教義条項の改正における学会員さんの反応
創価学会の会則・教義条項の改正は、創価学会と対立する教団
だけでなく、多くの学会員ブロガーさんの話題になっているようです。
おおむね、好意的に受け止められているようですが、中にはとまどって
おられる方も見受けられます。
そういった方の一例として、想学談林の「運ちゃん」さんのブログを参考に
させていただき、検証してみましょう。
彼のプロフィールを見る限り、自称地区幹部の「非活動家」だということです。
http://www.sougaku-danrin.net/profile.html
「非活動家」というと聞き慣れないかもしれませんが「元活動家」といえば
ご理解いただけるでしょうか。
自分から進んで「学会活動を放棄」したので「未活動」ではなく「非活動」と
いうことのようですね。
ざっと拝見させていただきましたが興味深い点が一点。
「運ちゃん」氏は青年部時代にかなりの活動をされていたそうですが、
「大石寺の板曼荼羅」については「後世の“贋作”」であることを認識したのだそうです。
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(以下引用)
※今回、創価学会が否定した「弘安二年の大本尊」ですが、後生の贋作で
有ることは、既に青年部幹部時代には知っていました。
まあ初めて知ったときには、とてもエキサイティングな内容だと思いましたが・・
【御本尊についての雑感 2014/11/10付け記事より抜粋】
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創価学会では牧口・戸田・池田先生の三代をはじめとする、古参の学会幹部は
「大石寺の戒壇板曼荼羅がホンモノかどうか」といった判断はしていません。
ところが、青年部時代に「そういった論」を、なんらかの形で「入手」していたこと
を示唆するものだと考えます。
そして、拙がお世話になっている富士宮ボーイ掲示板に参加された事のある方で
、現在「組織糾弾運動」に身をやつしている方と同じような経歴をお持ちです。
曰く
「広宣部の幹部で本部担当創価班」「幹部の言動に不審を抱いた」
ようするに自身の“過去の輝かしい経歴もつ自分”と、他の同志の信心を軽々
に比較するという「増上慢」を起こしているとおもえる言辞が散見できるのです。
(増上慢:仏教用語 未熟であるのに、仏法の悟りを身につけたと誇ること goo辞書)
さて運ちゃん氏は、「板曼荼羅 偽作論」を聞いたことで、信仰の中心となる
御本尊の本来位置づけを「今でも考えている」そうです。
つまり、彼が、青年部時代に広宣部として「日顕宗破折」の「手段」として聞き
およんだであろう「御本尊の真贋論」が、今の彼の「不信」=「元本の無明」を
醸し出したといえるのではないでしょうか。
信仰の中心となるはずの「御本尊」を信じられなくなる。
これは「仏」を信じられなくなるの同義だとおもいます。
その結果が「幹部への不信」となり「創価学会への不信」になり、いずれ
「日蓮大聖人の仏法」への不信となってしまう。
戸田先生は、御本尊不敬をするものは落ちぶれた姿を見せに来ると
指導されました。
今インターネットという情報媒体を通じて、学会員さんや、世間の人に
罰の姿を見せている方を見るにつけ「不信」の恐ろしさを考えずにはいられません。
また不信を起こさせる因となった御本尊に対する「邪見」をばらまくものへの
罰の現証たるや、気の毒というしかありません。
おなじところをひたすらぐるぐる回る「地獄の境涯」です。
今回の教義条項の改正は、学会員として「御本尊とはなにか」を個人個人の信仰の
上で問うことにもなったのだと思います。
一度でも大聖人の魂たる御本尊をいただいた方ならば、よしに付け悪しきにつけ、
「自分の宿業のまま出てきている」事を忘れてはならないでしょう。
余談になりますが、ある学会員さんは、法華講員の大月天管理人の掲示版に
「戒壇本尊が謗法の地にあるから功徳がない。こういう思想は大聖人にはございません」
と池田先生の指導を真っ向から批判しました。
創価学会名誉会長池田大作はこのように指導しています。
「日顕は、仏意仏勅の創価学会を破門し『広宣流布を断絶させよう』とした。
仏敵日顕が支配している大石寺は、大聖人の魂が住まわれていない身延のごとく、
『謗法の地』と化してしまった。
今大石寺に参詣すれば、功徳があるどころか、大聖人のお叱りを受けて、罰を受ける
だけである。」
(以上引用)1993年の11月7日付
【暗黒の富士宗門史-日顕宗の淵源を切る
~謗法の大石寺に大聖人の魂は住まない~より抜粋引用】
明らかに「ある学会員さん」は上記の指導を逸脱しているといえますが、
彼の我見によると、『日蓮大聖人が御本尊を顕された地が「大謗法の地・日本」であるから』
大石寺が謗法の地であっても板曼荼羅にも功徳があるという証拠としています。
どうやら、「本義の広宣流布」としての御本尊建立と「化義の広宣流布」としての
御本尊受持を混同されているようです。
これも「教義条項の改正」がもたらした結果であるといえるでしょう。
さて、創価学会は今回「解釈の変更」をしたことになるのですが、実は昭和27年
頃の創価学会の教義条項にあたる会則は
「この法人は、日蓮大聖人の一閻浮提総与の大曼荼羅を本尊とし、日蓮正宗の
教義をひろめ」 (昭和27年 創価学会規則 )
とあるだけなのです。
戦後創価学会は宗教法人として完全に独立し、日蓮正宗の教義をひろめる事を
学会活動としていたわけですが、「一閻浮提総与の大曼荼羅」を
「弘安二年十月十二日書写の御本尊」であると定義づけていたのが
「日蓮正宗の教義(理屈)」であることは論を待ちません。
だからこそ、大石寺の板曼荼羅を『受持の対象としない』(2014 会則改正)としただけで
現在、創価学会において「受持」を認められている曼荼羅はすべて、
「一閻浮提総与の大曼荼羅」と同じ意義があるのです。
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