電波犯罪と超科学

世評の歪みを正す。左派リベラリズムを斥ける。社会問題の解決を示す。世界の先端思想がここに。私は電波犯罪の被害者。

発達心理と精神 大学2-3年(19-20才)の心理 道徳教育法 同じ

2015-03-02 12:01:46 | 社会思想の終焉
こんにちは 大阪は晴れ

 軽い頭痛。今週はアカにひどくやられている。
 共産ストーカーに私の理論の価値などわからない。が、私が共産理論を否定していることは、彼らも理解したようだ。あんな幼稚で間違いだらけなのを見下せなくて、信じるのはよほど知性が劣る。ここは、そんな弱い頭の人物は読まない保守のブログだ。どんどん書いてゆく。言論の侵害に対して、私は屈しない。そのため、私はあまり頭が働かない。軽くしあげる。

発達心理と精神 大学2-3年(19-20才)の心理
 大学生の心理を解き明かす。彼らは「社会」に関心をもつ。18才頃は、社会の仕組みを学ぶ。19-20才は積極的に社会活動を行うようになる。グループに属したがる。今日は後期を明らかにしよう。

タイプ    年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
 空間者 21-24  空間 21-24   空間
↑空間者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑社会性後期 19-20 社会活動 20  社会 経営学 社会組織論
↑社会性前期 18-19 社会学習 19  社会 社会論
↑理性後期 16-17 外的理性 18  理性、カント、ヘーゲル
↑理性前期 15-16 内的理性 17-18  理性、デカルト、経験主義
↑運動者後期 13-14 外的力 13-16  ルネサンス以後、足利文化的
↑運動者前期 12-13 内的な力 13-16  ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族 
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

 表が大きくなった。人は感覚→運動→理性→社会→空間とテーマをあげる。各段階は前半と後半がある。前半は、自己の(内的な)確立。後半は外世界を対象とする。

 18才から人は社会に関心をもつ。それは19才と少しまで続く。それまでは社会活動には億劫だ。が、19才からは社会活動の実践に入る。彼らはどんどんクラブや社会活動を始め、熱中する。

 はじまりと終わり
 発達心理の年齢は、前半は18才から19才の誕生前日か、19才三ヶ月まで。後半は、19才の誕生日か19才4ヶ月からはじまる。終わりは21才頃としよう。
 人類の思想は、はじまりは、1910年か1930年とする。終わりは2030年だ。これは社会組織論でつきとめた。

 各段階は?
 社会期の段階は、社会組織成長論に従う。

段階 課題 年度  組織形態 、世界の事象
↑六、個人 2010-2029 個人主義、コラボ   コラボ型組織
↑五、集団 1990-2009 集団・グループ、マルチ、分社 EU、地域経済圏
↑四、専門 1970-1989 官僚組織、単能工市民運動 G7,OPEC
↑三、分権 1950-1969 事業部制組織、民族主義
↑二、集権 1930-1949 集権組織、独裁国家, ドイツ、日本、ソ連
↑一、初期 1910-1929 組織やグループが誕生。

 よって、六段階があるはずだ。

 この年齢の発達心理
 私のケースから。19才は大学二年だ。下宿を始めた。大学では、経済学部だったが、大学一年で見切りをつけて、単位をとる分には学んだ。多くは経営学を学んでいた。組織論をして、最後には生産管理にゆきついた。それがもっとも経営学の難しい分野だった。この時期の探求は、組織論からはじめて、組織の目標や目標の管理などを学び、裁量・権限を知る。そして、組織構造が変化することも、知る。それから、実用的な生産管理は最後頃に学ぶ。経営学は、金をもうけることが書かれ、純粋な学問になりえてない。が、そういうものを捨象して、社会の法則を理解する。産業論や国家論も大切だ。これをしないと、小さな組織(企業)しか理解しなくなる。

 発達心理では、まずは組織に入りたがる。それから誰かの命令に従って活動することを好む。そして、仕事を任せてもらいたくなる。そして、専門家のような顔をする。それからはマルチの才能を発揮する。もしくは分社して、事業をまるごと任されることを望む。しかし、その後は組織に属することに疲れ、個人行動に走る。自分が興味をもったことには集まる。この年齢の青年はこの順に心が揺れる。
 六段階とすると、2-4ヶ月ごとに彼らの志向は変わる。

 実際に20世紀の思想は?
 この段階は、20世紀の思想に対応する。どんなものがあったか?
 この時代の哲学は、社会学や経営学という専門分野で中心に発達した。「思想」や「哲学」は、明確な理論はない。これは、数学を文字で表すと読みにくいし、奇妙なものになるように、「社会」そのものを思想・哲学用語では分析できなかったからだ。それが構造主義やポスト構造主義である。

 自由主義 (リバタリアニズム)
フリードリヒ・ハイエク 1899-1992年 経済学者 反共主義
 社会主義

 実存主義
マルティン・ハイデッガー 1889-1976年 「存在と時間」 志向 道具
カール・ヤスパース 1882-1969年 精神科医 超越

 構造主義
ジークムント・フロイト 1856-1939年 精神科医 心理学の父
ミシェル・フーコー 1926-1984年 知と権力の関係

 ポスト構造主義
ジャック・デリダ 1930-2004年 哲学者

 この時代は、社会イデオロギーの時代であり、哲学よりも社会思想(社会学のこと)が人々の心をとらえ、世界を動かした。それを表現した哲学者はいない。心理学はフロイトによって、目をみはるべき発展があった。それまでは心理について合理的に考えられる者はいなかった。哲学は不作である。この時代のイデオロギーを代表してはいない。

 まとめ
 この時期は、実践が中心だ。家に閉じ込めないで、社会活動をさせる。それが身につきやすい。彼らはそれで、内的な欲求を満たし、充実する。上の思想は必要がない。社会論がよい。

 道徳教育法 大学2-3回生の心理
 大学1年では、社会活動には積極的にはならなかった。が、この年齢からは積極的に取り組みだす。クラブ活動には参加させて、組織のかかわりを体験させる。また、頭のよい人物、思想がすきな者には、経営学を教える。

 社会の目標とは何か? どうすれば各人が共有するか? どんな目標なら共有するか。そういうことは経営学にしかない。また組織の命令の意味、自由の意味、権限・自由裁量などは、会社を考える上でとても大切だ。それは知らなくてはいけない。「所有」という古い観点だけでは、社会は分析できない、と知る。これが共産主義に対するウィルスとなる。

 簡単に。共同で所有する、つまり共有とは何か。権限を全員に持たせること。しかし、組織は一人のトップが権限をもつ。それを分散させることはできない、と知る。共有財産は、ひとたびそれが国家など組織になると、国家の独占になる、と。共産革命後、国有化して、個人や企業の所有をとりあげたら、独裁国家になったのは、必然である、と。共産理論は簡単に否定される。

 また資本主義と社会主義の違いも、権限で考えると簡単に。企業や個人に活動の自由(権限)を与えるのが資本主義。それを一切しないで、国家一人にのみ権限を集めるのが社会主義、とわかる。社会主義では自由(権限)が国民ないのは、当然である、と。社会主義は、よって、その体制では、永遠に個人を縛るため、永遠に悪である。

 資本主義の後に、社会主義がくる、という論が間違いなのは、権限で考えるとすぐにわかる。つまり、それは、資本主義がゆきづまると、個人やグループ活動を禁止して、ある日、国家が独占してそれを行うことを意味するからだ。そういう後退は、今後起きないからだ。それは独裁国家への転落であり、理想とも思えないからだ。

 もし、理想的な社会があるとしたら、それは現在の企業や個人の活動の自由を保障した上で、よりよい国になるのだろう。それは誰でもわかる。それは未来の資本主義の体制なのだ。

 反共のためには、社会の仕組みをよく知るためには、特に「権限」や「自由裁量」を教えなくてはいけない。大学では、左翼の誘惑がある。それらに入って、過激派の一員にならないようにするためには、ぜひとも必要だ。

 それまで社会の仕組みを勉強していた。大学二年からは、その社会活動に参画させる。それが、彼らの欲求である。
コメント

発達心理と精神 18才の心理 政府の新聞とテレビ局がほしい

2015-02-28 11:25:20 | 社会思想の終焉
こんにちは 大阪は晴れ
 いい気持ちだ。スマトラではなく、2/27はインドネシアのフローレス海でM7。惜しかったな。

政府の新聞とテレビ局がほしい
 政府を非難する新聞・テレビがたくさんあるのに、政府はそれをしっかりと説明していないように思える。首相の発言、官房長官のコメント、記者会見はある。が、わかりやすく解説してくれない。また法律の改正による変更など。

 官庁がそれぞれ官報を出してはいる。ばらばらだ。それらを全部集めるのはたいへんだ。統一的によく解説されたものがない。

 政府の発行の本はいくつかある。それは詳しすぎる。もっと要約してわかりやすくしなくては。政府の日々の動向を伝えるものもいる。

 政府が作ったに等しい公共NHKはある。しかし、なぜか、NHKは政府のテレビ局であるはずなのに、「政府の意向を報道することはいけない。」、という。これはおかしい。国営放送は、国の立場を説明するメディアだからだ。NHKはほぼ国営だが、国営でないなら、民間なのか? それなら国が保護する必要はないではないか。

 イギリスには国営放送はある。国営放送は、国営放送らしく、国の政策をしっかりと国民に説明すべきである。国営でないならば、NHKは国から見離され、独自に資金を集めるべきだ。民間があるから、国営もあってよい。国の政策をしっかりと説明する公共テレビがほしい。

 新聞は、政府が何を行っているか。毎日、もっと大きな紙面でまとめて、伝えるものが必要だ。政府の新聞は、日本政府が説明責任を果たすためには是非ともいる。国営新聞は、中国にもロシアにもある。北朝鮮にもある。私が知らないだけで、他の自由で民主主義的な国にもあるだろう。国営の新聞を禁じる法律などないからだ。

 中国の人民日報は悪いのか? 北朝鮮の新聞は悪いのか? ロシアのプラウダ?は悪いのか? イギリスのBBCは悪いのか? どれも政府の立場を十分に説明しているだろう。

 政府を批判する民間の新聞社はある。彼らのいくつかは国の方針でないものを社是として、イデオロギーに走り、国とは異なる視点でそれを国民に伝える。そんなものが氾濫したら、国の意図は正しく国民に伝わらない。政府の立場を説明するれっきとした国の新聞も必要である。

