RG12200

physical pleasureのBlog

こちらはサークルPhysical Pleasureの管理人、サバスチャンのブログです。おもに近況を不定期更新していきます。※18歳未満閲覧禁止

1 7月

【作品サンプル】ヒーロー@ハーレムリメイク版

さて今まで出してきた内容をまとめて、改めて今回発表する
「ヒーロー@ハーレム#0~re:construction~」の改良点とサンプルを紹介します。

今作は、2010年6月に発表した第1作「ヒーロー@ハーレム」のリメイク作品です。第0話ということで、#0とし、ネーム、絵の再構成ということでreconstruction(再構築)という副題がついています。

【改良点】

・表紙のカラー化
・ほぼ全コマの線画の書き直し、トーンの張り直し
・話の流れ上、不要(と僕が判断した)ページの削除
・話の流れ上、必要なページの追加
・構図、コマの書き直し
・ページ画像の軽量化(画像の重さを軽くしています)
・ページ画像の拡大(いわゆるwindows media playerなどで見たときの画像を、小さかったものをより大きく、見やすくしています)


【表紙】

表紙1-14-6






⇒表紙は本編とは関係があるようでないような・・・、愛川の水着が描きたかったのと1作目なので爽やかな
感じにしたいなぁと思っていたらこうなりました。

【サンプル】

412151821






2227283132







内容は、表紙・目次ふくめ本編36ページ、おまけラフ(没ラフ、カット、表紙案など)7ページ、あとがきの計44ページになっています。属性は巨乳、ぶっかけ、アヘ顔が主です。

価格はリメイク前をDL頂いた方は無料(差し替えなので)、新規の方は今までどおりです。

表紙やサンプルを見て気になった方、属性にビリリと来た方などは、ぜひ御覧になってみてください。

委託サイトはDLsite.com、DMM、デジケット、メロンブックスです。

僕の遺伝子のたっぷりつまった第一作を、どうぞ宜しくお願いします。

※参考

DLサイト評価内訳(5点満点、2013/1/16時点)
平均4.039



8 6月

お知らせ2

連絡先のメールアドレスが変更になりました。

⇒新)jnphysical●gmail.com(●⇒@)

加えて申し上げておきますが、当サイトではブログにコメント欄などは設けておりません。管理人に連絡のある方は、全て上記のアドレスにメールで頂くようにお願いします。
それ以外の形で連絡やメッセージを頂いても、管理人としてブログ上でそれに答える、などは一切致しません。個人間のやり取りになりますので、
ご用のある方は必ずメールで連絡を頂きますようお願いします。

以上、宜しくお願い致します。


21 2月

拍手機能の削除と変更について

さてブログについてだが拍手機能を3月上旬までに変更しようと思う。いままでは記事ごとにつけていたものを、まとめて一つにしようと思う。

というのも僕のブログは見てくれている人があまり多くないんだけど、最近拍手数がかなり伸びてきている。ので、「人気のある、あるいは人気の出てきているブログなのかな?」と始めてみた人やこれから僕の作品を通してみてくれる人は感じるかもしれない。それが嫌だからだ。

僕はこの中身と見た目が違うというのあまり好きではなく、アクセス数が少ないなら、拍手数もそれなり。大体0か1くらい、というのがちょうどいいと思っている。実際アクセス数はそんなものだし。実際作品も新作といえるのはでていないし。作品を出すペースが遅いのは、僕の活動がゆっくりしているからでそれは自覚しているからいいんだけど(昨年4月にブログに描いたとおり)、作品がでていないのにブログだけ盛り上がっていくの気味が悪いし、いや。人気のあるブログだと勘違いされて、そっちだけ盛り上がって行くのは嫌。

作品が素晴らしく高評価で、それで世にでていくなら本望。それこそ僕がこの活動をやっているすべて。でもそれ以外のところで注目を浴びたくない。自分は庶民だし創作だけをやっているわけではないから。

そういうような思いが、昨年くらいから少しずつくすぶっていたので、今回決断し、拍手機能を一つにまとめることにした。拍手してくれるのは有難いけど、過度なものはいらないです。

自分はほかのクリエイターさんと同様(だと思いますが)自分の「作品」が認められて、それで高品質だと言われて、それで世に出て行く。作品の評価‘のみ’で認められていきたい。
絵なら絵のうまさ、独特の味/個性。文章なら文章のうまさ/テクニック、個性、文体など。そういった作品の魅力で評価されて世に出ていきたい。そのような作り手なんです。それを理想というか信条にし、活動しています。

そういう制作者側の心情があるのだということをこれを機会に知ってください。

よって上述したように、拍手機能はこれから作り直し、3月上旬ごろまでには今まで記事ごとにつけていたものを削除し、ブログ全体の拍手というように一つにまとめる形に変更しようと思います。
管理人としてはそのようにしていきたいと思っているので、縁のある方はよろしくです(^^)


 
21 2月

2014年ツイートアーカイブ

昨年twitterでつぶやいてきた中で、自分なりに「印象的だな」と思ったものを振り返りました。
ツイッターはブログ右のブログパーツからチェックできます。更新頻度はそれほど多くありませんが、興味のある方はぜひご覧ください。

※僕なりの考えを述べているところも多いです。合うところは合う、合わないところは合わないなという感じで見ていただけると幸いです。

■2014年ツイートの振り返り

・1月

○3日

作品を創ることにどのくらい不自由さと抑圧を感じるか。そしてそれが解消して行く「喜び」を感じているか。気持ちの面での抑圧と、それを解消しようとする無意識からの衝き上げ、衝動(無意識の「力動性」)⇒描画⇒無意識の意識化⇒抑圧の認識⇒喜び。
この喜びが多いほど、作品への愛情が強くなり、その質が上がっていくと思う。スキルの高さも大事だが、テクニックの巧拙如何に関わらず、この創作に関わる喜び、作品にこめられた愛情も、作品を評価する基準/ベクトルとして大事である。
その点、自由度の高さに充たされるのもいいが、逆に上手くなっていくとどこか失われていくものがある。評価基準でいえば、テクニックは10点がついても、創作の喜び、愛情という基準では2点とか3点とか。

