NNNドキュメント「“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー」 2015.02.23


1人の男性が南の島を訪れました
70年前ペリリュー島での激しい戦いを生き抜いた1人です
隣にいるのは63歳離れた孫
(土田さん)死んじょったあそこで。
うん扉の辺り。
(理恵さん)え〜。
あっホントだ。
70年前にあったことを感じてほしい
じいちゃんがいた場所で孫に伝えたいことがありました
土田さんはふるさとの福岡県筑後市で暮らしています
幼い頃から体が小さかった土田さん
しかし青春時代に待っていたのは戦争でした
一番…。
翌年戦地に向かうことを命じられます
行く先は当時日本の統治領だったパラオのペリリュー島でした
幅わずか3kmほどの小さな島
太平洋戦争屈指の激戦地として知られ日本兵1万人以上が命を落としました
自分がいた場所を家族に見せたい
去年再びペリリュー島に向かった土田さんの横には孫理恵さんの姿がありました
井福理恵さん
幼い頃から土田さんにペリリュー島と戦争について聞かされていました
3年前に結婚し現在住んでいるドイツからやって来ました
これがペリリュー島ハハハ…。
ハハハ…。
ねぇ…。
頭。
(男性)頭頭…。
(男性)は〜い。
OK。
ありがとうございます。
センキュー。
あぁ着いた。
ハハハ…。
70年前おじいちゃんが戦った場所
聞きたいことはいっぱいありました
置き去りにされた戦車
これにね…。
ここに?うんこのキャタピラーに。
え〜すごい初めて見た。
すごいね。
えっもう…。
あっちが前。
そして真っ二つに折れた日本軍のゼロ戦もありました
この間からその…。
ここ?ここの中から…。
グラマンのやつはあれじゃろうが。
弾通ったってそこふさぐことになっとったスポンジになっとるけんね。
死を見続けて来たおじいちゃんの生々しい記憶
(男性)行きますよ。
はい。
でももう95歳
連れて行きたい場所はジャングルの奥にありました
到着したのは日本海軍が戦闘の指揮をしていたとされる施設の跡
何とかがこう…。
土田さんはここで見張り兵をしていたといいます
おじいちゃんがいた空間を歩きます
人の名前を書いてるみたいだよ。
はぁ?人の名前。
そうやね。
しかしペリリュー島での戦況は想像以上に厳しいものでした
そうして…。
自分もその…。
いつ死ぬか分からなかったおじいちゃんの壮絶な毎日
それを肌で感じていました
アメリカ軍の攻撃が続く中土田さん達が身を移した場所があります
それは山を登った先にある洞窟
生活した跡
ここから地雷を抱えて出撃して行きました
土田さんはここで起きたことを今でも覚えているといいます
ホントにもう…。
もうちょっと…。
…からもうやめときます。
70年たった今も消えない思い
ペリリュー島の墓地の一角には日本語で書かれた慰霊碑があります
土田さんは島に来ると必ず戦友が眠るこの場所を訪れるといいます
50年だよもう…。
戦後13回来ましたばい。
ホントもう…。
あともう3〜4名しか残っとらんけど私が代表でまた来たよ。
國神社でまた会おう。
この海兵隊をやっつけたんですよ。
ご苦労さんでしたこの海兵隊をやっつけたんですあなた達は。
ここを訪れるのは最後かもしれない
そう感じていました
(鈴の音)
日本兵1万人のうち生き残ったのは34人
そのほとんどが亡くなるか高齢となり島を訪れることはできなくなりました
93歳の永井敬司さんも激戦から生還した数少ない1人です
永井さんが所属していたのは陸軍歩兵第2連隊
満州に従軍した後ペリリュー島へ派兵されました
(永井さん)戦闘っつうのは。
そういう日が続いたわけだよね。
太平洋戦争後期
日本にとってアジア進出のカギとなるフィリピン
その東に位置したのがパラオです
中でも激しい戦いの舞台となったのが南部にあるペリリュー島でした
これは当時のペリリュー島の映像
交差する道が映っています
日本が造った滑走路です
ペリリュー島に今も残るこの滑走路
アメリカはフィリピンに直接飛行機を飛ばすことのできる滑走路を手に入れようと考えたのです
1944年9月15日
総勢4万人以上
なんと日本軍の4倍の数でした
まぁあの戦場のさまを本当に見たら…。
圧倒的な戦力の差
しかし勝てると思ったアメリカ軍を待ち受けていたのは経験したことのない日本軍の動きでした
それは島の至る所に掘られた洞窟からの攻撃
日本軍はペリリュー島から戦術を変え玉砕をさせない持久戦を洞窟を使って展開したのです
アメリカ軍は苦しみます
日本兵のいる洞窟には火炎放射器や手りゅう弾で襲い掛かりました
だから…。
そして永井さんも戦いの中で負傷したといいます
(永井さん)私らもここ大腿部を抜かれた場合には…。
長期化する戦いの中でアメリカ軍はアジアへの足掛かりとなる別のルートを攻略します
ペリリュー島は戦略的な価値を失いました
しかし双方ともに負けられない戦いは続けられました
物資の補給もなく戦局からも取り残された島
満足な治療もできず多くの人が命を落としました
