね。
この花ガスを使ってガスを大宣伝したんだ。
ここは博覧会場。
輝くばかりのイルミネーションだね。
物珍しく見上げる人々の顔もまぶしそう。
結局明かりという点ではその後電気に負けちゃうんだけどともかくガス灯ってのは明治の初めの明かりの一大革命。
まあ今でいえばノーベル賞を受けたあのLEDのようなものだったのかな。
小林清親の「東京名所図」は光線画と呼ばれ明治の人々を魅了しました。
清親が捉えたのはガス灯や石油ランプなど文明の光だけではありません。
自然の光も風景を彩っています。
夜明け夕暮れそして夜。
時々刻々と移り変わるその一瞬の光と影を清親は描き出しました。
隅田川を行き来する渡し船。
見えはしないけどきっと今まさに真っ赤な夕日が落ちようとしているに違いないね。
だって日の方を向いた船頭さんの顔が赤いし空を飛ぶカモメも赤い。
木々も赤く縁取られているよ。
静かな夕暮れに艪をこぐ音だけが響いている感じかな。
同じ場所同じ夕暮れを清親はもう一枚描いているんだ。
ちょうど雨があがったところなのか真ん中に虹がかかっているね。
そして雨を降らせた雲と茜色の雲がコントラストとなり空一面にきれいな模様をつくっている。
まるで幻想の光景のようだね。
「東京名所図」でとりわけ清親がこだわったのは夜の光です。
月の光稲光蛍の光など夜を彩るさまざまな光を清親は微妙に色合いを変えて描き出しました。
「日が沈んで夜になると世界は清親のものになる」とその技はたたえられました。
古来無数の絵師が描いてきた月の光。
でも清親のは独特だよ。
真ん丸い月の明かりが前を行く女の顔も後ろを行く男の顔も能面のように白く浮かび上がらせてるね。
きっと夫婦だと思うけど何をしているのかっていうと肩のところでひもを引いているのが分かるでしょ。
船を引いてるんだ。
船は見えないけど乗っている2人の影が見えるよ。
夫婦の子供かな?それにしてもこの光景を際立たせているのは真横に走る川だね。
月の光に映えて川面が真っ白に輝いているよ。
(雷鳴)真っ暗な空に怪物のような奇妙な形のものがいるけどよく見ると何やら稲光のようなものを発しているよ。
そうこれは稲妻。
きっと雷が落ちた瞬間だね。
傘をすぼめて大急ぎで駆けていく人や身をかがめてやり過ごそうとする人を稲光がほのかに浮かび上がらせているね。
それにしてもこの変な形。
清親の目にはこんなふうに雷神様が見えたのかなぁ。
闇夜にほのかな明かりをともして群れ飛ぶのは蛍。
ここは今もある神田川。
水道橋のすぐ近くの光景。
屋形船の明かりが水面に揺れて中に2人の人影が。
江戸を思わせる粋な情景を彩るのが蛍。
濃い黄色の芯からぼんやりと薄い黄色の光が出ているのが分かるよ。
そして何といってもすごいのは闇に包まれた周りの木々の描き方。
よ〜く見て。
手前は濃い黒だけど少しずつ薄くなって遠くは淡い黒になっているでしょう?この黒の濃淡で闇なのに遠近感が出てるんだ。
(花火の音)江戸時代から今にも続く隅田川の花火。
それにしても巨大な太陽のように花火が輝いているよ。
春爛漫というけどこりゃ夏爛漫だな。
屋形船の人たちが指さしたり手を広げたりして見とれているね。
花火の音に入り混じってみんなの歓声が聞こえてくるようだ。
赤い点々は花火がはじけてちりぢりになっている感じだね。
これはまさに正岡子規の句そのものだ。
清親は光線画のリアルさを一体どのようにして出したのか?その秘密を探ろうと清親版画の摺りを再現してみる事にしました。
依頼を受けてくれたのは清親版画の復刻を手がけた経験がある版元…取り上げるのは夜景の代表作の一つ。
馬車が雪道を走る一瞬を捉えたリアルな光景です。
ガス灯が降りしきる雪や路面の雪を明るく照らし出しています。
摺りはまずこの絵のメインの色である茶色から始まりました。
家や馬車や犬の形が切り絵のような面として現れます。
この絵に関しては色板を先にまず摺ってちょっと変則的ですよねこれ。
どっちにしてもね。
これ広重の「江戸百景」の中の桜の絵なんですけどまずこの輪郭を摺りますよね。
墨線ですよね。
広重など江戸の版画は最初にこのような墨の輪郭線を摺ります。
そして輪郭線の中に色を入れていきます。
ところが広重とは違いこの絵では最初から色の版を摺るのです。
次に最初の茶色の上に焦げ茶を摺り重ねます。
色の上に色を重ねる事で立体感と深みを出すのです。
そしていよいよ黄色の絵の具で光線を入れます。
ガス灯の黄色い明かりが看板や地面に映ります。
今度は光がもたらす影です。
薄い藍や墨を塗り重ねます。
(伊藤)そうですねこの辺のね馬の足の影とかね入ってますな。
