【NEXT NIPPON MAKERS】「株式会社エアウィーヴ」2代目社長を決断させた「父との朝」(2013.08.06)
有名アスリートたちの圧倒的な支持を皮切りに、市場で飛躍的に売り上げを伸ばしているマットレスがある。すべての始まりは〝2代目〟の重大な決断にあったー。
【完全な逆張りの発想からスタート】
◎大名の子は大名。それが自分の運命と思った
本州と書いて「もとくに」と読む。「日本の中心」で活躍する男――それは長男の誕生を待ち望んでいた父親が、出生前から準備していた名前だったという。
高岡本州は、電気機器を製造する日本高圧電気の創業者である父親から、2代目経営者になることを嘱望されて育った。現在、その期待どおり同社の代表を務める彼には、自らの原点を振り返るうえで忘れ難い記憶がある。
それは24歳の時、慶応義塾大学の大学院の卒業を控えたある日のことだった。日本長期信用銀行(当時)の経営研究所に就職を決めていた高岡は、地元愛知県から上京した父親に呼び出され、宿泊先のホテルで久々に2人きりの朝食をとることになった。
「すると、学生時代に一度も会いに来なかった親父がさ――」と彼は懐かしむように振り返る。
「おまえ、やめろ……、やめろ……って懇々と言うんですよ。下を向いてパンケーキを食いながらね。『俺の会社を継げ』と。親父は大学を出ていないし、1代で会社を作った人だったから、僕が遠い場所に行ってしまうのではないかと不安だったのでしょう」
経営研究所での仕事には心惹かれていた。しかし、初めて見る父親の弱々しい姿を前に、彼は「わかった」とただ答えることしかできなかった。
「後に親父の側近から、『国が大きかろうが小さかろうが、大名の子は大名だ』と言われて、何か納得するような思いがしたものです。これが自分の運命なんだ、だからこの会社を僕はしっかり残さなければならないんだ、と」
そうして日本高圧電気に就職した高岡は、生産部門や営業の責任者などを経て37歳で社長に就任した。
しかし、2代目社長として事業に取り組む彼には今、もうひとつ別の顔がある。それが高反発マットレス『エアウィーヴ』の生産・販売を手がける、ベンチャー企業の代表としての顔だ。
高岡本州(52)
たかおか・もとくに。慶応義塾大学大学院で経営学を学んだ後、85年に父親の経営する日本高圧電気に入社。37歳で社長に就任する。04年に赤字会社を引き受け、エアウィーヴとして再出発させた。