私は村上さんの全ての作品を読ませていただいてます。何度も読み返している作品も多数あります。とても楽しませてもらい、いつも感謝しております。ありがとうございます。
ただ以前から一つ気になっているのが、不倫を肯定的に描かれている様に思う事です。それは作品を面白くするためなのか、それとも村上さんの何か信念のようなものなのかが知りたいです。私個人としてはどうしても肯定的に捉えることができないので(全ての不倫を否定する訳ではありせんが、どうしても裏切り行為と見えてしまうためです)、何かしっくりこない違和感が残ります。もし肯定されるのなら、その理由をお聞かせいただければと思います。末筆ですが、お体を大切にしていただき、これからもたくさんの作品をお待ちしてます。
(take2015、男性、47歳、ドライバー)
そうですか、そんなに不倫のことをたくさん書いていましたっけね。思い出せません。とくに意識して書いたことはないんですが。
ご理解いただきたいのですが、僕は別に不倫を肯定してるわけではありません。ただ人の心というのは、うまく制度に沿って動くとは限らないものです。そこからはみ出してしまう心の動きもあります。そこにあるいろんな現実をいろんな側面から描くというのは、小説のひとつの本来的機能であって、肯定する否定するというのはまた別の問題になります。『ボヴァリー夫人』においてフロベールは、『赤と黒』においてスタンダールは不倫行為を鮮やかに描いています。それらの当事者はおおむね悲劇的な結末を迎えますが、その著者たちは決して不倫行為を批判しているわけではありません。否定も肯定もしていません。ただ静かな(そして憐れみを込めた)視線でその運命を見つめているだけです。小説というのはもともとそういうものなのです。ご理解ください。
村上春樹拝