けさの和歌山市内は、気温12度と3月中旬並みの暖かさで、訪れた人たちは、一足早いお花見を楽しみました。
歌舞伎俳優でいらっしゃいます坂東三津五郎さん今日のお客様です。
どうも。
よろしくお願いいたします。
この間新しくできた歌舞伎座に『徹子の部屋』のスペシャルで…。
おみえになってましたよね。
楽屋でお目にかかりました。
ばったりうん。
お目にかかって。
いかがでしたですか?新しい歌舞伎座の感想。
こちらから伺ったほうがいいんですけど。
あまりにも明るくて廊下やなんか広いんで。
客席のほうはもう全然…。
いいところはいつもどういうわけだか後ろのほうがちょっと上がって出るんだったんですよね。
下りる時も大勢の人が出るのに階段があったのあれが全部なくなってスッとねなったのがすごくよかったなって思ってますけどね。
もう楽屋は本当に変わりましたですからね。
昔の面影全くないぐらい新しくなったんですが。
舞台と客席の雰囲気はほぼ昔のまんま。
そうですってね。
ですからね楽屋にいるとああ新しい劇場なんだと思うんですけど舞台に行くとあれ?前の歌舞伎座に戻ってきちゃったんじゃないかって不思議な感覚を味わってました。
まあそういう色んなことあったんですけども。
4月6月は…。
4月5月6月と3か月続けて葺落興行に出演しておりました。
それで皆さんの楽屋にちょっとお伺いしたけどすごい人数いらっしゃるのね歌舞伎の俳優の方って。
そうですね。
あの3か月はすごく多かったと思います。
たぶん200人以上の座組だったと思いますね。
歌舞伎の俳優の方がお出になるっていうことですから皆さん親子の方は大体楽屋がね息子とか…。
あなたもそうでしたね。
そう。
そうでしたそうでした。
巳之助さんとご一緒にということだったんですけども。
大体歌舞伎役者が今全員で300人ぐらい。
大所帯ですね。
そうですね。
普段はそれが大体4か所ぐらいに分かれてやってんですけど。
4月5月6月はもうやっぱり歌舞伎座のオープンですのでそこに集結して大顔合わせでやっておりました。
そうですよね。
でまあそういうように混んでるのでいつもは一人一人の楽屋なんだけどあなたは息子さんと一緒の楽屋でいらっしゃったって。
だけど息子の巳之助さんいつか一緒にこちらへいらしてくださった時もあったんですけどやっぱりあの…。
そうそうこれ写真。
そうそう。
もう随分大きくおなりですね。
3年前ですか。
3年前。
今もう何歳におなりですか?今年で24になります。
今年なるのね。
23ぐらい今。
まだちょっと若いね。
少年っぽさが残ってますね。
そうですね。
でもこの時いらした時にはあなたほど芝居を好きって思わないみたいな話だったじゃありませんかちょっとね。
お稽古してても人が来るとやめちゃったりなんかしたりしてたんだけど。
この頃随分変わってらしたんですって?そうですね。
今はもう専念してやっております。
集中してやっておりますが…。
初めて今日お目にかかって…。
どこかですれ違ってお目にかかってはいるんですけど。
でも本当に明朗っていうとおかしい…古いけども。
実に快活でいらっしゃるんですね。
そうですか?そうですかね。
どういうご性格だと?慎重ですよ。
すごく慎重です。
そうでらっしゃいましょうねそれはよくわかります。
やっぱり役をなさる時とかねそういうことでは。
だからあまり発散できないものですからね。
表現が地味になっちゃう…ちょっとてらいはありますね。
でも芝雀さんもねえ勘九郎さんも私本当に…10年ちょっと前にドラマでご一緒した時小学生でらしたような気がする…。
そうです。
あなたもちょうどそうでしょ?私がご一緒にテレビに出た時に2人とももういつもスタジオ行くとね餃子と…一時によ餃子と炒飯と頼むわけ2人で。
フフフ…。
今でも食べてますよ餃子と炒飯は。
好きですよ勘九郎は。
あっそう。
そしてねすごく召し上がるわけ。
そうするとね芝雀さんもね2人ともまだ食べ盛りだけどもぷんぷんって太ってくるの。
そしてある日ねそれが終わってしばらくしたら勘九郎さんがねどこかでお会いしたら「黒柳さん僕はもう食べませんよ」「僕は節食をしてね俳優としてはねやはりちゃんとしてないといけませんから」って仰ったんだけど。
極端ですよ。
だから自分で太ったなと思うとあいつは本当に節食しますね。
そういうとこは集中力みたいなのあるみたいですよ。
パイナップルしか食べないで痩せたりね。
フフフ…。
そうなんですか。
