ここがポイント!!池上彰解説塾 3時間スペシャル 2015.02.23


池上彰が選ぶ今日は言葉の持つ力について考えようと思います。
何げないひと言が歴史に残ったりですねあるいは政治家のあるひと言によって歴史が動いたりという事があるんですね。
当時どういう時代背景でその言葉が発せられたのか。
それを見ていくとですねああこうやって歴史は動いていくんだという。
これから色んな言葉が出てきます。
あああの言葉そんな意味だったのかという事を皆さんと一緒に考えていこうと思います。
皆さんの記憶に残っている言葉はなんですか?記者会見や演説で発せられた言葉や文字となった言葉が何十年にもわたり語り継がれたり…。
名言暴言によって歴史が動いたり…。
今夜の『池上解説』3時間スペシャルは…。
ゲストの皆さんは記憶に残る言葉どんな事を思い浮かべますか?私はまあ相撲が好きだったのでやっぱり小泉元総理があれ家でリアルタイムで見てて私も感動しましたって言ってましたね思わず。
自分が思ってる事をそのまま言ってくださったから。
僕らの世代はねやっぱり長嶋さんの引退の時のあれはもう…ねっ。
今「永遠に不滅です」っておっしゃったでしょ?そう思ってるでしょ?あとで聞いてみてください。
(一同)えっ!?我が巨人軍は…に不滅です!この語り継がれる名言。
実はのちほど真相が明らかに!それではまず90年代以降の近年記憶に残った言葉。
この言葉で現代の日本が見えてきます。
日本を変える!近年どんな言葉が記憶に残り歴史を動かしたのだろうか。
90年代の日本はバブル崩壊後の不況を克服出来ず「失われた10年」とも言われている。
そんな90年代スポーツ界では様々な名言が誕生した。
(磯野)あ〜これね!これね!競泳200メートル平泳ぎで岩崎恭子選手が見事金メダル。
当時14歳でこんな名言を…。
マラソンの有森裕子選手のこんな言葉が話題に。
初めて初めて1991年大横綱が引退。
その時名言が生まれた。
相撲界初の国民栄誉賞を受賞した千代の富士。
引退発表でこんな言葉を…。
月並みの引退ですが…。
プロレスラーアントニオ猪木が引退する時にもこんな名言が生まれました。
モノマネでしか聞いた事がなかった人も多いのでは?この道を行けばどうなるものか。
ありがとう!!名言を作ろうとしているんじゃなくてホントに
(コカド)「体力の限界」なんてまさにそうですもんね。
名言がそのあと誤解されて広がっていくっていうのがよくあるんですね有森さんの「自分で自分を褒めたい」。
と思います。
あれは文法的に正しいんですけどあれを「自分で自分を褒めてあげたい」っていうふうに間違って伝わって「自分の事を褒めてあげたい」っていうのは「自分で自分で褒めてやりたい」ならいいけど「あげたい」っていうのはおかしいって論評した人がいるんですよ。
言葉がね間違って伝わっちゃうっていうのがあるんですよね。
テレビのコマーシャルなどもその時代を象徴するものだったりします。
90年代今ではもう懐かしいかも。
ダダン!ポヨヨンポヨヨン。
ダダン!ポヨヨン…。
今日もウキウキピップのダダン
(磯野)流行ったね…。
90年代前半はバブルが崩壊してもまだ好景気。
色んな商品が誕生した。
(東)早紀ちゃん。
(高岡)幹久君。
(東)芸能人は…。
(高岡)歯が命。
(東)その白い歯はアパタイト。
(高岡)あなたのその歯もアパタイト。
歯を白くするアパガード
この社会何があってもおかしくないがなくてはならぬ家庭の安全
「安心してお過ごしください」
異状が起きたら駆けつけるセコム・ホームセキュリティ
セコムしてますか?ホームセキュリティなどにお金をかける余裕のあった時代とも言えるのです。
90年代後半に入ると景気が悪化し不良債権問題や株価低迷などで大手金融機関が次々と破綻に追い込まれた。
そして1997年に経済界からあの言葉が…。
大手証券会社山一証券が破綻。
記者会見で社長の口から思わず出た言葉が名言となった。
私らが悪いんです!社員は悪くございません!日本はなかなか不況から抜け出せない時代となった。
そして90年代大きく動いたのが政治の世界。
政治家の言葉からこの時代が見える。
(男性)ではご登場頂きます。
どうぞ。
98年の流行語大賞は田中眞紀子議員のこの名言。
これは自民党の総裁選に立候補した小渕恵三氏梶山静六氏小泉純一郎氏3人を表した言葉。
的確な表現だと大流行に。
その凡人と評された小渕氏が…。
アメリカを抜き日本は世界一の借金大国になってしまった。
以降借金は減る事なく増え続けている。
他にも小渕総理は自らのボキャブラリーの貧しさを表現したボキャ貧。
一般人にも誰彼構わず直接電話するのでブッチホン。
外国メディアからはリーダーとして魅力がないと冷めたピザと言われた。
一方で90年代は歴史的な出来事が起きていた。
長らく自民党が政権を握っていたこの時日本になじみのなかった連立政権という言葉がニュースなどで言われるように。
総理となった細川氏が歴史的発言をした事覚えていますか?大東亜戦争について日本の総理が初めてこんな事を…。
わたくし自身は間違った戦争であったというふうに認識をしております。
わたくし自身は間違った戦争であったというふうに認識をしております。
1993年細川政権誕生。
それはどうしてなのか?1つはですね日中戦争についてこれまでの歴代内閣にはあれは侵略戦争だって言っていなかったのが細川さんがあれは日本の侵略戦争だと言った。
総理大臣がそういう事を言い切るっていう事にあっ政権が変わったってこういう事なんだという…多くの人が思ったという事がありますね。
さらに細川総理は覚えてますか?これです。
これ。
さあ総理会見これちょっとご覧頂きましょうか。
いまいちピンとこなかった人もこれボールペンを持ってですね記者会見で記者が質問をするとそのボールペンで「はいあなた」って指したんですね。
これがまあ非常に画期的だったんですがそれ以上に画期的だったのは立って記者会見をした事。
今当たり前でしょ?総理大臣も官房長官も立って記者会見をしてますよね?昔はそんな事なかったんですよ。
こちら見てください。
はい。
例えば宇野宗佑総理大臣だったり歴代の総理大臣は座って記者会見をしてたんですね。
そうするとついつい前かがみになったり上目遣いになったりしてどうも印象がよくない。
細川さんは色々研究しててアメリカの大統領は立って記者会見してると。
こっちの方が格好がいいよねというわけで立って記者会見をした。
さらにこんな道具も使いました。
こちらプロンプター。
(有賀)ありました。
驚きましたねこの映像見た時。
講演やニュース番組でも使われるプロンプター。
話している側の人には原稿が見えるようになっているのです。
これが両側にあってこっちを向いたりこっちを向いたりしながらみんなの方を見ながら喋っているように見えて実はそこに書いてある台本を読んでるだけ。
これアメリカの大統領はずっとやってきたわけですけどこれを日本の総理大臣が初めて使用したという事ですね。
アナウンサーがニュースを読む時にねそれを使っているニュース番組もあるしそういう事を一切やらないニュース番組もありますしね。
こう原稿を読んでいるんですけどそのカメラのレンズの部分に原稿がこう映るんですよね。
そうなんですか。
(宇賀)それで読んでいたり…。
よく見ると手元の原稿がこうちょっと動いてたりしますよね。
ここにカメラが付いているので…それで読んで…。
これが本当のプロになると肩を動かさないで手先だけでこうやって原稿を動かしていくと本当に前を向いているようになったり。
本当のベテランアナウンサーになると数字になると見たままで数字を言うとえ?この人覚えてるのかな?どうかな?ってなるでしょ。
プロンプターに文字が出てるんだけどあえて手元の原稿を見て数字を読んでいる格好をするわけですよ。
そうするとああ確かに確認しているよねってなるでしょ。
少し話がそれてしまいましたが歴史に残るような言葉を2000年代にも政治家たちは数多く残しています。
小泉総理は選挙演説でこんな名言を。
(小泉)わたくしが小泉が派閥政治や金権政治などと言われていた自民党の古い体質を中から打ち破ろうとしたこの言葉は多くの人々の支持を集めた。
一方で小泉内閣にはこんな問題も…。
それが2004年に発覚した議員たちの年金未納問題。
当時の菅直人民主党代表はこんな名言で批判した。
自分は払わないで皆さん方には年金掛け金を引き上げる。
こんな提案をしている閣僚がいる。
皆さんどう思われます?
(男性)ふざけてる!