 私の提案は、必ず国営の新聞とテレビ局は日本に作らなければいけない、というものだ。戦後何十年もそんな当たり前のこともできなかった日本は、おかしい。20年以内に実現せよ。まずはしょぼい官報は統合して、会見をまとめたような内容にしてはじめよう。


 発達心理と精神 大学1年(18才)の心理
 青年期のという発達心理上の謎を埋めている。青年期はモラトリアムという中途半端なものしかなかった。が、発達心理だ。それは遺伝子に組み込まれたものだ。もっと合理的な体系でなくては。エリクソンの発達心理モデルを改良したものが、私の理論である。

 前回は理性期後半を説明した。高校生は合理主義だと理解した。なんでも法則を求める。不合理なものだと途端に拒絶する彼らの心情を説明した。今日は、大学生1-2年(18才頃)の心理である。

タイプ    年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24   空間
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑社会性後期 19  社会 20  社会 経営学 社会組織論
↑社会性前期 18   社会 19  社会 社会論
↑単純理性後期 16-17 外的理性 18  理性、カント、ヘーゲル
↑単純理性前期 15-16 内的理性 17-18  理性、デカルト、経験主義
↑知性者後期 13-14  外的力 13-16  ルネサンス以後、足利文化的
↑知性者前期 12-13  内的な力 13-16  ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族 
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

 社会性の段階
 高校生は理性を探求していた。18才の大学生になると青年は突然、社会に関心をもつ。最初は、見ているだけだが、一年もたつと社会活動に目覚める。大学生は社会活動に熱中しやすい。そして、すぐに冷める。18-19,20才の年代は、社会を探求する時期のようだ。

 思想のはじまりと終わり
 私は当初、社会性の開始時期を20世紀初頭としていた。しかし、理性を完成させたヘーゲルがなくなったのが1833年だ。つまり、理性はその頃、19世紀に完成した。19世紀にテーマは「理性」から「社会」に移った、と考えるのが妥当だ。19世紀は、社会論が多く台頭したからだ。よって、社会期のはじまりは1830年頃としよう。終わりは、社会組織が終わる2030年頃だ。200年だ。

 社会期は、1830-2030年頃 200年間だ。

 社会期の前半は?
 社会期の後半、社会組織の時代で、1910年頃から2030年だ。前半はそれ以前とする。それは1830-1910年だ。この時代は、人々は社会活動に積極的ではなかった。一部にそういう者はいたが、国家全体では多くの人々はあまり社会活動をしなかった。先端の人々は、社会論を語ることにあけくれていた。どんな思想があるか?

 社会期の前半の哲学
 哲学はこの時代は不作だった。社会論はたくさん生じた。功利主義は、道具が役立つを強調する。理性の時代では哲学的な人、大学の先生が最高の人物とされた。が、この頃は、社会的な活動家こそが立派、政治家が偉大と思われるようになった。この段階の人は、あまり行動的ではない。実践には関心が薄いためだ。

功利主義
ジェレミ・ベンサム(1748 - 1832年) 功利主義 快楽や幸福をもたらす行為が善、最大多数個人の最大幸福。
ジェームズ・ミル(1773-1836年) 功利主義  経済学
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873年) 功利主義 自由論 権力の強制

実用主義 プラグマティズム

実存主義
ランケ 1795-1886年 歴史学。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ 1844-1900年 逆説。超越者。みるべきものはない。
キルケゴール 1813-1855年 不安の概念

社会学者
エミール・デュルケーム 1858- 1917年
マックス・ヴェーバー(1864年-1920年) 社会学者、経済学者
アルトゥル・ショーペンハウアー(1788-1860年) 仏教の西洋への導入。
マルクス(1818-1883) 狂気の社会論 労働者 社会主義

 社会期前半の課程
 理性期の完成する頃、宇宙には理性が満ちていることを気づく。それ以降、すべての物質に、理性(生命)が備わっている、と感じる。前半は内的な完成が課題で、実践的ではない。

 彼ら万物に宿る意思は単独で生きている。アミニズム的な世界観だ。が、彼らは動かないし、経験しないと高度にならない。万物は、何か生き物である。それが世界に無数に存在する。自分は、そんな物質=生き物に囲まれている。彼らがよりよい生活をすること、が課題となる。

 各段階は、感覚→運動→理性→社会→空間と進む
 まずは、自分が人間関係で五感的に快適であることを目指す。もっとも自分が幸福であるにはどうあればよいか?
 次に、自分が他人との力関係・運動面で自由であることを知る。自分はどういう社会関係を作ればよいか。社会的な圧力や、自由の制限(物理的な制約)を考える。行動で制限されない、という自由の概念が高まる。
 次に、自分と他者との法則・法律など理性的な関係を知る。理性とはこの段階では法律や法則である。言論の制限、法律の制限などが考慮される。自分はどんな法律の制約を受けているか。それを解き放つには。
 次に 自分と他者との社会的な関係を知る。地位関係、上下関係、社会階層など。大人と子供、親と子など。国家と個人、集団と個人。身分制度、契約関係(雇用)が不合理で人々の自由な活動を妨げていると気づく。
 次に、自分と他者との空間的な関係を知る。このとき、社会空間はしだいに大きくなり、無限に広がる。すべては、社会的な能力をもつ、と気づく。

 そして、世界のすべての物質(人)は社会的な一員である、と気づく。自分はその一人と気づく。だが、まったく社会関係がゼロである、とも気づく。その社会的な関係を満ちさせることが、次の課題(後半)となる。これで実践に入る。

このようにして、この段階の人は、社会活動を観察しはじめて、社会はどういう仕組みで動くのか、その原理を知ってゆく。

道徳教育法 大学生(18才)の心理

上でみたように、18才になると、社会とは何かを探求しはじめる。契約、法律、制度に興味をもつ。自由を求めはじめる。だが、最初の頃は、人の話を聞いている。自分からは進んで行動しない。彼らはまだ自己内部に、社会的な自己を形成する期間だからだ。

高校生と大学生の自由の意味とはまったく異なる。高校生は、不合理なことを強要しないで、合理的な行動をさせてくださいという要求だ。大学生は社会的な制限をするな、という要求なのだ。高校生にとっていやな大人とは、不合理を強要する人物で、不合理の醜い塊にみえる。大学生にとって悪い大人とは、社会的な制限を課す人物で、悪しき圧力の原因にみえる。

正確にこの期間は、18才から19才3ヶ月か、18才のみかは大事だ。大学二年でもおとなしくて、大学二年の夏にならないと、活発にならないのか。その差だから。

 この期間は、社会論、社会のメカニズムを教え込む。小中高でも公民教育はある。が、それはざっと知識として身につけさせても、内容を実感して理解しない。が、この段階では、社会論を貪欲に吸収する。それをしないで、遊ばせるのはおかしい。

 ゆがんだ社会論(共産主義)は教えても、現代ではもう理解しない。インチキだと知っているため。私の場合は、ミクロ経済学はすぐに理解できた。が、マクロ経済学はだいぶかかった。簡単な社会論からしだいに難しいものにしてゆくことが大切だ。

 最初はミクロ経済学。それから法学などだ。その後は、経営学を簡単なものから教えてゆく。社会論は、経営学にしか理論的なものはない。理論を教えないと、記憶や知識のつめこみとなる。それでは理解したとはいえない。

 この段階では、自治や個人の自由はさほど大切ではない。それは標語程度には理解する。実践は関心が弱いためだ。この段階は、社会論を学習させる。
コメント

発達心理と精神 高校2-3年(16-17才)の心理 道徳教育法- 同じ

2015-02-27 11:48:18 | 発達心理
こんにちは 大阪は晴れ
 やっと晴れた。

 発達心理と精神 高校2-3年(16-17才)の心理
 高校生の発達心理を書いている。意外と、彼らは理屈にあうことを好むことがみえた。彼らは感情や熱意で指導すればよい、というのは間違い。発達心理では、理性的に合理的に導くことが正解だ。やってみればよい。効果てきめんのはず。

 なぜなら、彼らには理性的なもの以外は眼中にないから。

タイプ    年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24   空間、
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑複雑理性者 18-20  社会 20-21  社会、経営学、社会論
↑単純理性後期 16-17 外的理性 18-19  理性、カント、ヘーゲル
↑単純理性前期 15-16 内的理性 17-19  理性、デカルト、経験主義
↑知性者後期 13-14  外的力 13-16  ルネサンス以後、足利文化的
↑知性者前期 12-13  内的な力 13-16  ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族 
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

 青年期の精神課題を明らかにしている。それが私のテーマなのだ。前回は高1-2年前半の心理をみた。内向的で、合理的なものを好んだ。今日は、理性期後半の課題をみる。

 前半は、内面の充実。後半は、外界の認識を獲得する時期とする。

私は、自分の欲求には敏感だった。この時期は、突然、思想を読み出した。古代の思想にはじまり、ソクラテス、ソポクレス劇、ギリシア哲学、プラトン、アリストテレスをよみふけった。実際、人類の思想史をたどることは高校二年の課題だろう。自然と読みたくなった。知りたくなった。そして、読んでいるうちは、心が満たされていた。それは発達課題を解決することができていたからだと思われる。この哲学好きは、ストア哲学はあまり入らずに、デカルト、カント、ヘーゲルと続いて、後は社会思想や現代思想は適当にして、宗教へとゆき、18才になると消えた。

 これが発達課題の正しい解決法だろう。外部の理性を認識することとしては、妥当な認識の発展か? また近代哲学と一致するか。それを検証する。

 後半の哲学はドイツ観念論のカントからヘーゲルまでとする。1750-1900年のおよそ150-180年間だ。

イマヌエル・カント(1724-1804年) 純粋・実践理性批判、判断力批判
 難解で読みづらいのだが、理性を確立したといえる。また悟性、感性などで外界と理性の関係も明らかにした。彼は理性という内面だけを論じてなく、道徳や倫理、自然などの現象を考察した。
「その出発点にはカント哲学によって開かれた超越論的自我とその働きによる世界の把握がある」WIKI ドイツ観念論より

ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(1762-1814年)
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(1775-1854年)
「フィヒテの絶対的自我の立場の盲点ともいえる「自然」という問題をも体系に取り入れ、自然を自我(精神)の超越論的前史としたフリードリヒ・シェリング」WIKI ドイツ観念論より

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832年) 作家

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831年)
 精神現象学は、精神の発展を記す。論理学は理性そのものをあらわす学問ではある。彼は学問や体系を作ろうとした。理性は、発展すると何か学問のような体系になる、ことを明らかにした。

 ヘーゲルが1830年頃になくなったとすると、理性期は1600-1830年かもしれない。1830-1910年は社会期の前期とみなせなくもない。ここは再考に値する。

 理性の認識
 理性が外世界を感じるときは、どのように課題もつ?