おじい様が坂東三津五郎さんでそのもう一代上のおじい様。
ひいおじいさんですか。
ひいおじい様があなたの1年と1か月。
はい。
まあ1歳と1か月で初舞台というか今までの中で一番早いように思うんですけど。
そうでしょうね…と思います。
もちろん僕は記憶にないんですけれども。
1年と1か月ですから。
ただ写真を見るとああなるほどなと思うんですけどね。
このいきさつですけれどもひいおじい様七代目の坂東三津五郎さん。
今お写真あなた抱かれてらしたあのおじい様とお出になるようになったいきさつですが…。
結局うちの祖父とうちの父も両方養子なんですね。
このひいおじいさんには子供がなくて祖父がもらわれてきまして。
ところがうちの母親の兄弟がみんな女ばっかりで。
父がまたそこへ来て僕が生まれた。
ですから坂東家にとって男の子が生まれたのはこのおじいさん以来だったわけですね。
この時70超してましたから70年ぶりぐらいに男の子がようやく生まれたんでもうすごく喜んでくれましてね。
とにかくそのもう待ちきれないわけです大きくなるのが。
とにかく一緒にとにかく早く出たいっていうんで1年と1か月に『傀儡師』というね踊りがあってそこに人形のつもりで唐子っていうのがちっちゃい子がいっぱい並ぶんです。
中国風の?ええそうです。
僕はもちろん立てもしませんからただ抱いてもらってこうやってニコニコしてるだけだったんですけども。
それでもすごくうれしかったみたいで。
ひいおじい様におとりになっては。
はい。
あなたと勘九郎さんが最もあれですってね。
子役時代から歌舞伎がお好きっていうとおかしいけど。
途中で嫌だとかやはり自分の進んでいく道は他にあるんじゃないかとか色んな闘いとかご両親に反発とか色んなことがある方が多いようですけど。
あなたと勘九郎さんはもう本当にお好きなんですって?ないんですね。
これはいつも2人でね…。
本当にないんですよ。
他の人はあるみたいですね。
「ちょっと僕は辞めようかなと思った時があります」って答える方が多いんですけれど僕は全然なかったです本当に。
じゃあもうその1歳1か月の時は別としてその次に今度初舞台が何歳でしたっけ?本当の意味で。
6つです。
その時に八十助襲名して。
その時はもういそいそしてお出になるの?もううれしくてしょうがなかったですね。
毎日舞台に出られますでしょ?その時八十助襲名で僕のために1本お芝居があったんです。
牛若丸をねやってましてもう主役なわけですよね。
見得はできるしね立ち回りはできるし。
もううれしくて絶頂でしたねあの時はうれしくて。
なんかカツラ事件っていうのがあるんでそれをちょっと短めに。
京都へ初めて行きました時に京都の顔見世。
12月なんですけどもね。
顔見世で?その初日なんですよしかも。
僕はとんぼの稽古…とんぼ返りのね稽古をしてまして。
お父様がとんぼとてもお上手で。
はい。
うちの父がすごくうまくて。
僕もその影響でやってたんですけども。
普段は一応御曹司っていいますか。
返るような役がくるチャンスが少ないんですけれども。
たまたま勘三郎のおじさんが『お祭り』というものを…踊りをお出しになって。
僕は若い者で絡んでとんぼを返るとこがあったわけです。
それで初日の日に危ないから幕が開く前に一回返ったんですね。
ちょっとこの辺が上羽二重が緩んだような気がしたんですけども見てもらったら「大丈夫ですよ」って言うんで。
実際は緩んでたわけですね。
それでいよいよ幕が開いてそこへ来てポンッと返ったら…。
パッとこう着きましたらねカツラから…その羽二重から1セット全部後ろへボンッと飛んでフッて着いたらこの頭だったんです全部。
白く塗ってるのに。
もうお客さんがワーッと沸きましてね。
それでその時はすぐ引っ込みまして。
その時はよかったんですけどもまた出なきゃなんないわけなんですよ舞台へ。
この2度目に出る時はもう恥ずかしかったですね。
「さっきの人」って言われるのが?ええ。
もうね笑いと拍手が入り交じってね。
あれは恥ずかしかったですね。
それでその晩飲みに…初日で。
これからがお話で。
はい。
連れてってくれた方がありましてね。
カウンターになってまして。
それでたまたまカウンターの中の女の方が初日の舞台をご覧になったわけです。
僕はお化粧してるから僕が八十助だってことがわかんないわけですね。
「今日初日を見せていただいてもうね八十助はんっていう役者はんがカツラ飛ばさはってもうどんだけおかしかったか」。