(菅)ふざけてますよね。
未納3兄弟って言うんですよこれを。
未納3兄弟!ねえ。
未納3兄弟って言うんですよこれを。
未納3兄弟!中川経済産業大臣麻生総務大臣石破防衛庁長官の3人を未納3兄弟と揶揄。
をもじったもの。
小泉人気により総選挙で新人議員が多く当選した事から…。
当時その一人だった政治家になったので予約もしておりません。
太蔵は笑えたな。
(北斗)なんだろうな笑っちゃうよな。
(コカド)映っただけでみんなが笑うっていう。
小泉チルドレンが数多く誕生した背景それは人気だけでなく選挙制度にも理由が!この時彼は比例代表に出ていたんですけど衆議院の総選挙っていいますとそれぞれ小選挙区で立候補してるけれども小選挙区で落ちても比例代表の方に重複立候補していればそちらで復活当選の可能性があるわけですよね。
なので皆さん重複立候補をしていたんですけど自民党が勝ったものですからみんな小選挙区で当選当選になって比例代表の上の重複立候補してる人たちがみんな当選して抜けてしまって念のためにとしてうーんと下の方に順番で入れといた杉村さんが当選したと。
それまでは普通のサラリーマンだったのが突然国会議員になっちゃったものですから料亭に行ってみたいと言っちゃったというわけですね。
記者からの質問でその名言は生まれた。
中国新聞の道面と申します。
これにいつも冷静であった福田康夫総理が…。
ひとごとのようにというふうにあなたおっしゃったけどねわたくしは自分自身を客観的に見る事は出来るんです。
この言葉は若者にまで大流行した。
そして2009年民主党鳩山内閣誕生で政権交代という言葉が日本中を沸かせた。
目玉となった政策の言葉も話題に。
それが一つの目的でもあります。
思いもすごくよくわかるし国民に夢を与える…。
ここで飛び出した蓮舫議員の名言。
覚えてますよね?貴理子さん。
(正解のチャイム)あるいはアメリカが作ったあとに…。
少しでも借金を減らすために700以上にも及ぶ国の事業の廃止や削減を行いました。
しかしその後仕分けられた事業がどうなったか皆さんはご存じですか?この時に色んなのが事業仕分けになってとりあえずやめましょうっていう事になったんですけど名前を変えて復活っていうのが随分ありましたね。
こういう事業は確かになくなったんだけどよくよく見ると同じような内容のものが別の名前になってまた予算請求があるという…。
官僚の方々はですねそう簡単には負けないという…。
このように民主党政権時代に廃止した事業がそのまままたは名前を変えて復活しているものもあります。
さあここまでは90年代2000年代と近年の名言を見てきましたけれども吉本さんは知ってるものありますか?1996年生まれなので…。
最初の
(コカド)ええっ!あっそう。
いやいや宇賀さんが「お若いですね」って言う事自体我々にとっては「ええ〜」っていう感じですけどね。
このスタジオの中で。
うまい!はあ〜うまい事言えた。
現代の日本を作り上げた背景にはどんな名言があったのだろうか?さて近年の言葉から現代が見えてきましたが戦後70年日本はどうやって歩んできたのか歴史に残るような戦争開始から戦後の言葉を聞いていきましょう。
歴史に残るそこから戦後70年日本はどう歩んできたのか見えてくる。
(爆発音)を皮切りに日本は第二次世界大戦へと突入。
戦争にあらゆる力を注いだため燃料不足食糧不足で国民は貧しい生活を強いられた。
我慢を強制するために国は様々なスローガンを発表。
例えばこちら。
何が敵だと書いてあるのか有賀さんもちろん知ってますよね?はい。
(正解のチャイム)そのとおり。
この言葉をスローガンにして武器を作るために国民は指輪からお寺の鐘まであらゆる金属類を提供したのです。
他にも国民に我慢を強いるこんな言葉があった。
ための言葉。
戦況が不利になってきても国民全員一丸となって戦わせた言葉。
こうした言葉によって国民は我慢を強いられ協力しない者は非国民と呼ばれて迫害される事もあった。
だが全ての人がただ「ぜいたくは敵だ!」これを見てですねあるいたずら好きな人がですねこっそりいたずら書きをしたんですね。
1文字これに付け加えたんです。
さあどなたかわかりますか?どんな1文字を加えたのか?そのいたずら書きから我慢させられていた国民のこれってもしかしてさ行のなんか字が入りますか?はいそうです。
(有賀)ああ…!「す」!はい。
このとおりです。
ほら。
ぜいたくは素敵だ!なるほど〜。
逆の意味になりますよね。
ねえ。
これ1文字入れるだけで大逆転でした。
だからあの頃もこういうやり方をおかしいよねって不満を持ってた人たちもいるんだよって。
一億火の玉って言ってたけどまあそうじゃない人もいたんだよねっていうこれは一つのエピソードと。
様々な言葉で不自由を強制した第二次大戦。
日本の運命を大きく変えたこの戦争。
そもそもの独裁者第二次対戦が始まる6年前にドイツの首相になったヒトラー。
当時のドイツは経済がどん底。
町に失業者があふれかえり国民は希望を失っていた。
そんな状況を利用して巧みに世論を誘導。
戦争へと向かわせた言葉がある。
その貴重な肉声がこちら。
演説の天才と言われ世論を巧みに誘導したヒトラー。
この言葉が生まれた一部始終をご覧頂こう。
このような演説でヒトラーは国民から絶大な支持を集めここに独裁者が誕生。
(爆発音)その後ヒトラーは隣のポーランドに攻め込みここから日本や世界は戦争へと巻き込まれていったのです。
ヒトラーが…この演説がものすごい国民を熱狂させるんですけどあの頃ラジオの時代なんですね。
もしテレビがあったらあの小柄な貧弱なヒトラーはきっと国民の支持を得られなかったのではないかとも言われてますね。
ラジオで聞いてるわけですからヒトラーがどういう人物か見た事がなかったりして。
ラジオの時代だったからねとも言われてますよね。
そして今から70年前日本の敗戦で戦争は終わりを迎える事に。
国民に終戦を告げた言葉1945年8月全国各地にとある通知が出回りました。
国民がラジオの前に集まり耳を傾けた。
そして流れてきたのが昭和天皇のこの言葉。
この玉音放送で日本の敗戦が告げられたのです。
でも実は多くの国民には玉音放送で国民は終戦を知ったというふうに歴史の教科書にも書かれているんですが…。
わからないですよ。
(北斗)私もこのVTRとかよく見て何をもって…終戦という言葉もひと言も入っていないのでどうしてみんなわかったのかなって疑問だったんですけど。
っていうとこはみんな聞こえたわけですよね。
あっこれからも頑張って戦うんだというふうに思ったわけですけどそのあとに…。
って言ってるでしょ?これがつまり平和になりたいんですよつまり戦争をやめますよというふうになるんです。
「太平を開かむと欲す」って言って…。
あるいは天皇陛下の言葉を…初めて肉声を聞くっていう人もいて結構あっこれが天皇陛下の声かってみんなそっちに気を取られてて内容が頭に入らなかったっていう人もいますね。
実はこのあとアナウンサーが今のはこういう意味でございますという解説がついてたんですね。
そこで初めてわかったという事があります。
どん底だった経済はわずか10年余りで戦前の水準にまで回復。
『経済白書』に書かれた言葉は…。
その後の日本経済のさらなる発展を予感させたこの言葉。
当時の流行語に。
終戦からわずか10年でこんな言葉が生まれた訳。
そんな荒れ果てた日本を劇的に立ち直らせるためのまずはエネルギーをなんとかしなければいけない。
その時代のエネルギーってなんですか?石油じゃない…?まだ石油じゃないです。
石油の前?石炭…?石炭ですね。
当時石炭産業というのが…例えば大学卒業生の一番人気なんですよ。
(一同)ええ〜!?東京大学の卒業生はこぞって石炭産業に就職をするという時代もあったわけですね。
終戦直後はまだ中東で大油田が発見される前。
石油が欲しくても少ししか輸入出来ませんでした。
日本のエネルギーの主役といえば当時は石炭。
国内にも多くの石炭が眠っていたのです。
そこで政府は石炭産業に集中する事に。
傾斜生産といったんですね。
石炭があればそれで燃やして鉄鋼を作る事が出来る。
鉄鋼が出来れば荒れ果てた炭鉱を整備して炭鉱がいつ崩れるかわからないような所にその鉄鋼で鉄の柱で炭鉱が崩れないようにしてさらに石炭を掘り出す事が出来る。
石炭を火力発電所で燃やせば発電する事も出来るので国民生活は格段によくなる…。
そんな筋書きを考えて当時の政府はまずはアメリカから重油を援助してもらいそれを燃料にして鉄鋼を作り荒れ果てた炭鉱を整備。
石炭をたくさんとってそれを燃料に再び鉄鋼を生産。
さらに石炭をとる。
この繰り返しで戦後復興を目指したのです。
そのため戦争で空襲で焼け野原になっててみんな住むところがない。
こういう人たちの給料を上げたりですね…。
あるいは当時はまだ配給制度でしたから。
炭鉱労働者になれば…。
これで大勢の人たちが働くようになったと…。
炭鉱で栄えた町っていうのはすごかったみたいですもんね。
今はちょっとねあれですけどね。
例えば九州北部の筑豊とか北海道も石炭がいっぱい出て昔は栄えたわけですよ。
今でもその名残を日本各地で見る事が出来ます。
例えばこちらは福岡県の炭鉱跡地。
閉山から40年以上経った現在でも残った石炭が自然発火を続けていて煙が噴き出しているのです。
今もですから日本国内でも石炭掘ろうと思えば掘れるんですけど石炭使ってないと思ってるでしょ?今も
(一同)へえ〜。
今も海外から石炭を安い値段で輸入をして火力発電所で使ってます。
これによって急激に復興していったという事ですもんね。
そうですよね。
だから国が貧しい時に何をすればいいのかその結果日本が復活していった。
わずか10年で復興しちゃうんですからね。
すごい事ですよね。
すごいですよね。
復興が進んだ日本。
しかし戦争の爪あとの深さを物語る言葉が戦後数多く生まれた。
戦後もアメリカは沖縄の統治を継続。
アジアににらみをきかせるためには沖縄に米軍を置くのが効果的だったからと言われている。
そのため当時の沖縄は…。
車は行き来するには1965年。
アメリカに統治された沖縄で佐藤総理がどうしても言いたかった言葉がこちら。
沖縄の祖国復帰が実現しない限り我が国にとって戦後が終わっていない事をよく承知しております。
この言葉で返還運動が盛り上がり7年後の1972年ついに日本に沖縄が返ってきた。
実に終戦から27年後の事でした。
多くの人の記憶に残った言葉から知る戦後70年。
戦争中グアムなど海外で戦っていた日本兵。
終戦後もちろん帰国したのですが…。
戦争が終わった事を知らされなかったり信じなかったりしてずっと現地にとどまっていた兵士がいたのです。
その1人が終戦から27年ぶりに日本の土を踏んだ横井庄一さん。
帰国後の第一声がこちら。
(横井さん)グアム島敗戦の状況をつぶさに皆さんに知って頂きたいと思って日本に帰ってくる事がなぜ恥ずかしかった?まだいまだにこのニュース覚えてますよ。
どうやって生活してたのかな…。
それこそヘビを食べたりとかいうふうな事をしてきたわけで。
恥ずかしいけれど恥ずかしながらと言った。
つまり当時戦争でとにかく生きて帰る事は考えるなと。
とにかく徹底的に戦って玉砕しろと教えられていたのにこうやっておめおめと生きて帰ってしまいました。
…という意味なんですね。
生きて帰ってよかったのにってみんなが思ってるのに。
いくら広いっていっても終戦してるっていう事をそこまで気がつかないものなんですかね?あのねつまりそこでもう日本は戦争に負けたとかいう話になるでしょ。
これは敵のデマだって思ってたとか。
敵のデマで戦ってる日本兵をおびき出すものではないかというふうに思っていたというふうに言われていますよね。
さらに2年後にはフィリピンで小野田寛郎さんを発見。
軍隊の上下関係の厳しさをうかがわせた当時の言葉がこちら。
(記者)その理由をお知らせください。
小野田さんっていうのは日本にとにかく帰りましょうよと言ってもですね上官からここに残れという命令を受けているのだからその上官から戻れと言われない限り戻るわけにはいかないって言って…。
ですから上官が現地まで行ってもう君の任務は終わった日本に帰ってよろしいという命令をして初めて小野田さんは日本に帰ってきた。
(塚地)そこまでそうだったんですね。
(橋之助)上官がいらっしゃってよかったですよね。
まあそうですね。
(中岡)まさかですけどまだ残ってるって事ないですよね?
