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【奇行・妄想】精神を病んでいた欧州の王族たち

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 神経衰弱・精神病・癲癇などを患っていた王族たち

 特に近代のヨーロッパの王様には多いようです。

血統を重視するあまり近親相姦を繰り返した結果、ハンディキャップを持った子どもが多く生まれ、不運なことにそのような人物が王様に推挙されてしまうこともありました。

そのような不安定な王を奉る国民も不憫ですが、何より本人が一番辛かったはずです。

今回はそのような、ちょっと異様な王族たちを集めてみました。

 

 1. バイエルン王女アレクサンドラ(ドイツ)

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「透明な巨大ピアノ」の妄想に取り憑かれた王女

アレクサンドラは、バイエルン王国第2代国王 ルートヴィヒ1世の娘。

ナポレオンの甥から結婚の打診があったものの、生まれつき虚弱体質だったため断り生涯独身だったそうです。

彼女はいくつかの精神病を患っており、そのせいで異常に潔癖性。服は白いものしか着ることができなかったそうです。

また、「子どもの頃に巨大で透明なグランドピアノを飲み込んで、それが体内にまだある」という妄想に死ぬまで取り憑かれていました

フランス語の児童文学をドイツ語に翻訳したり、いくつか小説も執筆しました。作品はWeihnachtsrosen(クリスマスの薔薇)、Feldblumen(地面の花)など。

本の世界に生き49歳で亡くなりました。

2.フェルディナント1世(オーストリア)

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全くと言っていいほど喋らなかった王様

オーストリア皇帝フェルディナント1世は精神面が弱く、人前で喋ることがほとんどなかったそうです。政治はほとんど有能な宰相メッテルニヒにお任せで、彼はひたすら静かに宮廷で時間を過ごしました。

ほとんど唯一と言っていい、フェルディナント1世が喋った記録が、有名な「クネーデル」の逸話。

ある日、「アプリコットのクネーデル」が食べたいと注文したフェルディナント。シェフは「アプリコットはいまシーズンではないですから、別のものを作って差し上げます」と言いました。

するとフェルディナントは

Ich bin der Kaiser und ich will Knödel!

余は皇帝であるぞ、余はクネーデルが食べたいのだ!

と大声で叫んだのだそう。

ちなみにクネーデルとは、マッシュポテトと小麦粉をベースにいろいろな具材を足して蒸したり茹でたりした料理です。

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1848年、ヨーロッパ各地でウィーン体制打倒を掲げる労働者の暴動が相次ぐ。オーストリアでも3月革命が勃発し、宰相のメッテルニヒはイギリスに亡命。フェルディナント1世も退位させられます。

次の皇帝に就任したのは、国民から「不死鳥」と敬愛され68年もオーストリア帝国を支えることになる、有能な君主フランツ・ヨーゼフ1世でした。

3.ルートヴィヒ2世(ドイツ)

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メルヘンの世界に生きた王様 

 バイエルン王ルートヴィヒ2世は子どものころから夢見がちな少年で、騎士物語や神話が大好きだったそうです。

バイエルン王になってからは、中世風のノイシュヴァンシュタイン城や、湖の上に浮かぶ島にヘレンキームゼー城という壮麗な城を建てたり、自分が思い描くメルヘンの世界の実現を追い求めました

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 このような城や建物の建設に加えて、普墺戦争の敗北による賠償金で財政はひっ迫。ルートヴィヒ2世は現実世界から目を閉ざすように、ますます自分の世界に閉じこもるように。

昼夜が逆転した生活を送り、夜中に森を駆け回ったり、誰もいない所に話しかけたり、様々な奇行で人々の眉をひそませた。

1886年、ルートヴィヒ2世は廃位され、翌日にシュタルンベルグ湖で水死体で発見されました。この死の真相は未だに謎のままです。

4.マリア・エレオノーラ王妃(スウェーデン)

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腐乱した夫の死体を愛した女王

マリア・エレオノーラの夫は、スウェーデンの英雄グスタフ・アドルフ。 

当時ヨーロッパで最も美しいと称されたマリアは、夫を異常なほど熱愛していました。

ところが1633年、夫は背後から撃たれて死亡。

マリアは絶望のあまり、棺桶に入った夫の遺体と共に1年近く部屋に閉じこもり、部屋を暗くして蝋燭だけを立てて、慟哭する日々を過ごしました。

 娘のクリスティーナも母の命令でその部屋で一緒のベッドで寝ていましたが、遺体は腐乱し始めていたため、病気にかかってしまいました。

5.マリア1世(ポルトガル)

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子どもを失い気が狂った女王

1777年から1816年までポルトガルの王座に就いた女性。

もともと精神的に不安定な一面を持ち「狂女ドナ・マリア」とあだ名されるほどでした。

それは夫と息子を相次いで亡くした1786年〜1788年から顕著になり、夜中であるにも関わらず、発作的に息子のことを思い出して大声で泣きわめいたり息子の遺品をさも本人であるかのように慈しみ他人には触れさせないなどの奇行が目立つようになったそうです。 

ただし彼女の治政は、ナポレオン戦争が起きる前までは、科学や学問を推奨、商業、工業、軍備を拡張して安定したものでした。

6.クリスチャン7世(デンマーク)

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道徳的に荒れた生活を送った王様

 デンマーク王クリスチャン7世は統合失調症で、症状が現れない時は明晰な判断をすることがありましたが、国の政策が支離滅裂な指示に左右されるときもありました。

しかし基本的には政務には無関心で、そのせいで侍医のヨハン・ストールンエンセの専制を招きました。

クリスチャン7世はひどく退廃的な生活を送り、特に性生活はひどく、

「1人の妻を愛し続けるなんて、イケてない」

という理由で妻以外の女と寝ることを公式アナウンス。

乱交パーティを開催するなど堕落した生活を送りました。

7.カルロス2世 1661 - 1700(スペイン)

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いくつも障害を持っていた王様

カルロス2世はスペイン・ハプスブルグ家最後の国王。

生まれつき病弱で疾患を患っており、咀嚼が困難だったので常によだれを垂らしており、また知的障害もあったためまともに教育を施すことすら難しかった。

そのため、特に執政らしいことは行うことはなく、宮廷で日々を過ごしました。

2回目の結婚のあたりからますます 精神状態は悪化し、前妻の遺骸を墓から掘り起こして手元に置くなど、奇行が目立ち始めたそうです。

また、性的不能だったため彼の代でスペイン・ハプスブルグ家は断絶しました。

まとめ

支配正当性のために近親相姦を繰り返す、というのは歴史上よく見られましたが、それが慣習化すると酷いことになる例だと思います。

王には意思決定をするだけの能力がなく、単にお飾りに過ぎなくなり、職業政治家の宰相や官僚が幅を効かせるようになってしまう。それは組織の老朽化や新陳代謝の悪化を招き、支配正当性どころか亡国への道を歩む。

宗教でも政治でも何でもそうですが、「純粋性」を追い求めるとろくでもないことになるのですね。