こんにちは 大阪は晴れ
軽い頭痛。今週はアカにひどくやられている。
共産ストーカーに私の理論の価値などわからない。が、私が共産理論を否定していることは、彼らも理解したようだ。あんな幼稚で間違いだらけなのを見下せなくて、信じるのはよほど知性が劣る。ここは、そんな弱い頭の人物は読まない保守のブログだ。どんどん書いてゆく。言論の侵害に対して、私は屈しない。そのため、私はあまり頭が働かない。軽くしあげる。
発達心理と精神 大学2-3年(19-20才)の心理
大学生の心理を解き明かす。彼らは「社会」に関心をもつ。18才頃は、社会の仕組みを学ぶ。19-20才は積極的に社会活動を行うようになる。グループに属したがる。今日は後期を明らかにしよう。
タイプ 年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
空間者 21-24 空間 21-24 空間
↑空間者 20-21 電子 21 電子、インターネット的
↑社会性後期 19-20 社会活動 20 社会 経営学 社会組織論
↑社会性前期 18-19 社会学習 19 社会 社会論
↑理性後期 16-17 外的理性 18 理性、カント、ヘーゲル
↑理性前期 15-16 内的理性 17-18 理性、デカルト、経験主義
↑運動者後期 13-14 外的力 13-16 ルネサンス以後、足利文化的
↑運動者前期 12-13 内的な力 13-16 ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11 感性 9-11 貴族
感覚主義者 5-8 内感 5-8 王()
表が大きくなった。人は感覚→運動→理性→社会→空間とテーマをあげる。各段階は前半と後半がある。前半は、自己の(内的な)確立。後半は外世界を対象とする。
18才から人は社会に関心をもつ。それは19才と少しまで続く。それまでは社会活動には億劫だ。が、19才からは社会活動の実践に入る。彼らはどんどんクラブや社会活動を始め、熱中する。
はじまりと終わり
発達心理の年齢は、前半は18才から19才の誕生前日か、19才三ヶ月まで。後半は、19才の誕生日か19才4ヶ月からはじまる。終わりは21才頃としよう。
人類の思想は、はじまりは、1910年か1930年とする。終わりは2030年だ。これは社会組織論でつきとめた。
各段階は?
社会期の段階は、社会組織成長論に従う。
段階 課題 年度 組織形態 、世界の事象
↑六、個人 2010-2029 個人主義、コラボ コラボ型組織
↑五、集団 1990-2009 集団・グループ、マルチ、分社 EU、地域経済圏
↑四、専門 1970-1989 官僚組織、単能工市民運動 G7,OPEC
↑三、分権 1950-1969 事業部制組織、民族主義
↑二、集権 1930-1949 集権組織、独裁国家, ドイツ、日本、ソ連
↑一、初期 1910-1929 組織やグループが誕生。
よって、六段階があるはずだ。
この年齢の発達心理
私のケースから。19才は大学二年だ。下宿を始めた。大学では、経済学部だったが、大学一年で見切りをつけて、単位をとる分には学んだ。多くは経営学を学んでいた。組織論をして、最後には生産管理にゆきついた。それがもっとも経営学の難しい分野だった。この時期の探求は、組織論からはじめて、組織の目標や目標の管理などを学び、裁量・権限を知る。そして、組織構造が変化することも、知る。それから、実用的な生産管理は最後頃に学ぶ。経営学は、金をもうけることが書かれ、純粋な学問になりえてない。が、そういうものを捨象して、社会の法則を理解する。産業論や国家論も大切だ。これをしないと、小さな組織(企業)しか理解しなくなる。
発達心理では、まずは組織に入りたがる。それから誰かの命令に従って活動することを好む。そして、仕事を任せてもらいたくなる。そして、専門家のような顔をする。それからはマルチの才能を発揮する。もしくは分社して、事業をまるごと任されることを望む。しかし、その後は組織に属することに疲れ、個人行動に走る。自分が興味をもったことには集まる。この年齢の青年はこの順に心が揺れる。
六段階とすると、2-4ヶ月ごとに彼らの志向は変わる。
実際に20世紀の思想は?