○19日

料理にしても、創作にしてもこの「仕上げ」ること。そしてそれを繰り返すこと(反復、継続)。これらがなかなかできがたいし、なればこそ大切だな、と作っていて思うことが多い。
未熟でも物事を「続ける」ことで少しずつよくなっていく。たとえ上達しないなぁと思っても、続けることで、何かがよい方向に変わっていくんじゃないだろうか

○26日

マンガでも微エロの作品を見ることがある。濡れ場があるものよりもいいなと感じるものは、婉曲表現をすることによって、逆にエロスが際立っている場合かも知れない。
光を描く場合でも、より直接的に光そのものを描くこともある。しかし暗い色を使い、画面の大部分に影を落とすことによって逆にそれ以外の部分を明るくし、光を表現する方法もある。方法はいろいろとあるわけだが、この場合、何を表現したいのかというその「中身」が重要になる。AVの場合はよりエロスが際立てばいいので、婉曲的であれ直接的であれ、その描き方によってより中身であるエロスを効果的に表現している作品が、優れている。そういうことになるんだろう。
初々しいか、2、3作目か。微エロか、本番ありか。その方法は色々あるが、表現したいものは何か。まずその中身、本質があり、次にそれを最も効果的に表現できている作品がいいもの、となるんだろう。

○30日

はじめはどこからで、今自分はどこにいるのか。その出発点と今のつながりは何か。昔を思い出せるものならばなんでもいいのだが、特に音楽を引き合いに出すことが多いのはその時の気持ちをより克明に曲が表象するからかもしれない。生きていく中で過去から現在に向かって失われてきたものは何で、また新しく得てきたものは何か。後から後天的に獲得されてきたものと、僕がもとからもっていたもの、先天的にもっていたものは何か。
サッカーの本田がACミランに入団したのだがインタビュアーに「ミランを選んだ理由は」と聞かれたときに、自分の心の中にいるリトル本田にたずねて答えを出した、というようなことを答えていた。
リトル本田が何を意味するかは彼に聞かないとわからないが、幼少期の自分が望んでいたもの、その総合、と理解すると、なるほどと思わされる部分はある。
経験も知識も浅く、今から思うと弱かった頃の自分が、手が届かなかったもの、それゆえに欲しかったものは何か。ACミランに入るという決断は大きいものだっただろうが、子どもの自分が「それを望む」と答えたことが決断の背中を押したのではないだろうか。
ブログやtwitterに文章が多いということや「文章を書きたい」という欲求が強いこと。また成人向けの(Hな)マンガをメインに描くことを選択していることのおおもとのところの鍵がそのあたりにある。創作をしていくときに小さい頃の自分が「こういう絵が描きたい!」というものを描いていくこと。「こんな文章が書きたい」という文を書き続けること。それが私にとっての、最も私らしい選択であって、自己にしか歩むことのできない独創の道である。
三つ子の魂百まで、と言う言葉があるが、もし小さかったころの自分がどこか心の中に生きていると仮定して、その自分が「こっちの道がいいよぅ」という方を選択する。なんとなくそっちを選ぶとあとから後悔することも少ないような気がする。
今までは気恥ずかしかった(そしてしようという気も起きなかったのだが)、最近詩のような文章が少しできてくるので、ブログかツイッターに掲載していこうかと考えている。またいきなり小説、となると大変だが短文だとそれにつながる何か手ごたえが得られるかもしれない。
やはり作品をつくっていくことは自分の世界の見え方や、主観性、大仰な言葉を使うと世界観なるものを表現していく。そして見てくれた人に、ある種の感動を与える。その辺が創作者であり、かつ独創性/オリジナリティを求める者にとっては、「基本」ということになってくると思う。
自己がオリジン(起源/発端/源泉)となることの快と孤独感。そのせめぎあいのおもしろさ。そのジレンマ(葛藤)を僕は楽しんでいくべきかと最近思っている。文章欲求が強いのならそれを活かせ。
マンガならネームを大事にしろ。より話の流れ/おもしろさや構成力で読ませろ、ということだろう。「個」を活かすということは、自分が人と違うところを肯定し、そこをストロングポイントとして伸張させていくことだと思う。
まさかHなマンガを描こうとして、ここまで文章がでてきたり、ブログを書いたり、詩にまでも言及するとは思ってもいなかった。書きながら、今までも、都度発見、感動があり楽しんでやってこれた。自己の掘削作業というか、遺跡の発掘をしているのと似たような感覚があるんだよね。
その辺は、創作、マンガや小説という分野に対し、多謝というしかない。人に向けて発表するのが、他人よりもずっと遅かった分それはいつも痛感させられているし、その分楽しさも多い。そう思っている。
人と違うことを肯定する深い海のような懐の深さが、芸術/創作という領域にはある。であるが故に恐れず個を発揮せよ。3年半以上やってきてその辺のことが実感として知らされてきた気がするし、そのために自分として、どのような手段をとるのがよいかも少しずつわかってきた。その満足感がある。