 外世界の感覚的なものを理性化する (五感、自然を理性的にとらえる)→ 外世界の運動を理性的にとらえる。(運動法則、等速運動、加速運動、放物線を意識しやすい、バイクに乗りたがる理由) → 外世界の理性を理性化する (法則的なものに興味をもつ。つまり学問や人の言葉に関心がゆく。)、論理学の誕生 → 社会的なものを理性化する → 空間的なものを理性化する

 解説
 理性化するとは、そこに法則・公理をみつけだすこと。人は、感覚、力・運動、理性、社会と順番に関心をもつ。各段階は、簡単なものから複雑なものへと関心が移る。感覚期では、皮膚感覚、視覚、聴覚など五感だ。その感覚神経において合理化される。運動期では、体を運かす神経が鍛えられる。理性期は、論理的な思考が強化されるし、法則的なものを学ぶ。社会期では、通信や人間交流の技能が鍛えられる。

 この理性認識の発展と、当時の哲学や世相は一致するはずである。

 理性期後半の精神について
 この人物は100万人に一人の割合だ。私は理性期の人物は、数人知っているが、区別できない。理性的できっと、すべての面で明るい発想だろう。物事をわからない難しい、とすぐに言う無能ではない。

 理性期は16-17才の精神
 これは、道徳教育法で論じる。高校生が何を感じ、何を欲しているか。まずは哲学を学ばせる。それで満足する。なにしろ心からほしがるものを与えてるのだから。また世界のさまざまな法則的な物事を感動的に体験させ、理解させることも、大切である。彼らが喜ぶのはそれ以外にはないのだから。

 道徳教育法 高校後半の心理
 高校生(15-17才)は理性的なものを好む。その後半(16才の高2夏秋から17才)は、自然界、世界がいかに法則に満ちているかに関心をもつ。それを提供すると、彼らは熱中する。彼らは科学に一番興味をもってくれる時期である。なお不合理なものは、とことん嫌われるから、それを避けることが必要だ。高校生は後半になると、特に不合理なルールに従わない。

 ここは、私の体験がよい、と思う。フランスでは哲学は15-17才に教えはじめる。日本ではそうしない。16才の半ばから、思想を一年かけて教えよう。古代の思想から。彼らは、本来興味をもつ。いや、思想史にしか興味をもたない、といったほうがよいかもしれない。この頃に、発達心理上の課題(思想史で代替できる)を0才から追体験するのが、本人の課題だ。なぜなら、古代人の考えや、ギリシア人の考えを、合理的(法則的)に解釈しなおすこと。それが彼らの課題なのだから。

 科学を合理的に教えることも大切だ。できるだけ、よい優れた哲学のみを教える。悪い哲学とは、合理的とはいえないものだ。そういうものに興味をもたないため。また古い劇や小説も教えること。思想について、具体的に考える知恵が養われる。哲学をただ読むだけで、作者は当時起きたどんな社会現象・自然現象を問題にしているか、わかるほど優れた生徒はあまりいない。
 このようにして、思想史を一年かけて教えることで、本人の心の中にあるさまざまな考え方が、理性によって合理化され、書き換えられる。それこそが、彼らの課題である。
 なお、ヘーゲル以後は軽く教える。どうせ理解しない。マルクスなど似非理論は教えない。将来、テロリストにしない、国家破壊活動に従事させないためである。

 運動を理解させるために、バイクにあえて乗せる必要はない。ジェットコースーターや遊園地の遊具のアトラクションでよい。加速体験や減速体験は車でもよい。放物線は物を投げさせたらよい。本人を飛ばしてもよい。

 高校生後半は、あらゆる物事を理性的にとらえる。自身の成長とは、学問体系の発展(ヘーゲルはそういう説を出した。人類の精神の発展=学問の発展。よって個人の精神の成長も同じような形式となる)のようだ、と教えたい。本人の精神成長について、モデルを与えておくと、大人になってから迷わなくなるためだ。
 この時期、思想(初歩的な問題から、だんだんと難しい問題にいたる。)をとことん考えさせて、世界を合理的に考える心を養うのがよい。

 本日の被害
 PCに刺激性のほこりがあった。それが舞って、鼻から吸い込むと、鼻が極度にかゆくなった。これはアルカリ剤である。睡眠中に、眼と鼻はさされたようだ。口の中もだ。
コメント

発達心理と精神 理性期(15-17才) 道徳教育法 高校生前半

2015-02-26 12:05:15 | 発達心理
こんにちは 大阪は曇り
 今日は、2/25 M5.7 小笠原諸島だった。地震予知は一筋縄でいかない。一筋縄とは、筋を通すとお縄にかかる、という意味。どこをさすかは内緒。

 発達心理と精神 理性期(高校生)
 中学生の発達心理はおしまい。今日からは、高校生の発達心理を考察する。思想史と発達心理は一致する。その仮説から、明らかになる世界をすべて究明する。

タイプ    年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24   空間、
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑複雑理性者 18-20  社会 20-21  社会、経営学、社会論
↑単純理性後期 16-17 外的理性 18-19  理性、カント、ヘーゲル
↑単純理性前期 15-16 内的理性 17-19  理性、デカルト、経験主義
↑知性者後期 13-14  外的力 13-16  ルネサンス以後、足利文化的
↑知性者前期 12-13  内的な力 13-16  ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族 
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

 理性期のはじまり
 私は、15才でやっと理性的になり、自分らしくなった。霧が晴れた。年齢はよく覚えている。15才だ。孔子は、15にして立つ。自立する。精神が物質依存から独立する。フランスでは15才から思想を教える。
 哲学で理性を確信するのは近世だ。デカルトの「我思うゆえに我あり。」とひらめいた1617年頃。人類の1世紀が人間の1年としたが、若干ずれがあるようだ。もともと14世紀を14才の課題とする根拠はない。
 日本は1600年から江戸幕府の時代となり、足利からは決別した。人類において17世紀初頭は区切りである。理性のはじまりは1600年としてよい。

 この終わりは、ヘーゲルが批判され、みなが社会思想に興味をもつようになった1900年頃だ。つまり、300年。中間は1850年。前期は、その頃までとする。

 この段階の精神をもつ人は?
 精神は課題をこなさないと、そこで止まる。その後は、発達課題は意識するが、根源的に次の段階への精神は向上しない。知的タイプは、感覚的な人を見下す。が、本人は理性的ではない。なぜなら、主観や客観にこだわる。彼らは本人の感じ取れる世界。そのリアリティを脱してない。知性期で精神は止まった。

 理性期の精神では、すべてが理性=法則なので、本人の理性と外部の理性は区別されない。よって主観と客観はない。科学法則は、すべての物質に適用できる。そういう哲学をもつ人のみが、この段階の精神である。15才でこの精神に達するのは、10万-100万に1人で、ごくわずか。達観者といえる。貴重で社会の宝としたい。

 よってあまりに少数なので、この精神をもつ者達への言葉は減らす。それよりも、この段階の精神状態をよく示すことのほうが大事だ。なぜなら、発達課題として、誰もが体験するからである。

 理性期の思想とは?
 今回も前半と後半に分ける。後半の発達課題は、私は高校生の半ば以降に思想に関心を強くもったため、よく覚えている。前半は、精神は自由だったが、あまり記憶になく、よく覚えていない。哲学史から明らかにしよう。

 近世の哲学
 デカルトの合理主義とイギリスの経験論がある。

 大陸合理主義
ルネ・デカルト 1596-1650年 「我思うゆえに我あり」
 彼は、感覚(内部・外部)や知識など表象(観念)が不確かなものとした。しかし、自分は考えるので、残る、と考えた。そうやって純粋な自己を導きだした。
 次が大事。感覚によって本質はとらえられない。それで残るのは、数学・幾何学的な知である、という。それだけが世界にある。

wikiのデカルトによると
「物体に関わる感覚的条件(熱い、甘い、臭いetc.)は物体が感覚器官を触発することによって与えられる。なにものかが与えられるためには、与えるものがまずもって存在しなければならないから、物体は存在することが確認される。しかし、存在するからといって、方法的懐疑によって一旦退けられた感覚によってその本質を理解することはできない。純粋な数学・幾何学的な知のみが外在としての物体と対応する。このことから、後述する機械論的世界観が生まれる。」

 このようにして、およそ自己は純粋な数学・幾何学=法則で理性となった。高校生の倫理にはもっと易しく書かれているから、それを参考にしてもよい。

バールーフ・デ・スピノザ wikiより 1632-1677年 『エチカ』
 スピノザの汎神論は、神の人格を徹底的に棄却し、理性の検証に耐えうる合理的な自然論

ゴットフリート・ライプニッツ 1646- 1716年 単子論
スピノザは自然が神だとして、科学法則=神のような現代の世界観を作った。
ニコラ・ド・マルブランシュ 1638−1715年 すべての物質に神をみる

イギリス経験論
フランシス・ベーコン 1561-1626年 経験論 帰納法
 ベーコンによって、いかに人は理性を獲得するか。法則を知るために帰納。経験して、帰納して得られる、ことが明らかになった。

ジョン・ロック 1632-1704年)
WIKI 経験論より
「ロックは、人間は観念を生まれつき持っているという生得説を批判して観念は経験を通して得られると主張し、いわば人間は生まれた時は「タブラ・ラサ」(白紙)であり、経験によって知識が書き込まれる、と主張した」

 近代哲学のまとめ
 デカルトが、人間は理性(数理法則)とした。ジョン・ロックがその理性を発展させる方法を明らかにした。ニュートンが微分積分を開発したのも重要だ。経験は微分(個別の要素を取り除いて、平均値にする)によって法則になるからだ。