(有賀)今ね。
(中岡)まだ残ってるみたいな。
ジャングルの中で戦ってる人はいないでしょうけれども現地にそのまま残って…。
例えば現地の独立運動に身を投じるっていう人は随分いましたよね。
戦争から立ち直っていった日本。
この時代を池上彰はこう解説。
当時とにかくみんな貧しかったわけでしょ。
戦後とにかくみんなで頑張れ。
国民がみんなで傾斜生産方式に協力をする。
それによって経済が発展してきた。
そういう時代だったのかなあというそんな思いもありますよね。
さて戦争が終わって日本は一気に高度経済成長を迎えます。
そんな時代を象徴する歴史に残る言葉とは?50年代から60年代どんな言葉が記憶に残り歴史を動かしてきたのか?戦後の日本は一気に経済成長。
この時代の言葉から日本がどうやって発展してきたのかが見えてくる。
たったひと言で衆議院が解散へ。
でも実は叫んでいなかった?NHKで初のテレビ放送が開始された1953年。
吉田茂総理が議員のしつこい質問にイラッとして言ったひと言が衆議院解散のきっかけに。
よくこう言ったと言われていますよね。
北斗さん。
そう。
バカヤロー解散と呼ばれ歴史に残る失言になった。
しかしこの「バカヤロー」実は叫んでいたわけではなかった。
北斗さんみたいにバカヤローって言ったんじゃないんですよ。
あれは
(磯野)あらららららら。
ぼやきだったんですね。
それで今のはなんだ!?っていう事になって結局衆議院解散。
これをバカヤロー解散と名付けた。
バカヤロー解散…。
吉田総理は失言もしたけれど感動的な名言も残している。
吉田総理が在任中最後に行った大きな仕事が自衛隊の設立。
日本に軍隊が必要かと批判が集中していた時代。
自衛隊の幹部を育てる招かれた学生の手記によると吉田はこう語ったという。
自衛隊の存在が批判されるのは国民が幸せな時だと思って我慢してほしい。
国民の生活が豊かになったきっかけの言葉が…。
戦後最大の反政府運動安保闘争が起こった1960年。
日米安保条約の改定でアメリカの戦争に巻き込まれるかもしれないと多数の国民が国会を取り囲んで反対運動を行った。
条約改定で岸総理が辞任した事で運動は下火に。
続いて就任したのが池田勇人総理。
安保闘争で政治に向いていた国民の関心を生活に向けるため打ち出した政策。
この言葉聞いた事ありませんか?…とぶち上げた。
そんな事無理だ!と言われるも池田総理は自信満々に呼びかけた。
実際国民の所得はどうなった?さあ10年間で所得を倍増にすると言いました。
(磯野)それが知りたい。
1960年日本の経済を一気に発展させようとした言葉実際はどうだった?こちらご覧ください。
1世帯あたりの年間収入です。
「私は嘘を申しません」と言った時45万3100円1年間ですね。
それが7年で倍になりました。
10年で倍にしますと言ってたんですけど7年でもう倍になって…。
(磯野)すごい!嘘じゃなかったんだ。
(宇賀)10年だと3倍近くになってますかね。
そうですね。
(北斗)ホントだ…。
ほらこの頃ってだから経済成長率がそれこそ年間10パーセントをうんと超えてた。
ちょっと前の中国みたいな状態ですよね。
(宇賀)池上さんは何年入社なんですか?1973年入社でして。
(有賀)いい時ですね。
初任給が6万8000円でして。
この時みんな色んな企業がベースアップと言いましてね。
私の場合は6万8000円の翌年が8万円。
1万2000円上がったという。
はいそこですね。
はい。
所得が倍増したわけそこには当時の日本ならではの事情があった。
まずはなんといってもインフラ整備だろうという。
つまり当時まだ…。
日本の道路事情について調べて報告書まとめたんですね。
なんて書いてあったのか?ほら舗装されてないでしょう。
土だ。
土ぼこりが立ってたでしょう。
あれはアメリカにとっては道路予定地でしかない。
例えばそこを舗装すれば色んなトラックなどが高速で色んな荷物を運ぶ事が出来るようになるわけですね。
道路を作り橋を架けあるいは港を整備すると色んなものを海外に輸出する事も出来るようになる…。
道路や橋など基本的なインフラがほとんど整えられていなかったこの当時公共事業をする事で失業者も減り街が発展していったのです。
そのお金を集めようとしたのが…。
銀行にお金を預金してもらおうと一大キャンペーンを展開。
とも言われるそのキャンペーン。
覚えていませんか?預金を増やしましょうというのである運動があったんですが前列の方…。
(有賀)利子を増やすって事…?
(北斗)利子じゃない…。
子ども銀行聞いた事ある。
ウソじゃないです。
あっ子供銀行券っていうあのおもちゃの銀行じゃなくて本当に子ども銀行といって小学生にもちゃんと預金の口座を作り銀行が小学校まで出張してきてはい預金口座…皆さん預金をしましょうとやったんですよ。
ほら…。
例えばほら正月にお年玉が出ると銀行に預金をするって子どもたちみんななるでしょ?いえ違うんです。
この時にこういうメンタリティーが出来ていくという事がありましてね。
じゃあこういう事でより一層銀行が身近に感じられるようになったわけですね。
ここから預金という習慣が日本人に根づいていったのです。
こうしてお金を集めた銀行は会社に貸し出し会社は設備投資をして生産を拡大。
さらに社員の給料が増えていったのです。
さあそして…。
当時一般庶民が買い求めた3つの家電。
それをまとめて表現した言葉知っていますか?と呼ばれました。
三種の神器っていうのは元々ね天皇家が持っているものですけど…。
庶民にとっての三種の神器。
白黒テレビ洗濯機そして冷蔵庫。
でねこうなるとテレビでコマーシャルが放送されるでしょ?そうするとみんなああ欲しい買いたいっていう物欲に火がつくわけですよ。
テレビCMが景気の活性化に一役買う事になり始めたこの時代。
「こちらは日本テレビでございます」「時計のゼンマイは一定の時刻に静かに1回お巻きください」
(アラーム)「工舎の時計が7時をお知らせ致します」時計会社が時報を伝えていました。
テレビCMによって購買意欲が刺激されさらに消費が活発になっていったのです。
三種の神器で国民の生活が変わった!洗濯機ですか?上にこういうのがついてて絞るのが…。
(有賀)そうそうそう。
手で絞る…。
(コカド)え?なんですか?上に…。
(コカド)脱水?あれが?これね…ただね洗濯するだけだったわけですよ。
誰かが絞らなければいけない。
まあちっちゃなものは自分で絞れますけどなかなか絞れないもの。
ここにローラーがあってこのローラーの間に入れてこれをグルグル回す。
よく私親の手伝いさせられました。
小学生でしたから。
(磯野)じゃあ二層式になるのそのあとですか?脱水するのにこっちに移したりするのは。
ゴシゴシ洗ってたわけでしょ?何時間もかかるわけですよね。
それをここにポンと放り込めば洗濯してくれる。
画期的だったんですよ。
最初の頃はこんなもの。
でこんなものをみんなが欲しがっていたという写真があるんです。
こちら。
当時の新潟でですね…。
(コカド)じっと見てるやん。
実演販売。
(塚地)これはじゃあ洗濯機を回してるところをみんなで見ている感じなんですか?そうです。
洗濯機というのはこういうものでございますという実演販売です。
すごい。
みんなそれまでわからなかったわけですから。
だからそのあとに脱水のところクルクル回してみんなでお〜!って言ってたわけでしょ?