・2月 

○9日

文章だけでなく絵でも、もう一段、もうワンレベル、オリジナリティ、俺らしさを追及していこう。

○12日

こうやって書いていて思うけど、多分絵か文章かでいったら文章の方にアドバンテージがあったような気がする。特に初期。
それをよく絵で作品を出してみようと思ったな、と思う。若さか。うぬぼれか。うぬぼれは真城信弘流(バクマンー主人公モリタカのおじさん)マンガ家三大条件の第一だから必要なんだろうねぇ。いまでもなんとなくあった方がいいような気がする。度が過ぎるとひどいけど。
本当に「好き」とか「描きたい」という気持ちだけでスタートした活動だし処女作だった・・・と今思うとそう感じる。よくわからない思春期の妄執というかこだわり、若干フェティッシュな趣味趣向をここまで発展(しているのかいないのか)させてきたもんだ。
今思うと大変甘い(砂糖は甘いの「甘い」ね)記憶だ(3年半ほど前)。が、しかしその鬱屈としたリビドー(性衝動)がなければ今こうしてここにいないだろうし、これからの活動もないだろうなぁ。
いま少しずつ文章の面白さというか、ブログをつけてきて詩作や小説を書くことにチャレンジしているけど、なんというか詩を書くとか文章を書いて人に見せるとかって、非常に(非常~に)恥ずかしかったんだよね。僕の場合特に。そして絵ほど面白みを感じなかったというのもある。
だからそこから活動をスタートしようなんかとは考えなかったなぁ。絵を描いて作品を発表しようと努力していく中で、それに付随して自分の好きなゲームやマンガのことを書いたりした。その中でおもしろみをつかんで文章をつづる楽しさを知ってきた。
よって絵が向いているのか/文章が巧いのか。最初はどちらもわからなかったんだよね。自己の立ち位置が何もわからないままで船出をし、渦や激しい風に揉まれながら自己の船や帆の形状を知り、そして直面している海の様子を知ってきたようにも思う。
そもそももっと自分の向き/不向きについてよく知っておけばよかったのだから、自己責任だしそのことで不平を鳴らすつもりはない。創作に取り組むことによってこそ、よく自分のこともわかったきたのだ。
ただなんとなくだけど、30数年自分と付き合ってきてみて、やっぱり僕らしいスタートであったのかな、と。再帰的に初期を振り返るとそのことが感慨深く、懐かしく思い出されてくる。

○13日

 文章というのは奥が深くって、まぁ文学という確固とした領域があるのであるから僕がいうまでもないことだけれども、絵がかけないときでも文章なら書けるというときがある。
親が寝る前によく本を読んでくれていたからだろうか、自分の場合、ちょっと眠気を感じている淡い意識状態のとき、さらさらと文が紡ぐとも紡がざるともなくでてくることが多い気がする。
この辺は不思議なもんで、寝るときも本を読んでいると自然と眠っていることが多くあるように思う。特にお堅い内容というか、小説よりも評論とかそちらのものを読んでいるとき。もうぐっすりという感じ。で、起きると読みかけの本がページをひらいたまま逆向きになって枕元に置いてあるとか。
なんか書いてて描写がかっこいい感じだけど、まぁそういうことが実際ある。特に絵を描いてて、「絵的な表現を求める頭」というのか、そういう状態になっているときに、じっくりと意味を理解しながら本を読む。そしてそこに描かれている世界観を知っていく。それは乙なものだなぁと思う。
絵を描いていると、そのギャップというか、文章の面白さ/絵の面白さ。その両方が相互補完的に、あるいは相乗的に自己に作用してくるように感じる。その快にゾクリとなる。
絵がかけないときは文章を。文章が書けない時は絵を。どちらも出来るときは両方を。そうやって形式はいろいろあっても、何らかの形で対他的に作品を発表し、読者と向き合っていけたらと思う。


○19日

【最近の作画の気づき】線画のブラッシュアップ中に細部まで描き込もうとすると、絵全体の1/20くらいのところを「どっちがいいかいな」「こっちがいいかいな」とアレコレ考える。絵全体から見るとどちらでも大差はないんだけどね。
その部分に妙にこだわってしまうというか、執着してしまうんだろうね。初期の頃はこの辺の葛藤も多くて「早く仕上げなきゃ」「でもここ納得いかない」と頭を悩ませて歯がゆい思い、もどかしい気持ちになっていたものだったなぁ、と思い出す。今も似たような状況になるとその名残がでてくる。
その点自分としてはたとえ未完成でも、無理せずにとりあえずできたところまででいいからブログにあげてみる。最近はtwitterのほうにラフ絵をばんばんあげているけれども、そうする。絵を溜め込まない。そうすることで自分の場合気分が軽くなる。そういう感覚があることに気がついた。
このtwitterはかなりラフに書かせてもらっているが、絵に関してもラフなものを載せていこうと思っている。『お絵かき上達論』でも書いたが、やはり人目に触れる、というのは実感としてかなり大きい。襟を正される感じがする。また自分がいかにその絶対量が不足していたか。
そのことも、まざまざと思い知らされている感じだ。自分の場合、初期から見ている人はご存知の通り、スタートの作画レベルが圧倒的に未熟だった。そのため、現実的に考えると単に伸びしろ/やるべき作画の努力が多すぎるだけなのだろう。そう認識して問題ないだろうと考えている。
なんにしろ、絵にしても文章にしても日進月歩。よちよち歩きで前進していくしかない。

・3月 

○1日

文章校正中なう。長文を書いてみると、書いてないとき、いかに自分が「話し言葉」で思考しているかわかる。これでは考えが雑駁になる。必然的に厳密な思考は難しくなってくる、というものだ。
ツイッターは今この時/この場で感じたことをどんどんあげていくわけだが、言葉/それに規定された思考も「話し言葉」基準になっていく傾向性があるように感じる。注意しなければならない。

○2日

マンガを読んでいる。こうやって絵やマンガを描いてくると、昔とは見方がかなり異なってくることに気がつく。そして驚かされる。こういうものがマンガであったのか、と。
勿論今までの読み方もマンガの読み方の一類型なのであるから、あからさまにその読み方を否定はしない。しかし、創作する/描く側の視点をもつと、その観点からも作品を見ることが出来るようになる。そこが役得、というか、描いている者のおもしろみの一つだろう。