 理性の発展は以下とする
 自分が理性であると自覚 → 感覚の理性化 内的な感覚、皮膚、暑い、寒い、視野、におい、→ 知性・運動の理性化、手足の運動の合理主義的な理解、体の動きの理性 → 知性の理性の後期で、外部の運動の理性化、つまり、これが機械論的な世界観だ。 → 社会の理性化 → 空間から無限に。 →ブレイクスルー→ 外部理性の認識

 説明
 理性期は前期と後期がある。前期は、自己内の理性の確立。後期は外界のそれだ。今回は、前期を解説する。
 まずはデカルトのように自分が理性存在と自覚する。脳の電気信号による認識が"自己"なので、科学的に正しい。それをデカルトはぼんやり悟った。その後は、感覚を合理的に解釈する期間がある。その次は、運動や知識を理論や法則として理解する。その前半では内的なもの。後半では外的なもの。この段階で、機械論的な世界観を知る。社会を理論的にとらえる。

 フランス人権宣言(1789年)は、理性的に社会を考えた思想の一つと位置づけられる。このように、しだいに何もかも世界のあらゆるものが合理的に理解されるようになった。

 まとめ
 理性前期の人の精神は以下である。自分はすべては理性である。合理的な説明しか納得しない。なおあまり行動的ではない。ただ暗くはなく、明るい。この段階の精神にいたった人は、知性のまやかしをすべて見抜かなくてはいけないから、とても賢い。しかも、なんでも合理的にとらえている。話す言葉に一般性がある。

 道徳教育法 高校生前半
 発達心理から、高校生の前半(15-16才前半)の精神が明らかになった。彼らは、理性的なものを志向する。中学まで世界の運動を知ることが課題だった。これからは、世界の法則・理性を知ることが課題だ。彼らが嫌がるのは、中途半端で、地方しか通じないような特殊な考え方だ。数学やコンピューターは好む。

 高校生に入ったばかりの生徒には、理性に目覚めたばかりだ。こういうべきだろう。ただし4月生まれの15才になった人だけが、すぐにそれを納得してくれる。早生まれは15才になった頃に、その言葉の意味を知る。

 「君たちの脳は、コンピューターと同じ電気信号だ。そのパターンだ。君の考えも、感覚も、運動も、神経という電子回路で動いている。」

 「世界中の法則がある。君たちは、それを学び、身に着けていかなくてはいけない。」

 彼らは、特に理論的な物事を好むから、それを明るく示すのがよい。ただ、内的な感覚や内的な運動神経を合理化することが、課題なので、活発ではないだろう。

ここは三段階ある。単純に5ヶ月ほどに分けよう
 感覚の合理化 15-15才4ヵ月 自己の理性、理性による感覚の統御
 力の合理化 15才5-9ヵ月  運動を理性的にコントロールする
 社会の合理化 15才10ヵ月-16才3ヵ月 社会・宇宙を理性的にみつめる

 そんな課題をもつ。理性的な人が好かれることは、確認したい。なお、この期間は私はあまり覚えてないから、詳しくはかけない。合理的な行動を好むことは確かである。

 本日の被害
 鼻の内部をさされた。電波で刺激されると、鼻がかゆくなり、鼻水が出る。また室内に、鼻を刺激するものが噴霧されていた。眼もさされて、やや痛む。また突然、体が重たくなり、圧迫感が強くなる時がある。強い電波がきたらしい。
コメント

発達心理と精神 知性期後期 道徳教育法-中学生の発達心理

2015-02-25 12:04:00 | 発達心理
こんにちは 大阪は曇り
 今日は、2/17と同じ地磁気パターンなら、東北で強い地震。私はスマトラ派だけど。どっちかだろう。

 哲学の歴史を考えていると、毎日の政治ニュースに一喜一憂するのは、テレビにはりつきすぎにみえる。

 発達心理と精神 知性期後期
 昨日は知性前期を見分けた。そんな暗めの精神をもつ人はいる。今日は、もっと高等な人たち、知性後期の哲学、中2,中3の精神、そこで精神が固まった知的で明るい人の特徴を調べる。

タイプ    年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24   空間、
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑複雑理性者 18-20  社会 20-21  社会、経営学、社会論
↑単純理性後期 16-17 外的理性 18-19  理性、カント、ヘーゲル
↑単純理性前期 15-16 内的理性 17-19  理性、デカルト、経験主義
↑知性者後期 13-14  外的力 13-16  ルネサンス以後、足利文化的
↑知性者前期 12-13  内的な力 13-16  ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族 
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

 知性後期とは、室町幕府が始まった1336年以降をさす。また終わりはデカルトの自我の目覚めが起きた1600年頃。江戸時代の1600年頃前とする。

 知性期後期  1330 - 1600年  300年間だ。

 どういう人々がこの段階の精神か?
 知的な人だ。が、正義がどうのこうのと自己中心的な世界を作りたがるタイプではない。外部の理性や知性について、物分かりがよく明るいものを好む。人文(人間)主義的である。いわゆる健全な知性をもち、哲学にそう歪みがない人は、この段階の精神をもつ。目は白く輝く傾向がある。

 中2の夏-中3の精神とは
 この段階は、13-14才(中2-3)の精神に対応する。15才で高1になると、理性を探求する。その前の精神だ。また知性前期(中1,12-13才)の精神でもない。彼ら若者は、何に関心をもち、どんな課題を探求しているのだろうか?

 誤解しないでほしいこと
 社会の探求を発達課題とした20世紀は、社会改革ばかりをしたわけではない。科学や工業技術も発展させ、芸術も表現した。人間は総合的な文化を開花させる。その段階は、特定の課題をもつとしても、感覚、知性、理性、社会だけでなく、あらゆる面で認識を拡大させる。ここでは発達課題を中心に論じるが、その他の面でも発達する。

 知性期の発達課題の整理

 前期は、「力の探求」を探求した。
 一つの力 → 持続力(長距離走) → 複雑な力(踊り、コンビネーションジャブ) → 完全、精密、完璧をめざす(力の比較、効率、正義) → 自己が力で満ちる (最終段階)→ 自分より強く大きな力 → 外部の力 (突破)

 後期も同じように、「外部の力」を探求する。
 外に自分と同等の力の発見(人、象、猫、ねずみ)→ 複数の力、自分より大きな・小さな力 → 多数の力、絡み合う力 → グループの力、大きな力の中に小さな力 → 全体的な力 自然の力 → 地球の力、宇宙の力、無限 → 力の統一(ブレイクスルー)

 力の認識は、以上のように発展するだろう。

 具体的に何を人は考察するか?
 それは哲学を調べ明らかにする。年代は、1330-1600年頃だ。この期間の哲学から、認識の発展をつきとめる。ルネッサンスで、人文主義の時代だ。この期間の哲学者は以下だ(wikiより)。

14世紀前半
パドヴァのマルシリウス(1275- 1342年) ストア哲学 政治思想 人民の法()
ジャン・ビュリダン(1295年頃 - 1358年) 中世の哲学 科学の走り 慣性
オッカムのウィリアム(1285年 - 1347年 ) 中世の哲学 神の光がなくても、人間には科学的な思考が可能。

14世紀後半
ニコル・オレーム(1323-1382年) 中世の哲学 科学の走り、自然主義
フランチェスコ・ペトラルカ(1304-1374年) 人文主義、古文の再興
ジョヴァンニ・ボッカッチョ(1313-1375年) 人間主義

15世紀
マルシリオ・フィチーノ(1433-1499年) 理性と知性 魔術
ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(1463-1494年) カバラ 自由意志、人間は小さな宇宙で、何から何まである。

16世紀
ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527年) 軍事・政治
フランチェスコ・グイチャルディーニ (1483-1540年) 歴史家
トマス・モア(Thomas More、1478-1535年) ユートピア
ヒエロニムス 1466- 1536年
ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ 1533- 1592年 哲学者。エセー。正義への懐疑。
ジョルダーノ・ブルーノ(1548- 1600年 宇宙は有限でなく無限。地動説。
マルティン・ルター(1483- 1546年) 神でなく人のイエスに従う?

 どうやら後期は、300年もあり、簡単ではないらしい。

14世紀
 前半はストア哲学や信仰を排除する。オッカムは神がなくても思考できることを説いた。ジャン・ビュリダンは科学的な態度を強めた。前半に中世からの脱皮した。後半には、人文主義がしだいに強まった。

15世紀
 不思議なことに、カバラなど魔術が入り込む。科学が起きつつあった時代に。この段階は、ダビンチ(1452- 1519年)が現れ、個人の技術は高まった。ラファエロ・サンティ(1483- 1520年)

16世紀
 この段階では、マキャベリが軍事論を述べ、ユートピアなど社会改革の案も出て、技術は、個人のものではなく、社会のものとなった感がある。社会論が多く出始める。ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564年)。

 大きく世紀ごとに3段階あるようだ。14世紀は、人文主義の素朴なものが目立つから、外部の力を感じ取る時期とする。15世紀は、個人の力を行使する事(技術)や思想が高まった時期とする。16世紀は社会的集団の技術や思想が高まった時期とする。

 まとめ
 この段階は外部の力を認識する。それは、三段階あるようだ。1,見て、触って、聞いて、外界の「力」を感覚で測定する時期。2,個人の力を行使する時期(技術を使いたがる) 3,集団の力を行使する時期(社会的な力を知る)。これらは13,14才の課題とする。
 人間には、知性者後期の人格は3タイプ(外の力を感じる派、個人で使いたがるタイプ、社会的な力を論じるのが好きなタイプ)いる、と今回は把握した。

 道徳教育法 13-14才の発達課題
 中学生は、自分でやりたがり、指導するとすぐに反抗する。扱いにくい。が、彼らの発達課題さえ知ると、適切に彼らの関心をみたせる。昨日は、12才から13才3ヶ月の課題を説明した。運動させたり、マニュアル通りに動作をさせたりする。力や運動を考えさせると。彼らの興味をひいた。

 今日は、13才4ヶ月から14才の発達課題を明らかにしたい。これは人類史と発達心理は一致する、という仮説から導けるものだ。理論的なものだ。検証は今後の課題だ。

 この段階の特徴。ルネッサンスと同じ精神をもつ。明るい物事を好み、人間主義(人文主義)だ。また力学を好む。破壊、軍事なども好む。腕力は使いたがる。スポーツも大好きである。

