戦前から戦後を駆け抜け、イベント列車としても活躍した茶色の電気機関車「EF55」が今春、さいたま市の鉄道博物館で公開される。丸みを帯び「ムーミン」と呼ばれた車体には、太平洋戦争中の米軍機による機銃掃射の痕が刻まれ、JR東日本は「後世に歴史を伝える1両。多くの人に見てほしい」と力を入れている。
2月中旬、博物館近くの大宮総合車両センターで整備が進む。床と壁の一部は木製。運転席の照明には空襲時に機関車の明かりを落とすためとみられる「空襲警甲」と刻まれたプレートが、天井には銃撃で裂けた数センチの穴がある。
JRと博物館によると、製造は1936年。空気抵抗を減らすため前部に流線形のボディーを採用、東海道線の東京―沼津間で特急「富士」などを引き、行楽客らを乗せた。
戦中は戦時ダイヤの中でほそぼそと旅客を運んでいたという。「電線管ヲ貫通ス」「ガラスワレ」。終戦直前の45年8月3日、静岡県沼津市の車両基地で被弾したといい、損傷箇所を記した資料が残る。終戦直後は「連合国軍の専用列車だった」との伝聞もある。
正確な記録に再登場するのは52年。高崎線に移り、北関東と都心を結んで経済成長を支えたが、製造は3両にとどまり、64年までに全て廃車となった。
国鉄は78年、群馬県高崎市の車両基地に残っていた1両を「価値ある鉄道遺産」として準鉄道記念物に指定。86年に復元され、イベント列車として上越線や信越線などを走り、人気キャラクターのムーミンに似ていると話題になった。2009年、部品の調達が困難となり引退した。
早ければ4月末に一般公開の予定。戦後の姿を写真に収めてきた高崎市の田部井康修さん(80)は「当時珍しかった流線形をまた見ることができてうれしい」と期待を膨らませている。〔共同〕
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