○7日

やはり長く文章を書いていると、それがほぼ完了して「さぁ絵を描こう」となった時、ちょっと不思議な感覚になる。今まで文章で使ってたのが左脳だとすると、今は脳の右半分を使っているな、というふうに(あまりこの分類は信用してないんだけども)。

・さて絵にしても文章にしても、僕は手元に溜め込まないほうが基本いいようだ。出来たものは基本出していく。やはり創作は自分の生活ときっても切れない関係があると、しみじみ感じる。ツイッターはラフにざっくり書いているけど、そのラフさによって、恩恵をうけている面も多々あるように思う。
おととしや昨年、またその前もツイートしてみてはいたのだが、どうもしっくりこなかったんだよね。ブログの方がずっと書きやすいと感じた。それが今年に入って割合多くつぶやけているのはネットの創作活動に慣れてきたこと、また自分の方向性が徐々に見えてきたことも関係しているのかもしれないな。

○8日

ゼロ年代のアニメではまずウィッチブレイドを描きたい。ヒロインの雅音、蘇峰玲奈、ノーラ、栞かな。

○19日

ゲームをすると気力が回復して描く気が復活することがあるから不思議。
これはtwitterも似たような所があるような気がする。ツイートしようと思うと絵や文章がさらさらとでてくることがある。
活かすも殺すも使い方次第、ということか。何にしろ創作にプラスになるように使うのが吉、だと思う。ラフにつぶやける分、とっつきやすくとっかかりやすいのもいい。
いずれにせよ、自分がいいと判断した範囲の中で自由にやっていこう。修正点は都度、直していけばいい。
ただ常に人の意見にも耳を傾けようという意識はもっていたい。それが俺らしさの一つなんじゃないか、と思う。

○22日

ネットは知の宝庫という感じがする。「使い方による」のは勿論だけど。インターネットがあることによって、創作活動を始めることができたんだ。

・4月

○1日

いいともが終了し消費税もアップか。いろいろと変化してるなぁ。まぁ税率はやがて10%になるんだからその前段階、という感じがしてあまり実感がわかないんだけれども。

○10日

本屋に行って、帰るときにフと目をやると、いい本/(無意識的に)求めていた本に出会うことがある。最近そういう機会にめぐまれている。

○11日

今日は、朝から気分が荒れまくり。壮大に(盛大に?)DEATHっていた。
まぁ「春の嵐」という表現もあるように(ヘルマンヘッセの小説も同名のものがある様子)、人生晴れの日もあれば雨の日もあるということだろう。晴れの日ばかりが続くはずがない。それが自然のなりゆきというか道理だと思う。
昔ならその気持ちを抑え込んでいたように思うけど、最近は「そういうところがあるのも僕だ」と思って、好きにさせている。

○14日

絵を溜めず、アップしよう。ツイッターにしても同じ。思ったことは基本、つぶやこう。ラフにいく利点がそこにある。とりあえず人の目にふれてみて、それから訂正/修正をかけていけばいい。

○20日

絵を描いていると、キャラに感情移入するのためか、視聴しているだけの場合と見え方が違う。そのキャラクターがアニメの世界で動くのがたいへん鮮明かつ身近に見えるようになり、自分にとってその作品がもう一段特別なものになるように思う。
その辺が描いている者の役得だろうな(前にも似たようなことをツイートした気がする)。そういう意味で原作のアニメやゲームのチェックを、描いている途中やあるいは終わった後で、自然とするようになるんだろう。

○30日

twitterは今年より本格的に使っているが、今のところなかなかいい感じだ。創作時間も、できてくる絵についても、つぶやいていない時より増え、いいものが出来ているように思う。気軽に思ったこと/感じたことの断片をtweetしていくことで、心持ちが軽くなっているように感じる。
自分の場合孤独の中に身を置いて、そこから無意識に衝き動かされるようにして描く/書く。そういうスタイルが初期から昨年まで継続してあったと思う。そこに、今年からやっている「短文を散発的に吐き出しながら創作していくスタイル」・・みたいなものが加わりつつあるのかもしれない。新しい方法論として。
俺の場合、その二つ(それ以外にもやりやすい方法はでてくるかもしれないが)を適時連動させながら、自分のやりやすい方法論をとっていく。創りやすい方法で創作していく。それがいいのかも知らんな。
いずれにせよ創作をすること、そして作品を完成させることが目標。それを加速させるものとして、ブログ/twitterがある。そのように考えている。


・5月 

○1日

時間の流れるスピードが早い(と感じる)。文章も絵もよくかいてアップロードしているからかわからないが。ブログなら載せた文章を振り返った時、あぁ確かにこの時文章を書いていたんだな、とわかる。
絵でも同じ。
やはりその時その時向かい合っている原稿や、一枚絵、文章に集中して取り組む時、いいものができる。そしてその足跡が、自分の自信になって積みあがっていくんだろう。
いいものもよくないものも残る。そういう意味において、自分は納得のいくものを常に残していきたいと思うな。
それが創作における僕らしさ、作り手としての僕のアイデンティティかもしれない。



※5月以降は特になし。




1 1月

2015年 賀正

文章/絵の両面について、今年も引き続き制作を進めていきます。

本年もよろしくお願いします(⌒-⌒)