この段階は大きく3つにわかれる。約21ヶ月ある。それぞれ約7ヶ月としよう。よって

 知性期後期1 外部の力を感覚で知る 13才4-10ヶ月
 知性期後期2 個人の力を知る 13才11ヶ月-14才5ヶ月
知性期後期3 社会的な力を知る 14才6-11ヶ月

となる。

 知性期後期1 外部の力を感覚で知る
 この段階では、気楽な人文主義の小説を話してもよい。精神はその思想と一致するからだ。が、「力」に興味をもつから、それを刺激する。運動や力学を教えるのがよい。やぼったい制服は、この段階では脱ぎ捨てよう。この時期は、ファッションに走らせてもよい。学生服などやぼったいものを着せると、本人の精神発達に阻害する。

 知性期後期2 個人の力を知る
 この頃には、素朴な運動論では満足しなくなる。技能を教え込む。たとえば、剣道や囲碁(盤上の力学)など特にスポーツを教えると吸収が一番よい。絵画でもよいが、なんでも技能を教え込むとよく身につける。ただ人の話を聞いて、学ぶだけでは満足しない。だから、何か技能を教える。ルネサンスの時期なので、あらゆる技能は教えてよい。

  知性期後期3 社会的な力を知る
 この段階は、集団で何か物を作らせる。もしくは、個人のものを社会的に発表させる。社会の力関係などを教える。マキャベリのように武器や軍事や政治など、直接、国家が力を使うものにも興味をもつ。頭の中は、ルネサンスなので芸術にも強い興味をもつはずだ。ただ社会的な運動など本格的なものはしない。

 以上が、発達心理から明らかになる中学生の課題だ。それを満たすように、彼らの内面の成長を促そう。

 本日の被害
 左目が痛む。刺されたようだ。また急所も傷むときがある。そこもやられた。鼻の中も少しきられたようで、弱っている。

コメント

発達心理と精神 知性期前期2 日共はテロ政党?

2015-02-24 12:00:54 | 発達心理
こんにちは 大阪は曇り

 昨夜から今朝も暖かい。

 発達心理表を完成させるべく、中世の哲学を調べている。あまりめぼしい哲学がない。しかも神学がまざっているから、まぎらわしいことこの上ない。「純粋知性」は、どうやって確立されたのだろう。

 日本共産党はテロ政党なのか?
 2/19 京都府議会で維新の党の豊田貴志が「維新は京都の政治の新たな流れをつくるためにテロ政党とも評される共産党をストップさせるべく戦いを挑ませてもらう」と述べた。ヤフーニュースより。戦中、戦後しばらくは、共産党は暴力革命を遂行しており、テロ政党だった。が、現在は、そういう明確な事実はない。「元テロ政党」と「元」をつければ、なんら問題はなかった。発言を撤回しない豊田府議は、確固としたその証拠を握っているのだろうか。政治の裏を知る者たちの発言は、話題性が抜群だ。

 発達心理と精神 知性期前期
 昨日、知性を探求する者達の精神を明らかにしよう、と中世ストア哲学をみた。彼らは見て、聞いた世界の知識を捨てた。そして、知識や簡単な規則を求めだした。それ以後どうなるかのだろうか?

タイプ    年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24   空間、
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑複雑理性者 18-20  社会 20-21  社会、経営学、社会論
↑単純理性後期 16-17 外的理性 18-19  理性、カント、ヘーゲル
↑単純理性前期 15-16 内的理性 17-19  理性、デカルト、経験主義
↑知性者後期 13-14  外的力 13-16  ルネサンス以後、足利文化的
↑知性者前期 12-13  内的な力 13-16  ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族 
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

 知性の前期は何年までとすべきか?
 私はルネサンスで分けようと思っていた。が、ルネサンスがはじまった年がはっきりしない。哲学で区分しようと、試みた。
 ストア哲学は、13世紀は、規則や要約を好んでいた。日蓮のようにどれが一番よい宗規かを比べた。が、14世紀に入ると、実践が重んじられた。これはおそらく百年ほど続くのだろう。これだと、思索が求められた13世紀。実践の14世紀。1300年頃で区切るのがよい。しかし、ルネサンスはまだ始まったとははっきりいえない。

 鎌倉幕府と足利幕府は、はっきりと違う趣がある。質実剛健で地味な鎌倉時代はまるで西洋の中世のよう。京都で開花した足利時代の文化は、華やかでそれは、ルネサンスのよう。

鎌倉幕府 1192-1333年
室町幕府 1336-1573年

どうやら、1330年頃が区切りのようだ。ただし、政治体制が変わる年が、必ずしも時代の区切りではない。

14世紀の思想家は(WIKIより)

ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス 1266?-1308年 トマス・アクィナス後のスコラ学の正統な継承者。神学を人間を神への愛に導く実践的な学問
パドヴァのマルシリウス 1275-1343年
信仰と理性の分離を唱えた人々をアヴェロエス主義者
ニコル・オレーム 1323-1382年
ジャン・ビュリダン 1295 - 1358年
マイスタ・エックハルト 1260-1328年頃 無をとく
オッカムのウィリアム 1285-1347年

各人の思想が読めないから、詳細な段階までつきとめられない。
各思想家が亡くなる年が大事だ。中世は長生きしない。その頃に思想を書いたとみなす。この中で、無をといたマイスタ・エックハルトが重要である。「無」が必要とされるのは、その社会の流れの一つ(思想)が消滅する時期だからだ。彼がなくなる1328年手前に、一つの思想が消えたと解釈する。よって、前期の思想が消えたのは、1330年頃としてよいだろう。1330年は、何かの思想の変わり目ではある。大きな区分としてよいものかは今後の課題だ。

暫定的に前期は、日本の武家政治の変わり目から、西洋哲学も区切りがその頃にあったと思えるから、1330年に終わったとする。30年は中途半端だが、社会期が終わるのも、2030年だ。頃あいがよい。

 知性の前期の精神 1200-1330年 まとめ
 まずは、感覚的な知識を捨てる。そして、行動規則など簡単なものを好む。その後、しだいにその知識は、複雑になる。そして、どれがよいか、正しいかと、選びはじめる。一番よいものにこだわる時期がくる。
 この間は、探求にいそしむ。行動的ではない。暗いものを好む。感覚的で華美なものは、目に入らない。規則やマニュアル好きである。外の世界にはあまり関心をもたない。知識人で自分中心型の性格となる。
 またそれぞれの知識は、科学的な法則ではない。方法論としての規則なのだ。純粋な知性とは何かを探求する。実践的な面はある。が、弱い。また知識人なのに、腕力・武力を使いたがる。
 なお神を信仰するのが正しい。全共闘でこのタイプは神を捨てているが、本来は神を求める性格である。

 12-13才3ヶ月の発達課題
 感覚的なもの(芸術鑑賞、観光、映画)への関心は12才になると低くなる。この時期は、外部への関心は薄れる。「力」(運動認識)を探求する。その前期で、自分内部の運動認識を確立する。そのため、暗いものを好む。

 基本的に、運動に関心を示す。行動規則(校則・方法論・マニュアル)に関心が高い。単純な規則としては、校則に興味をもつ。だが、様々な規則を教えるべきだ。そして、複雑な規則をまたたくまに知る。よい規則と悪いものを区別する。よい行動規則だけに従う。この時、反抗心が強まる。子供は行動規則を納得しないと、受け入れない。
 マニュアルなどは覚えやすい。よって、規則に縛るよりも、マニュアル、一定の方法をさせることを好む。マニュアルに沿って行動するアルバイトはひかれる。行動順序が定まっているスポーツも同じで、喜んで行なう。
 物の製造は、マニュアルがあると、楽しんでする。プラモデル、ラジオの制作もよい。まずは簡単な物作りがよい。この時期は、スポーツは多くやらせる。運動が特に発達するからだ。
 13才までよく運動させる。スポーツさせる。マニュアルの動作を様々、実践させる。

 道徳教育法 上記にあるから短めに
 12才から13才3ヶ月までの発達課題を明らかにした。スポーツや行動規則(動作マニュアル)に強い関心を示す。
 世間では、中学生は反抗期とわかったつもりでいる。が、実際は、運動に関心が強く、自ら動いて体験したい欲求が強いだけ。他人に自分自身が動かされることは嫌う。自分で動くことが、この年齢の課題だからだ。
 この発達課題を理解すると、彼らの好む指導法も明らかとなる。彼らは命令されるのは、嫌う。が、自分で判断して、命令通りに動くことは、好むのである。アルバイトのマニュアルを彼らは嬉んでこなす。
 この年代の子供が、武器などを好むのは、「力」を探求しているからだ。このあたりも教師は理解しなくてはならない。「最も効果的に、〜〜(運動やその目的)するには、どう動くべきか? どういう補助器具が必要か?」 12-13才はいつも、こういうことに頭の中はいっぱいなのである。

 本日の被害
 右手の甲を刺された。また午前中に、強い電波を浴びると、体がだるくなる。体内に、薬物を入れられたらしい。 
 
コメント

発達心理と精神-知性期前期(12-13才)、日共のブラック公約(時給千円)

2015-02-23 12:06:17 | 発達心理
こんにちは 大阪は曇り

 昨夜から暖かい。

先週末は、大阪に出ていた。大阪城の梅林は一分咲き。久々に以前、住んでいた東大阪の近くにゆき、気分が晴れた。
 2/24頃に地震予知で、スマトラ津波くらい当てたら、まぁよし。イギリスのタブロイド新聞に私の名が出るかもよ。

 日本共産党のブラック公約 「時給千円」
 日共は、時給千円を公約にする、という。このブラックな政党は、本気でやる気はない。民主党みたいな空手形だ。なぜなら、身内にすら時給千円も払う意思がまったくないからだ。
 実は、日共には赤旗新聞の記者や党職員がいる。彼らは、低賃金で残業だらけ。多くの報告を読むと専属職員はかなり極貧だ。それで彼らは大企業やNHKの職員を羨望の眼差しで見る。さらに、給料なしに働かせるときは、「自己犠牲で働け」と言う。それが常態化する。
 日本共産党は実態がブラック政党で、そんな低賃金を強制する。身内時給千円など公約など、嘘もいいところだ。現在、それは地方でまったく実現する見込みはない。日共の時給千円の公約はブラックだった。

