音楽を愛する人なら必見!という映画があるが、中でも『ブルース・ブラザース』(THE BLUES BROTHERS/1980)はその筆頭格と言い切って否定する人はいないと思う。今更、解説不要なくらい“マスト”な作品だが、明日3月5日はベルーシの命日でもあるのでその魅力を改めて振り返りたい。
1975年10月にスタートしたTVバラエティ番組『サタデー・ナイト・ライブ』にレギュラー出演していたジョン・ベルーシとダン・エイクロイド。二人がフロントマンとして立つブルース・ブラザースは、エイクロイドが違法経営するバーで発案され、番組の1コーナーとして開花した。その後、ベルーシが主演した映画『アニマル・ハウス』が78年に大ヒット。ブルース・ブラザースは実際にバンドとしてもステージをこなし、78年11月にリリースされたファースト・アルバム『Briefcase Full of Blues』が翌年早々全米1位に輝く。ディスコ全盛期にあって突如ブルースが復活したのだ。それくらい彼らの影響力と人気は高まっていた。映画化の話はハリウッドの重役との電話1本で決まったという。
脚本はエイクロイドが担当。撮影は79年8月からスタートしたものの、ベルーシの重度のドラッグ常用が災いしてスケジュールも予算もオーバーしてしまう。シカゴ市とイリノイ州の好意的な協力の反面、監督のジョン・ランディスはベルーシとの撮影には疲労困憊したらしいが、それでもベルーシのカリスマ性は疑いようもなかった。エイクロイドはこのトラブルまみれのパートナーを擁護し続けた。
当時、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズとも親交のあったベルーシだが、キースもこの男に魅せられた一人だった。「クレイジーな奴らとさんざん付き合ってきた俺の基準で測っても、ベルーシと過ごした時間は特別な体験だったよ」
伝説のコメディアン、ジョン・ベルーシ扮するジョリエット・ジェイク・ブルース。そしてベルーシのパートナーであるダン・エイクロイド扮するエルウッド・ブルース。人呼んで“ブルース・ブラザース”。
映画は出所してくるジェイクを、エルウッドが中古で手に入れたパトカー“ブルース・モービル”を従えて刑務所前で出迎えるシーンから始まる。二人が育った孤児院が資金難で5000ドルの税金が払えず差し押さえの運命にあることを知ると、出向いた教会で導きの光を見るジェイク。「バンドだ! バンドしかねえ!」
二人は神の使徒となって、解散状態の自分たちのバンド=ブルース・ブラザース・バンドの再編成に乗り出すべく、次々と昔のメンバーのもとへ。警官、謎の女、右翼団体、カントリーバンドらを巻き込んでのドタバタ劇が繰り広げられる中、バンドは遂に大金が稼げるコンサートを開催。そして5000ドルを手にシカゴの税務署へ急ぐ二人。しかし、彼らを待ち受けていたのは!?
ジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、レイ・チャールズ、キャブ・キャロウェイ、ジョン・リー・フッカーといったビッグネームたちの出演も話題になった(さらにスピルバーグ監督やモデルのツィッギーの出番もあり)。また、ブッカー・T&ザ・MG’sのスティーヴ・クロッパーやドナルド・ダック・ダンなど“本物”のメンツがバンドを編成。ウィルソン・ピケットに捧げる「Everybody Needs Somebody To Love」、マジック・サムに捧げる「Sweet Home Chicago」など、サントラ盤は映画の興奮が刻まれた忘れ得ぬ名盤となった。
歌と踊り、笑いとアクション(カーチェイス!)といった要素が詰まっているだけでなく、映画全編に魂の救済と音楽への愛が貫かれていることに何よりも心が打たれる。黒い帽子に黒いサングラス(映画では二人はサングラスを掛けっぱなし。最後の最後でベルーシが一瞬取るだけ)、黒いネクタイに黒いスーツ(50年代のジャズマンやブルースマンは警察に目をつけられることが多かったので、あえてビジネスマンのような装いをしていた)という二人の恰好も視覚的に忘れられるはずもなく、その後も『マトリックス』『メン・イン・ブラック』など数多くの映画がオマージュしていることでも有名。
1982年3月5日、ジョン・ベルーシはドラッグの過剰摂取が原因でホテルの一室で死亡。享年33。死ぬ間際まで自ら出演する映画の企画に取り組んでいたという。98年に続編『ブルース・ブラザース2000』が公開されたが、“ジェイク”が生きていたらどんな映画になっていたことだろう。
超クールなオープニング
演奏シーンは本物の証/strong>
♪ Everybody Needs Somebody To Love
*日本公開時チラシ
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