31 12月

2014年大晦日

※まとまっていないところもあると思いますが、時間を見つけて直していきます。

今年一年ありがとうございました。
来年も一歩一歩マイペースに、制作に励んでいきたいと思います。

※以下、僕の考えを述べているところも多いので、読みたい方/興味のある方だけ。興味のある方も内容を鵜呑みにせず、自分の考えを持ってご覧ください。

==============================================

■ツイッターを使ってみて

さて、本年はtwitterをメインに使い、制作時の心境をつぶやきながら創作活動を続けてきました。ラフにその時その場の心境をツイートしてきた。
そのtwitterでラフに/気軽な気持ちでツイートをすることは、一年を振り返って、自分にとって大変意義深いものだったと思う。
文章校正や論旨を整えることを積極的に行っている(行えているはずの)このブログも、今書いていて非常に有益なものだ、と再認識している。しかしそれにツイッターを加えることで、気持ちが軽くなり、作画がしやすくなった。
今まで自分の絵に自信がなく、肩に力が入りすぎていたのかもしれない。また自覚はなかったものの、文章で言いたい/言わなければならないことが、初期の僕は非常にたくさんあったのではないか。そのようなことも思い当たる。
そのため、まずブログで自分の感情を率直に吐き出し、心境を書き留めていく。そこから雑然とした自分の心を整頓していく。文章校正を何度も行い言葉を正確に使用することで、適切に思惟していく。論旨を一貫させ、論理的に思考を行っていく。また創作活動をしていく上で、心理的に抵抗になるものを分析する・・etc。やっているときはがむしゃらに進んできたものの、要素としてはそういう意味内容のことを行ってきたと思う。
その中で大切なことは、それをウェブ上で行ってきたことだ。そうすることで、「創作をする自己」と「見る他者」との距離感を知ることができた。それは自分にとって何よりの糧になったと思う。自分ひとりで考えているだけでは、ここまで論を深めることはできなかったと感じる。
思考や考えは確かに頭の中に‘在る’ものの、発話(コミュニケーション)や叙述(文章を書くとか)という形式をとらなければ、人に伝えることはできない。
そこをブログという‘形’で書き記し、出力することで、考えの一部が文章となり、PC上に有形化される。次にそれをネット上にアップロードすることで、他者も見ることができるようになる。深い話や創作における心境変化、技巧/テクニックの変遷などは、「文章」を使って書く方法が、細かく体系的にまとめることも可能なため最適なのではないかと考えている。
もちろん常に言うように、素直に書く、率直に書くといっても書けない所はある。「愚直」という言葉もあるとおりで、全て言えばいい/書けばさえいいというものではない。しかし、ある限られた範囲の中では自由に書いてもよい。おそらく自由というのはそういう概念だ。ある制約の中で、人間は自由であるということ。思考もそうだし、公開する文章にしてもそうであろう。
その見極めをつけるには、ある程度思いつく範囲で明朗闊達にやってみる。その実践の中で、書ける範囲/書けない範囲の領域を体験して、経験で知る。それがベストではないだろうか、と考える。そこに大きな感動があった。
創作に取り組むのが遅く、最初のスタートが圧倒的に遅れていたわけだが、自覚のある範囲で一つ一つの出来事をおろそかにせずに、問題点をあぶりだして対処してきた。慣れてくると結果重視で判断し、そこに至るまでの「過程」を軽視しがちになっていく自分が居て、驚かされる。しかしやってきたことは、いまここにある問題点、手元にひろがっている問題の山を一つ一つ選り分けて、それを少しずつ崩してきた。その一つ一つの積み重ねに他ならないはずだ。それによってここまでやってくることができたのだ。そう思える部分が、非常に大きい。
「結果」を重視することと、そこに至るまでの「過程」を重要視すること。実際に創作しながら、バランスをどうとっていくか。2月のブログ(最近よく思うこと)で書いたこともあわせて、そのようなことを心のどこかで考えている。

まずはじめにweb空間がなければ、とっかかりとなる自由にブログを書くこともできなかった。また絵を描くことや文章を書くこと=「創作」をやっていなかったら、ここまで自己分析や考えを述べる機会にも恵まれなかった。それ故、僕の本当の意味での感謝は「創作」-僕の場合絵を描き文章作品を作っていくことだが-、その領域‘自体’に向けられている。
ゼロ年代(2000~2009年)の鬱屈とした空気の中で、実存的に足りない「何か」を求めて足掻いていたわけであるが(参考記事:『5年目突入!』)、その中核にあたるのが絵を描いていくこと、文章作品をつくっていくこと、またそれを発表しそのときの心境を少しずつ記録していくこと。いわゆる今やっているような『創作活動』だったと感じる。その流れの中で自己、自我の強固な芽生えがあった(影響:メタル、論理性、作品を通しての「自己主張」etc・・・)。またそこから他者との距離感をつかめて励みになった。ここにこそ、僕独自の主題や力点があると感じる。

さてツイッターについて。
こつこつ創作における心境の変化、あるいはテクニックの変遷の叙述をブログを通して続けてきた。その貴重な集積/積み重ねによって、僕独自の創作上のテーマみたいなものがぼんやりと浮かび上がってきた。大きな達成感と、自己の軸となる(創作における)価値観が見えてきたようにも思う。だからこそツイッターでの「ラフさ」がだせたのではないか、と考えている。
そしてブログとはまた違った形式/内容でつぶやいていくことで、肩の力が抜け、より率直に絵も文章も表現できるようになったと思う。それは自分にとって大変プラスになった。ツイッターを使用せず黙々と描く/書くことも自分の場合大事で、いつもつぶやいている必要はない。
しかし、適宜それらのツールを使い、創作しているときに考えたことを書き記し作画中の絵をアップロードする。そうすることでリラックスした、落ち着いた状態で創作全般に取り組めているように思う。

■twitterでつぶやくことの効果-心境面と作画面から


さてそのように有用だと思われるツイッターだが、その効果を、もう少し気づく範囲で書いてみたいなと思う。主に心境面と、作画面から。

まず心境面だがこちらは上にも書いたように、ラフにつぶやいていくことで、書く際に多少校正の必要はあるものの気分としてブログよりラクだ。些細な心境の断片みたいなものを、つぶやく。そうすることで気分の発散になり、肩の力が抜けたリラックスした状態で作画に取り組める。創作活動が滞留することなくスムースに流れていく。ツイートしているときとしていない時を比較して、そのような思いがある。
自分の場合特に多感で考えることも多い傾向にあるので、文章を体系化して構成する前段階(考えの断片など)やブログに載せるほどでもない制作中の絵などを、ぽつぽつと置いていく。それはやはり大事だな、と再認識した。これはブログとの違いを出し、気楽に/ラフにやってきたことは本当によかったと思う。今年本格的に動かしてみて、特に1~3月ごろ、そのような感慨をしばしば持った。