この段階は、20世紀の思想に対応する。どんなものがあったか?
この時代の哲学は、社会学や経営学という専門分野で中心に発達した。「思想」や「哲学」は、明確な理論はない。これは、数学を文字で表すと読みにくいし、奇妙なものになるように、「社会」そのものを思想・哲学用語では分析できなかったからだ。それが構造主義やポスト構造主義である。
自由主義 (リバタリアニズム)
フリードリヒ・ハイエク 1899-1992年 経済学者 反共主義
社会主義
実存主義
マルティン・ハイデッガー 1889-1976年 「存在と時間」 志向 道具
カール・ヤスパース 1882-1969年 精神科医 超越
構造主義
ジークムント・フロイト 1856-1939年 精神科医 心理学の父
ミシェル・フーコー 1926-1984年 知と権力の関係
ポスト構造主義
ジャック・デリダ 1930-2004年 哲学者
この時代は、社会イデオロギーの時代であり、哲学よりも社会思想(社会学のこと)が人々の心をとらえ、世界を動かした。それを表現した哲学者はいない。心理学はフロイトによって、目をみはるべき発展があった。それまでは心理について合理的に考えられる者はいなかった。哲学は不作である。この時代のイデオロギーを代表してはいない。
まとめ
この時期は、実践が中心だ。家に閉じ込めないで、社会活動をさせる。それが身につきやすい。彼らはそれで、内的な欲求を満たし、充実する。上の思想は必要がない。社会論がよい。
道徳教育法 大学2-3回生の心理
大学1年では、社会活動には積極的にはならなかった。が、この年齢からは積極的に取り組みだす。クラブ活動には参加させて、組織のかかわりを体験させる。また、頭のよい人物、思想がすきな者には、経営学を教える。
社会の目標とは何か? どうすれば各人が共有するか? どんな目標なら共有するか。そういうことは経営学にしかない。また組織の命令の意味、自由の意味、権限・自由裁量などは、会社を考える上でとても大切だ。それは知らなくてはいけない。「所有」という古い観点だけでは、社会は分析できない、と知る。これが共産主義に対するウィルスとなる。
簡単に。共同で所有する、つまり共有とは何か。権限を全員に持たせること。しかし、組織は一人のトップが権限をもつ。それを分散させることはできない、と知る。共有財産は、ひとたびそれが国家など組織になると、国家の独占になる、と。共産革命後、国有化して、個人や企業の所有をとりあげたら、独裁国家になったのは、必然である、と。共産理論は簡単に否定される。
また資本主義と社会主義の違いも、権限で考えると簡単に。企業や個人に活動の自由(権限)を与えるのが資本主義。それを一切しないで、国家一人にのみ権限を集めるのが社会主義、とわかる。社会主義では自由(権限)が国民ないのは、当然である、と。社会主義は、よって、その体制では、永遠に個人を縛るため、永遠に悪である。
資本主義の後に、社会主義がくる、という論が間違いなのは、権限で考えるとすぐにわかる。つまり、それは、資本主義がゆきづまると、個人やグループ活動を禁止して、ある日、国家が独占してそれを行うことを意味するからだ。そういう後退は、今後起きないからだ。それは独裁国家への転落であり、理想とも思えないからだ。
もし、理想的な社会があるとしたら、それは現在の企業や個人の活動の自由を保障した上で、よりよい国になるのだろう。それは誰でもわかる。それは未来の資本主義の体制なのだ。
反共のためには、社会の仕組みをよく知るためには、特に「権限」や「自由裁量」を教えなくてはいけない。大学では、左翼の誘惑がある。それらに入って、過激派の一員にならないようにするためには、ぜひとも必要だ。
それまで社会の仕組みを勉強していた。大学二年からは、その社会活動に参画させる。それが、彼らの欲求である。
軽い頭痛。今週はアカにひどくやられている。
