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Apes! Not Monkeys! はてな別館

2015-01-08

[]経済的な加害について

すでに多くの読者の方がご覧になった記事だと思いますが。

「偽札」というなら、敗戦が不可避になって以降も発行された軍票なども良心的な当事者なら「偽札同然」だと認識していたでしょうね。紙屑になることは目に見えていたわけですから。

この偽札作戦が実際にどの程度の経済的な打撃を中国社会に与えたかはともかくとして、ただでさえしっかり認識されていない大日本帝国の戦争加害のうち、略奪や軍票の乱発に代表される経済的な加害というのはさらに過小評価されているように思います。

しかし占領地に暮らす特に貧困層の人々にとっては、経済的な収奪というのは直ちに命の危険に結びつくものです。その典型的なケースが大戦末期に現在のヴェトナムで発生した多数の餓死でしょう。餓死に至らなかったケースでも成長期に飢餓状態に晒されたために長らく健康被害に苦しんだ人が多数いたであろうことも想像できます。こうした目に見えにくい加害にも目を向けなければ、戦争をトータルに理解することはできないでしょう。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2015/01/08 16:03 例えば、
「不況で現実に多くの生命が失われる。経済政策は人権の問題なのだ」
(3.11事故後の「電力が足りないと人が死ぬ」も同型)
という主張はそれ自体としては妥当であると考えますし、僕もそうした発言をしています。

しかし、そうした主張をするのであれば、こうしたいわば「戦時経済犯罪」重視するのは理の当然だといえます。
こうした事例を軽視あるいは無視する経済重視のお歴々が信用ならないというのは繰り返し確認していく必要がありますね。

ApemanApeman 2015/01/08 21:41 地下猫さん

まあはてな界隈では「福耳先生」案件とか「リフレ」案件でおなじみの議論ですね。

Bill_McCrearyBill_McCreary 2015/01/09 06:50 香港なんかでも、この軍票の問題がものすごいダメージであって、80年代くらいまではこれによる反日運動があったはずです。ちょっと書名をメモしなかったんですが(数冊まとめて読んだので)、高橋晄正氏の著作で、60年代に香港にビジネスで渡航した日本の人が、先方からこの件で話をされて最初何がなんだかさっぱりわからずにいたということが書かれていました。

>経済的な加害

たとえばソ連にしてもポーランド、あるいはチェコスロヴァキアなどもそうですが、第二次世界大戦での損害のすさまじさは、まさに想像を絶するわけで、ソ連なんかその恨みもあり旧東独からけっこう過酷にさまざまな物資を収奪したなんて話もありますしね。朝鮮しかり、ベトナムしかり、アルジェリアなどもそうでしょう。そう考えると、とくに中国での日本は他国よりも長きにわたって戦争を続けていたのですから、まさにその加害も想像を絶しますよね。なにしろ日本軍は「現地調達」ですから。自国の話ですが、沖縄だって、沖縄戦がなければ・・・というところでしょう。

ApemanApeman 2015/01/09 20:50 Bill_McCreary さん

>高橋晄正氏の著作で、60年代に香港にビジネスで渡航した日本の人が、先方からこの件で話をされて最初何がなんだかさっぱりわからずにいたということが書かれていました。

ちょっと話はずれますが、本日『週刊文春』と西岡力を訴えた植村元記者に対するバッシングも「慰安婦と挺身隊が別物だということは簡単にわかったはず」という前提に依拠しているわけですけど、実際問題としてそんな区別に詳しい人間なんてそんなにいなかったと思うんですよね。60年代に香港に行った人ならまず間違いなく戦中派だろうと思いますが、それでも軍票問題を知らなかった、というくらいですから。

>なにしろ日本軍は「現地調達」ですから

そうなんですよね。戦後の中国の国家建設の困難の大きな原因の一つとなっていたはずです。「大躍進」やら「文革」やらを気軽に中国 Dis の材料にする右翼は多いですけど、それって日本の侵略戦争と無関係なの? といつも思います。

rawan60rawan60 2015/01/10 16:38 >「慰安婦と挺身隊が別物だということは簡単にわかったはず」という前提に依拠しているわけですけど、実際問題としてそんな区別に詳しい人間なんてそんなにいなかったと思うんですよね。

何せ「民間の業者が軍とともに連れ歩いた」(1990年6月)と答弁して、実態が解明されていないのを利用して(解明する姿勢をも拒否して)責任逃れをしていたのは他ならぬ日本政府ですからね。

えぐちえぐち 2015/01/10 22:08 NHKで以前放送された「円の戦争」という番組でも、この経済被害について取り上げていました。

軍票ではありませんが、実質的にはさほど違いの無い「中国聯合準備銀行券」や「中央儲備銀行券」を発行して、当時の金額で数千億円を発行していたとか。

なんとも豪快というかなんというか。


≪NHKスペシャル『圓の戦争』 より文字起こし≫
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11287692118.html