次に作画面については、ブログとの比較や初期のことを思い出しながら、自分の来歴を振り返り考えてみる。

初期はパパッと絵を描いて、それを短い間隔でブログに載せていた。絵については基本的な画力が低い+雑で、非常に品質の低いものになっていた。感覚として、「これでいいかな」というラインはあったものの、経験が浅いためかそれはとても基準の低いものだったと思う。またカラーで着色するのもはじめてだったため、描くのに大変手間がかかるなぁという感じ。今から思うといろいろなことが不自由だった。
加えて読者期間が長かったことで色々なアニメやゲームを知っていたからか、好きな作品がたくさんあり、いろんな方向に目が向いていた。「あれも描かなきゃ、これも~」というようになり、焦っていたと思う。そのため一枚の絵にかける時間が短く、パパッと終わらせて次というようになっていた。
イラスタ(illuststudio)を購入したのが2010年の5月、そこから初のカラー作業となった。コミスタ(comicstudio)と似ているところもあったが、ツールにまず慣れるというのが最初の(顕在的かつ潜在的な)課題であったと思う(ただ、それを「課題だ」とは認識できていなかった)。次にweb上の公開スペースで描き、他者に見られることに慣れるというのも重要だ。絵も文章についても、「人に見せる」というのはとても大事で、公開せずに黙々とかいているだけの場合と、印象も感動もまったく違う。大きいのは、ていねいに描く/「仕上げ」を行う必要性に迫られることかと思う。自分の場合、放っておくと絵にかける時間が短くなる傾向がある。加えて種々色々な作品を知っているため、「あれも、これも描きたい」となる傾向もある。総じて一枚の絵を集中して描くということが、苦手なように感じる。そのため、手元においてあるものは雑になりやすい。人の鑑賞に堪えうる絵にしていくには、そこから雑な線画/塗り/構図のブラッシュアップを複数回、かける必要がある。
今から思うと、頭の中で構想しているような絵と同じものが、描けない。現時点の立ち居地から見える「課題」を認識できず(描きたてのころなので当然といえば当然だろうが)、絵の中で自由を感じることがなかなかできない。
web上でブログをつけるだけでなく、作品を人に見せ販売すること自体がはじめてだったこともあり、創作活動に携わることができた喜びは大変に深く大きかった。しかしまた、無意識的な不安や脅威も感じていたのだと思う。

さてそのような感覚を持ちながら活動をしていく中で、「作画中の心境や活動していく中での心持ちを書きたい」という強い気持ちがひっきりなしに湧き上がっていることに気づいた。気づいた、というよりそういう認識がある前にすでに書いていた。そして「書きたい」という心持ちに素直に、割に率直にブログを綴っていくことで、少しずつ落ち着きを取り戻していった(※2)
また目下問題であった技術面では、短時間で描くのではなく「スピードアップもしていかねばな」ということを頭の片隅に置きながらも、時間をかけていねいに描く。「仕上げ」を継続して繰り返していく。それこそ基本的な画力/絵の質をあげるのに大変大事な要素ではないか、という自分なりの経験則を持った。
今までの活動を振り返ると、pixivやブログに絵をアップロードしてきたこと、2012年に描いたリメイクの制作、またその後のCG集の制作など、力を注いでやってきた自分の足跡がふつふつと思い出される。そうしながら「自分のような人が、絵を上達するにはどうしたらいいか」という僕なりの『お絵かき論』を文章としてまとめる機会があり、2013年1月ごろに完成させた。

その『お絵かき論』の中でも書いたことだが、今この文章を書いていると同じ言葉が出てきたので、重複すると思うがそのまま書いていく。
「絵」とは、たとえ一枚であってもたくさんの「部分」が集合したような構造をもっており、下書き/仮塗り/線画修正/本塗り/影付け/効果など、完成に至るまでに複数の工程を通る。そしてある程度の段階を踏み、徐々に出来上がっていくというところがある。それゆえラフなものや短時間で簡単に描けるものも確かにあるが、やはり100枚レイヤーを使っている絵だったら1時間や2時間でかけるだろうか。何も描かれていないレイヤーをただ用意するだけなら数分で可能だろうが、しっかりとした絵をそこに掲載して、それらの集合として‘1’枚の絵を仕上げる。それにはやはりある程度時間はかけねばならないだろう。基本的に「絵」とは、そのように時間をかけてていねいに描くのが「基本」ではないだろうか。そのような予想をもった(※3)。いわゆる自分なりの「絵」についての基本的な考え方と、それを完成させるまでの青写真を持った。
その経験から、いまは完成に至るまでどのくらいの位置を描いているのかを以前より俯瞰できているのではないかと思う。そこから気持ちの面で落ち着きがでてきたのではないかと感じる。

さてツイッターについて話を進めると、ツイートしていくことはその獲得した知識を活用して、絵をアップしながら実際にその「過程」を確かめている感覚・・といったら近いだろうか。絵をあげる際も、通常のつぶやきと同様にタイムラインに表示されるため、「絵を載せながら‘ツイート’している」というような感覚を持っている。
今年の2月に書いたように(〃~2013年ラフお絵かき総まとめpt2~)、絵を自分の手元においておくだけの場合と実際にブログ/ツイッターで人にも見せるのとでは、実感としてかなりの差がある。このギャップを埋めるのにも有用だなぁと考えている。
また描いた絵を溜めておくと「そろそろアップしたいなぁ」という欲求がでてくる。それは、絵を溜め込まず、できる限り公開していくことで、解消されていく。実際使ってみてそう思った。ツイッターは140字程度の文章量で気軽にツイートできるので、絵を散発的にアップしていくには使いやすい。そのような利点も思い当たる(この点はツイッター上でも述べた)。