(塚地)信じらんな〜い!って言うてたんでしょうね。
スイカだったりするととにかく井戸水で冷やす状態でしたでしょ?それが…。
ここから…。
これがきっかけで消費が爆発的に増えていくようになったわけですね。
私にとってですか?ええ。
今のですか?はい。
でも…。
(塚地)一人暮らし?
(塚地)ネイルつけまとかそんなんちゃうんか?まず間違いなく皆さん…。
ハンダゴテじゃないわなんていうんですか?女性の。
へアアイロンか。
(コカド)古っ古っ。
今三種の神器なんだろう?ってみんな一生懸命考えてたでしょ?今はね。
あの頃は1950年代60年代は経済だけではなく日本は全てに勢いがあった時代!日本中が祝福!社会現象にもなったこの言葉。
となった美智子さま。
清楚で知的なプリンセスは瞬く間に注目を集め…。
世の女性たちの憧れとなりヘアスタイルやファッションが大流行!これが当時社会現象にまでなったミッチーブーム。
美智子さまの愛称からそう呼ばれました。
さらにご成婚パレードを見るために日本経済の発展にも大きな影響を与えたのです。
そのきっかけともなったのが婚約発表でのこのお言葉。
この言葉は新聞や多くの週刊誌が取り上げ流行語となったのです。
1960年代半ばには当時の時代を象徴するこの言葉が大流行!それが…。
当時の巨人は長嶋選手王選手という大スターが勢揃い。
後に日本シリーズ9連覇を達成!昭和の大横綱と呼ばれた大鵬は32回も優勝。
この記録は今年横綱白鵬に抜かれるまで40年以上も破られる事がなかった。
国民の娯楽として絶大な人気を誇ったプロ野球と大相撲。
その2つとともに時代を象徴する言葉として肩を並べたでもなぜ卵焼きなのか?卵は安くて栄養価も高くしかも長い間値段がほとんど変わらず物価の優等生と言われた食材。
そのためお弁当のおかずの定番として定着していったのが卵焼きなのです。
つまりこの言葉は子どもが大好きなものの代名詞だったのです。
そしてCMの言葉からも当時の時代背景がわかります。
「ゴー!」「レッツモーレツ100ダッシュ」「ゴーゴーゴーゴー」「丸善ガソリン100ダッシュ」「Oh!モーレツ!」これがきっかけでスカートめくりが大流行したという説が。
こんな言葉で日本がノリノリだった頃世界では皆さんもご存じの名言が偉業達成によって生まれました。
人類初の宇宙飛行…。
1961年ソ連が世界初の有人宇宙飛行に成功。
宇宙船から地球を初めて見たガガーリンの有名な言葉。
有賀さん知ってますよね?えっと…「地球は青かった」。
そうご存じ実はこの言葉が有名なのは日本くらいって知ってましたか?地球に戻りインタビューを受けたガガーリンは宇宙から見た日本の新聞社や出版社が見出しに選んだ言葉が日本では瞬く間に広まったのだという。
一方海外ではこんな言葉が有名に。
こちら。
(磯野)えーっ!つまり地球の外だから要するに天上世界ずーっと遠くには神様がいるんだろうと思っていた人がいたわけですけど…。
宇宙に出てみたらほら神様なんかいなかったんだよソ連は正しかったんだよという意味なんですね。
そして1969年にはアメリカが人類史上初の月面着陸に成功。
世界初の大偉業を達成したアームストロング船長が月に下り立ち最初に語った言葉がこれだ。
まさに宇宙開発の歴史を大きく変えたはじまりの一歩だった。
アメリカとソ連による宇宙開発競争は放送技術にも生かされ…。
1963年日米間初の衛星中継による実験放送が行われたのです。
そして実験放送ではケネディ大統領から日本国民にあてたメッセージが予定されていたが…。
送られてきたのは衝撃の言葉だった。
記念すべき実験放送が思わぬ悲報を伝える形になってしまったのです。
その後1964年あのビッグイベントが史上初めて衛星生中継で日本から全世界に送られたのです。
それが…。
(実況)今ゴールインしました。
今30メーターと縮めたが今円谷見事に日の丸が…日の丸が上がります。
日本の円谷疲れました。
ここでも記憶に残る言葉が実況中継のアナウンサーによって生まれた。
当時圧倒的な強さから東洋の魔女と呼ばれた日本女子バレー。
(実況)さあどうか?日本のチャンスだ。
流れた。
しかしここで…。
おっとオーバーネットがありました。
日本優勝しました。
日本金メダルを獲得しました。
決めれば優勝のマッチポイントを金メダルポイントと表現しこの言葉は当時の流行語に。
そして最強といわれた男子体操の実況では…。
競技難度のレベルが当時はAからCまでしかなく…。
最高のC以上を表現するためにアナウンサーが生み出した言葉。
それは山下選手が金メダルを獲得した跳馬での演技で飛び出した。
その演技がこちら。
当時誰もが驚いた演技にこの言葉も流行語となりさらに…。
あの『ウルトラマン』のウルトラはここからきているんだとか。
こうした名言とともにテレビに釘付けとなったこの時代。
当時は高度経済成長期のど真ん中。
先ほど三種の神器っていうのがありましたでしょ?それがさらに新三種の神器と呼ばれるようになったんですね。
なんでしたっけ?覚えてますか?3つのC。
クーラーカーカラーテレビ。
3つの頭文字を取って3Cと呼ばれたのです。
景気もよくなり生活水準が上がると国民はより快適な生活を求めこれらが人気となったのです。
しかしどれも当時のちなみにカラーテレビはですね発売当時…。
(コカド)高っ!
(有賀)高い!当時の大学卒業生の初任給が1万円。
(有賀)買えないですね。
という事は50か月分。
(北斗)すごい。
そうなの!カバーがあって掛けてましたよね。
大事なものだった…カラーテレビとか来たら。
(磯野)ピアノにこう掛かってるやつとかあるじゃん。
あんなのを掛けてたの。
すごい…。
だから今あんなに欲しいものってあるかな?と。
お家にカラーテレビが来てあんな喜んで今はそれだけお家に来たら嬉しいものってあるかな?と思います。
吉本さんはさっきからずっとポカーン…。
わかんないよね?白黒テレビとか…。
(吉本)いや…。
(磯野)もうわかるでしょ?チャンネルのも知らないでしょ?だってこの手で回す…。
(コカド)ガチャガチャのやつね。
この取り合いね。
このチャンネルごと外して他に回されんように自分で持っておくとか…。
(吉本)抜けるんですか?あれ。
(磯野)兄弟でね。
外しすぎるからあれ甘くなっちゃってペンチで回すんです。
(磯野)わかるわかる!これですね。
これがチャンネルで…。
って今でも言うでしょ?よく。
「チャンネル回して」っていやリモコンでピッてやるだけだけど
(橋之助)そうですね。
ガチャガチャ回すという…。
映り悪くなるとはたくんですよそれ。
ガンガン…。
昔はこんなテレビでチャンネルを変える時はこうやって回してましたよね。
橋之助さんが物心付いた頃はカラーでした?白黒でした?白黒でしたよね。
で幼稚園ぐらいからカラーって出ましたよね。
はい。
白黒で見てたら『ゴレンジャー』とか全くわかんない…。
(吉本)ああ本当だ〜。
(塚地)色でわかんなきゃなあ…。
(磯野)へえ〜!これはだから赤い服を着ていますとか色を言わないとわからないわけです。
実は私がNHKに入った頃はですねまあ大体基本的にカラー放送してるんですけど地方に行くとですね白黒テレビしか持っていない人がいるわけですよ。
そうするとね画面で「この赤い線が」って言うと「うちはカラーじゃないぞ」って抗議電話がかかってくるので…。
って言ってましたね。
ええ〜っ大変!
(宇賀)ちゃんと両方フォローして…。
という配慮をしていたという…そういう時代がありました。
まず真っ先に教育テレビでカラーになったのはどんな番組だかわかります?教育テレビで?はい。
『できるかな』?いえいえ…。
あっ理科の…。
理科の実験だと色が変わる。
リトマス試験紙懐かしい!
(塚地)そうしないとわかんないですもんね。
そこから始まったという…。
へえ〜!テレビの登場は多くの企業が広告に力を入れるきっかけになったのです。
特にテレビが始まった最初の頃っていいますとね例えばNHKの場合も当然受信料を集めなければいけないわけでしょ?でも例えば東京でもテレビを持ってる人が大体50世帯ぐらいしかない時にさあ民放はどうか。
民放ってコマーシャルあってこそでしょ?でも見てる人が50世帯しかないっていう時に確かに。
(有賀)どうしてたんだろう?テレビ局がスポンサーにどんなやり方ですか?
(北斗)画期的なスポンサー…。
そのとおりです。
ああ!はい。
街頭テレビって…。
はい。
新橋の駅前とかそういうところにテレビを置いて2万人が見たっていうのがありますね。
2万人!?それだけ何万人もの人が見てるんですよ。
だからスポンサーさんコマーシャルを出してくださいね。
あっそれなら出そうっていうわけですね。
だからプロレス中継に何千人も集まった。
(塚地)みんなで一緒に見ると。
(コカド)力道山。
あるいはデパートでそれを見ていたらあまりにたくさんの人が集まって…。
っていう話もある。
そんな時代だったのです。
昔って生放送だけですよね?そうでしたドラマも。
収録出来ないんだ。
(コカド)ドラマの生放送ってどういう事ですか?一発本番って事ですよね?一発本番でだからセットがいくつも組んであってこちらでなんかをしてさあ次にっていうとこちらに行くと他のところに行ったってこうなるわけですね。
噛んだり間違えたり飛んだりしたらそのまま…。
はい。
ええ〜!
