この本を読もうと思ったのは、あるブログの記事を読んだためです。本多さんのデビュー短編集だそうで以下のお話が収録されています。「眠りの海」「祈灯」「蝉の証」「瑠璃」「彼の棲む場所」。
各話数はつながっているわけではないのですが、読んで思った印象は、死が多すぎるというものでした。とりわけ自殺が多すぎるように感じました。
色々な事情で残されてしまう人にとっては居なくなってしまった人はまさしく欠けているわけで、そういった「ない」という状態は人を生きづらくするものなのでしょうか。
「私のことをずっと気にかけていてくれたんですね。うれしかったです。本当にうれしかった」(「蝉の証」p.172)
そう気づける人は稀かもしれません。そんな人がいても気づくこともなく、いないと思い込んで日々が過ぎていくだけの方が多いような気がします。そして、本当にそんな人がいないという状況も。
負い目、というと語弊があるかもしれないけれど、「眠りの海」で語り手を「救った」存在も彼のことをずっと気にかけていたものでした。
自分に対しては、気にかけてもらえているかが気になります。でも、逆に自分だったら。他人のことを気にかけることができているでしょうか。
「高い所から夜の町を見下ろすとき、みんな似たようなことを考える。あの小さな灯りの一つ一つに、知らない人のささやかな、それでもかけがえのない暮らしがあるんだって、そんなことを考える。でもそのあとは二通りに分かれる」「そのささやかな暮らしのために祈る人と、そのささやかな暮らしを呪う人と」(「祈灯」p.115)
自分が他人のことを気にかけることができる、という自覚は翻って誰かが自分のことも気にかけてくれるという希望につながるのかもしれません。
「私は」「祈る人になりたい」(「祈灯」p.116)