ほかにもあるだろうが、今のところ僕なりに上記の点が思いつく。

以上のようなことから、現在できている段階の絵を散発的にあげていくのに心境面でも作画の技術面でも、ツイッターは有用であるなという印象だ。現在のところ、このように観て取っている。

☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚

※1 試みとして、今年のまとめや自分の頭の整理という意味で、2014年のツイートで印象に残ったものを別エントリでまとめる予定。

※2 ブログを書いていく際作画をしているときの心境を綴ることもそうだが、最初期のころはそういう記述をする‘以前’の状態だった。未熟な絵を描きながらそれと同時並行にしたかったことは、「好きなゲーム/音楽の紹介」だったと思う。ゲームが好きで紹介したいソフトがFC,SFC,PS,PS2,XBOX360,PSP,DSなどよく遊んできたハードでたくさんある。それが書きたい。新作が出るなら、それについての感想も記述したい。この気持ちはブログを書く上でとても強いものがあった(ということを、実際に公開のweb空間で書いてみて知った、というのが実感)。
また音楽もHR/HMが多かったが、メタルを聞く以前の思春期以降よく聞いていた邦・洋楽のROCK、POPSの紹介も行ってきた(と記憶している)。そういう紹介したいことが描いた絵をアップしたい感情と同時に多々あった自分だったので、自然と文章となってでてきた。いわゆる衝き動かされるままに書き留めてきた。その一部が今でもブログに残っている。技術の変化や創作中の心境変化などは、その後メインになって出てきたように感じる。
確かにテクニックや創作中の葛藤を書くことは、創作と直結しており、本質的(エッセンシャル)ではある。しかし、それよりも前にあった(ブログを書いていくときの)初期衝動は、自分の好きなゲーム/音楽やマンガの紹介をしたい、そこにも強く重心がおかれていたのではないだろうか。そのような記憶がある。今は文章を書きながら、その過去を追憶しているところだ。

※3 慣れてきたりスキルアップしていけば、短時間で高品質のものを仕上げることも可能になると思う。またあまり時間をかけないほうがいい絵柄/画風も存在のではないかという気がする(これは実際にそう思われる領域/分野の絵を描いてみる。その"体験”から手ごたえをつかむのがよいかな、と考えている)。
しかし最初、スタートが未熟な人にとってはまず「絵に時間をかけること」を覚えること、「仕上げを繰り返すこと」が優先されてくるのではないかと感じる。

☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚


■今後の話


●文章作品について

文章作品についてだが、今月17日ごろに新しく小説系のSNSに口語詩のようなものを投稿した(dNoVeLs:ディーノベルズ ←クリックで作品ページ直リン
いずれ作品として販売できるものをつくりたいと思っており、長文の小説にもチャレンジしていこうと思っている。が、まず売り物として発表する前に作品投稿サイトに作品をアップロードし、そこで読者の反応や自己自身の手ごたえをさぐる。それが先決だと感じた。
そうしながら質を高めていき、「これなら商品として発表できるぞ」という「確信」にいたったものを発表していく。それが絵で培ってきた経験からも、自分にとって妥当な方法だと思っている。その文章面での修練を、小説投稿サイトを通じて行っていこうと考えている。2014年はそのはじまり/とっかかり/端緒の年ということで、今年1年を通してできた文章作品を数本アップしてみた。
こういうのは実際に「自分の作品」として作ってみると、手元で温めている場合とまったく違う感じがするもので、自己の未熟さがわかってくる。同時に優れた作品の凄みがわかってくる(気がする)。
しかし今後ハイ・レベルな作品を目指してはいくものの、すぐに「高レベルのものを書け」と自分に要求するのも違うし、限られた時間の中でそこに挑戦しようとすることにもあまり合理性や意味を感じられない。
それよりも、たとえ内容や技巧的に未熟で方向性は雑然としていたとしても、「書きたい」という文章欲求に忠実に、そしてそれに衝き動かされて出来てきた作品を(ある程度推敲しながらも)割かし率直に出していく。そうするのが僕の本領ではないかと考えている。

さて、今後も不定期にはなるが文章作品も上記のサイトなどに(掲載するサイトはこれから増やすかもしれないが)活動している限りあげていくつもりなので、興味のある方はぜひチェックしてみてください。

●絵の作品について(4月に立てた目標に対する進捗度合い)

①CG集

DLサイトで販売する作品を、引き続き制作している。
絵に関しては塗りの強化をしていくというテーマをたて、作画をするときは体感として85~90%以上着色作業をメインに行ってきた。その過程の中で配色全般に渡って見直しを行う機会があり(大仕事だった)、それに従って今年描いた絵を中心に色の塗りなおしを行っている。そうしながら同時並行で新しい作品の作画作業を進めているところだ。
ちなみに今の絵柄/塗りはこんな感じ。

3


→うちのオリジナル作品『ヒーロー@ハーレム』の愛川さんと加藤君。愛川の乳がロケットになってますね。

ある程度線画と色をブラッシュアップしたところ。ここから影付け、背景の描きこみ・色塗りを行っていく。その後、背景と人物の色あわせ、細かな色相調整やなど(いわゆる一枚絵の'締め’にあたる、仕上げ作業)を行っていきます。
CG集は、一枚の絵でいかに見ている人の心を(エロという観点から)つかむか、ということが、描いているとダイレクトに突きつけられてくる、というか問われてくるように感じる。
マンガは「コマ」という独特の文法(というか見せ方)があるので面白いのだが、CG集は一枚の絵で場面を素描してそれが複数枚重なっていくことで、その作品独自の意味空間を作っていくのではないかと考えている。
マンガよりももう一段「絵」に重心が置かれている感じ、といえばいいんだろうか。
なので絵単体で魅せるものを制作する(あるいは画力を向上させる)にはよい作業といえる(この内容も以前書いたような気がするな。あとでチェックしてみる)。

