(堤澄子さん)あっいるかな?こんにちは。
いるみたい。
・ガラガラ
(戸の音)・ちわ〜。
こんにちは。
お久しぶり。
ハグちゃん?はいそうです。
はいはいご挨拶。
ご挨拶。
ええ〜しばらくだぁ。
(ナレーション)
仮設住宅のひと部屋ひと部屋を回りじっと耳を傾ける女性がいる
つらく悲しいこともこの人の前でなら話せるという住民は多い
自分たちはどう?息子さん亡くして。
・さみしいね。
さみしいね。
・切り替えねぇといけねぇけどね。
まあねしかたねぇんだがな。
一緒にいてて逃げ…逃げてしまったからさ。
まさかほんとにねあんな津波が来ると思わねぇから。
何だか生きてる甲斐がないなと思うようなときもあります。
そっかそっか。
うん。
この町ではまだ4300人以上が仮の暮らしを余儀なくされている
当初は2年くらいで出られると皆思っていたが現実は違った
不安や焦り諦めといった重い空気が仮設住宅に広がっている
早くね住むとこをねあれしてもらいてぇなと思って。
窮屈でひどいのね狭くて。
何もできない。
ちょっと想像つかないね。
これから先も落ち着くまで…。
落ち着いてしまわないとどうなるかってこと分かんないね。
あんまり考えないようにしてる。
ふふふっ。
こんにちは。
こんにちは。
お久しぶりです。
希望を失いかけた人たちその心が折れてしまわないようにとにかく足を運び顔を合わせて話を聞く
震災4年東北の港町で手を差し伸べ続ける人たちの姿を追った
パンちょっと焼こうか?ううん。
はいありがとう。
看護師の堤澄子さんと夫の宇根節さん
あの地震と津波のあといてもたってもいられず南三陸町の近くに移り住んだ
堤さんのニックネームは「ハグさん」
HUGハウスという名の一般社団法人を運営し被災者の心のケアに回っている
私は看護師として資格を持ってはいるんですけれども医療者である前に一人の人間として人の痛みに寄り添うというか。
いくらお薬を与えたところでそれが解決するわけじゃないし答えが出るわけじゃないし悩みや苦しみが消えるわけではない。
そういう…医療的なサポートではどうしようもないそういうところの痛みとか苦しみに寄り添う。
実は堤さんたちは神戸からやってきた
将来ホスピスに携わりたいと勉強していたさなかに阪神・淡路大震災が起きた
東京から神戸に移りボランティア活動を手探りで始め徐々に心のケアに傾いていく
そして東日本大震災が起きた4年前東北に向かった
神戸でも細々とまだ20年続いて今も訪問してたりしているので。
それよりももっともっと被害が大きいのでたぶん長期的には必要かなと思いますし。
夫の宇根さんとは神戸での支援活動を通して出会った
現在HUGハウスの活動には地元の5人の女性が加わっている
町の人たちと向き合って間もなく4年
宇根さんはこれまでとは違う心の変化を感じはじめている
みんなで同じような経験をしてみんなで恐ろしい経験をした。
それでお互いに支え合うように一つになった。
で仮設に移るようになって仮設の中で支え合おうねと言った。
それが今はなくなったと今日仮設のある人は言ってました。
まさにそうかもしれない。
みんなで同じこと…同じ土俵に立っていたのに違いが生じはじめてたので。
最初同じだと思えてた気持ちが今はないというぐらい「あの人は自分がこう」「あの人もこう」「あの人はあんな」というふうに違いはじめてきた。
この違いはすごく大きいなと。
ふだんはどんなふうに過ごしてるんですか?うんうん。
はぁ…。
あの〜昨日も友達と言ったんだけど4年前…たかが4年なんだけどだんだん最初のころより活力がなくなるというか…。
う〜んそんなもんだから仮設で何かいろんな不都合なことがあってこういうことになっても建設課に行ってお話ししてくるだけの気力がなくなってきたなぁなんて…。
みんなお話ししたんですけどもね。
仮設住宅から出るには高台に新たに造成された宅地を得るか町が建てた災害公営住宅などに移り住むかあるいは自力で再建するしかない
町内の高台に移ったのはまだ25世帯
公営住宅も92世帯だけだ
(鈴の音)
町から少し離れた団地で暮らす…
南三陸町で夫婦で農業を営んできたが津波に夫家農地を奪われた
時々相談したいことがあったでね自分で口さ出してしまったりして。
おじいさんだったらどう答え出してくれっかなと思ったりね。
小山さんは仮設住宅の抽選に外れ隣町のこの団地にやってきた
ここは「みなし仮設」と呼ばれていて中で暮らす人たちはそれぞれに孤立を深めている
前にはねすぐ周りに親しい友達もいたし亡くなった妹なんかでもね何でも話していだったんですけど今はね誰も…。
だからまず我慢するよりほかないんだね。
何かね若い人たちはそうでもないんでしょうが私らみたいな年寄りは心の中はやっぱり復興しないんだね。
年寄りだからなんだべね。
堤さんたちはひと月に1度ここを訪ねる
みなし仮設ね見逃されたようでねうんとさみしいの。
そしてハグちゃんたち来んのばり楽しみなんです。
お茶会を開いて皆がリラックスして話せる雰囲気をつくる
やっぱしここは支援の中から漏れてる感じはある?あるよ。
ねえ。
小山さんはいつものように遠くを見つめながらぽつりぽつりと口を開いた
(小山さん)前さ進むことも何にもできねぇような気するっちゃね。
ああそう。
(小山さん)ええ。
進まない感じになる?
