イシュタルと呼ばれる金星あれこれ
自転方向が逆 通常の太陽系惑星は、北極から見た場合、全て反時計回りに回転している。
それは惑星の周りを回る衛星にしても同じ。
しかし、金星だけは自転方向が逆。
時計回りに回転しているのである。
逆行衛生としては海王星の衛星トリトンをはじめとしていくつか発見されているが、惑星としては金星以外に存在しない。
なぜ金星は時計回りの自転を行っているのだろうか?
それは金星の地軸が逆転しているからである。
惑星のほとんどは、地軸が公転面に対してある傾きを持っている。
地球に四季があるのも、地軸が23.44度傾いているから。
自転方向が逆になっている金星は177.3度。
完全に逆さまである。
太陽系の創生時そのままの状態なら、惑星は全て規則正しく反時計回りに自転しているはずだ。
なぜ、金星は地軸が逆転しているのか?
天王星に関しては、小惑星などの天体が激突した可能性を認めている。
冥王星の場合、惑星であったことすら否定されはじめている。
金星に関しては何の説明もない。
金星の地表面は、度重なる惑星探査によりそのほとんど観測されているが、
自転軸を逆転させるほどの大衝突を示す痕跡はまったく発見されていないからだ。
あと考えられることは、天体の衝突ではなく、超接近による潮汐作用だ。
しかし、それには巨大な質量、少なくとも地球規模の巨大な天体とのニアミスが不可欠である。
約4000年前に誕生 現在、肉眼で見ることができる太陽系の惑星は5つ。
水星、金星、火星、木星、土星である。
しかし、4000年以上前の記録には金星が出てこない。
約5000年前のものと目される古代ヒンズーの惑星表には金星が欠けているし、
古代バラモンも5惑星の体系を知らなかった。
中世になってはじめてバラモンは5惑星の存在を口にしている。
バビロニアの天文学は、5惑星ではなく4惑星の体系を持っていた。
その祈りの中では土星、木星、火星、水星は呼びかけられるが、金星は抜けている。
金星は太陽と月に次ぎ、天空で最も明るく輝く星である。
古代人が単純に金星を見落とすことは考えられない。
約4000年前には、天空には金星の姿がなかったのではないか。
金星は惑星ではなかったのではないか。
後代になると、古代バビロニアの粘土板に金星らしき天体の記述が登場する。
そして、その天体に与えられた名が「大きな星たちに加わった大きな星」というものなのだ。
大きな星とは当然ながら水・火・木・土の4惑星であり、金星は第5惑星として、これに加わったと言っていることになる。
古代ローマのアポロニオス・ロディウスは「全ての天体がまだ天になかった」時代について述べている。
アリストテレスは次ぎのような記録を残している。
「ピタゴラス派と呼ばれる若干のイタリア人は彗星は惑星の一つであるが、長い期間を隔てて現れるものであり、
地平線から、わずかしか上らないものだという。」
地平線からわずかしか上らない惑星とは水星もそうだが金星にも当てはまる。
西暦前4世紀のピュタゴラス派の人々は、五惑星の一つが彗星であると考えていたのである。
尾があった ピュタゴラス派の人々が金星を彗星と呼んだ以上、かつての金星には光る尾があったと考えられる。
メキシコ人は彗星を“煙吐く星”と呼んだと記している。
さらに、金星が煙を吐いていたと記してある彼らは金星を彗星だと考えていたことになる。
トルテカ人の金星神はケツァルコアトル。
その名は“羽のある蛇”を意味する。
天空を飛ぶ蛇といえば、彗星を思い浮かべるだろう。
メキシコのキキメク族のインディアンは、暁の明星を“蛇雲”と呼ぶ。
タルムードのシャバト編には、「金星から火が垂れ下がっている」と記されている。
カルデア人の記録にも、金星は「髭があるといわれた。」とある。
アラビア人は金星の神イシュタルを“髪のあるもの(ゼブバイ)”と呼んだ。