作っていたときの所感だが、作品制作をしていると漸次スキルが向上していくのか、絵が変化している。それは「自分の絵柄」がまだ完全に確立していないからでもあるのだが、技術面での向上は深い喜びがある。また変わってはいるものの、そこそこ中心となる軸は落ち着いてきたかなという印象も持っている。スピードも徐々にではあるがあがってきた。やはり絵に習熟してきたのかなと思う。
エロの場合、人体の描写をすること(あるいはその人体が居る風景/背景を描くこと)が中心になってくると思うのだが、継続して/続けて描いていると、学生のときやった英単語や漢字、公式の勉強などと同じようにその物体の形が‘記憶’されてくる。単語や公式についても、時間をかけて、何回も同じものを見ている、あるいは声に出し発音する。また手で書いている。そうやっていくうちに覚えていくものだが、絵についても似たようなところがあるのかもしれない。時間をかけて繰り返していねいにかけば、その分一つ一つの物体を正確に形象把握する速さもあがってくるのだろう。絵に習熟するとは、つまるところそういうことなのかもしれない。

そのようにマイペースにこつこつと作業を進めている。

②2000~2009年までの間に好きだったアニメ・ゲーム等を、自己の絵柄で振り返り、まとめる

ファンアートとして描いていくものだが、アニメは、まずウィッチブレイドが中心(ツイートしたとおり)。当時(もう9年ほど前!)シーンでも盛り上がっていたし、エロくてキャラがかっこいい。好んでよく見ていた。あと描きたいのは、ブラスレイターとギアスと攻殻機動隊。ウィッチ~に関しては数枚描いてツイッターに載せたが、現在も描いているところ。
ゲームは山ほどあるんだけどペルソナ、VP(ヴァルキリープロファイル)2、シャドハ、FE(ファイアーエムブレム)、ゼノサーガかな。これも数年かかるかもしれないが、この時代は僕にとって特別な年代だったので、完遂するまで地道に頑張っていく。
あとは年代が違うが、90年代の代表作『新世紀エヴァンゲリオン』を、改めて描きたいと考えている。特にシンジとレイ。

■結びに

来年も今年4月にたてた目標に向かって、限られた時間の中で、継続して作品(商品)を出すことに力を注いでいきたいと思います。
やはり自己自身との勝負。過去の自分との闘いだなとしみじみ感じる。
いつまでやれるか先のことはわからないが、やれる限り、文章/絵の両面で、創作に励んでいきたいと思います。

==============================================

◆まとめ

・ツイッターを使ってみたけどよかったよ
・小説SNSに文章作品を投稿し始めたよ
・絵の作品を作っているよ


という感じです。

それでは今年一年ありがとうございました。
よいお年を~。

 
作品一覧
委託サイト
PIXIV
dNoVeLs
TINAMI
twitter
twitterブログver.
ギャラリー
  • 【作品サンプル】ヒーロー@ハーレムリメイク版
  • 2014年大晦日
  • 5年目突入!
  • 〃~2013年ラフお絵かき総まとめpt2~
  • 〃~2013年ラフお絵かき総まとめpt2~
  • 〃~2013年ラフお絵かき総まとめpt2~
  • 漆黒の愛撫~2013年ラフお絵かき総まとめpt1~
  • 漆黒の愛撫~2013年ラフお絵かき総まとめpt1~
  • 漆黒の愛撫~2013年ラフお絵かき総まとめpt1~
  • 漆黒の愛撫~2013年ラフお絵かき総まとめpt1~
  • 本日の1枚(3/22)
  • セシル
  • ノエル
  • ティオすけ
  • White Asleep
  • ネイ
  • Ignorances
  • ほんわか
サイト内検索
連絡先
jnphysical●gmail.com(●⇒@に) 不具合などがありましたら、お手数ですがこちらまでお願い致します。 ※お仕事のご依頼は、現在お受けしておりません。
自己紹介
サバスチャン

はじめまして。2010年6月にオリジナル作品「ヒーロー@ハーレム」で作品制作を開始しました。
主にダウンロード媒体で制作を行っています。作品形式はマンガ(成人向け/一般向け)、CG集、小説を中心に行っていきたいと思っています。
ブログは不定期更新で、半年や一年くらい休みを取ることもあります。

好きな音楽:洋楽全般
(HR/HM とくにprogressive heavy metal、ほかneo progressive/symphonic rock)

好きなアニメ:新世紀エヴァンゲリオン(TV/劇場版)、カウボーイビバップ、攻殻機動隊~stand alone complex/ARISE~、黒執事、Darker than black(流星の双子)、亡念のザムド、コードギアス、ブラスレイター、ウィッチブレイド、鉄のラインバレル、東京喰種(トーキョーグール)、寄生獣~セイの格率~ほか

好きなゲーム:

■エロゲー
監獄戦艦、対魔忍アサギ、魔法少女アイ1,2plusほか

■RPG(ヴァルキリープロファイルシリーズ、シャドウハーツシリーズ、ゼノサーガシリーズ、ゼノブレイド、ペルソナ4、女神転生シリーズ、軌跡シリーズ、スターオーシャンシリーズ、イースシリーズ)

■シュミレーションRPG(ファイアーエムブレムシリーズ、魔装機神シリーズ、フロントミッションシリーズ)

アトラス、ファルコム、モノリスソフトをRPG三連星と名づけ、敬っております。

■格闘アクション:
DOA、ソウルキャリバー、鉄拳(この順番)

■アクション:
ゴッドイーター、アーマードコア、北斗無双

好きなマンガ:
BASTARD!、バクマン、DEATHNOTE、GANTZ、
げんしけん、フェアリーテール、D-LIVE!!
  • RSS
  • Dlsite blog