(塚地)下手くそで終わる…。
(コカド)いやあ怖〜っ!すごかったみたいですよね生放送。
なんかやっぱりお話あります?ええ。
なんか時代劇でこう刀入れようと思って主人公はこう刀をさやに収めるのに反対で刺さらないでそのまま歩いて…。
(一同)ええ〜!プロレスも決まらないと大変な事になるっていう…。
時間内にやっぱり終わらないとっていうもうそんな事がよく結果がわからないみたいなのが多かったって…。
テレビの登場により時代を象徴する言葉が数多く誕生していったのです。
そしてやっぱりそのコマーシャルで色んな商品が出てくると「ああ美味しそうだな」とか「あれが欲しいよね」とか子どもになるとね「ねえねえみんな買ってるんだから」「みんな持ってるよ」ってなったわけですね。
で親がふと「みんなって誰だか言ってごらんなさい」と。
(コカド)よう言われたわそれ。
2人ぐらいしかいなかったりね。
決まり文句だよそれ。
はいそういう時代だった。
でもそうやってやっぱり消費活動が活発になっていったからこそものが売れて経済が発展していったという時代ですよね。
…ってみんなが思えていた幸せな時代ですよね。
そうですね本当ですね。
名言から日本が見えますが…。
とここで冷戦と言えばこの言葉。
教科書にも出てくる鉄の…。
それは第二次大戦後のアメリカを中心とする資本主義国とソ連を中心とする社会主義国でイギリスのチャーチル元首相の言葉が当時をよく表していた。
その有名な言葉がこちら。
その後世界は冷戦に突入していったのです。
その言葉が生まれたのは東西冷戦真っ只中のアメリカは宇宙開発の分野ではアメリカ国民が自信を失っている中登場したのが…。
若きリーダーの就任演説に国民は熱狂した。
若きリーダーが語る「これからのアメリカは国民の行動にかかっている」というメッセージは新しいアメリカを予感させた。
ここで池上ポイント。
このケネディがアメリカの大統領選挙を変えた!ケネディが大統領選挙で勝ったこの時初めてテレビ討論というのがあったんですね。
当時共和党はニクソン候補民主党はケネディ候補だったんですがこれ白黒テレビだったんですまだね。
これが初めてのテレビ討論だったんです。
それまではラジオだけだったわけですがこの時にケネディ候補はですねテレビ映りの事を考えてはっきりとこの紺の濃紺のスーツにシャツに赤いネクタイという事を考えたんですね。
ニクソン候補はそんな事考えていなかったので普通に見ればグレーの方がいいよね!だったけどテレビに映ると弱々しく見えてしまった。
この時にねケネディ陣営はテレビ討論ですからテレビのライトが当たるというんでねばっちりメイクを決めたんです。
ニクソン候補はそんな事…なんだ?そんな男がメイクなんてって一切拒否して。
ライトが当たって汗だくになって汗を拭くわけですよ。
そうすると見た目なんとなく追い込まれてるように見えるんですね。
この時にねラジオを聞いていた人たちは演説内容で言うとニクソンの勝ちだよねと思っていた。
テレビを見ている人たちはケネディが勝ったよね。
だから今例えばアメリカの大統領選挙になるとねなぜか候補がみんな濃紺のスーツで白いワイシャツあるいはブルーのワイシャツこれが勝負服になっていると。
さらにケネディ大統領はこんな名言も残している。
それは…。
冷戦時代社会主義の東ドイツに囲まれた資本主義の西ベルリンでの演説。
ケネディ大統領の言葉がいつ攻め込まれてもおかしくないそんな状況の市民を奮い立たせた。
演説した市庁舎前には今も言葉が刻まれたレリーフが残っている。
その言葉がこれだ。
今も語り継がれるこの言葉。
名言と言われるその理由とは?
(宇賀)有賀さんはこの言葉は知ってましたか?ちゃんとはわかってないです。
今感動しました。
かっこいいですね!
(宇賀)かっこいいですよね。
なんか心に訴えてくるものがありますよね。
だからあれ普通に英語で演説したんですけどあそこだけ突然ドイツ語に切り替えるんですね。
IchbineinBerlinerって言ったんですね。
私はベルリン市民である。
つまり自由を求める人たちと私は心が同じだよっていうのが私はベルリン市民である。
ドイツの人たちに向かって言ってるわけですから。
そこでよりあのドイツ人たちが熱狂したわけですよ。
これ後日談がありましてね。
ドイツで「私はニューヨーク市民だ」ってプラカードが出たんですよ。
(塚地)なるほど。
お返しというかなんというか…。
だったらニューヨークの人たちと同じだよ。
私はニューヨーク市民である。
イスラム国…。
世界各地で「アイムケンジゴトウ」って…。
同じですよね。
イスラム国に殺された…。
っていう言い方こういう言い方なんですね。
世界平和のためにすべき事。
今だからこそ聞きたい愛の名言。
その言葉を語ったのは…。
インドのスラム街に身を置き多くの貧しい人や身寄りのない人を救済した…。
世界平和のために何をしたらいい?その問いに彼女はこう答えた。
身近な人を愛する事が大事。
それがマザー・テレサの教えだった。
その言葉が生まれたのは20万人以上が参加した人種差別反対のデモ行進のあとに行ったキング牧師の演説。
差別がない理想の社会について語った演説に世界中が感動した。
その言葉がこちら。
(拍手)
(拍手)
(拍手)これをきっかけに翌年には黒人の権利を認める公民権法が制定された。
国をも動かしたこの名言多くの人の心に響いたその訳は?この演説は皆さんご存じですよね。
ワシントンのリンカーン記念堂の階段の所にキング牧師が立ってずーっと向こうにいる人たち…モールと呼ばれる芝生の所に大勢の人たちがずーっといてそこに向かっての演説ですよね。
「Ihaveadream」というのは何度も何度も繰り返すわけですよね。
こういう心に残る…。
これが記憶に残る心を動かす演説のやり方という事になるわけですね。
これがなぜ心を打ったのかというと…。
例えばですね当時アーカンソー州のリトルロックという所で1957年ですけど…。
という事になった。
黒人が白人の高校に入りたいと言ったらですね当時のアーカンソー州知事がそんな事は認められない阻止しろって言ってね州兵…州の軍隊を動員して黒人の生徒が白人の学校に登校するのを阻止したんですよ。
これが大きなニュースになるとですね当時のアメリカの大統領それこそ世界に恥をさらすんだと言って今度は連邦政府軍を動員して黒人の生徒を守って高校に行かせた。
そんな出来事が起きた時代という事ですよね。
当時例えばこんなものがありましたね。
トイレですけどレディーズとメンとカラード。
つまり白人用は男性用と女性用に分かれてるけどそれ以外はカラード。
それは全部男女共用のこっちという。
トイレがこんなふうに分かれていたりあるいは水飲み場もホワイトとカラードに分かれてたりという事があったり。
そういうところが…様々な格差があった。
ありましたよね。
特に当時は南アフリカというのが大変な差別がありましてねアパルトヘイト政策といいました。
人種差別が激しかった南アフリカでも差別に抗う名言が。
南アフリカで行われていた白人と非白人で住む場所など徹底的に隔離されていた。
その撤廃運動の中心人物がネルソン・マンデラ。
反対運動が罪に問われ27年間投獄されるも決して諦めず…。
大統領就任演説で語られた言葉は同じ過ちは繰り返さないという誓いだった。
ここから2000年代にも世界を変えた歴史的名言が。
2000年代世界を変えた歴史的名言。
そして熱狂させた言葉がたくさん生まれた。
きっと皆さんも覚えているはず。
女子マラソンで金メダル高橋尚子選手は…。
(実況)フィニッシュ!金メダル。
どうもありがとうございました。
その爽やかな姿にQちゃんフィーバーが起こった。
そしてアテネオリンピックで北島康介選手は…。
(実況)北島どうだ?勝った!やっぱり北島強かった!気持ちいい!そのシンプルな言葉は日本中の感動を呼んだ。
そして東京オリンピック招致ではあの言葉。
おもてなし。
さらに時代を象徴するこんな言葉。
覚えていますか?ITバブルの申し子とも言われたライブドア堀江社長のこの言葉。
全て想定の範囲内です。
想定の範囲内でございます。
この言葉は流行語となった。
他にも世界の注目を集めた日本の言葉があった。
環境を守る言葉として彼女の手でこれがその日本語。
今やこの日本語は世界の共通語となっている。
今やおなじみiPodにiPhoneiPadなど革新的な製品で世界を席巻してきたアップル社の創設者スティーブ・ジョブズ。
彼が大学の卒業式で世界に踏み出す若者たちへ贈った熱いメッセージ。
に選ばれたバラク・オバマ。
当時選挙運動中オバマは自信を喪失していたアメリカ国民にこの言葉で強く訴えた。
それは皆さんもご存じのこの言葉。
2014年史上最年少でノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさん。
彼女は女性の教育を認めない過激派組織に襲われ頭と首に2発の銃弾を受けた。
これはそんな凶行にも負けず教育の必要性を訴えた勇気ある演説。
その言葉がこちら。
17歳の少女の言葉に世界中が感銘を受けたのです。
あの大事件や大事故にも記憶に残る言葉があった。
言葉から知る日本を変えた事件・事故。
記憶に残るあの言葉から日本が見えてくる。
大きな事件や事故が起きた時にも歴史に残る言葉があります。
続いてはあの大事件や大事故にも記憶に残る言葉があった。
言葉から知る日本を変えた事件・事故。
中学生が殺人!犯罪史上に残る犯行声明。
男性14歳です。
1997年14歳の少年が小学生を殺害。
切断した頭部を学校の正門前に置いた。
日本中を驚かせた事件の犯行声明。
「愚鈍な警察諸君ボクを止めてみたまえ」「酒鬼薔薇」この言葉に影響されたのかその後この時代の少年は理由なき犯罪世代と呼ばれた。
自分の言葉が逮捕のきっかけに!福田和子元受刑者衝撃の肉声。
1982年元同僚のホステスを殺害した福田和子元受刑者。
警察の目をかいくぐり日本中を逃亡する事14年と11か月。
偽名を使い分け整形を繰り返して7つの顔を持つ女と言われた。
逃亡の最中知人と密かに連絡を取り合った時の電話の音声を警察が入手。
この時録音された会話の一部始終がこちら。
(福田元受刑者)え?