 日共志位に、「さすがテロ政党」というヤジ
 2/17日 国会で志位に「さすがテロ政党」という野次が飛んだ。「野次は中身が問題」だ。確かに、日本共産党は戦中戦前は暴力革命を奉ずる「テロ政党」だった。戦後しばらく、暴力革命路線だった頃は、数々の事件を犯した。そういう過去を揶揄したのだろうか。それとも、現在の日共について、テロ組織と断じたのだろうか。

 日共はハマスやヒズボラであるまいし、投石したり、ロケット砲を飛ばさない。では、何をもってこんな疑惑を日共はかけられたのだろうか? 火のないところに煙は立たない。やじとはいえ、日本中で話題になったから、日共はこのテロ政党疑惑を説明する義務はある。雑誌は日共がテロ組織かどうかを検証すべきだ。私としては、なぜ「テロ政党」とヤジったのか。当人に、その根拠を説明してもらいたかった。

 発達心理と精神6 知性主義者の前期の哲学とは?
 知性者とは、小難しいことを言って、悦に入る連中のことだ。日本人の学者の9割はこの段階に位置する。それより優れた精神をもつ者は万に1人となる。知性者後期の精神にいたった人でも、大きな学者で世にはばかる。
 彼らの哲学について、明らかにしたい。今回は、知性者の前期を。

タイプ    年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24   空間、
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑複雑理性者 18-20  社会 20-21  社会、経営学、社会論
↑単純理性後期 16-17 外的理性 18-19  理性、カント、ヘーゲル
↑単純理性前期 15-16 内的理性 17-19  理性、デカルト、経験主義
↑知性者後期 13-14  外的力 13-16  ルネサンス以後、足利文化的
↑知性者前期 12-13  内的な力 13-16  ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族 
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

 知性者とは
 この段階の人物は、12-13才である。はじまりは12才でよい。世界各国で12才は新たな精神の始まりと思われているからだ。そのため、中学と分けられている。対応する人類の思想は、武家統治が始まった1200年から、ルネッサンスが始まる1300-1400年代までのおよそ100-200年だ。
 精神特徴は、知的だ、ということ。それまでは感覚的に生きていた。きれいなもの、あらゆるものへの感性が大事だった。が、感覚だけでは、気分や感情に流されやすい。それで、知的に生きようとする。彼らは、感性ではなく、知識でもって、正しく生きようとする。が、彼らの探求対象は、「知性」ではなく、「力」なのである。

 この段階の前期は、内的に知的になることが課題だ。私は、この段階は12-13才のことなのでよく覚えてない。今、私はより上の段階の精神なので、思い出すこともできないほど。身近にこの段階の人がいれば、彼の哲学の特徴を調べられる。が、それも十分いない。それで、この段階に対応する人類思想から、その特徴を割り出す。

 この段階の思想とは?
 ルネッサンス以前は、中世の哲学だ。西洋ではストア哲学。日本では鎌倉の思想で、鎌倉仏教だ。大事なのは、年代である。1200-1400年の思想をみてみたい。

 ストア哲学は、
マイモニデス 1135-1204 ミシュネ・トーラーの編纂 法の簡略化。13の信仰箇条。
トマス・アクィナス 1225-1274 神学とギリシア哲学との統合を試みた。
ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス 1266-1308 神学は実践的な学問。主体主義のルーツ
オッカムのウィリアム 1285- 1347 概念は心にある。簡略化。存在論的倹約。普遍主義の萌芽。

鎌倉仏教
法然 1133-1212 ただひたすらに南無阿弥陀仏と唱える
親鸞 1173-1262 念仏を唱えるだけで、成仏できる。
栄西 1141-1215 問題を解く。公案問答
道元 1200-1253 座禅で悟り。只管打座
日蓮 1222-1282 法華経が唯一の釈迦の教え 仏教の統一を狙う
一遍 1239-1289 念仏を唱えれば、万人は救われる

 まずは1200年初頭の哲学をみよう。
 マイモニデスはストア哲学ではないが、彼の思想は西洋に大きな影響を与えた。彼は膨大な体系を調べて、簡略的な規則「13の信仰箇条」を提案した。

その頃、日本では法然が、南無阿弥陀仏を唱えるだけで救われる、とやはり仏教を簡略化させた。親鸞も同じく、仏教を「念仏を唱えるだけで、成仏できる。」と、簡単にした。

 私には、彼らは形式的な行動規則を定めた、とみなす。これは、新しい段階において始まった。それまでは感覚主義で、映像や音、五感などが喜ばれた。それらはコンピューターでは大量のデータだ。特に、画像や音楽は。それまではそんな感覚データの大量なものを扱うことが、人々に要求されていた。

 が、この段階では、「知識」を扱う時代だ。知識は、「犬」は、一言の概念で表せる。猫も、動物も。このように、知識が求められる時代と入った。それで、大量のデータをもつことは必要がなくなり、簡略化したものをもつことが求められた。仏教や宗教の変革は、その一端だった、と思える。

 この頃には感覚主義がなりをひそめ、世界を感じ取る機運が失せて、一気に内向的になる。人々は感じることをやめて、知識や「武力」を追い求めるようになった。

 1200年の後半は?
 トマス・アクィナスが活躍する。西洋では、どちらが正しいのか? を人々が知ろうとした。トマスは、ギリシア哲学と神学とを比較した。日本では、日蓮が法華経が唯一と言い出した。これらは、時代の機運だった。

 発達課題から見えてくること
 この段階の課題は「力」である。「力」とは何かを見極めること。それがこの段階の目標だ。具体的に、運動論や動作論、力学だ。行動規則などが、盛んに作られたと思える。それが基本方向である。その認識の発展が答えだ。が、それはどの分野の研究と一致するかは、はっきりしない。

 この段階は、1200年頃に、「感覚的な規則」の廃棄。そして、「行動規則」へと変わった。それを法然や親鸞、マイモニデスがなしとげた。はじめは、簡単な知識が登場した。その行動規則は一人向けのものから、しだいに万人向け、複雑になる。そして、どの行動規則が優れているか、競合を始めるのが、1200年代の後半と思える。この段階の精神の人は、何が正義か? 正確にはどの活動が最も優れているか? を日蓮のようにすぐに比較したがる。

 1300年になると、(ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス 1266-1308 神学は実践的な学問)のように実践重視となるようだ。それまで口先だけの知的な人物だった。が、この頃には、行動する性格になる。なんでも自分の目で確かめてみよう、と思う人は、この段階の精神をもっているのかもしれない。

 今回、わかったこと 知性主義の前段階の精神を2段階みつけた。規則を発見する1200年の段階、実践重視の1300年の段階゛てある。

 年代     思想家            特徴
 1200年頃 親鸞、法然、マイモニデス  簡略な規則を好む、内向的 
 1200年後半 日蓮             正義の比較、内向的
 1300年前半 ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス 実践重視 内向的だが、行動的
 
 全て調べられなかった。が、一通りの目安が得られた。世の中、知的な顔つきで、こんな性格の人がいたら、彼の精神は上の段階だ。彼の心にフィットする哲学は、対応する思想家のものである。

 12-13才の発達心理
 上の発達心理は約100年=1才とみなせる。中学生が校則や家庭のルールに興味をもつのは12才 中一の最初だ。中一の後半になると、あらゆる規則(法律、家庭のルール、校則)を意識して、どの規則がよくて悪いか、自ら考え出す。そして、悪い規則は批判しだす。

 中二になると、実践重視になる。中一で吟味した唯一「正しい規則」を実践するようになる。それは、校則や家庭の規則とは限らない。ほとんどは、友達やクラブにおける彼の行動規則である。彼は、自身の行動スタイルを意識して、自ら自分らしいスタイルを試みはじめる。

 道徳教育法 中一から中ニの発達心理
 上にある。これは、四月生まれの人の話だ。3月生まれでは、11ヶ月遅れて、同じ発達課題を意識する。だが、だいたい、4月生まれにあわせるのがよい。なぜなら、12才で中学生と小学生を区分したからだ。それは4月生まれを基準にして、作られている制度だからだ。

本日の被害
 目が昨日から、しょぼしょぼする。飲み物、食べ物は、まだ何か入っている。量がだいぶ少なくなったが。朝、音声送信で、「麻薬を入れさせているのは、あいつだ。やめようともさせない」と、たれこみがあった。透視でつきとめるしかない。すぐにわかるけど。
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本日は所用のため、休憩

2015-02-21 09:10:25 | 社会思想の終焉
こんにちは 大阪は晴れ

本日は所用のため、休憩



被害
 2/20に、夕食に食べたサラダがも、見た目すら、白い乳液のような光沢があり、薬物混入の感じがした。私は食べなくても、危険なものはある程度、見た目でわかるのである。が、我慢して食べる。しかし、案の定、ひどい代物だった。食べた後、腰から下が震える感じで、体も熱くなった。二時間それが続いている。7時前に食べて、現在9時前。いまだに腰から下がふるえる。電波で刺激している面はあるだろう。料理した人は何も知らない。それは当然だろう。アカが食材に薬物を混入したようだ。食用油は、焼くと異臭がしていたから、そこが混入原か。いつものアカの手口である。

 毒よりもましだが、かなり悪質な犯行である。食材の何に混ぜたのだろう。

 犯罪者は、この地域から出て行かねばならない。どこに住んでいようとも。もちろん私に対する被害補償を払わないと、家も売れないようにする。

 それにしても、私がネット上の被害について、1998年から2003年くらいまでは、詳細に情報提供したことを、新しい被害者は知らないのだろうか。「こおりやまだいと」は私のペンネームだぞ。それも知らないのが多い。
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 発達心理と精神6 発達心理表を完成させる 道徳教育法 大人(たいじん)

2015-02-20 11:38:09 | 発達心理
こんにちは 大阪は晴れ

 私の発達心理学。日本人でこの価値がわかる人はいるかな? 海外にはいる。英語に翻訳しなくてはいけない。長くなりそうだ。
 私はここ一ヶ月で、私のもっていた理論をやっと表に出すことができた。デビュー前に間に合った。しかし、まだいくつかある。それはいくつかは、宗教的なものだ。しょうがない。そちらも今後記してゆくか。いや、どうしようかな。

 発達心理と精神6 発達心理表を完成させるには
 昨日は、知性と理性の段階は二つあることを説明した。これでおおまかに人間の精神は分類できる。今日は、この発達心理理論を完成させるためには、今後どんな研究が必要か、提案したい。

