だが光だけでも、まぶし過ぎて何も見えない。
少しでも光があるから闇を感じ、少しでも闇があるから光を感じる。
光は闇がなければ存在できないように、闇も光がなければ存在できない。
闇と光はどうしても離れられない関係にあり、常に一体だ。
つまり、どれだけ暗い闇に見えても、必ず光とつながることができるということだ。
それが「存在」というものであり、私たち自身だ。
そして、どれだけ闇につながるか、光につながるかは、実は私たちの「選択」次第だ。
単純に、「決めた!」と思う選択だ。
なぜなら、私たちが闇と光でできているからだ。
闇と光は、常に私たちのすぐそばにある。
いや、闇と光は私たちの中にあり、私たちは闇と光そのものだ。
そして、実は私たちは永遠の存在だ。
永遠でないと思っているのは、時間の産物である思考のせいだ。(いや、時間が思考の産物か…?)
とにかく、有限なエゴ(自我)を見つめているから「永遠でない」(有限だ)と思うのであり、エゴ(自我)と一体になってしまっているからだ。
だか、光は永遠だ。
光が「永遠」だということは、つまり「今この瞬間」にも有るということだ。
だが逆に言えば、「常に全く無い」とも言えるのだが。(笑)
闇だけが永遠に有るという状態も勿論あるからだ。
闇ばかり選択していたら、光は全く見えない。
だが、闇の中には必ず光がある。
私たちの存在は確かに闇とも言えるが、光そのものとも言える。
闇と光の「コントラスト」(対比・比較・バランス・調整)が人生だ。
どちらかに傾きすぎると、全く何も見えなくなる。
闇と光の意味を知るべきだ。
それを知ったときには、怖れずに光の中に溶け込んでしまうこともできる。
勿論、怖れずに闇の中に溶け込んでしまうこともできるが。
人生は、いつだって選択だ。
そして私は、常に怖れのない、そして心地よい選択をその都度自由にしたい。
私は、人生の「影」を頼りに、闇と光を探ることができると思っている。
人生は闇と光を知るためにある。
そして、バランスをとりながら、それらを楽しむためにある。
有るものは有るのだから。
今も。
そして、これからも永遠に。
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