(男性)お金が。
あ?
(男性)なんで?
(男性)アホな事言うとんなよ。
この言葉がテレビで繰り返し放送された事からよく似た声の人物がいると情報が寄せられ…。
大惨事が起きた時の言葉が日本を変えた!
(リポーター)現場は千代田区永田町の赤坂見附に近い飲食街やホテルが立て込んでいるところなんです。
1982年10階建ての豪華ホテルホテルニュージャパンで火災が発生。
普通の火災では考えられないほどその原因は表向きは豪華ホテルだったが壁紙の下は穴だらけのブロックスプリンクラーは水の出ない飾り物。
経費を浮かすためにごまかしていたのだ。
その結果30人以上の命が奪われる大惨事に。
火災から一夜明けた朝。
横井英樹社長が会見。
責任逃れの言葉を並べ立てた。
お客様の部屋から…938号室のお客様の部屋から…938号室のお客様の部屋から出火したようでございまして。
防火設備につきましてはですね大体もうそのうーん…。
特に9階10階の方は防火扉が完璧になっておりまして完全でございました。
しかし今後なお古いビルでございますから…。
責任逃れの発言ばかりだとホテルニュージャパン火災の次の日さらなる悲劇のニュースが…。
日本航空350便が羽田沖に墜落。
事故調査委員会での副操縦士の証言によって信じられない事故原因が明らかに…!操縦輪を前に押しているのが見えました。
たまらず「キャプテンやめて下さい!!」と叫びました。
と叫びました。
着陸直前これは普通ならあり得ない。
機長はその後統合失調症と診断された。
2日続けて起きた悲劇。
その言葉で日本が変わった!と叫びました。
その言葉で日本が変わった!
(宇賀)さて橋之助さんは印象に残っているもの…。
やっぱりあのニュージャパンのね火事。
僕このあとから…。
っていうのが使われるようになりましたよね。
そうですね。
消防庁が防火対策がちゃんとなってるっていうのに適合の「適」という…通称マル適マークと言って。
(橋之助)フロントのところによくね今でも…。
そうですね。
だからホテルニュージャパンって火事になった時にって言ったら横井社長が最初に言ったのが…。
火事の知らせを聞いた社長の第一声とは?「ホテルのロビーにある高額の調度品を直ちに運び出せ」。
…という事がまあ次々にわかってきた。
とにかく非常に衝撃的でしたね。
この2つの事件をきっかけに…。
つまり安全管理という事になるわけですね。
例えばホテルニュージャパンの場合はですね出火原因は直接は宿泊客の寝たばこだったわけですが色んな…スプリンクラーがないとかそういう安全管理が出来ていなかった事によって被害を大きく広げてしまった。
一方でこの羽田沖の墜落事故の場合もパイロットに心の問題があるのに操縦をしていたわけですね。
そういう検査とかしてるんじゃないですかね?パイロットの方健康診断みたいなのすごいしてるって思ってたからビックリしましたね。
あの時に心身症っていう診断になっていた。
ちょっと…ストレスで精神状態がちょっと不安定なのかな?ぐらいだったんだけど本当は統合失調症だったっていう事がわかった。
実はこのパイロット前の日に羽田から福岡に飛行機を操縦していたんですが途中でね…異常な飛行をするんですよ。
突然急旋回をしたりしてなんかおかしいよねっていう事にその時なってたんですけど…。
だからその時に止めていれば…という事になるわけですけどね。
結局この企業の安全管理体制というのが問われた事故2つという事ですね。
一方海外の事故ではこんな言葉も生まれた。
世界中が大絶賛!奇跡を起こした機長の名言。
乗客乗員合わせて150人以上が乗っているとみられますがいまだに安否の情報はわかっていません。
2009年ニューヨークから飛び立ったUSエアウェイズ1549便は離陸直後にエンジン停止。
機長と空港の管制官との緊迫した会話が残されている。
ところが飛行機は瞬く間に失速。
とても空港までたどり着けそうにない。
下はニューヨークの市街地。
もし墜落したら…。
そんな時機長の目に映ったのがしかし水の上に下りる事は私たちの想像以上に危険な事。
例えば1996年エチオピア航空961便が海へ不時着しようとした時は…。
わずかなバランスの崩れから機体が大破。
多くの乗客が死亡した。
それでも他に道はなかった。
ハドソン川に着水するその瞬間をとらえた映像がある。
画面上の方にご注目。
見事に乗員乗客全員が助かりハドソン川の奇跡と呼ばれた。
しかし世界中が感動したのはこのあと。
事故後サンキュー。
(拍手)この言葉はリーダーや責任者のかがみだと世界中から拍手喝采を浴びた。
1977年日航機がハイジャックされたダッカ事件。
そこにも歴史に残る言葉があった。
犯人は拳銃や手榴弾で武装した人質の解放と引き替えにおよそ16億円を要求。
さらに日本で服役拘留中だった過激派メンバーの釈放を日本政府に求めた。
テロに屈して人質を助けるのか…。
人質を見捨てて強硬な態度をとるか…。
当時の福田赳夫総理が悩み抜いた末に下した人質事件の苦い教訓となり40年近く経った今もなお議論になっているその言葉とは?という考え方とらなきゃならんし…。
という考え方とらなきゃならんし…。
この言葉が出たあと日本政府はその後この言葉が今に続く議論に。
いわゆるこの時にその一方で人命を大切にしたいという…。
これ大変こう難しい問題。
実はあの時に起きたわけですね。
あの時にはだから福田総理がテロリストの要求をのみ身代金を払い服役中の仲間を釈放したわけですね。
でその仲間たちはその後…。
であるいはそのテロにその身代金のお金が使われるという事になると世界からはこういうふうに批判をされるわけですね。
それは…。
つまり当時ほら…。
その時にこんな事をやってテロまで輸出するのかと言われてしまった。
世界的にはこういう時の態度はテロリストには屈しない。
テロには屈しない。
テロリストの要求をのんではいけないんだといってこの時…。
ですから今こういう事が起きた時に日本の総理大臣が…。
あの時に日本が要求に屈してしまった事によって世界から批判されてしまったという思いがあるわけですね。
そしてとりわけ袋叩きになった理由があるんですよ。
このダッカの事件の10日後こんな事件があったんです。
ドイツのルフトハンザ航空ハイジャック事件というのがありましてこの時にはドイツの特殊部隊GSG‐9という部隊が強行突入しましてね犯人3人を射殺して1人を逮捕人質は全員無事救出というのがあったわけですね。
こっちが国際スタンダードだといって日本が非常に批判を受けるという事なんですね。
これらの事件をきっかけに日本の警察にも特殊部隊が出来ました。
名前くらいは聞いた事があるのでは?そうハイジャックや立てこもりなど凶悪事件に対応するスペシャルチーム。
日本も強い態度で臨むようになっていったのです。
あの時身代金を払ってしまったテロリストの要求に屈してしまったというのがある種日本政府のトラウマになっているわけですね。
それは二度と繰り返してはいけないって思いがやっぱりどこかにある。
(北斗)でもそうしなかったら…なったかもしれないっていう事ですよね。
じゃあ釈放された過激派の1人城崎容疑者が先週警視庁によって逮捕。
いまだ事件は衝撃の言葉に日本中が震撼!オウム真理教が起こした数々の事件。
あの事件から特に若い人はあまりよく知らないのでは?しかしこんな言葉を聞いた事はないだろうか?教祖麻原彰晃が信者を洗脳するために使った言葉。
刃向かう者の当時オウム真理教の幹部だった上祐史浩氏は教団への批判を巧みな弁舌で跳ね返した事からこう言われた。
衝撃的な言葉を残したオウム真理教。
実は地下鉄サリン事件以外にもたくさんの悪事を働いていた!まもなく20年が経つ今池上彰が伝えたいオウム真理教事件の全貌とは?これは吉本さんはまだ生まれる前…?生まれる1年前ぐらいですね。
(有賀)そうなんだ。
じゃあ知らないのね。
知ってはいるんですけどさっき出てきた言葉で「ポアするぞ」のポアっていうのはサンスクリット語でよりよいステージに上げるという意味なんですね。
これどういう事かって彼らは独特の考え方をして悪い事を積み重ねると死んだあと今度は人間によみがえる事が出来ないだろう。
まだ悪い事が少ない間につまりポアポアって言いますけど…。