人影にも入ってるか少し。
道路の降り積もる雪の表現ですよね。
地面だけで4色も。
最後に濃い墨の色で陰影を強調します。
13回摺りを重ねてようやく完成しました。
馬なんか躍動感が出たんじゃないですかこれで。
(近藤)こういう色があるとないで立体感が全然違ってくるね。
清親の場合はどうしてもこういう色の重ねで出てる色ですから一つ配色を間違えますとせっかく重ねていったものがそこで駄目になってしまう。
清親は墨の輪郭線をほとんど使わず色を重ねる事で立体感を表しました。
そしてそこに光と影を加えリアルな光線画を作り出したのです。
文明開化の息吹を受けて変貌していく東京の姿。
清親はそれを同時代のどの絵師よりも生き生きと描き出しました。
江戸の風景版画とは全く異なるこのリアルな光線画を清親はどのようにして発想できたのでしょうか?幕末に成人し明治初年に絵師となった清親。
激動の時代西洋のリアルな絵画が流入し日本に大きな影響を及ぼしました。
清親も西洋の石版画の影響が指摘されてきました。
この蒸気機関車の絵もその一つ。
アメリカの石版画とよく似ています。
実際に新橋から横浜を走ったのというのはイギリス型のものでして柵のついていないタイプだったと言われています。
イギリス型というのが前に突起状のものが出てるというものなんです。
清親が描写してるのがアメリカ型の柵のある形のものなわけですね。
現実に走っているものじゃないものが描き込まれてるって事ですね。
構図上もそれから走っている機関車の形もですね共通点が見られるというふうに思うんでこういうものはかなり直接的な関係性が強いものなんじゃないかなというふうに私は思っています。
西洋の石版画や銅版画をいち早く取り込んでいった日本の絵師たち。
清親の絵は銅版画の影響も受けています。
銅版画の特色表現の特色の一つとしてハッチングというのがあるんですけれども細かい線を重ねる事によって立体感を出すという方法なんですね。
この雲の部分などにそれはよく表れているんですけれども細かい線を出す事によってそれを重ねたりする事によって濃淡を出してそれで立体感を出してくる。
これはハッチングを取り入れた清親の絵。
大きな料亭と川の土手を歩く母子の後ろ姿。
全てがたそがれ時の雰囲気に覆われています。
清親はここの雲の下の方に細かい線を重ねて立体感を出しているところがありますし衣の部分についてもクロスハッチングと言われるものですけれども細かい線を重ねて影の部分を表して立体感を出している。
やはり西洋から来た視覚っていうのを画面の中に取り入れる事によってのそれまであった浮世絵とは違った新しみというものを出そうと。
石版画や銅版画にもまして何より清親の絵の発想源となったのは自分自身のスケッチでした。
清親は東京を歩き回り水彩で街の風景を写生帖に描き留めました。
「東京名所図」の多くがこうしたスケッチを元絵としています。
清親をはじめ広重北斎など浮世絵の風景画の本を著してきたヘンリー・スミスさん。
清親の写生帖を丹念に調査してきました。
永井荷風が清親の絵の魅力は水彩画をそのまま木版画にしたというところにあると。
その一つとしてはこれ大変美しい版画ですが場所はこれが両国橋でその上流に杭がたくさん何十本も打ち込まれていた所なんです。
この基の写生帖のスケッチがあります。
これなんです。
これは清親が外に出て絵の具と筆を持ってそのままスケッチするわけですね。
これは完成された絵にはなりませんけどもまあ絵になってますね。
色もあちこちいっぱい入ってますからこれやっぱり版画のインスピレーションになった事に違いありませんね。
全体としての構成は大体そのままですね。
ですから清親がある程度つまりそのまま自分がそこに立った立って実際に見たものを版画にしました。
清親は夜も出歩き数多くのスケッチをしています。
常夜灯がともる九段の夜景。
それをほぼ同じ構図で版画にしました。
これはガス灯がともる浅草蔵前の通り。
版画でもガス灯の明かりや人混みの様子がそっくりです。
写生帖の中で清親がとりわけこだわっているのは月の光や雲の動きです。
ある夏の日の空の様子を18ページにもわたり子細に記録しています。
刻々と移り変わるスケッチの空の様子が版画に反映されその時の一瞬の光景として定着しました。
微妙に染まった雲が鮮やかな文様をつくり出している神田川の夕暮れです。
これ夏の…「夏の夜十時の月」。
これ時間まで書いてるのが非常に時間に敏感だったんですよね。
水彩の絵の具で空模様を描くのはイギリスの絵師はよくやりました。