(小山さん)進まない。
ねえ〜。
もし…やっぱりだめだわね。
何もかも皆だめになったからね。
畑だって田んぼだってね何にもね…。
前みたいに畑したりとかなんとかっつうこともねないんだもんね。
(宇根さん)畑もね…。
うん。
(宇根さん)ないものを挙げる方が多くなるね。
そうだね。
うちもないべし…。
ねえ〜。
(宇根さん)ほんとだ。
でも自分のうちさ入ったら何ぼかほっとすんだがねぇ。
ほっとするよねぇ?
(宇根さん)すると思うよ。
ねっ。
ああ〜やっと家入ったなと思うよね。
きっとね自分の家に入ったらねほっとするね。
うん。
あの津波さえ来なければ何つうことねがったのに。
だからなほんとに。
あの津波…。
悔しいね。
だからね。
ほんとだ。
(宇根さん)今から終わりのミーティングをします。
え〜っと今日一日の報告はもちろんですけどもいろんな思いを聞いたり触れたりした気持ちをここに置いて帰りましょう。
まずは小山さんの今の寂しい気持ち何もできないつらい気持ちにちゃんと寄り添って聞こうと思ってました。
そのあとに本人が今感じてる価値を…大事にしてるものをつかんだり発見したり再確認するタイミングが来るだろうと思ってじ〜っとつらさのそばに寄り添うつもりで座ってました。
「震災が来なければいいのに。
あれもない。
これもない。
これもない。
これもない」とないものをず〜っと並べて「でもね」と言って孫…「女孫が自分にはいて女孫がすごく支えになってる」っていう話に行きましたね。
で私がその最後に「たくさんあれもないこれもないってなくなったけど家族の絆は流されなかったかな?」って言ったら「それは流されなかった」と言ってました。
まあそれで問題は解決しないけど今の小山さんの力をもう一回こう自分で確認するきっかけになれたらいいかなと思いました。
去年11月南三陸町は1557世帯を対象に健康調査を実施した
その結果仮設住宅で暮らす人のおよそ7%147人に深刻な心の問題がある可能性が高いことが分かった
町は対策を検討しているというが実際はそこまで手が回っていない
本物しか届かないしごまかしてたら相手に見破られて…。
HUGハウスのメンバーがこうした人たちとどう向き合えばよいのか
堤さんは「心のケアとは相手の言葉にとにかく耳を傾けること」と説く
丁寧に聞いてくれる向き合ってくれる人が目の前にいたときにその方は「どんなこと話そう。
どんなこと聞いてもらおう。
どんなこと聞いてほしい」っていうのを自分で考えてる整理してる時間ですね。
だから話しはじめて「ああそう。
うん分かる分かる」とか「うんそうだね。
私もそういう体験ある」とか言っちゃったら…「あっそれはねこんなふうにしたらいいよ」とかアドバイスしたら結局その方は自分の中の悩みとか苦しみを言葉にして表現するという準備ができない。
または「あっ聞いてもらえないんだ」と思って話そうと思った心の蓋をまた閉めてしまうことになりますね。
なので沈黙するまたは沈黙を恐れないということがとても大切ですね。
何かこう気の利いた話をしなきゃとか何か体裁のいい元気づける何か言葉掛けしなきゃとか何かしゃべらなきゃって思った瞬間ゲストとホストが逆転する。
立場が逆転する。
相手が主役じゃなくて自分が主役になってしまう。
心理ではない精神ではない感情ではない情緒ではない。
もうちょっと深いところ…。
メンバーとなった地元の女性たち自身も被災者だ
それぞれの心の傷もまだ決して癒えてはいない