殺してしまえっていうのをそういう言い方をして彼のために殺す相手のためになるんだという独特の理屈を作ったっていう事なんですよね。
地下鉄サリン事件は有名ですけど他にも様々な事件を引き起こした。
どんな事を引き起こしたかという事を意外に皆さんご存じじゃないんじゃないかというのでまもなく20年経つ今ですね一連の事件を整理してちょっとご紹介しましょう。
日本人なら忘れてはいけない最初の大きな事件がこちら。
横浜の弁護士坂本弁護士一家殺害事件。
親子3人が寝静まった深夜…。
当時の教団幹部らが家に侵入。
坂本弁護士と妻の首を絞め1歳の長男の口を塞いで殺害。
遺体を3つの県の人気のない山中に別々に埋めた。
坂本弁護士一家が狙われたわけそれはあまりに身勝手な理由だった。
これオウム真理教というのは非常に強引に信者をこう増やしていく。
で信者になる時に全ての財産を売却して現金にしてオウム真理教にこれを寄付して出家しなさいという事をやるわけですね。
そうすると家族はもちろん心配になるわけですよね。
そういう信者の家族の相談にのっていたのが坂本堤弁護士なんですね。
ちょうどオウム真理教がですね翌1990年に選挙に大量に候補者を立候補させようとしていた。
こういう時に色々トラブルがあるっていう事があるとまずいだろう。
なんとかこれをやめてしまえ。
消してしまえというわけで…。
これが坂本弁護士一家殺害事件だったんですけど。
これをですから失踪事件としてよくわからないこういう状態になっていました。
坂本弁護士一家の行方はわからないままその5年後に起こったのが…。
蒸し暑い夜だった。
多くの人が窓を開けて寝ていた。
その窓から風に乗って入ってきたのが中には倒れ込み全身が痙攣する人も。
夜の住宅街は異臭騒ぎで騒然。
この時7人が死亡する大惨事となった。
オウム真理教がサリンをまいたわけこれもまた信じられない理由だった。
最初とにかく松本サリン事件が起こった時にはいきなりニュースが流れて…。
亡くなられたり具合が悪くなったり…。
なんなんだろう?と思いましたよね。
これどういう事かといいますとオウム真理教はその信者たちが修行する道場というのをあちこちに作っていたんですね。
という事になった。
周辺の住民はこんなとこにこんなの作られると困るから道場を作らないようにといって裁判に訴えたんですね。
ところが裁判の過程でどうもオウム真理教側が不利になってきた。
このままでは負けるかもしれない。
…といって猛毒のサリンを作って松本に裁判官宿舎というのがあるんですね。
その裁判官をみんな殺してしまおうというので…。
最初はだからそんなサリンなんてみんな知らないわけですよね。
何か猛毒で大勢の人が死んだ。
どうしたんだろうどうしたんだろうっていう事になり警察としてもよくわからないものですから犯人不詳のまま家宅捜索というのを第一通報者のところに家宅捜索をやるわけですね。
そこから多くの人たちがこの人が犯人じゃないかと思ってしまう。
さらに別の被害を起こしてしまうという事が起きてしまった。
翌1995年には山梨県上九一色村の教団施設周辺からサリンを作る際に出来る化学物質が検出されたとの報道がされるなどオウムの関与が強く疑われていた。
しかし決定的な証拠がないので捜査が出来なかった。
そんな中ついに警察が証拠をつかむ事になるあの事件が発生。
東京都品川区の目黒公証役場。
ここの事務長である仮谷さんが建物から出てきたその時…。
何するんだ!うっ…!仮谷さんは激しく抵抗するもそのまま山梨県上九一色村の教団施設に連れ込まれた。
そこで仮谷さんは大量の麻酔薬を打たれ副作用で死亡した。
その妹さんがお兄さんを頼ったわけですね。
そうするとオウム真理教の連中はこのお兄さん仮谷さんが…。
どこにいるのかを聞き出そうとして無理やり拉致をして大量の麻酔薬を投与した。
それによって仮谷さんが亡くなってしまう。
こういう事件だったんですね。
この事件で初めて警視庁が捜査に乗り出した。
目撃証言から仮谷さんを拉致した車はレンタカーである事が判明。
レンタカーの契約書類に付いていたさらに問題のレンタカーをくまなく調べると…。
が発見されたのだ。
ついにオウム真理教が仮谷さん拉致事件を引き起こしたとして警視庁がこの事件で本格的な捜査をし始めたわけです。
そうするとオウム真理教側も警視庁が動き出したっていう事がわかるわけですよね。
いつ教団のところに強制捜査が入るかもしれない。
その前に警視庁を大混乱に陥れようとして考えたのがこちら。
地下鉄サリン事件。
霞ヶ関駅つまり警視庁の警察官が大勢利用する霞ヶ関駅でサリンをまいて警視庁の警察官を殺したり大混乱をすれば捜査をかく乱出来るだろうとしてやった。
13人が亡くなり6000人以上が手当てを受ける一大事件になってしまった。
これがサリン事件。
どこにガスが置いてるかわからんからみたいなんでごみ箱がなかったりしたじゃないですか地下鉄とかもね。
(有賀)そうでしたね。
どこに何が…。
そうですよね。
はい。
またどこでテロ事件が起きるかもしれないっていう事になりましたよね。
まさか地下鉄のサリン事件みたいなのはなんかマスクですか?こんなごっつい…。
こんなの着けたまま生きなきゃいけないのかと思うとなんて時代だと思って…。
(コカド)電車内のアナウンスとかも今も言ってますよね。
これから…なんかわからないものがあれば…。
(北斗)怪しいね不審なものがあったらってね。
これからですよね?はい。
そして
(リポーター)先頭の警察官鳥かごの中に小鳥を入れております。
これは危険な場所かどうかを恐らく判断するんだと思いますがかなり厳重な装備の警察官がこちらの方の家宅捜索に向かっております。
坂本弁護士一家は失踪ではなくオウムの犯行だとわかり松本サリン事件も犯人がわからなかったんですがオウムの犯行だとわかりこうしていわゆる一連の様々な犯罪が明らかになっていった。
これがオウム真理教事件というわけですね。
どうですか?実憂さんこれ。
っていうのに驚きましたね。
本当はこれ以外にもっとあるんですよ。
他の信者が修行中に死んでしまって慌ててその遺体を処理しようとしたりあるいはそれを見ていた者がオウム真理教から辞めようとする。
そこから秘密が漏れるっていってあるいはAK‐47という小銃を密かに作っていたりですねもう様々な事をやっていた。
この人たちは結局オウム真理教は何がしたかったのか?といいますか理想の国を作ろうという…。
松本智津夫死刑囚をトップにした国づくりをしようというのが彼らの考え方だった。
それに抵抗する反対する連中は殺害して構わない。
こういう考え方だったと。
後継者たちがですねAlephとひかりの輪という2つのグループを新たに作ってそれが活動を今も続けています。
信者が少し増えたりしていますね。
それはもう基本はこの教えなんですか?オウム真理教の教え…。
もちろんグループによってはこういう事は絶対やってはいけないよって言ってるグループもありますけれどもその辺があいまいだったり。
あるいはその活動をやってるのをよく見ると松本智津夫死刑囚の写真を今も飾っていたり…。
(一同)ええ〜…。
…というそういう組織もあるという事ですね。
このあと激動の70年代〜80年代。
あの言葉が歴史に残った。
どんな言葉が記憶に残り歴史を動かしたのか?巨人の4番として長年活躍した…。
多くの人が勘違いしている引退の言葉がこちら。
私は…。
今日引退を致しますが我が巨人軍は永久に不滅です!
(歓声)「永遠に不滅」だと思っていた人なぜ勘違いしていたのか後ほど解説します。
大ヒット映画にも記憶に残る言葉が…。
映画『八つ墓村』で流行語にもなったキャッチコピーと言えば…。
たたりなんじゃ!八つ墓明神のお怒りじゃ!お前がいると血の雨が降る!そいつは人殺しじゃ!おやめなさい!いい加減な事を。
インパクト抜群の言葉にマネをする子どもが続出した。
映画『鬼龍院花子の生涯』で夏目雅子さんが言った凄みのあるセリフと言えば…。
鬼政の娘じゃき…。
なめたら…なめたらいかんぜよ!流行語になったこの言葉実は台本には書かれていなかったんだとか。
さらに80年代…。
もちろん今は禁止されていますがこんなかけ声が流行。
(一同)イッキ!イッキ!イッキ!イッキ!イッキ!