銃をここさ当てるかね。
手りゅう弾あたりで自決。
それか…。
えっ?
(スタッフ)死んでしまったほうが楽だと…。
そりゃあ思いたいよ。
今も日本兵の遺骨が残るペリリュー島
取り残された島の悲劇は戦争が終わっても続きました
♪〜
アメリカ軍の上陸から70年が経過した日地元政府が主催する式典に土田さんは参加していました
日本とアメリカが戦って70年
(拍手)
89歳の大きな元アメリカ兵との握手
当時ペリリュー島の戦いに参加した兵士は日米合わせて5万人余り
しかしこの日式典に参加できたのは2人だけでした
70年の時を経て消え行く戦争の記憶
それを伝えたいと土田さんは思っていました
一方の理恵さんおじいちゃんの経験を必死に感じ取っていました
その理恵さんが一番見たい場所がありました
洞窟の生活が長かったので洞窟のイメージが結構…。
実際に見てみたいですよね。
実は土田さんは戦後洞窟で暮らしていました
戦争が終わり日本が復興へと歩み始めた頃
土田さんは戦争が終わったことを知らされず2年間仲間と身を潜め戦っていたのです
すごい。
危ない…。
入り口から中をのぞこうとする土田さん
しかし狭い洞窟の中を見ることはできませんでした
地形が変わってしまったのか入り口が小さくなっていたのです
これだこれかな?うんそうそう…それそれ…ほぉ〜…。
あ〜。
あ〜…。
小さなカメラを入れて撮影した狭い洞窟の中の様子
雨水を飲み盗んだアメリカ軍の缶詰を食べ命をつないだ洞窟生活
土田さんがトイレとして利用していたという入れ物も残されていました
戦争が終わったことを知らされずにいた土田さん
1947年終戦を確かめるため外に出ることを決意
これは仲間への置き手紙です
「パラオ本島に行く」
敵前逃亡が許されないと考えうそを書きました
生き延びたいという一心でこの手紙を残し土田さんは外へ出ます
そして戦争が終わっていることを確認仲間と帰国しました
おじいちゃんが語った激戦
そして忘れ去られ洞窟に潜んだ日々
この旅で理恵さんにはある思いが芽生えていました
やっぱ…。
じゃないと私の人生ないですからね。
やっぱりその後…。
一生懸命に説明して。
だから…。
そしておじいちゃんにはもう一つ孫に伝えたいことがありました
戦後ペリリュー島に何度も足を運んで来た土田さん
日本語が書かれた壁を見つけました
「ペリリューへようこそ」オホホ。
これはなかったね。
ねぇ…。
アハハ…。
「またおこしください」が気に入ったね。
ハハハ…。
あ〜ハッハへぇ〜。
まぁ…。
アハハ…。
ホントねぇ。
あ〜ハハハ…。
土田さんは13回の慰霊の旅で気付かされたことがあるといいます
それは助けてくれる友人達がいること
それを孫にも伝えておきたい
(ウェンティさん)はい。
おっ。
(ウェンティさん)元気ですね。
おっ。
ヘヘヘ…。
覚えていますよ。
ハハハ!アハハあ〜…。
アハハ…。
あ〜よかった。
まだ若いね。
うん?顔が。
うんそうそうね。
足が悪いけど。
私も足が悪い。
あ〜。
日本統治時代に日本語教育を受けた…
戦後慰霊の旅で出会い教えられることがありました
だからあの…。
70年前戦争を戦ったおじいちゃん
そしてその孫の理恵さんへ
この島で生まれた歌を歌いました
♪〜♪〜
(ウェンティさん)♪〜いつまでも
記憶が未来へとつながるよう願いを込めて歌いました
♪〜涙をおさえてさようなら♪〜涙をおさえてさようなら
(ウェンティさん)ウフフ。
ハハハ…。
ハハハ…。
(女性)お家ないけどお家帰ろうね。
そばにいたのに助けてあげられなかった
震災の語り部となった母
(女性)遺骨が入ってるの。
教訓を語り継ぎます
2015/02/23(月) 00:50〜01:20
読売テレビ1
NNNドキュメント「“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー」[字]

95才の“じいちゃん”が孫と訪れたのは、太平洋戦争屈指の激戦地ペリリュー島。70年前ここで何があったのか。“じいちゃん”が孫と歩き伝えたかった思いがありました。

詳細情報
番組内容
95才の“じいちゃん”と孫が訪れたのは、南太平洋に浮かぶ小さな島・ペリリュー島。
70年前、日本兵1万人が命を落とした激戦地。海に囲まれた島のジャングルには、戦争の爪痕が残ります…“じいちゃん”はここに居ました。不自由な足で歩き、仲間の墓の前で涙を流す“じいちゃん”の姿。それを孫も目に焼き付けました。「訪れるのは最後になるかもしれない」。“じいちゃん”には孫と歩き、伝えたかったことがありました。
出演者
【ナレーター】
佐々木蔵之介
制作
日本テレビ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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ステレオ
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