「日中戦争から終戦までの8年間、戦費は分かっているだけで7559億円、現在の価値で300兆円を超える。少なくともその4割が「預ヶ合」によって賄(まかな)われていた。現地から収奪した金で戦争が続けられ、更に多くの兵士や民間人の命が奪われていった。それでも軍部は、終戦間際まで「本土決戦」を叫び、経済的な破綻からは目を背け続けた。」

ApemanApeman 2015/01/10 22:57 rawan60 さん

そうそう。
なんで右派は「事情を知ってたのに沈黙を守っていた」戦中派を非難しないんですかねぇ。

えぐちさん

2011年の番組ですね。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20110817/p1
これ、無理な仮定をいくつか重ねて仮に日本軍が勝ったとしても、後始末ができたかどうか怪しいレベルの通貨乱発ですよね。

EzoWolfEzoWolf 2015/01/11 00:10 登戸での偽札作りについては昔NHKブックスで読んだのですが、
当初の目論見の「経済的な打撃」については戦時下のインフレ
に埋没して効果はなかったとありました。
それよりも日本の軍票や傀儡政権の紙幣が無力だったので、
登戸で印刷された法幣が物資調達の重要な手段となったそうです。
あと南京占領後は「正規の原版」使ったなんて話も載ってました。

ApemanApeman 2015/01/11 01:01 EzoWolf さん

私自身が経済的な事柄については疎いこともあって当ブログではあまり扱っていませんが、日本が「通貨戦争」において法幣に対し苦戦していたことについては
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080915/p1
なんかでちらっと触れてました。法幣をあなどった、というのは言い換えれば中国人のナショナリズムを当時の日本が侮っていた、ということなのでしょうね。

太刀川太刀川 2015/01/13 23:15 日本軍によるベトナム大量餓死って、それは反日ブサヨの捏造とバレてるが何か?www

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ベトナム200万人餓死説がウソであることを示す当時の状況

1941(昭和16)年大東亜戦争開戦に先立ち仏印政府と協定して仏印に進駐した。
この時当然ながら行政権は仏植民地政府が持っていた。
日本が仏印(ベトナム)の行政権を奪取したのは漸く1945年3月9日である。
従って日本軍が行政を支配できたのは敗戦までの僅か5ヶ月間である。
5ヶ月間に200万人を餓死させるのは物理的にありえないのである。
コメの輸送を破壊したのは日本軍ではなくて連合国側である。
ハノイ人民委員会幹部「南の穀倉地帯との鉄道が連合国軍の爆撃で途絶えがちだったことも確かで」

高山正之(帝京大学教授)は産経新聞編集委員時代、「異見自在」のなかで、この問題に終止符を打つ事実を報じた。
(二百万人餓死問題について)、ハノイの人民委員会幹部はあっさり「政治宣伝だった」と認める。
「あの当時、ハノイ大洪水と干ばつに交互に見舞われ、多くの餓死者がでた。
それを時期的に合うので日本軍と結び付けた。
ただ、南の穀倉地帯との鉄道が連合国軍の爆撃で途絶えがちだったことも確かで、
だから日本にも50万、いや5万ぐらいの責任はあったはずだ。」
1999年7月17日付「学識経験者って何者だろう」より

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さらに詳しいことは以下のリンクを読もうなwww
ま、都合の悪い事実を華麗にスルーする反日ブサヨのことだから読みもせずに「そんなのはネトウヨの嘘ニダ!」とか喚くんだろうがなwww

ベトナム「200万人餓死事件」― ウラ付け取材なしの断罪報道 ―
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/others/200-gasi-jiken.html

これに反論できるなら反論してみろよwww
ま、歴史教科書とブサヨ本でしか歴史を学ばない化石化した反日ブサヨには無理な相談だろうがなwww

rawan60rawan60 2015/01/14 05:51 「しかし占領地に暮らす特に貧困層の人々にとっては、経済的な収奪というのは直ちに命の危険に結びつくものです。その典型的なケースが大戦末期に現在のヴェトナムで発生した多数の餓死でしょう。餓死に至らなかったケースでも成長期に飢餓状態に晒されたために長らく健康被害に苦しんだ人が多数いたであろうことも想像できます。こうした目に見えにくい加害にも目を向けなければ、戦争をトータルに理解することはできないでしょう。」