(一同)イッキ!イッキ!イッキ!イッキ!イッキ…!急性アルコール中毒など事故が多発し社会問題になってしまった。
80年代後半日本はバブルの真っ只中。
空前の好景気に沸き浮かれた時代でもあった。
(宇賀)このあたりは記憶に残っているという方も多いかと思いますがまず橋之助さん。
長嶋さん出てきましたね。
(橋之助)あっ出てきましたね。
違いましたですね。
ええ。
「永遠に不滅です」と言ってたと思ってたら「永久に不滅です」と言ってたんでしたね。
(コカド)なんでなんですかね?なんでそういうふうにイメージしてたんでしょうね。
いや普通は「永遠に不滅です」っていう言葉なんです。
不滅の場合は永遠と言うのが普通の言い方なのでみんなその普通の言い方で思っちゃう。
あのいかにも…。
1972年佐藤栄作総理が前代未聞の辞任会見。
さっきも言ったように…。
7年8か月という歴代1位の長期政権。
それゆえマスコミからの批判も絶えずその恨みを爆発させたと言われている。
はい。
出ていけ。
新聞記者が1人もいない寂しい退陣会見となった。
日米友好関係…。
記憶にある人も多いのでは?ハマコーこと浜田幸一議員がバリケードを破壊するこの姿。
テイソクでも誰でも連れてこいよ!暴れながら
(浜田議員)いいか?断っとくけどな…!当時の大平総理の退陣を求めて一部の議員がバリケードを作って立てこもり…。
そのバリケードを突破する勇ましい姿ではなく…。
(浜田議員)俺がどかすからお前らやってみろよ!実は浜田議員がバリケードを片付けていた時に思わずテンションが上がりすぎて出た言葉だったという。
お前ら誰がかかってくるんだ!1972年上野動物園にパンダがやって来た!これはこれを実現したのが田中角栄総理。
その後の日本の基礎を作った言葉。
知らない世代に池上彰が伝えたい。
田中角栄総理の言葉が今の日本を作った!?長期展望に立ったよりよい日本列島を作り上げ色んな問題を解決しなければならない。
この言葉が本にもなり当時のベストセラーに!それが…。
日本の基礎を作ったと言われるこの言葉知らない世代へ池上彰が教えたい。
実は今の日本列島の基礎を築いたのが田中角栄元首相という事があるんですよ。
当時の理想図ちょっと見てください。
田中角栄さんは新潟の出身だったでしょ?当時はやっぱりこちら太平洋側はどんどん都市が発展してるのに日本海側は発展をしていない。
なんとか日本海が…。
全国がバランスよく発展するようにしたい。
そのためには全国各地に中核都市というのを作ってそこを新幹線と高速道路で結べばいいだろう。
全国どこでも簡単に行けるようになると言って青写真を描いたわけですね。
当時新幹線は東海道新幹線さらに山陽新幹線が岡山までだった。
しかしそのあと新幹線網を整備していく。
これがだから整備新幹線という言葉になってその後どうですか?上越新幹線が出来たでしょ?東北新幹線が出来たでしょ?ついに北海道に結ばれるでしょ?九州にもこれが行くでしょ?行きましたね。
そっか北陸もですもんね。
ああそうですね。
北陸新幹線もねいよいよ開通。
さらにこの北陸新幹線金沢からさらには大阪まで繋がる計画になってるわけでどんどんそれを進めていこうという事になってるわけでしょ。
彼はそれをだから『日本列島改造論』という本で発表しベストセラーになった時田中角栄さんがなんて言ったのかご存じですか?わからない…。
自分の本がベストセラーになったと聞いて田中角栄総理が言った意外な言葉とは?おっそんなに売れてるのか?じゃあ俺も読んでみよう。
これだから実は新聞記者や官僚たちを前に田中角栄さんがぶったんですよ。
日本列島はああならねばならないって事をぶったのを聞いた新聞記者や官僚たちが本を書いたんです。
でもこれ1970年代にこれを言ってるわけですよね。
それを国民とかは信じたわけですか?当時こういうふうに出来るわけないとか思わないんですかね?これがね色々でした。
こうなるといいよねと思う一方で日本列島を鉄とコンクリートで埋め尽くすつもりかと。
公共事業をどんどん進めて全てをコンクリートで埋め尽くすつもりかというという事になるわけですよね。
ここから地方を発展させるにはまずは道路や橋の工事という今に至る公共事業のシステムが定着していったのです。
そうなると国や自治体がお金を出す。
民間の建設会社にお金が落ちるわけですよね。
それによってもちろん地方がどんどん景気がよくなっていくというのがある一方でこういう建設業者が政治家に政治献金をするわけですね。
政治のお金という問題も出てくるわけですね。
ですから田中角栄元首相については本当に評価が分かれるわけですね。
『日本列島改造論』によって…。
っていう評価もある一方で政治とカネの問題で言えばロッキード事件を起こしたり色んな形でお金を集めた。
それがおかしかったんじゃないか。
と言って否定的に見る人もいる。
そのロッキード事件では日本国民がマネしたあのフレーズ。
私思わずこの手があったかって思いましたね。
みんなマネした…。
1976年田中角栄元総理が総理時代に賄賂を受け取ったとして裁判に。
アメリカの航空機メーカーロッキード社の航空機を購入するよう日本の会社に働きかけた見返りに受け取った額なんと5億円。
このロッキード事件で初めてテレビ中継されたのが国会の証人喚問。
小佐野賢治君。
この時真実を追及された関係者の言い逃れが大きな話題に。
塚地さん。
全く存じ上げておりません。
今ここでは…。
記憶にございません。
この言葉に池上ならではの見方が。
(コカド)おいずるいぞ!ずるい。
なんで記憶にございませんって言ったと思います?なんでなんですかね?あれ議院証言法という法律があって…。
証言で私はウソを言わないと最初に宣誓をした上でやるわけですね。
だからウソをつくわけにはいかない。
でもだからといって本当の事を言えない時には記憶にないって言えば覚えてないんだからしょうがない…。
だからあの時にみんななんて言うんだろうかってどう言い逃れをするんだろうかと思ってたら記憶にございませんと言ったんですね。
私思わずこの手があったかって思いましたね。
それがあった。
記憶にないかどうか本人しかわからないわけですよね。
それでこう「記憶にございません」というのが皆さんの記憶に残ったという事になるわけです。
多分本人しかわからない事だと思うんですけどっていうのを思っちゃいます。
ですよね。
だってあんな大事な事忘れるわけないよね?ってみんなが思うわけですね。
記憶にない…覚えてないって…。
それに伴い小渕恵三官房長官が平成に入ってからこの会見は時代の区切りを象徴するものとなり小渕官房長官は「平成おじさん」と呼ばれ広く知られるようになった。
強く生きる女性の力強いあの名言。
1986年日本の主要政党で初めて女性のトップが誕生。
就任会見での決意の言葉が流行語に。
私自身しかしそうであればあるほどですね若い人たちの言い方じゃないけれど…。
やるしかない!という気持ちです。
「やるっきゃない」で覚えている人も多いかもしれませんが就任会見での言葉は「やるしかない!」。
そのあと言い方をもっと当時の若者っぽくした「やるっきゃない」が社会党のポスターに使われました。
ここからおたかさんブームが吹き荒れ…。
さらに消費税が導入された1989年。
こんな言葉も生まれた。
いよいよ山が動き始めた。
山は動いてきた。
だんだん山は動いている。
この言葉にも時代背景があった。
当時の土井さんって女性から見てたらすごくこう力強い…頼もしかったというか。
若くておきれいだし頼もしい感じが…。
当時はもともと日本の政治って1955年に社会党と自由民主党という2つの2大政党が出来た。
2大政党制になったというのでこれを55年体制という言い方をしたんですね。
ところが徐々に徐々に社会党の議員の数が減っていくんですね。
長期低落と言われたんですが。
この時になんとか起死回生にというので女性の党首委員長が誕生した。
これが画期的だったわけですね。
当時イギリスはサッチャー首相。
女性の首相が誕生していましたから土井さん日本のサッチャーだなんて言い方をされた事もあったというわけです。
その後また社会党は徐々に力をなくしていき社会党という名前が社会民主党になり社民党という名前になり今非常に議席が減ってしまったという事ですね。
激動の70年代80年代この時代を池上彰はどう見た?さて70年代から80年代の名言を見てきましたがこの時代は池上さんどういう時代だったんでしょう?例えば「山が動いた」とか「やるしかない」っていうとやっぱり政治が大きく動いたしと同時に政治とカネの問題もまた出てきた。
そんな時代だったのかなと。
それ以来例えば政治資金規正法という法律がどんどんどんどん厳しくなっていくわけですね。
当時はあんまりそういう事がなかった時代だったという事ですね。
池上彰から皆さんにメッセージ。
歴史が大きく動く時にこういう記憶に残るような言葉が生まれる。
あるいはそういう言葉が生まれた事によって歴史が動くという事があるんだろう。
それだけ言葉の力って強いんだ。
逆にそれを悪用するとまたとんでもない事にもなり得るんだっていう事ですよね。
言葉の力の強さというか怖さというかやっぱり私たちはいつも言葉を使っているだけにその言葉の強さと怖さっていうのをやっぱりもっと自覚した方がいいんだろうなって思うんですよね。
このあとは『報道ステーション』です。
2015/02/23(月) 19:00〜21:48
ABCテレビ1
ここがポイント!!池上彰解説塾 3時間スペシャル[字]

戦後70年。世界を、日本を動かした名言を大特集!あの名言はなぜ、どうやって生まれたのか、そして日本をどう変えたのか、池上彰が徹底解説!

詳細情報
◇番組内容
「記憶にございません」…この言葉を考えた人が天才といわれる理由は?
「地球は青かった」…この言葉が有名なのは実は日本だけ?一体なぜ?
「巨人軍は永遠に不滅です!」「自分で自分をほめてあげたい」覚えていませんか?実際は…?
誰もが一度は聞いたことがある「名言」。この名言はどんな時代に、どんな理由で生まれたのか、池上彰が分かりやすく解説します。名言を見れば戦後70年、日本の歩みが見えてきます!
◇出演者
【ニュース解説】池上彰
【進行】宇賀なつみ(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】中村橋之助・磯野貴理子・北斗晶・有賀さつき・塚地武雅(ドランクドラゴン)・ロッチ・吉本実憂
◇おしらせ
☆番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/ikegami/

ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ニュース/報道 – 解説
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

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映像
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日本語
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