それでも自分が手を差し伸べる側になることで人とつながり気持ちも前向きになれるという
被災者だからいいのかなと思うときもあります逆に。
「何が分かるの?」って言われたら…もし私何も被災してなくておうちがあったりして何かまるっきり違う立場だったらまた違うく相手を見るのかなとかいろんなことも考えるんだけど。
被災者同士の助け合いっていうかそういうのがいちばんたぶんいいのかなって思います。
何も…ほんとに資格も何にもない私たちがここまでね…3年間以上ね勉強しながらですけど続けてこれたのも…。
・この同じ南三陸町の人だからっていうことで心開いて話してくれる人もいるし。
同じ立場…。
・みんなで信頼関係を…。
それでやっぱり私たちも続けられてるのかな。
メンバーの菅原すみ子さんも津波で家を流され仮設住宅で暮らしている
活動に参加して3年精神的につらいときもあるが何とか続けられているのは自分も堤さんに救われたからだという
外に出れなくなったの嫌で。
そんななかでのお茶会だったのかなハグさんたちの。
でもそのときでも誰にも言えないから分かんないわけで…自分がどういう状況だか。
ハグさんに話したことで「あっ私傷ついてたんだ。
引きこもってたんだ」って…。
だからHUGハウスに入ってなければ精神科に行くぐらい…今思えば。
すっごいしんどい状態だったなって。
だからハグさんにはほんとに感謝してもしきれないので私のできることを…できることをほんとに無理しないでお手伝いというかやってるつもりなんだけど。
(菅原さん)あはははっおはようございます。
おはようございます。
(菅原さん)は〜い。
せっかくねいくらか落ち着いてきましたからそれをまた…。
いや落ち着いたんでなくて皆さん隠してねここにしまっておくんですよ。
いつもあるんです。
ないっていうときはないんです。
いつもここの底にはね必ずあるんです。
そんなもんで思い出させっから…悪ぃから…語れねぇからね冗談語って…そして私は冗談ばかりで皆さんと笑ってるんです。
・もう3年過ぎたんだかね。
ねっ。
・午前中ここにいるのね。
部屋さいると1人だっちゃ。
・こんな写真飾ってっとまた思い出すからね。
・それよりここにいた方がいいと思ってここでね。
・必ずここに残って午前中いるの。
ああ〜そう。
変わりないですか?はい。
こんにちは。
お久しぶりです。
変わりない?旦那は?元気です。
時々ねおうちに行くんだけどいつも留守だなぁと思って。
今ここに仕事に来てるんでね。
ああ〜そう。
三浦忠さんは自宅があった場所にもう一度家を建てたいと考えている
家は津波に流されたが自分も妻も無事だった
しかしその後妻の体にがんが見つかる
おととし亡くなるまで堤さんは三浦さんの妻を度々見舞っていた
一人の生活はどう?今は。
もうだいぶ落ち着いたけどね一人になってもね。
まだまだ悲しみと苦しみは抜けきれないね。
ここに来てるうちはほら気も紛れるからね。
ここにいる方が気が紛れる?うんだね。
お母さんと二人でいるつもりだから。
はははっ。
やっとめどがつきましたね。
(三浦さん)ええおかげさまで。
一人になった三浦さんは仮設住宅に引きこもった
ところがしばらくして妻・徳子さんが亡くなる直前まで訴えていた言葉に突き動かされていく
お母さんは向こうにいるけどあそこに帰りたい帰りたいってねベッドの上でね10日も20日も泣いたの。
そのためにうちを建てる決心したの。
たぶん母ちゃんも喜ぶんじゃないですか?やっと帰って来たって。
(スタッフ)何て声掛けますか?えっ?
