アビスパ福岡 井原正巳監督 戸田氏直撃!代表レジェンドアビトーク!!
■最後まで諦めない 昨年16位から昇格十分狙える
日本代表の「レジェンド」が激熱アビスパトーク! 今季のJ1昇格を目標に掲げるJ2福岡は、ホームのレベルファイブスタジアムで迎える8日の開幕戦で京都を迎え撃つ。アビスパの再建は、日本がワールドカップ(W杯)に初出場した1998年フランス大会で代表主将を務めた井原正巳監督に託された。その新指揮官を、2002年W杯日韓大会の16強進出に大きく貢献した本紙評論家の戸田和幸氏が直撃。新生福岡のスタイルや目指す将来像などを語り合った。 (構成・向吉三郎)
■解説者の経験糧に
戸田氏(以下、戸田) 福岡の生活はどうですか? 僕も昨年からですが、すごく住みやすい。
井原監督(以下、井原) うーん、まだ満喫する余裕はないね。子どもが8歳と3歳で小さいので、単身だしね。
戸田 ちょっと寂しいですね。
井原 ちょっとどころじゃないよ(笑)。
戸田 アビスパの話をする前に、まず2002年の引退後の話を聞きたいと思います。
井原 すぐに指導者の道にと考えたけど、03年から05年は(解説者など)メディアの仕事をさせてもらった。(スペインの)リーガ(・エスパニョーラ)にも行かせてもらい、アテネ五輪もあった。サッカーを違った視点で見たのは良かった。それが(戸田氏にとって)今だと思うんだけど。刺激はあるでしょ。
戸田 ありますね。勉強になります。
井原 やれる人は限られていると思う。それをやりながら指導者のライセンスを取った。
■地元に有力高校生
戸田 北京五輪コーチから09年に柏のコーチになった。監督のオファーは何度かあったと思うが?
井原 うん…。でも、こっちはこっちで(コーチを)やっているわけで。(当時柏の)ネルシーニョ監督(現神戸監督)が「ずっと一緒にやってくれ」と言っている。まずは必要とされているところで、というのがあった。今回は、ネルシーニョが辞めて、自分も(契約)満了。そこから(福岡の)話が来て。
戸田 (Jリーグの監督に必要な)S級(ライセンス)を取ってすぐにやりたいという方が少なくない。自分は別の立場で下積みがあった方がいいと思うけど、井原さんほどのキャリアの方が引退して13年は長かった。
井原 いつかは、と思いながらタイミングを見ていたら、そんなになってしまったんだなというのはある。
戸田 もともと少年サッカーは盛んな町。これだけのキャリアの方が監督になるのは福岡にとって転換期になります。
井原 2種(高校生世代)とか強いし、強豪もいっぱいある。サッカーに対するポテンシャルは高い。ただ、Jのチームはいい形ではなかったと思う。その強化を福岡のサッカー関係者や応援してくださる方は期待している。
戸田 野球は福岡ソフトバンクがあって、盛り上がっている。
井原 野球は(昨年も)日本一になっているし、あれだけのお客さんがドームに毎回来るすごさをあらためて感じている。ただ、(ホークスが1989年に移転してきて)しばらくは、勝てない時期もあって、ファンの方も冷たい感じで、という時代もあったと聞いている。試合で結果を出せば、どんどんスタジアムに足を運んでもらえる。勝つところを見てもらえば盛り上がる地域だと思っている。
戸田 1年目で期待が大きい。インパクトを残せると福岡の流れが変わると思います。
井原 昨年16位のチームがおこがましいと思う人はいると思うけど、J1昇格を狙わないといけない。自動昇格でもプレーオフでも1シーズン終了時点で上がっていればいい。最後まで諦めずにやっていきたい。自分はドーハ(※1)を経験している人間。サッカーは最後の最後まで分からない。去年の山形みたいな(※2)こともあるわけで序盤に調子が悪くても最後に上がっていくチームもある。潜在能力が高い選手がそろっているし、十分に上を狙える。
■選手気持ち前面
戸田 始動する前と印象の違いは?
井原 今までやってきたサッカー(※3)が自然と根付いていて、くせが顕著に出るなというのは感じた。やろうとしているサッカーをすんなりというところは簡単にいかない。でも、選手が気持ちを前面に出してやっているという充実感はある。
戸田 キャンプや練習試合を見ていて、攻守でアグレッシブに主導権を取ってやる、というところを目指しているのかなと感じる。
井原 守備はしっかりブロックをつくって、(ラインの)アップダウンをしながらというイメージはかなりできてきた。
戸田 そこが強調したい部分ですか?