19世紀全体は水彩画の非常にはやった時代ですね。
雲を描くのは必ずありましたね風景を描く時には。
清親が実際にイギリス人の描いた水彩画を見た事はあったのかと。
多分どっかで実際にほんとにイギリス人の描いた水彩画を見てそれによって雲の動きはいかに重要なのかとか色の変わる移り変わりなんかは興味を抱いたのかと思いますね。
「東京名所図」が次々出版されているさなか東京の下町をなめ尽くすような大火が発生しました。
焼失家屋1万戸以上。
明治時代の最大の火事です。
この火事を巡る清親のエピソードがあります。
火事の一報を聞いた清親はすぐさま家を飛び出し自分の家が焼け落ちるのも知らずに一晩中スケッチし続けたというものです。
しかし写生帖には燃え盛る炎の様子はこの1枚しかありません。
しかもこれを基にした版画はありません。
「東京名所図」にある版画はスケッチとは別の場所浅草橋一帯の光景です。
紅蓮の炎が空を覆い尽くすように燃え上がっています。
もう一枚の版画も別の場所。
まさに火事が対岸の両国へと広がろうとしている瞬間です。
清親はスケッチもなしにどのようにしてこの迫真の場面を描く事ができたのでしょうか?
(スミス)清親がそれを見て写したようにタイトルが指定してますが実際は清親がこれをスケッチした跡はありません。
ただ1年以上前に写生帖にこの絵が残ってます。
もちろん火事でもなくてむしろ非常に平凡な日にちの人がここに歩いてるところなんですが明らかに構図を場所をここから取った事はですね…。
清親がどうしてこういう場所から描きたいかというと両国大火というのは火が飛び越えたわけですよね東に。
これはその飛び越えた瞬間を描いてるわけですね。
つまりその火事の中の一番重要なところを絵にしたかったと思ってこういうふうに描いた。
自分が見た事はなくて想像した全く創作したような絵だと私は解釈してます。
清親は必ずしも見た光景をそのまま版画にしたのではなく時には創作も交えていたのです。
これは大火が収まった直後の焼け跡の光景です。
黒くシルエットになった人々が亡霊のようにさまよっています。
焼け跡の版画にはほぼ同じ構図のスケッチがあり清親が実際に目にした光景だった事が分かります。
清親の「東京名所図」の一番好きな絵なんですが焼け跡ですね。
近代的なレンガ造りの建物でこれも全部焼けちゃった。
壁しか残ってなくて…。
一番不思議なところがこの絵の中ではガス灯がまだともし続けてるところですね。
ですから象徴的なのか…つまり近代的な明かりがまだ生きてるという意味なのか。
でもそれと同時に人物の形が非常に不気味に感じさせるような幽霊…影だけですよね。
絶望と希望両方混ぜたようなちょっと不思議な絵ですね。
大火の絵は飛ぶように売れたといいます。
しかしこれら火事の絵が描かれた明治14年「東京名所図」は突然終わります。
93点も続いたシリーズがなぜ打ち切られたのかそれは今も謎のままです。
「東京名所図」を終えた頃小林清親はまだ33歳でした。
その後30年余り風刺画や人物画風景画を描き続け大正4年68歳で亡くなりました。
小林清親の青春の作だった「東京名所図」は没後100年たった今も明治初年の東京を窺い知るべき無上の資料として輝き続けています。
2015/03/01(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「文明開化の光と影〜小林清親“東京名所図”〜」[字][再]

文明開化で急激な変貌を遂げる東京を、光と影を駆使した独特の詩情あふれる姿で描き、“光線画”と呼ばれて人気を博した小林清親の『東京名所図』の世界を紹介する。

詳細情報
番組内容
文明開化で急激な変貌を遂げる東京を、光と影を駆使した独特の詩情あふれる姿で描いた小林清親の風景版画、『東京名所図』。西洋画のようにリアルな光景が、夕陽や月光や雪などが醸し出す風情とともに描き出され、“光線画”と呼ばれて圧倒的な人気を呼んだ。今年は清親没後100年。番組では、『東京名所図』から文明開化の世相を明らかにするとともに、清親が残した9冊の「写生帖」から、清親の創作の秘密に迫る。
出演者
【出演】コロンビア大学教授…ヘンリー・D・スミス,東京文化財研究所企画情報部副部長…山梨絵美子,高見沢木版社代表取締役…近藤恒志郎,木版画摺師…伊藤達也,【朗読】平泉成,【語り】伊東敏恵

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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