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【挿絵で振り返る『アキとカズ』】
(48)「脱北者」をひそかに日本へと送り続けた「男たち」の物語
1996年、帰国事業で北朝鮮へ渡り、中朝国境を越えて、中国に逃げてきた脱北者の男性が大連からひそかに日本へ帰国する。当時、40代後半、母親が日本人であるこの男性が“日本政府が関与”した脱北者保護・救出ケースの「第1号」となった。
以来、2000年代初めに政府が「公」にこの事実を認めるまで、40人あまりが、この“政府ルート”で帰国した。日本人妻らは邦人保護の観点から、かつて、特別永住者であった在日朝鮮人の帰国者も同様に保護することを決め、脱北者を支援するNGOの協力を得て、ひそかに日本へと送り出していたのだ。
だが、そのためには中国政府が「ウン」と言わねばならない。中国政府は脱北者を「難民」として認めず、捕まえ次第、“血の同盟”を誇る北朝鮮へと送り返していた。そうなれば、労働鍛錬所などで、厳しい重労働を科せられるか、罪状が重いと見なされれば二度と出られない強制収容所送りになってしまう。
北京の日本大使館は、粘り強く中国側と交渉し、日本側が保護した脱北者の「出国」を“黙認”してもらう作業を懸命に続けたのである。やがて、日本へ向かう旅費を公費で援助する制度もできた。
NGO関係者に聞くと、当時、この脱北者保護・救出のスキーム構築に尽力したサムライのような官僚がいたという。ひとりは、他省庁からの出向者として外務省本省にいた職員。もうひとりは中国・瀋陽領事館にいた「朝鮮族にめっぽう詳しい」職員だった。2人とも“変わりダネ”と言っていいだろう。“目はしの利く”官僚ほど、こうした面倒な事案には関わりたがらないからだ。