(スタッフ)出来上がったときは何て声掛けます?だね…母ちゃんあんたの夢はかなえたよって。
ただそのひと言だけだね。
家の再建を決めたからには妻のために一日でも早く完成させたい
毎日自宅跡の建築現場に通い朝から晩まで大工作業の手伝いをした
はぁ…。
(三浦さん)お母さん。
何にもないけどこうやって。
ああ〜今日もねありがとよって。
なっ。
昔な思い出したな。
はいカチンって。
なっ飲めほら。
ほら。
お酒好きなやつ飲んだらええ。
今日でな…今日も一日無事だからな。
あとは早くうちに帰っぺ。
お母さんが帰りたいときにな…。
なっお母さん。
はぁ〜あ…今日も一日終わった。
お母さん早く帰ることばかり…なっお母さん待ってろな。
(三浦さん)はぁ…。
南三陸町内の小さな港
ここにも神戸からやってきた人がいる
お前バールないんかいバール。
神崎靖人さんは震災の半年後現場監督の腕を買われて被災地に呼ばれた
石巻の建設会社を通して南三陸町内の復興事業に携わっている
家の解体あと老人ホームとかの撤去したり。
やっと今度…今造る方に回ってきてるんですよね。
今までは潰す方の仕事やったけど今からは造る方の仕事になってきた。
この半年ぐらいちゃう?そういうふうに変わってきたんが。
それまではもう潰す方やからずっと。
今はもう造る方に変わったからね。
主力産業の漁業
水揚げ量は被災前と同じぐらいにまで回復してきた
しかし船を補修したりする場所の整備はまだまだだ
この町の港は大小合わせて23
神崎さんの今の現場は町内最大の志津川漁港から北東に4キロの清水漁港だ
漁を終えた船を陸に引き上げ船底の補修などをする船揚場を造っている
23の港のうちすべての施設が整った所はまだ一つもない
こうした船揚場は漁師たちにとってなくてはならない施設だけに皆心待ちにしているがなかなか進まない
国とか県からは…もう復興予算…復旧予算っていうことはかなりついてるんですけどまあ地元…そういうわけで職員の不足があったりそれからそういうことで業者の不足があったりでなかなか工事が発注まで至らないと。
もしくは発注してもなかなか工事が思ったように進まないっていうのはやっぱり現実にはあります。
一応目標としては27年度。
3か年で…震災後3か年でっていう目標はしてるんですけどう〜ん現実的には27年度では終わらないと思います。
神崎さんの現場でも人はまったく足りていない
地元の人をかき集め何とか作業している状態だ
津波で干上がってしまって船もなくなってしまったまんまもう漁師はそのまま打ち切ることに…。
ええ。
(スタッフ)じゃ震災後この仕事…。
震災後にこの仕事に入ったので。
12月に入ったばかりなんで。
ええ教えてもらいながらもう…。
やり方もまったく知らないまんま今は一歩一歩前に…前向きに頑張っています。
(神崎さん)次から次あるからはよ終わらして次のとこ行かなあかんからやれるだけやらなあかんのです。
そら漁師さんはこれがなかったら飯食われへんねんから。
そやないと…これを造らんとずっとああいうふうに船を止めっぱなしになって船まで船で行かなあかんでしょ。
それをなくしてあげんとやっぱり。
車で1時間ほど走った隣町のビジネスホテルと現場を毎日往復している
(神崎さん)今日の晩ご飯です。
小食なんですよ。
あんまりぎょうさんいれへん。
景気が少し上向きよりよい条件を求めて東北の被災地から建設作業員が離れているというが神崎さんはここに残ると決めている
神戸で暮らす妻と中学3年の息子に会うのは年に2回程度だ
(神崎さん)家で息子と。
息子と一緒に。
これは夏やね。
こないだの夏。
夏休み。
一生懸命やってるけど人が足れへんからやっぱりすごい遅いからそれを早く…どういうふうに早くしてあげれるかっていうのが僕の課題やね。
どうしたらどう早くみんな住める…普通に家建てて住めるんかなぁとか。
でも3年半とかたつけどまだこれじゃあ10年後もたぶんあまり変わりが…。
町はちょっとちょっときれなったとしても…。
なかなか難しいですね。
町の役場で書類に目を通す…
公務員2年目の新米だが去年の春兵庫県の相生市から応援職員として派遣され道路の復旧工事を担当している
大きく破損受けたとこで工事できていないとこはまあまだまだあるんで。
う〜んまだまだこれからだな〜っていうのが本音ですよね。
補修したとしても町内一円大きいダンプが走ってますし。
そういった往来がまたずっとあるんでちょっと…ちょっとまあ仮復旧したところでまたすぐに壊れるっていうのも現状なんですよね。
町の復興に必要な大型の工事車両
一方で大型が通れば通るほど道路は傷み応急処置を施してはまた傷むという繰り返しだ
どうします?これ台形の感じでいきます?ひし形で。
ひし形で。
この日の現場は漁師たちが使う生活道路だった
「この季節はいてついたアスファルトの割れ目にハンドルを取られて危ない」と地元の人が訴えていた
舗装がめくれとるんでそれの補修とガードレール…まあガードパイプかな?設置新設ですね。
漁師の方が通るわけですよ。
でこの段差があれば例えば雪道圧雪状態もしくは凍結状態バウンドしちゃってガードパイプも何もなければ川に落ちる可能性あるわけですよ。
その防止策。
西村さんの派遣の任期は間もなく切れる
町の職員たちは惜しいと口をそろえるがしかたがない
完璧になじんでますね。
ええ。
できればまあ1年と言わず2年3年ここで頑張ってもらえたらと思ってます。
うん何ていうかな…。
何かほんと子供みたい。
で仮設に食事に来るんだけどそれがもうとっても…何か我が家みたいにして来る。
アパートで1人暮らしを続ける西村さんがちょくちょく顔を出す地元の老夫婦がいる
・はい。
いらっしゃいませ。
(西村さん)テレビ局来たで。
はいいらっしゃいませどうぞ。
(西村さん)はい。
はい。
あれ?土産?