を、「日本軍がヴェトナム人を200万人餓死させた」と脳内変換させて草を生やすバカがまた一人……

「50万いや5万くらい」なら餓死に責任を感じない人間が200万人じゃないのだからと歓喜して勝利宣言する愚かさ……

200万人を餓死させて何も責任を感じない人間がいるとすれば、それは「50万いや5万くらい」の餓死に責任を感じない人間であることは確かでしょうな。

ApemanApeman 2015/01/14 10:18 rawan60 さん

自ら進んで「日本にも50万、いや5万ぐらいの責任はあったはず」としているコピペ(自分で記事を調べないあたりが安定のネトウヨクオリティですが)を持ち出しておいて「皇軍無罪!」と思ってるんですから、救い難いですね。

赤猫赤猫 2015/01/14 12:45 太刀川君へ

一番criticalな反論はrawan60さんとApemanさんがなされたので、私は落穂ひろいで人間性の破綻しているお馬鹿さんのゲスネタに突っ込み

>1940(昭和15年)の7月、この地の支配者であったフランスはドイツに降伏し、フランスに対ドイツ協調の「ビシー政権」 が誕生しました。
>日本は仏印に航空基地、港湾施設の確保が急務であったため、仏印と交渉のうえ、日・仏印軍事協定の調印に持ちこみます。ですから、日本軍は占領軍としてではなく、進駐軍として進駐していたことになります。

ナチの傀儡政権とナチの同盟国の「交渉」が対等なものであるとか、ナチ傀儡政権の植民地へのナチ同盟国軍の「進駐」が実質的な占領ではないと思えるのは知性が足りないからという理由以外は無い。

そして、「仏印進駐はフランス植民地体制を温存したままでおこなわれた」と産経等の馬鹿右翼が絶えず主張している「大東亜戦争は欧米植民地からのアジアの解放」の間に何の矛盾も感じないのが馬鹿の馬鹿たる所以。その場しのぎの適当な嘘や思い付きで誤魔化すから根本的な矛盾が生じる。まあ、太刀川君達をはじめとする知性と誠実さを持ち合わせていない頭の悪い屑相手の商売だから、その場しのぎの嘘だけで十分と判断しているのかもしれませんがね。


>21師団は多くみても25,000人。1人1日コメ5合(750グラム)として、師団全員のコメ消費量は、1日18,750キロ、1年間の所要量が6,843.75トン という計算になる。ところが、報じられたベトナム側の発表の46万8000トン(初めの3ヶ月間)が正しければ、日本軍が68年分以上のコメを調達した ことになる。また、355万トンは日本軍の消費量の518年分 になり、正気の沙汰ではない。
日本がベトナム占領軍の消費分しかコメを徴収していないと考えるのは「正気の沙汰ではない」。「大東亜戦争」の目的を知らない阿呆の戯言以外の何物でもない。

※1941年11月20日、大本営政府連絡会議において決定された南方方面に関する基本方針をのべた「南方占領地行政実施要領」

第二 要領 
二 作戦ニ支障ナキ限リ占領軍ハ重要国防資源ノ獲得及開発ヲ促進スヘキ措置ヲ講スルモノトス 占領地ニ於テ開発又ハ取得シタル重要国防資源ハ之ヲ中央ノ物動計画ニ織リ込ムモノトシ作戦軍ノ現地自活ニ必要ナルモノハ右配分計画ニ基キ之ヲ現地ニ充当スルヲ原則トス

そして、実際に農林省の統計で、日本本土への米のベトナムからの輸出量は1940年44万トン、1941年56万トン、1942年97万トン、1943年66万トン、1944年50万トン、1945年4万5千トンとなっている。


以上のように、ほんの少し調べただけで、太刀川君の元ネタが産経系の屑のいつもの「息をするように吐いた嘘」であることがわかる。そして、太刀川君のような知性と人間性が劣悪な屑が嘘を真に受けて嬉々として披露して、恥に恥を上塗りするといういつもの醜悪で滑稽な無惨な光景。

太刀川君、君は生きていて恥ずかしいと感じないのか?これからも人間の屑として恥と害悪をまき散らしながら生きていく気なのか?その屑そのものの人生を改める気はないのか?多少なりとも知性と恥を知る人間であれば、その恥と害悪塗れの屑な人生を改めなければいけないと思うはずだ!