「八十助さんってどんな方です?」ってこう聞かれたんですよね。
一瞬考えてね。
どうしようかな?でもこのまま帰ってねあとからわかったらその方傷つけちゃうからやっぱりこれはもう正直に言うしかない。
「申し訳ありません僕です」って言ったら今度その方が真っ赤になってね。
カウンターの中入っちゃって。
フフフッ。
そういうことが。
もう一躍初日の晩には京都の街で八十助という名前が広まったという。
親子でトーク番組にお出になるのほぼ初めてということでございますけれども。
坂東三津五郎さん。
十世?十代目です。
十代目でいらっしゃって。
前にお目にかかった時は八十助さんだったんですけどそれから随分お目にかかってないっていうことですよね。
そうですね。
前回出させていただいたのが15年前らしいですね。
ちょうどこの人の初舞台の時だったらしいですね。
終わりのところでね「あっそうそう。
息子が6歳で初舞台です」ってすごい勢いで仰ったんですよ。
ああそうですか。
だからねなんかあまり何だかんだって言う暇もなく。
ああそうですか。
じゃあもう本当にエンディングのちょっと前に。
そうですそうです。
その方がこんな大きくなったんですね?6歳が。
21になりました。
まあそうですか。
それはそれはねえ。
いかがですか?息子さんと2人でこうやってお出になるっていうのは。
なんか照れくさいですね。
あっそうですか。
フフフッ。
お父様と一緒にやる時はどうだったの?そう…でもやっぱりその今思えば父もその僕が初舞台だった時すごく忙しかったのもあると思うんですけど。
結構怖かったですね。
ふーん。
ピリピリしてましたよねなんかね。
やっぱり自分もまだ本当の大人になりきってなかったんでしょうけれど。
お若かったですよねまだね。
なんかこう…ピリピリしてましたね。
この子が初舞台だっていうんで結構ワイドショーとかが撮りに来た映像がね残ってるんですけどね全然笑ってないですもん。
あっ本当。
緊張して?なんかこうちゃんとやるだろうかとか周りに対する…初舞台が成功するだろうか。
そういうことをすごい気にしてたんでしょうね。
だから甘えさせてやれなかったかなっていう気はしますね。
あっそうですか。
でもそれから随分経ちますね。
そうですね。
あっという間ですけどね。
15年。
15年。
親子でも随分違うものでね。
私はその子供の時からお芝居のマネしたりそれから遊園地行くよりも歌舞伎座に行くほうが好きな子供だったものですから。
当然自分の子供もそうだろうと思ってしまってた部分はあるんですけどね。
やっぱり親子でも違うもので彼はあまり好きじゃなかったですね。
何が好きだったの?他に。
子供の頃は…そうですね『仮面ライダー』とか。
それは子供の頃だけじゃないだろう。
いまだに好きですけども。
ハハハ…。
いまだに日曜日早く起きて『仮面ライダー』見てますからね。
朝起きて…。
すいませんです。
いつも日曜日の朝起こしちゃって申し訳ないです。
そうですか。
それ相当ですね。
ハハハ…。
ハハハ…。
あっそうなの。
お恥ずかしい。
家の中ででもお父様に楯突いたりはなさんないの?楯突いていた時期もありましたけどもね。
その頃大変でしたね。
うん…。
普通ちょっと抵抗があったりそれから怪獣のほうが好きとかスポーツのほうが好きとかそこまで歌舞伎が好きじゃないっていう子が大体常識的。
で殊に歌舞伎が好きで好きでたまらない。
もう遊ぶよりもお芝居とかっていう子は我々の世界でも芝居小僧といってこれちょっと特殊なんですよそこは。
「あいつ変わってんね」「あいつ芝居小僧だね」っていうのは歌舞伎界の中においてもちょっと変わってる部類。
僕はどっちかっていったらその部類なんですよ。
あなたはね。
で普通がいて本当に好きじゃない部類にこの人はいるんです。
親子でもこっちとこっちですのでだからねやっぱりその本人の悩みみたいなものに私も気がつかないっていうか自分もそうだったし当然この家に生まれたんだからやるのお前当たり前だろう。
何やってんだっていう気持ちでずっといたんですね。
そこがやっぱりちょっと身の不運っていうかね。
そう…。
でもあなたにしてもアルバイトしたりなんかして…。
そうなんですよ。
厨房。
何?厨房へ行って働いたりしてたの?とんかつ揚げたりとかしてました。
どうします?いやどうしましょうと思ってましたよ本当に。
一向にこっちを向いてくれないので。