共産ストーカーに私の理論の価値などわからない。が、私が共産理論を否定していることは、彼らも理解したようだ。あんな幼稚で間違いだらけなのを見下せなくて、信じるのはよほど知性が劣る。ここは、そんな弱い頭の人物は読まない保守のブログだ。どんどん書いてゆく。言論の侵害に対して、私は屈しない。そのため、私はあまり頭が働かない。軽くしあげる。
発達心理と精神 大学2-3年(19-20才)の心理
大学生の心理を解き明かす。彼らは「社会」に関心をもつ。18才頃は、社会の仕組みを学ぶ。19-20才は積極的に社会活動を行うようになる。グループに属したがる。今日は後期を明らかにしよう。
タイプ 年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
空間者 21-24 空間 21-24 空間
↑空間者 20-21 電子 21 電子、インターネット的
↑社会性後期 19-20 社会活動 20 社会 経営学 社会組織論
↑社会性前期 18-19 社会学習 19 社会 社会論
↑理性後期 16-17 外的理性 18 理性、カント、ヘーゲル
↑理性前期 15-16 内的理性 17-18 理性、デカルト、経験主義
↑運動者後期 13-14 外的力 13-16 ルネサンス以後、足利文化的
↑運動者前期 12-13 内的な力 13-16 ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11 感性 9-11 貴族
感覚主義者 5-8 内感 5-8 王()
表が大きくなった。人は感覚→運動→理性→社会→空間とテーマをあげる。各段階は前半と後半がある。前半は、自己の(内的な)確立。後半は外世界を対象とする。
18才から人は社会に関心をもつ。それは19才と少しまで続く。それまでは社会活動には億劫だ。が、19才からは社会活動の実践に入る。彼らはどんどんクラブや社会活動を始め、熱中する。
はじまりと終わり
発達心理の年齢は、前半は18才から19才の誕生前日か、19才三ヶ月まで。後半は、19才の誕生日か19才4ヶ月からはじまる。終わりは21才頃としよう。
人類の思想は、はじまりは、1910年か1930年とする。終わりは2030年だ。これは社会組織論でつきとめた。
各段階は?
社会期の段階は、社会組織成長論に従う。
段階 課題 年度 組織形態 、世界の事象
↑六、個人 2010-2029 個人主義、コラボ コラボ型組織
↑五、集団 1990-2009 集団・グループ、マルチ、分社 EU、地域経済圏
↑四、専門 1970-1989 官僚組織、単能工市民運動 G7,OPEC
↑三、分権 1950-1969 事業部制組織、民族主義
↑二、集権 1930-1949 集権組織、独裁国家, ドイツ、日本、ソ連
↑一、初期 1910-1929 組織やグループが誕生。
よって、六段階があるはずだ。
この年齢の発達心理
私のケースから。19才は大学二年だ。下宿を始めた。大学では、経済学部だったが、大学一年で見切りをつけて、単位をとる分には学んだ。多くは経営学を学んでいた。組織論をして、最後には生産管理にゆきついた。それがもっとも経営学の難しい分野だった。この時期の探求は、組織論からはじめて、組織の目標や目標の管理などを学び、裁量・権限を知る。そして、組織構造が変化することも、知る。それから、実用的な生産管理は最後頃に学ぶ。経営学は、金をもうけることが書かれ、純粋な学問になりえてない。が、そういうものを捨象して、社会の法則を理解する。産業論や国家論も大切だ。これをしないと、小さな組織(企業)しか理解しなくなる。
発達心理では、まずは組織に入りたがる。それから誰かの命令に従って活動することを好む。そして、仕事を任せてもらいたくなる。そして、専門家のような顔をする。それからはマルチの才能を発揮する。もしくは分社して、事業をまるごと任されることを望む。しかし、その後は組織に属することに疲れ、個人行動に走る。自分が興味をもったことには集まる。この年齢の青年はこの順に心が揺れる。
六段階とすると、2-4ヶ月ごとに彼らの志向は変わる。
実際に20世紀の思想は?