タイプ    年齢(才) 課題 世紀 思想、特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24   空間、
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑複雑理性者 18-20  社会 20-21  社会、経営学、社会論
↑単純理性後期 16-17 外的理性 18-19  理性、カント、ヘーゲル
↑単純理性前期 15-16 内的理性 17-19  理性、デカルト、経験主義
↑知性者後期 13-14  外的力 13-16  ルネサンス以後、足利文化的
↑知性者前期 12-13  内的な力 13-16  ストア哲学、鎌倉仏教
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

 私のこれまでの人生でみてきた人物、読んだ本、テレビドラマ・映画で見た人たちの精神特徴から、人々を分類した。また思想史から、思想を区分した。それを総合した。しかし、社会成長論ほどに、各段階は、正確に区分できていない。また詳細でもない。この発達心理表は完全ではない。

 この表を完成させるには、何が必要か?
 1,発達心理を大勢で調査する
 年齢ごとに、関心を書いてもらう。何に関心がなくなり、何が次の関心かを選んでもらう。これは年齢が大事だ。というのは人間は、同じ年齢(年月)では同じ精神課題をもつと考えられるためだ。それは、受精時を起点とするのか、出産時とするかは、いずれ明らかになるだろう。大雑把に何歳という調査はいけない。何歳何ヶ月何日までつきとめることが必須だ。

 2,敏感な人で調査する
 鈍い人は、自分が何を感じているかすら、わからない。よって、敏感な人を対象にするとよい。どんな人が敏感か? 感性が豊かで賢い人ほどよい。これで、年齢ごとの関心を詳細に明らかにできるだろう。

 3,年齢ごとに成長する脳部位の特定
 発達心理は、その年齢ごとに形成される脳部位と、関係があるようだ。つまり、遺伝子で決められているものだ。何歳でどの脳が成長をするかは、明らかにしたい。その脳部位の特徴が明らかになったら、発達課題(認識)も自ずと定まる。

 4,思想史から人類の発達心理を理論化する
 思想は、その時々の人類の課題を、鋭敏で賢明な人が、表現したものだ。よって人類の発達課題、そのものがそこにあらわされる。だが、例えば、ストア哲学と鎌倉仏教は同じような頃に生じた。が、同じ発達課題に対する解答(思想)だが、実際はだいぶ異なる。本来、人類はどんな理論を開発すべきだったのだろうか? 人類の発達課題に対する最も純粋な解答は何だったのか? それを明らかにしなくてはいけない。思想は、その文明の特殊性を含む。それを取り除いて、純粋なものを見つけ出さなくてはいけない。

 5, 思想史から、人類の発達心理を理論にする
 現在、最も明らかなのは、「社会」の段階だ。社会組織成長理論で、その内実は示される。他の段階も、同じように詳細な発達過程があるはずだ。各段階をつきとめる。さらに小さな段階も全てつきとめる。その時の関心、理念、形成される認識を明らかにする。それを完成させて、発達心理の基礎モデルにする。

 6, 発達課題から純粋に、発達過程を明らかにする。
 社会の段階では、社会組織の成長を純粋に研究すると、その過程は明らかになった。知性や理性の段階も、「力」、「理性」そのものを純粋に研究すると、その発達過程は明らかになるだろう。このアプローチも重要である。

 では、発達心理表が完成したら、何に使えばよいか?
 それを使って、1,発達心理の指導教科書を作ることができる。何歳でどんなテーマを学ばせたらよいか。それがわかるから。それで指導すると多くが高い段階まで内的に発達できるだろう。それまでは天才的な人しか高い精神になれなかったが、誰でも高い精神にまで到達する時代がくる。

 2,個人の哲学は、発達心理のある段階の思想である。たいていの人は自らの哲学をうまく表現できない。が、それを学ぶことで、自身の哲学、課題、志向を知ることができる。自分について迷わなくなる。

 3,発達心理と脳の形成が明らかになり、さらに脳形成の専門の薬が開発されると、精神を高くすることが人工的にできる。20才までに精神の内的成長は止まる。が、この手法で、その脳を再び活動するようにして、成長を再開できるようになれる時代がいつかくるだろう。精神成長が止まらないようにすることもできる。

 4, 発達心理表を使い、人間の精神段階を特定する。すると、同じ段階同士集めることで、その段階についてより理解を深められる。特に、高い段階の人は少数派で気の合う話し相手がいない。そういう相手を簡単にみつけられる。そういう高い段階の人々からは手に入らない貴重なデータ(高い段階の人ほどデータが少ない)をとることができる。

 発達心理表があれば、人々は自身の精神をより詳しく正しく知ることができる。すると、本人は自身の精神を高めるための適切な学習法を知ることができるだろう。さらに、無駄に悟りや覚醒などを目指し、分不相応に高い精神者になろうとしなくなるだろう。

 道徳教育法 大人(たいじん)になる
 最近の子供達は夢が小さい。恋愛する、小さな家庭を築き幸せに暮らす、会社の社長になる。野球選手になる。ふつうの人になる、という。ここに大きな問題がある。
 ふつうの人を目指す人が多い。サラリーマンになるとか、安定した暮らしをするために公務員になるとか。なりたい職業はよく問われる。
 が、道徳教育で大事なのは、精神的に偉大な人、これが大げさならば、人格者、徳ある人になれるかどうかである。つまり、小心者で、卑怯で、いやらしい、影で悪さをする大人になるか。それとも、愛情豊かで、心が広くて、寛容で、博愛を実践する、そんな徳優れた大人になるか、である。
 子供には、つねにどんな精神の人になりたいか? と質問し続けよう。それによって、精神の目標を自覚させられる。
 サラリーマン、公務員は、職業としては、小物である。だからといって、心まで小さく縮こまり、小心者になってよいのだろうか?
 野球選手となって、ただ野球が上手な選手という夢で満足してよいのだろうか? 収入が多いから、それを困った人たちに寄付に回すとか、優しく子供たちを指導するとか、そういう精神的なものが欠けないように、指導すべきである。
 金持ちになる、というのもある。そんな目標では、お金を稼ぐことしか意識しない。お金を稼いで、その時に、どう振舞うか。精神修養に励むとか、会社で立派な社長になるとか、社員や地域に愛される社長になるとか、そういう精神的な面を、意識させなくてはならない。そうしないと、悪徳・ブラック社長になりかねない。
 最近、子供はいくらがんばっても、社長になれるのはごく一部、大多数はしがないサラリーマンにしかなれない、とよく言われる。それは現実だ。しかし、そんなふつうの大人になっても、志だけは高くなければいけない、人格は卑劣であってはいけない、と教えてなくはいけない。大人(たいじん)になろう、と。
 サラリーマンは、小者と自覚している。だから、小者のようにふるまいがちだ。けちけちして、小さなことで、怒りだし、不安を抱えている。それが普通と思いがちだ。しかし、そんな情けない大人(おとな)にはならないように指導しよう。どんなに貧しくても、職業がふつうでも、下層でも、心だけは人格者。立派で、大人(たいじん)であれ、と。
 特に、日本の大半はサラリーマンになる。もし、サラリーマン=小心者だとしてら、そんな日本人が、日本中にあふれかえったら、それは息苦しい。みながのびのびとおおらかで、小さなことは気にしない、小さなことでいちいち怒らない、大きく広い心をもっていたら、日本も過ごしやすいだろう。
 大人(たいじん)になろう、と教えたい。これは中国の徳目だから、日本でも理解しやすい。

 本日の被害
 鼻の中がやや痛い。睡眠中に刺された。花粉症さまの症状にするようだ。毎年やられているから、何がやられたかは、すぐにわかる。私は花粉症はならない体質だ。が、これで弱くなる。花粉症ではなく、薬剤で、鼻水が出るようになる。毎年そうだ。
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発達心理と精神5 知性・理性は2段階 里山資本主義は今やバイオチップ発電に

2015-02-19 11:56:31 | 発達心理
こんにちは 大阪は晴れ

 昨日は宗教的な話題も入れた。精神を深く研究すると、どうしても宗教に向かう。なぜなら、最も人々に影響を与える精神論は、宗教にあるからだ。人々が宗教にひきつけられるのは、そこになんらか真理があるからだ。精神論を極めるには、宗教も解明しなくていけない。これが探求の自然な道筋である。宗教を避けては、日本人、いや人間の精神を明らかにできない。

 里山資本主義は破綻不可避
 昨日のNHKクローズアップ現代に「バイオチップの発電」を特集したものがあった。5000kWの発電でしか採算はとれない、という。その発電が行なわれる北海道下川町では、電気代が安くなったという。
 里山資本主義の時は、500kWほどだったのに、大きく様変わりしていた。しかも、薪から、バイオチップ(廃材を粉砕して細かくしたもの)に。資本主義らしく、進歩していた。これへの参入は全国30業者。

 が、岐阜では燃料のバイオチップがすでに不足している。5000kWは地元の木材の量では、1県に1つしか稼動できない、という。それを以前から使っていた製紙工場はすでに輸入するはめに陥っている。しかし、名古屋周辺だけでも4-5つくらい建設中。このままでは、バイオチップは輸入するしかないようだ。

 里山資本主義は、どうもバイオマス発電に対する過剰な幻想を人々に与え、参入過多になったようだ。

 この発電の先進国というドイツでは2800億円市場になっている、という。たいしたものだ。5000Kw発電は、資源不足で破綻した。そのため、ドイツは小規模発電には、電力の買い上げ価格をあげるように保護した。すると、木材チップの不足はなくなり、安定的した、という。

 結局、ドイツは2800億円規模となった。日本は森林面積が大きいから、もう少し大きくなり、4000億円くらいか。大きい市場というべきだろう。しかし、これは太陽光発電と同じで、保護しないと採算がとれない産業。もう結果を予測できる資本主義の市場である。このままでは、日本もドイツの轍を踏み、5000kWの大型発電は破綻する可能性が大だ。

 4000億円も日本全体で見込めるならば、保護する価値はあるだろう。(資本主義は自立的で社会に面倒をみてもらってはいけないのだが、)。なぜなら、年収500万円くらいとして、8000人の雇用が生まれるからだ。林業のある村では、期待される。しかし、里山資本主義という夢から目覚めて、バイオチップ発電と現実的に考えるべきだ。