追記
ところで、日本の加害に関してはベトナム政府の言い分をすべて「プロパガンダ」で片づけるお馬鹿さん達はベトナム戦争での韓国軍の加害についてはベトナムの「プロパガンダ」を全面的に採用するの何故ですかね?(厳密には、ベトナム側でさえ主張していない加害をでっち上げてもいますがね、ライダイハンの件とか)

ルートヴィヒ29世ルートヴィヒ29世 2015/01/14 17:04 ハンドルネームを微妙に替えて投稿する人がしばしばいますが(大抵右翼言説でもって殴り込みを掛けてくる人ですね)、そこに彼らの持つ自分自身への後ろ暗さと、それに向き合いたくない心理とが、垣間見える気がします。

赤猫赤猫 2015/01/14 21:08 >ベトナム「200万人餓死事件」― ウラ付け取材なしの断罪報道

学術調査の概要を見つけました。ベトナムと日本の学者によるしっかりとした調査だったことが読み取れます。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sea1971/1996/25/1996_25_137/_pdf

・1940年9月の日本軍北部仏印進駐に始まる日仏共同支配期を経て, 1945年3月9日の日本軍によるいわゆる仏印処理以降は日本の単独支配下に置かれていた。そのような状況の中, 1945年の前半にベトナム北部では飢饅が発生した

・文献史料は豊富だが科学的かつ慎重な扱いが必要であって, 餓死者の数を明らかにするためには歴史社会学の方法による実地調査が重要な史料となることが指摘され, 本書の重点が21省・市の計23の地点における実地調査の結果の提示にあることが示されている。

・結論では, まず, 飢饅がクアンチ省以北の北部全域で発生し, 中心は北部の沿岸諸省で, 他の諸省でも被害は深刻だつたと述べられている。また, 調査地点中総人口に
対する餓死者の比率の最も高い各地点と最も低い各地点とに基づいて平均値を出すと少なくとも15%になり, これが現実に近い数値だろうとしている。また, 飢饅による被害ぷすべての階層に及び, 特に雇農, 貧農, 手工業従事者, 漁民といつた貧しい階層が深刻な被害を受けていると指摘されている。次に, 飢饅を引き起こした最も根本的な原因は日本とフランスによる米の徴発であり, そのうち主として責任を負うべきなのは日本であると述べられる。

以上を読めば、高山の言う「ベトナム研究で知られる東京の某大学教授は、高山のこの疑問に「へっ」「日本の支配って5ヵ月間なの?」という話が紹介されていて、笑ってはいけないところでしょうが、思わず笑ってしまいました。」が嘘である事は明らかになります。流石に太刀川君でもそのぐらいのことは理解できるよね?(自身なさげに)

そして、このような学術調査は信じたくないが、捏造を生業としている屑が話す実在しているかどうかすら怪しい「人民委員」が語ったとされる言葉で、「反日ブサヨの捏造とバレてる」と断言できる太刀川君の首の上の無意味な付属品の中身がいとをかし。


>ま、都合の悪い事実を華麗にスルーする反日ブサヨのことだから読みもせずに「そんなのはネトウヨの嘘ニダ!」とか喚くんだろうがなwww

さて、太刀川君は「都合の悪い事実」を華麗にスルーしないそうなので、提示された事実についての感想をぜひ述べてみよう。太刀川君の首の上についているその無意味な物体でも流石にそのぐらいの働きはできるよね?(さらに自身なさげに)

TeruTeru 2015/01/14 23:19 実質「以下のリンク」と称する記述のコピペに頼り切っておいて、
「歴史教科書とブサヨ本でしか歴史を学ばない」とかいう脳内設定は、
既に、他の資料の引用提示により破綻していますが、補足を。

まず、大日本帝国のコメの自給は、
あくまで支配地域(対米開戦前なら、台湾や朝鮮半島)からの「外米」輸入により、
国内の干ばつといった不安定要因を吸収させて確保されていました。

この「外米」前提の需給は、旧軍の大陸での戦線拡大に伴い、
80万人以上も本土から労働力を兵役に回したり、
朝鮮半島の生産分を大陸作戦用に振り向けた時点で崩れ始めました。
その分の埋め合わせもまた、
大日本帝国は新たな経済支配地域からコメを取ってきて確保しようとしました。

次の大学紀要に引用されている、
「食糧管理局「米穀摘要・米麦関係法規」19」等が示す、
仏印・タイ・ビルマからの輸入量とその推移では、
1940-43年の間だけ、輸入量が急伸しています。
https://toyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=6825&item_no=1&page_id=13&block_id=17

>この疑問に「へっ」「日本の支配って5ヵ月間なの?」という話が紹介されていて、
>笑ってはいけないところでしょうが、思わず笑ってしまいました。

1945年3月といえば、欧州ではヒトラーのドイツの瓦解が確実になった時期であり、
他方、大日本帝国にとってはフィリピンの攻防でアメリカに敗れていた時期でもあります。

仏印の旧日本軍は、
そこまでは、フランス植民行政に駐留経費を出させておきながら(軍票を用いない程に、経済的に活用)、
もはや日本本国との交易が不可能になってから、
現地の離反を恐れて直接統治に走った事となり、
「戦後」のベトナム現地人の生活の事などより、
自らにとっての戦局で動いたのだろうと。

#2015/01/14 22:45はURLが誤っていたので、
こちらを残して、消していただいて構いません。

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