| 殉教者をしのび毎年5月3日に開かれている「乙女峠まつり」の聖母行列=島根県津和野町(カトリック津和野教会提供)
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カトリック広島司教区は、幕末−明治初期のキリシタン弾圧「浦上四番崩れ」で津和野藩(島根県)に流されて殉教した長崎・浦上村の信徒37人を、全世界のカトリックの崇敬対象となる「聖人」の位に上げる運動を始めた。同教区の創立100周年となる2023年に聖人の前段階の「福者」にすることを目指す。
江戸時代の禁教令下で二百数十年にわたり潜伏していた浦上村のキリシタンは1865(元治2)年3月17日、大浦天主堂でプチジャン神父に信仰を告白。だが江戸幕府の禁教令を踏襲した明治新政府は68(明治元)年から70(同3)年にかけて、浦上村民約3400人を全国22カ所に配流し、津和野には153人が流されて41人が死亡した。
殉教者の列聖運動は通常、死亡地の教区が担当する。前田万葉・広島教区長(現大阪教区大司教)は2013年5月、津和野殉教者をしのび毎年開かれている「乙女峠まつり」のミサで列聖運動の開始を宣言。広島教区は列聖委員会を設置し、ローマ法王庁への列福申請を視野に殉教者の詳しい調査を始めた。
列福申請を予定する殉教者は、1868年から71(明治4)年までに死亡した男性23人、女性14人。1〜8歳の幼少者7人を含む。十分な食事を与えられず、一部の人は立つことも横になることもできない小さな牢屋(ろうや)に押し込められるなど激しい拷問を受け続けたが、改宗せずに信仰を守り通した。
列聖委員会のドメニコ・ヴィタリ神父(77)は「迫害の中で信仰を受け継ぎ、拷問にも屈しなかった浦上の人々は聖人に値する。特に津和野殉教者は、申請書類の基になる文献が豊富だ」と話す。
広島教区は8日午後4時から長崎カトリックセンター(長崎市上野町)でシンポジウムを開き、殉教者の故郷で列聖運動の周知を図る。
長崎教区の高見三明大司教は「列聖はもちろん賛成で、ありがたい話だ。特に過酷な扱いを受けたとされる津和野殉教者をきっかけに、禁教の歴史を多くの人に知ってもらいたい」と期待している。