韓国で国民的詩人と慕われる尹東柱(ユンドンジュ)をしのぶ集会が没後70年の先月、日本各地で開かれた。

 自由を抑圧された植民統治下で、尹は研ぎすまされた感性をハングルで静かにつづった。

 文学研究を極めようと、「平沼」と創氏し、立教大に入学。その後、同志社大に転学した京都で、人生は暗転する。

 独立運動にかかわったとして治安維持法違反の疑いで逮捕され、1945年、福岡の刑務所で獄死した。享年27。朝鮮半島が日本の支配から解放されたのはその半年後のことだ。

 日本語が強要されるなか、ソウルの後輩に贈った手書きの詩集「空と風と星と詩」は、後輩の母親が床下の甕(かめ)に隠して保管しており、尹の没後3年にして出版された。有名な「序詩」はこう始まる。

 死ぬ日まで空を仰ぎ

 一点の恥辱(はじ)なきことを、

 葉あいにそよぐ風にも

 わたしは心痛んだ。

 星をうたう心で

 生きとし生けるものをいとおしまねば (伊吹郷訳)

 被支配という現実からの脱却とともに、隣人との共生をも切実に願った尹の詩は、今日の日韓を結びつける。

 立教大のチャペルでは今年、300人を超える両国の人々が同時に序詩を朗読した。

 日本での尹は日本人学生とも親しくした。初夏のピクニックで友人らと収まる写真が残る京都・宇治など、ゆかりの各地では詩碑建立運動が熱を帯びる。

 福岡での建立を目指す西岡健治・福岡県立大名誉教授は「尹東柱マジック」という言葉を使う。「日韓関係がぎくしゃくしても、尹の詩の話となれば不思議と素直になれるのです」

■力点は協力か支配か

 日本と韓国は今年、国交を正常化させて50年を迎えた。

 だが領土や歴史認識などをめぐる摩擦のために、節目の年を祝う雰囲気にないのが現状だ。

 韓国併合から100年に合わせた菅直人首相談話が示したように、韓国の人々は植民地支配によって国と文化を奪われ、民族の誇りを傷つけられた。

 韓国ではきのう、植民地下で起きた大規模な「3・1独立運動」の記念式典があった。

 一方、国交締結後の多様な経済協力などで、日本は韓国の発展に大きく寄与してきた。

 日本側がそうした最近の歩みに関心を偏らせ、韓国側が支配された過去だけにこだわろうとするなら接点は見つかるまい。

 尹東柱は、なぜ姓を変えたのか。なぜハングルにこだわったか。私たちは考えねばなるまい。と同時に韓国の人々にも冷静に、この半世紀を振り返ってもらいたい。

■互いが見えているか

 着実に積み上げてきたものがあるのに、互いの実像がはっきりしないことも疑心暗鬼をふくらませている。

 安倍政権の与党が昨年末の総選挙で大勝したことを受け、日本全体が歴史修正主義になびきつつあるかのような言説が韓国国内で飛び交うのは、短絡的と言わざるをえない。

 日本での「嫌韓」の勢いは、ひところほどではないものの、韓国のすべてが「反日」であるかのような指摘が残る。

 だが少なくとも一般の韓国人に日本への強い敵対心はない。韓国からの昨年の日本訪問者数は過去最高だった。円安だけでは、この数字を説明できない。

 両国間に難題が山積しているのは事実だが、一面的な情報が実像をゆがめていないか、よく見極める必要がある。

■欠かせない政治決断

 日韓両政府は先日、「共に開こう 新たな未来を」というキャッチフレーズを掲げ、自治体や民間が実施する行事を記念事業に認定して後押ししていくと発表した。

 だが50年の節目をリードすべき政治指導者の動きは依然として遅い。安倍首相と、5年任期の折り返しを迎える朴槿恵(パククネ)大統領との初の首脳会談は、いまだ実現のめどが立たない。

 両政府が続ける外務省局長級協議では、徐々に具体的な中身が出てきた。しかし、懸案の解決に不可欠なのは政治決断だ。

 仮に日韓基本条約などに署名した6月を一つの政治日程のめどにすえるなら、両首脳は自身の正確な意向を急いで伝えあわなければならない。

 日韓には、相手側に広い人脈をもつ首相や閣僚の経験者がいる。局長級以外の政府高官の接触も含め、あらゆるチャンネルを使って距離を縮めるべきだ。

 相手に対する無知は、警戒心や恐怖心をあおるだけだ。

 尹東柱の足跡を調べてきた、立教大卒業生の楊原(やなぎはら)泰子さんは「尹は常に、普遍的に何が正しいのかを考え続けた。国と国の関係があっても、決して個人を憎むことはなかった」と話す。

 現在の日韓関係は、尹の目にどう映るだろうか。

 時が過ぎればすべては過去になる。節目の年をどう彩るかは今を生きる私たち次第である。