(西村さん)うん。
何でこんなにいっぱい持ってくんのよ〜。
(西村さん)持ってこいっていっつもうるさいやん。
ばかたれこんなにいっぱい持ってきて…。
どうぞどうぞどうぞ。
どうぞどうぞ。
寒いから早く入って。
(西村さん)どこ?・洋平君来てすぐで申し訳ないけど・ほらこれこっちに運んで。
(西村さん)米?・うん。
掃除しとる掃除しとる。
1個1個。
・はいずっと奥の方に。
頭ぶつけんなよ。
頭…頭気をつけて。
ふふふっ。
(西村さん)うわ〜ここ広いな。
広いでしょ。
あんたの部屋にしてやっかな?ははははっ。
ほな全部持ってきて入れて。
全部持ってきて?・うん。
待ってたんだ力仕事。
(西村さん)うわ〜おばちゃん具めっちゃごろってしとるやん。
夫婦はこの災害公営住宅に移るまで西村さんの住む同じアパートに避難していた
・よかったね風邪すっかり治って。
でも変なせき出るけどな。
・ああ〜そうか。
・うがいうがい。
・うがい薬あるよ。
うがい薬あるん?「イソジン」?・「イソジン」じゃなく高級なの。
ふふふふっ。
南三陸に。
・南三陸行くとこないわ。
・山の頂上に行ったらどうすんの?ほれ。
今でも「ご飯を食べにおいで」と声が掛かる仲
応援職員と被災者という関係を越えた人と人とのつながりが生まれている
だけど金かかるよ?金かかる。
でもだから石川とかは全部そうやってんの。
このごろ知り合ったように思わないね。
昔っから何か…うん。
何でも言える。
「おなかいっぱいだ」なんて私の前でズボン脱ごうとすんのよ。
「やめろこの!」なんて言ってね。
何でも言えるね。
ふふふっ。
洋平君も「暑い!」なんて全部上半身裸なったりパンツ1つで来たり。
「だめ!」とか言って。
ふふふっ。
いなくなったら寂しいほんとに。
だけど面白かったよ。
うん。
いやまだ終わってないから。
(一同)ははははっ。
(西村さん)まだ終わってないから。
まあ孫とおんなじだもんね。
うんほんとに。
いなくなったら寂しいんでじいちゃんぽっくり死んでしまうかもしれんよ。
そんとき来んのよお線香あげ。
ほんまやな。
ちょっと呼んでよ。
・「あのうるさいのいなくなったか」って。
はははっ。
呼んでよ。
行くわ。
休日の役場
今日は次に出す工事の準備を。
今年度がもうあと僅かなんでね。
今年度中に終わらさないといけないんでそれもありますね。
自分に残された期間は僅かだが一本でも多く道を直したい
この町で暮らしたからこそ素直にそう思う
こっちで…まあいろんな人に話を聞いていくうえでこっちで本当に仕事をする意味やり甲斐っていうのを見つけてこれたんでそういった意味でも非常に大きな1年ではありました。
微力ながら何か貢献できればなと思ってやってますしそういった積み重ねが復興っていう大きなもんにつながっていくんではないのかとは思ってますけどね。
南三陸町で被災者支援を続けるHUGハウスの堤澄子さんと宇根節さん
この4年悲しいこと苦しいことつらいことイライラすること寂しいこと…人々が吐き出す何百もの言葉に耳を傾けてきた
この春からは心の奥にもっと手が届くように活動の形を変えようと考えている
専門性を更に確かなものにしていったりただの親切じゃなくほんとに専門性をしっかりと磨きながら育てながらそして質のいいケアができる出会いができるために自分たちもそれができる状態に保っておく必要があるのできちんと学ぶ…学び続けるということもとても大事かなと思いますね。
1月二人は気になっていた三浦忠さんの新築の家を訪ねた
こんにちは。
無事年越しましたね。
変わりないですか?はい変わりないです。
(宇根さん)どうも。
おめでとうございます。
(三浦さん)あけましておめでとう。
おめでとうと言えるかどうかですけれどもはい無事にでも終えましたね。
お祈りしてもいいですか?
