子供の頃「宿題を先に済ませて、スッキリしてからテレビを見なさい」といわれた人は多いと思います。
自分ができてもいないことを他人に平気で垂れるのが、人間というものです。
このアドバイスのよくない点は、単に「大人でも簡単ではない」ところだけではありません。時間管理としてはあまり合理的でない考え方に基づいている点でもよくないのです。
時間は貯蓄はできない
たとえばゴミ出しのような、特殊な自己啓発書を読んだ直後の特殊な精神状態にない場合には、躍り上がって積極的に実行できるような行為でないタスクをこなす際、5秒でも早くかたす、というのはたいして意味がありません。
その5秒を貯めておく方法はないからです。
ゴミ捨てで5秒縮め、間髪入れずトイレをいつもより1秒短くすまし、食事をかっ込み、メールを「一瞬で処理」(といっても1件につき最低3秒はかかりますが)しても、「ふう」と一息つこうものなら、節約した時間はあっという間に「コーヒー休憩」で消滅するわけです。
そういう余計な休憩すら取らず、とにかく前倒し前倒しで「やるべきことをすべて処理」できたとしても、せいぜい1時間の余剰時間を浮かせることしかできません。その時にはもうヘトヘトになっています。
節約して作った1万円が常に1万円の価値があるのと違って、時間の場合、いつ、どんなふうにして作った1時間であるかは、大きな違いがあります。
朝起きたばかりの1時間と、一日中激しく働きまくった後の1時間にできることは、まったく違うのです。
単に時間があればいいというのであれば、夜寝る前のSNSの時間を「何か」にあてればいいわけですが、そういう時間に「SNS」以外のことをするのは、けっこう無理があります。
時間管理というのは、「今日は全体として9時間かかりそうなことを8時間45分でできそうだ」という見通しが確実になったとき、すべてに先んじて15分間、好きなことをやることです。そういうことができるようなシステムをもつことなのです。