でもうだんだんその…家の中もちょっと雰囲気も悪くなってくるし。
こちらはこちらで焦りますしね。
これは…。
学校も行かないし。
バンドもやったんじゃないの?あなた。
そうですね。
音楽もやってましたし。
だからそれは親としても相当悩んだ時期がありましたですね。
だけどちょっとわかんないけどよそのお家を見るとみんななんかすうっとうまくいってるような感じがあるのになんでこの子はバンドやったかと思うと今度とんかつ屋さん行ってそうやって厨房入ったり。
接客業もやってたんだって?そうですね。
「いらっしゃいませ」とか言ってやってたんですけど。
どうします?いや本当にどうしましょうと思いましたよ。
でもねその…結果として見ればそんなに嫌なものを無理やりやらせたところでこの業界はやっぱり好きじゃなきゃ通用しませんので。
好きじゃなければ本人もつらいし周りもつらいですよね。
いちいち気を使いながら。
あなたは自分が好きだったからね。
僕はだからわからなかったんですけどそこでちょっと思い直して。
本当は継いでもらいたいしこうやって代々つながってるものだからつながってほしいけれど。
でもまあ1人の人間として彼は彼の人生だから究極的には元気でいてくれればいいというところまで僕も腹を決めて。
1年間坂東巳之助としての活動は一切じゃあもうさせないようにしてやるから本名の守田光寿として1年間とにかく生きてみなさいと。
それでよく考えろということを本人に言い渡したんですよね。
それをお聞きになった時どんな思いでした?でもうれしかったですよね。
わかってくれてるって?そういうふうに言ってくれたことがすごく僕はうれしかったですね。
そう。
そうするとやっぱりちょっと考えちゃう?自分でも何とかしないといけない…。
そうですね。
そこまで父が言ってくれるようになるまでに色んな紆余曲折があったので。
何というか…それを言ってもらえたっていうのですごく僕は気が楽になったというか。
色々こう思春期だったのもあるんですけどもやもやしてたものが全部晴れたような…。
それであらためてどうしようかという…自分の人生をどうしようかっていうのを考えだして。
それから半年ぐらいですね。
1年でいいっていうところを?僕が半年ぐらいして…。
ちょっと話があると…。
話があるのでって言うんで2人きりで…話を聞いたんですね。
ええ。
何て仰ったの?そうしたら。
僕はやっぱり歌舞伎をやりたいというふうに父に伝えて。
どうでした?その時。
まあほっとはしましたね。
でも本当にそうするかどうかは…。
「本当にいいのか?」というふうに言いましたね。
普通だったらもうそこで「よかった!お前やってくれるのか。
うれしい!」っていうふうな答えを皆さん期待されるんですけど。
実際にはその間稽古もしてない。
それから真剣にやってないわけですから芸が全然身についてないわけですよ。
だから歌舞伎を将来やるという決心をしてくれたことはそれはほっとしたけれども…。
これからそのブランクを取り戻すのは大変なことですからね。
そちらの大変さのほうがどちらかというと頭に浮かびましたですね。
共演も随分多かったんでしょ?まあもう本当に…同い年ですしね。
子供の時から…。
それから今度やる八月の納涼歌舞伎っていうのがもう20年間僕ら2人で頑張って…。
あとはまあ仲間も…。
これはもう小学校たぶん1年か2年の時ですね。
手前が勘九郎坊やで奥であぐらかいてるのが僕ですね。
随分あなた偉そうね。
こんな頃からですから。
偉そうね。
小さいのにね。
全く…。
だからもう50年ですねちょうどね。
本当だわね。
團十郎さん亡くなってそれから勘三郎さんが亡くなった。
そういう方たちの分も皆さんで振り分けておやりになるわけなんで…。
大事な2人がいなくなりましたからね。
そうですね。
特にあなたは勘三郎さんと仲がよくていらしたんで。
はい。
こちらでも随分お話を伺ったりしたんだけども。
一緒に旅したんでしょ?勘九郎ちゃんの時代?そうですね。
僕は元々…先ほどお写真も出ましたけれどもなぜか物心ついた時からお城が好きで。
幼稚園小学校の頃にはお城の写真集とか絵はがきを集めてて。
中学1年になった時から学校の春夏冬のお休みの時は自分で時刻表で計画を立ててお金がないから鈍行を乗り継いで日本のお城をこう…。
一人旅?それ。
ええ。
巡る旅をしてたんですね。
それを亡くなった勘三郎君が聞きつけて「ぜひ自分も一緒に連れてってほしい」と言って…。