(宇根さん)手を合わさせて…。
(三浦さん)はい。
ああ〜徳子さん久しぶりね。
家に帰りたいと病床で訴えていた妻の願いをようやくかなえることができた
(鈴の音)忠さんとここで…新居で初めてのお正月迎えたね。
(宇根さん)よかったね。
うん。
(宇根さん)疲れは取れてきた?
(三浦さん)全然。
やっと…。
まだほら倉庫の方が今日も午前中…。
ここにどっしり構えた気分はいかがですか?いや〜最高だねうん。
でもこれから大変でしょ?そうね。
今まではね仮設でねいたけど。
若くなっていくんならええけど年取っていくからね。
(宇根さん)そっかそっか。
いちばん喜んでんじゃない?言葉はないけどね。
(宇根さん)帰りてぇ帰りてぇって言ってたんだもんねぇ。
そっか。
少し疲れはもちろんねあるでしょうけどほっとしたのかなというそんなお顔はしてるのでちょっと今日会えて安心しました。
前よりは顔が暗くないでしょ?ねっ?
(宇根さん)何か自信があるような顔。
建てたという何か自信があるような顔…表情見れてうれしい。
(三浦さん)まあこれより悲しみと苦しみないでしょう。
うん。
ねえ。
(三浦さん)これからいい方向に向かっていかないと。
うん。
ほんとですね。
また一人一歩前に踏み出せた
やっぱり震災のことは忘れられないと思うし。
その忘れちゃいけないものの中に物がなくなるだけじゃなくて心がすごく痛むということを経験したと私は思うんですけど。
それが元気になったり癒やされたりしていくためにはやっぱり人が必要。
家族であったりほんとに仲のいい信頼できる友人であったり地域であったり。
共に町の人同士が…地域の人同士が支え合える関係で温かい思いやりのある…そして痛みを体験した人同士が支え合えるという…。
一人一人の心の中で今まで以上に育っていって生きやすいそういう町になっていけば。
またそれを大切にする人々があふれていけばいいんじゃないかなと思っていますね。
4年の月日は町の人たちにさまざまな現実の壁を突きつけ前へ進んでいくスピードに開きをつくってしまった
しかしそんな今だからこそ互いに支え合う気持ちを大切にし人と人とをつなぎ止めたいと堤さんたちは言う
一人一人の心に寄り添う取り組みは今日も続いている
(神林恵)「女くどき飯」?
(裕子)応募者の男が選んだお店でご飯デートしながら口説いてもらおうっていう企画よ。
2015/02/23(月) 01:05〜02:05
MBS毎日放送
映像’15「寄り添う〜南三陸町 四年目の冬」[字]
MBSが東日本大震災発生以来、定点取材を続ける南三陸町のドキュメンタリー第6作。▽兵庫から南三陸町にやって来て、人々に寄り添いながら町をささえる姿を伝える。
詳細情報
番組内容
東日本大震災からまもなく4年。MBSでは震災直後に取材をはじめた宮城県の南三陸町の定点取材を続けている。3月で丸4年となる被災地の等身大の今を、兵庫県からやってきて応援し続ける人々を通じて描く。
南三陸町では、昨夏、災害公営住宅が建設された。仮設住宅から離れる人もいるが、一方、仮設で培われた人間関係がなくなり、孤立感を深める人も多い。町の復興とともに、置き去りにされがちな心の復興も映し出す。
出演者
【ナレーター】
小山紀一
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
福祉 – 文字(字幕)
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