井原 それがないと前線も押し出せないし、連動ができない。始動からずっと時間を割いて練習をしてきた。グループとして(組織的に)守れるところはつくらないといけない。昔のトルシエ(※4)はそういう練習ばかりやっていたと思うけど、アップダウンによって守備も積極的にできるというところを(現時点でも)イメージしてくれている。
戸田 まもなく開幕。どこに重点を置いて戦っていきたいですか。
井原 まずは安定した守備から。いい守備があって、いい攻撃がある。
戸田 攻撃の部分の課題はありますか。
井原 リスクを冒しても攻めるところとか、数的優位をつくる方がいいとかの判断。あとは精度や狙い、落ち着きがJ1と比べて低い。そこは練習しかない。改善できる。
戸田 初めて監督をやる上で楽しみや不安は?
■重圧やりがいに
井原 不安はその初めてというところ。期待の大きさがプレッシャーになるのは当たり前。それがないとやりがいも半減する。期待に応えようという気持ちが心地よい。選手の時はそういう状況でやっていたんで。日本代表はそれ以上のものがあったし。ただ、監督はたった一人。その違いはある。
戸田 2010年に柏のコーチとしてJ2を経験した。
井原 J2は難しい。10年と今でも変わっている。J1で強豪と言われるチームでも簡単に上がれない。ただ、どのチームもハードワークをしてくる。守備を固めた上で戦術を毎試合変えるなど、J2の戦いに慣れている監督も多い。
戸田 やろうとすることが、はっきりしているチームが多い。
井原 まずは走れないと駄目。縦に速く、守備はハードワーク。そういうリーグだ。その部分もしっかりしていかないと。でも…。
戸田 「でも」なんですね。
井原 でも、そこを求めつつ、それだけではないものも持って戦いたい。しっかりポゼッション(ボール保持)して相手を崩していかなきゃいけない場面も多くなってくるし、攻めのバリエーションもカウンターだけでは駄目。今年はC大阪、大宮がJ1から降格してきて、チームのタイプも増えた。1年間、いろいろな相手がいるわけで、うまくいかないときに戦術を変え、柔軟にやれるチームを目指したい。来季以降はJ1で戦うことも見据えているし。
戸田 福岡は昨年までシーズン中盤まで良くて、その後失速するパターンが多かった。(相手に)対策を立てられたからそうなったのかもしれない。そういう意味で、いくつか引き出しがあった方がいいですね。
■柏時代を参考に
井原 相手も研究するだろうし、夏場と今では戦い方も違う。そこを柔軟にやりたい。(当時柏の)ネルシーニョ(監督)と長くやらせてもらった。ネルシーニョは相手を見て、戦術を変えたり、組み合わせを変えたりしていた。勉強になったし、参考にしたい。
戸田 (横浜M時代の同僚の)三浦文丈さんもコーチとして加わった。コーチングスタッフも大事。全部やりたがる監督もいるが、役割分担がある。スタッフもチームワーク。組閣を見たとき、やりやすい形になっていると感じた。
■スタッフを信頼
井原 スタッフを信頼している。当たり前のことだけど、一つになってやれるのはとてもありがたい。コーチのふるまい一つで選手やチームは変わる。コーチ業をしている時から感じていたものだから実際に監督になって生かさなきゃいけない。強化部やフロントも大事。全員が同じ方向に向かっていかないと、目標は達成できない。今、いい雰囲気をこのチームは持っている。
戸田 キャンプから見ていて、雰囲気が日増しに良くなっている。
井原 試合が始まると勝ち負けで変わると思うし、そういうのをみんなで敏感に感じながらも、同じ目標に向かっていけるチームだ。選手も前向きにやってくれている。しっかり勝たせてあげたい。
戸田 選手、びびってませんか? 井原さん、怒らないから、しゃべりやすいのかな。
井原 怒らないですよ。始まったら分からないけど(笑)。
戸田 目標はJ1昇格ということですね。
井原 もちろん。絶対に行けるチーム。長いシーズンなんで、いろいろな浮き沈みがある。状況が悪いときがくるかもしれないけど、チームの勝利のために応援してくれる人のためにやっていきたいと思う。最後の最後まで諦めずに戦っていきたい。
(※1)1993年のW杯米国大会アジア最終予選のイラク戦。勝てばW杯初出場が決まる日本は2-1とリードしながら後半ロスタイムに追い付かれた。悲願に届かず、開催地から「ドーハの悲劇」と呼ばれる。97年のフランス大会アジア第3代表決定戦は延長戦でFW岡野が劇的なゴール。初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」とともに語り継がれる。
(※2)昨季の山形は中盤まで10位台と低迷しながら徐々に盛り返し、昇格プレーオフ(PO)圏内ぎりぎりの6位に滑り込んだ。PO準決勝の磐田戦では後半ロスタイムにGK山岸がCKを頭で決める奇跡の展開で磐田に勝利。千葉にも勝ってJ1昇格を決めた。
(※3) プシュニク監督は前線から激しくプレスをかける超攻撃的サッカーを志向した。
(※4) 2002年W杯日韓大会で日本を初の16強に導いたトルシエ監督はDF3人が1列に並ぶ「フラット3」が代名詞。守備陣のみでDFラインの上げ下げをする練習などが繰り返された。守備的MFの戸田氏の貢献も大きかった。
=2015/03/04付 西日本スポーツ=