彗星には通常2本の尾がある。
一つは太陽風によって形成されるもので、太陽に向かって反対側に尾が伸びる。
もう一つは太陽からの磁場によって形成されるもので、コイル状の渦を巻く。
見方によっては、彗星は牡牛の頭のようにも見える。
金星神アスタルテが“アシュタロス・カルナイム(角のアスタルテ)”と呼ばれる。
エジプト人も、金星を牡牛の像となして、これを崇拝していた。
ペルシア人の聖典ゼンド・アヴェスターは金星の神ティストリャについて「光り輝くティストリャは、金色の角を持つ
牡牛の形をして動く光を、我が身に取り入れた。」
旧約聖書の中で、モーセの兄アロンが、堕落した民衆と共にシナイ山の麓で崇拝したという
黄金の子牛像は、この金星を象ったものだという。
出エジプト記に記された数々の災変は、金星が引き起こした宇宙的天変地異だ
不規則な動き 金星の公転周期は224.7日。
しかし、その外側をもっとゆっくりした速度で公転している地球から見ると、金星は夜空の同じ位置に戻るのに584日かかる。
これを金星の会合周期という。
金星には暁の明星と宵の明星の2つの顔がある。
暁の明星は太陽に先だって上り、宵の明星は日没後しばらく姿を見せる。
暁の明星として21日間が過ぎると、太陽から最も西に離れる。
それから後は、金星の上る時刻が次第に遅くなり、221日後には太陽の向こう側に隠れる。
それを過ぎると、金星は太陽の東側に来て宵の明星となる。
そして71日後、金星、太陽、地球は一直線に並び、通常一日二日は見られない。
これを過ぎると、金星は上り来る太陽の西に現われ、再び暁の明星となる。
古代において、こうした金星の動きは非常に重要なものであり、メキシコ、インド、イラン、バビロニアの
天文学者によって注意深く見守られた。
しかし古代記録に残っている金星周期は、金星の運動数値と著しく異なっているものが多々あるのだ。
“シヴァンの月11日に、金星は西に消えて、9ヶ月と4日間、空に見えず、アダールの月15日に、彼女は東に現れた。
”その翌年“アラーサムの月10日に、金星は東に消えて、2ヶ月と六日間、空に見えず、テビトの月16日に、西に現われた。
”その翌年“金星は、ウルルの月26日に西に消えて、11日間、空に見えず、ウルルの月7日に東に現われた。”
延々と違った金星周期の記述が続く。
近代の天文学者は観測記録が不正確なのだと決め付けた。
しかし、数ヶ月の差は説明できない。
金星が太陽とともに沈んでから、次ぎに上るまでの期間は72日である。
しかし、バビロニア・アッシリアの星占いの記事の中では、この期間が1ヶ月から5ヶ月まで、実にさまざまなのだ。
当時の金星は現在のように円軌道を描いていなかった。
金星は木星から誕生 金星は木星から生まれた。
アッシリア・バビロニアの神々の中ではアスタルテ(イシュタル)と呼ばれ、いずれも金星の神である。
一方、古代の多くの神話の中で、金星神と木星神が混同されている。
木星は暁の明星としばしば混同されていた。
エジプトにおいては、イシスもしくはホルスという名がもともと木星の呼び名であった。
しかし後には、金星にイシスという名を与え、時にはホルスという名を与えた。
アッシリア・バビロニアのイシュタルも、昔は木星の名であったが、その後、金星の名となった。
「エジプト神イシスとオシリスの伝説について」には、「サイスにある女神アテナ、これを人々(エジプト人)は
イシスだとも信じている」とある。
参照サイト
天文民俗学/
http://astro.ysc.go.jp/izumo/index.html
横浜科学子ども館/
http://www.ysc.go.jp/ysc/ysc.html
超常現象研究最前線/
http://www.fitweb.or.jp/~entity/rial.html