この段階は、20世紀の思想に対応する。どんなものがあったか?
この時代の哲学は、社会学や経営学という専門分野で中心に発達した。「思想」や「哲学」は、明確な理論はない。これは、数学を文字で表すと読みにくいし、奇妙なものになるように、「社会」そのものを思想・哲学用語では分析できなかったからだ。それが構造主義やポスト構造主義である。
自由主義 (リバタリアニズム)
フリードリヒ・ハイエク 1899-1992年 経済学者 反共主義
社会主義
実存主義
マルティン・ハイデッガー 1889-1976年 「存在と時間」 志向 道具
カール・ヤスパース 1882-1969年 精神科医 超越
構造主義
ジークムント・フロイト 1856-1939年 精神科医 心理学の父
ミシェル・フーコー 1926-1984年 知と権力の関係
ポスト構造主義
ジャック・デリダ 1930-2004年 哲学者
この時代は、社会イデオロギーの時代であり、哲学よりも社会思想(社会学のこと)が人々の心をとらえ、世界を動かした。それを表現した哲学者はいない。心理学はフロイトによって、目をみはるべき発展があった。それまでは心理について合理的に考えられる者はいなかった。哲学は不作である。この時代のイデオロギーを代表してはいない。
まとめ
この時期は、実践が中心だ。家に閉じ込めないで、社会活動をさせる。それが身につきやすい。彼らはそれで、内的な欲求を満たし、充実する。上の思想は必要がない。社会論がよい。
道徳教育法 大学2-3回生の心理
大学1年では、社会活動には積極的にはならなかった。が、この年齢からは積極的に取り組みだす。クラブ活動には参加させて、組織のかかわりを体験させる。また、頭のよい人物、思想がすきな者には、経営学を教える。
社会の目標とは何か? どうすれば各人が共有するか? どんな目標なら共有するか。そういうことは経営学にしかない。また組織の命令の意味、自由の意味、権限・自由裁量などは、会社を考える上でとても大切だ。それは知らなくてはいけない。「所有」という古い観点だけでは、社会は分析できない、と知る。これが共産主義に対するウィルスとなる。
簡単に。共同で所有する、つまり共有とは何か。権限を全員に持たせること。しかし、組織は一人のトップが権限をもつ。それを分散させることはできない、と知る。共有財産は、ひとたびそれが国家など組織になると、国家の独占になる、と。共産革命後、国有化して、個人や企業の所有をとりあげたら、独裁国家になったのは、必然である、と。共産理論は簡単に否定される。
また資本主義と社会主義の違いも、権限で考えると簡単に。企業や個人に活動の自由(権限)を与えるのが資本主義。それを一切しないで、国家一人にのみ権限を集めるのが社会主義、とわかる。社会主義では自由(権限)が国民ないのは、当然である、と。社会主義は、よって、その体制では、永遠に個人を縛るため、永遠に悪である。
資本主義の後に、社会主義がくる、という論が間違いなのは、権限で考えるとすぐにわかる。つまり、それは、資本主義がゆきづまると、個人やグループ活動を禁止して、ある日、国家が独占してそれを行うことを意味するからだ。そういう後退は、今後起きないからだ。それは独裁国家への転落であり、理想とも思えないからだ。
もし、理想的な社会があるとしたら、それは現在の企業や個人の活動の自由を保障した上で、よりよい国になるのだろう。それは誰でもわかる。それは未来の資本主義の体制なのだ。
反共のためには、社会の仕組みをよく知るためには、特に「権限」や「自由裁量」を教えなくてはいけない。大学では、左翼の誘惑がある。それらに入って、過激派の一員にならないようにするためには、ぜひとも必要だ。
それまで社会の仕組みを勉強していた。大学二年からは、その社会活動に参画させる。それが、彼らの欲求である。