恐らく僕の記憶が正しければ高校1年生が終わった春休みに2人で北陸へ。
まず東京から…ブルートレインですね。
寝台列車で金沢に入りまして。
それで金沢城兼六園を見て。
で福井の丸岡城というお城があるんですがその丸岡城というお城へ行き北陸本線で京都へ出まして…。
すごい。
京都でちょうど4月の都をどりをやってたので都をどりを見て帰ってきた。
確か3泊4日の旅行だったと思いますが。
それが…それが最初にして最後ですかね2人きりの旅行っていうのは。
はい。
高校1年終わった春休み。
高校1年なんて随分若いのにね。
そうなんですよ。
それでいつもは自分で計画を立ててためたお小遣いで行ってたんですが勘三郎さん…「行きの切符はこっちで取るから」って言われたらあちらはもう…たぶん番頭さんというかスタッフの方が坊ちゃんが旅行に行くんだからって切符を買ってきたらそれが要するにA寝台というまあちょっとランクの上の寝台の切符を買ってきちゃって。
これじゃお小遣いで足りないやと思ってびっくりした覚えがあります。
それでまあ2人で旅行に行って金沢の…。
その頃僕は永六輔さんの本が好きで。
永六輔さんも旅がお好きで色々書いてらっしゃってて。
永六輔さんの本の中に出てくる旅館に泊まりたくて予約をしたんですけれどまあ高校生2人ですから一番こう安い部屋を頼んで。
で2人で確かね絵はがきを出したんですね。
それがたまたま宛名が歌舞伎役者の名前だったんで旅館の人に2人の素性がばれちゃって。
で2人で散歩に行って帰ってきたらすごい狭い部屋がすごい広い部屋に変わってたというような思い出と。
それから信じられないことに彼はねその頃ね…。
僕本名寿っていうんですが「寿ちゃんね僕はねお酒の席でねお酌をするような女性は嫌いなんだよ」とこう言ってたんですよ。
「いやそんなことないよ。
いい人もいるしねそんな偏見で人を見るのはよくないよ」って言って京都の園町の都をどりを見に行ったわけですね。
2人でこうやってこう見てたら1人の若い芸子さんがまあいたずら…半分いたずらですね。
こちらを見てウインクしたんですよ。
ウインクうん。
でまあじゃあいたずらでやったんだなって僕はもうわかったんですけれど。
彼はその晩布団に入りましてね寝てると…パッと起きて「ねえ寿ちゃんなんであの芸者さんはウ…ウインクしたんだろうね?」。
可愛い!「いやまあそれはたぶんあの…ちょっとこう…おちゃめな気持ちが起きたんじゃないのかな?大した意味はないよ」。
また10分ぐらいすると「でもさ何の意味もなければあんなことはしないよね?だって君ウインクだよ!」ってもう10分おきに起きてとうとう朝まで寝かしてもらえずに。
本当に?はい。
それでその旅行から帰ったらお酌をする女性は嫌いだっていうのはどこかにもう消えてましたね。
あっそう。
でも可愛いわね。
若々しい感じがしますよね。
本当にね17歳の時ですからね2人とも。
勘九郎ちゃんですよね?はい。
本当に懐かしい思い出ですね。
本当ね。
でもね…。
でもよかったですね。
一緒にね旅できてねそんな思い出できて。
まあそうですね。
でもあれからもう一回ぐらいできるかなと思ってとうとうそれっきりになっちゃいましたですね。
でも芝居はやっぱり経験っていうかやっぱり修練が大事なんで。
ただ日々の稽古も同じぐらい大事なので。
あっそうですよね。
やはり日々の積み重ねの稽古で自分の体をつくっていかなきゃいけません。
当番組は同時入力の為、誤字脱字が発生する場合があります。
2015/02/24(火) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 追悼・坂東三津五郎さん[字]
〜追悼〜2月21日に亡くなられた歌舞伎俳優・坂東三津五郎さんを偲んで、追悼特集をお送りいたします。
詳細情報
◇番組内容
これまで『徹子の部屋』にご出演していただいた中から珠玉の映像を厳選して、歌舞伎俳優・坂東三津五郎さんの追悼特集をお送りします。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
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バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
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