 他のあれはまとめにくい。

 発達心理と精神5 知性・理性は2段階
昨日は、発達心理と似たような精神論は、宗教の10次元精神論しかない、と説明した。仏教の階梯は違うようだ。今日は、知性主義と理性の段階を詳しく論じる。調べなおすと、知性と理性の段階はそれぞれ前半と後半に分かれた。また、私はいくつか勘違いしていた。

タイプ    年齢(才) 課題 世紀 特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24   空間、
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑複雑理性者 18-20  社会 20-21  社会、経営学、社会論
↑単純理性者 15-17  理性 17-19  理性、デカルト、カント、ヘーゲル
↑知性主義者 12-14  力 13-16  武家・中世、ルネサンス以後、
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

 知性主義者は、二タイプいる
 世の中、理性を獲得していない人々で、知的な人は、この段階にいる。理性を獲得すると、自己をこう考える。自分とは、数学のような、イデアのような、実体のない、純粋な数式のような考えをもつ存在、と。全ては理性だ、と。こういう見地に至ってない知性志向者は、私のいう知性主義者だ。

 この段階には二段階ある。理性タイプでなく、かつ感覚タイプでない人は、暗い哲学をもつタイプと、明るいやや合理的なタイプの2種類いる。私はどう分類するか、迷っていた。

 だが、昨日、やっと区別しえた。

 知性期は思想では、武家の時代が始まる1200年頃から、デカルトが自己を発見する1600年頃までだ。ルネサンスは、イタリア芸術が高まった1400年代とする。ルネサンス以前と以後では、文化が大きく変わる。それ以前は、暗黒の中世、ストア哲学なのだ。それ以後は、明るい開放的な世界観が多い。よって、思想区分としては、ルネサンスで区切ることが望ましい。

 日本文化も、鎌倉時代と足利時代に分かれる。鎌倉時代は、新仏教が唱えられ、明るいイメージは少ない。が、足利時代になると、金閣寺や銀閣寺などきらびやかな文化が生じた。武家の文化も二種類ある。

 よって思想区分で二つにわけられる。ならば、人間の精神も二つにわけられるはずだ。実際に、知性タイプにも、暗いタイプと明るいタイプがいる。暗いタイプは、暗い絵を好み、発想も暗い。世間は混乱に満ちている、といわんばかりに。だが、明るいタイプは、明るい絵を見て、感性的で、よいものを好み、社交的だ。やはり、2タイプいる。

 知性の段階は、二つに区切れる。

 まとめよう
 知性タイプには前期と後期があるようだ。前期型は、暗い、内向的で、暗い絵を好む。哲学的だ。後期型は、ルネサンス的で、明るく、外交的だ。その哲学の違いは、当時の思想から判別する。前期型は、ストア哲学や鎌倉仏教のような神学の一派のような哲学か、時期的にはマイモニデス?のような哲学だろう。力論の内的な確立やかわった神学が発達課題だ。後期型は、ルネサンス的だ。ダビンチが、機械の製作に力を入れたから、そういう機械論的な世界観をもつかもしれない。力論の外的な確立が発達課題だ。

 表
 知性タイプ
     年齢(才) 発達課題 印象  世紀 哲学
 前期 12-13  力・内面  暗い  13-14  ストア哲学、鎌倉仏教など神学的
 後期 14-14  力・外部  明るい 15-16 ルネサンス、機械論的な世界観

 理性主義者にも2タイプいる
 理性タイプは、全てを理性とする。この人達の特徴を列記する。自分は理性タイプと思いたい方は、ここでチェックしたらよい。

1,経験は重要ではない
 理性(法則)を理解していればよい。経験の有無は大事ではない。だが、経験主義はこの段階である。経験によって、体験の共通性を帰納することで、法則(理性)を獲得する。だから、経験は成長のためには必要である。

2,定義は不要
 基本的には、定義云々は言わない。一般的な意味を知っているからだ。それが通じる、という前提で話す。なお本人の言葉は一般的な用法を使う。特殊な言い方はしない。

3,誰の意見かは重要ではない
 それが真理かどうか。それを純粋に自ら判断できる。そのため、誰の意見かはあまり重要ではない。

4,主観と客観の区別はない
 この段階では、全て本人の意思は、法則(理性)であり、客観なのだ。本人の考えに特殊性がある時は、特殊とする。特殊というのは、様々な法則が絡んだ複雑なもの。簡単な真理は、法則とされる。主観(個人の意見、独善)という区別はない。

5,社会の判定はどうでもよい
 世間がどういうかは、問題ではない。それが真理かどうかなので。真理ならば、正しく。真理でなければ、偽りである。社会がそういうからそれが正しい、という考えはしない。

6,それを言った人が、大人か子供か、貧乏人か、権威者かも関係ない
 その言葉、考えが、真理かどうかが大事だ。それを言った人の立場や年齢は重要ではない。言葉が理性なのかどうかを直接判断する才能がある。

7,直感に従う
 このタイプは、直感のままに行動する。自分の計画よりも、直感のほうが優れた導きになると、経験的に自覚している。

 これらは理性者の基本だ。例外もある。自分でそれが真理か判定できないことは、稀にしかないが、そういう時は、その人の信頼性、社会の評判など総合的に判断する。

 理性者にも、内向型と外向型があるようだ。
 デカルトからカント前は、内向型。カント以後からヘーゲルまでを外向型とする。内向型では、自分自身の内部に理性を確立することが発達課題だ。外向型では、世界に理性を認識することが発達課題だ。これはまたいずれ記す。

 道徳教育法 
今日も休憩。今回、発達心理を書いており、それは青少年の教育に、とても重要なことばかり。そんな教育は必要だ。

 本日の被害
 朝起きたら、軽い頭痛がした。それは窓を開けて、空気を入れ替えたら治った。また頭痛を起こさせる電波放出者が近所からいなくなったら、それはおさまった。
 この被害は、何度も経験している。室内に、きんぽうげ毒が噴霧されている場合だ。それを吸い込むか、口の中にいれると、そこから吸収される。それから毒の症状が出る。

 朝、水が変にぬるぬるしていた。共産が音声送信でいうには、"飲むな"。アカがまいておいて、その言い草は? アカの内部対立があり、別のアカがその犯行をした。それが気に食わないアカは他にいる。

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発達心理と精神4 発達心理と精神段階

2015-02-18 11:55:22 | 発達心理
こんにちは 大阪は曇り

 がんばっている。続いている。今まで、こういう硬派の論は、できなかったのに。

 私は最近記した3理論(発達心理学、社会組織成長論、精神段階論)で、ノーヘル賞を3つとれると思う。ノーベル心理学賞があれば。わかる?

 発達心理と精神4 発達心理と精神タイプ2
昨日のまとめ。人間には5タイプの精神型があることを説明した。感覚主義者、知性主義者、理性主義者が単純型、複雑型、大量型である。そしてその上に一つ空間型がある。それを一覧表にしてみよう。

タイプ    年齢(才) 課題 思想世紀 特徴
空間主義者 21-24  空間 21-24 空間、
↑全体理性者 20-21 電子 21    電子、インターネット的
↑複雑理性者 18-20  社会 20-21  社会、経営学、社会論
↑単純理性者 15-17  理性 16-19  理性、ルネサンス以後、カント、ヘーゲル
↑知性主義者 12-14  力 13-15  武家・中世
↑感覚主義者 9-11   感性 9-11   貴族
 感覚主義者 5-8   内感 5-8   王()

特徴
 一番多いのは、感覚主義者で、彼らは気楽に生きている。文化に支配的な影響を及ぼすのは、知性主義者だ。しかし、彼らの哲学は主観的、かつ経験主義の域を出ないから、現代の科学主義のもと、否定される。が、たくさんいるため、社会には通じない言い回しで、中世的な自分の哲学を強化しあっている。

 成長が止まるとは?
 発達心理の各段階のテーマをその年齢でこなすと、上の段階にあがれる。では、こなせなかったらどうなるか? 成長は止まり、その哲学でこの人生を過ごす。一生それは変わることはない。一度、成長が止まると、自己喪失に陥る。自分の課題が何か、わからなくなる。傍目には、よくわかる。それでも発達心理上のテーマは、年齢になると、意識するため、大学生になると、社会活動に目覚める。

 精神の哲学が成長する理解とは?
 単に知識として、知ることではない。発達心理上の課題を理解することだ。それは悟る、と同じだ。本人の世界観に適切に組み込まれる。

 その年齢に理解しないと、二度とその機会はこないか?
 発達心理とは、脳形成なのだ。ある年齢で、ある脳部位が形成される。神経回路が作られる。それに伴い、ある分野に関心がゆく。私は、脳神経の回路をみれば、すぐに判別できる。段階ごとに特徴がある。よって、その年齢で意識しなければ、その神経は働かない。私は、晩年に哲学を向上しえた人は知らない。未来にはできるだろうが。特別な専門のプロセスが必要である。

 この理論についての様々な疑問について

 1,20才までに精神の原型は定まる
 大人になってから精神修養しても、本人の基本哲学は変わらない。これは精神次元ともいわれる。

 2,後年いくら修行しようがあがらない。
精神次元は20才までに決まるためだ。仏教で菩薩や如来の精神になろうと修行する。これは自他に尽くすのだが、別の修行である。精神の基礎は変わらない。

 3,他人がこの本人の哲学を決めることはできない
たまにいる。君の精神次元(精神型)は、8次元だと勝手に上げたりしようとするのが。が、本人の哲学は、他人がどんな評価をくだそうと変わらない。理性主義だと口先で言っても、主観を信じていれば、理性主義者ではない。
 4,段階はいくつまであるか?
通常、上の段階で止まる。が、発達心理は100才くらいまではあるから、それより上の段階はあってもよい。しかし、人間は上の段階で十分だ。不明である。

 精神次元論との対応
 仏教の階梯論は、瞑想の段階である。精神=自己哲学の段階ではない。上の精神タイプと対応するのは、精神次元論である。

 精神次元論とは
死後、人間がゆく段階について、どの精神タイプはどの次元にあがれるか、を記す。あの世は、10次元の世界がある。最高が10次元で、最低が1次元だ。人間が死後にゆくのは、5-10次元である。私の分類では、こうなる。

10次元 神   総合者   
↑9次元     全体理性者  全てを理論で語る者
↑8次元 如来 複雑理性者  複雑な論を語る理性者
↑7次元 菩薩 単純理性者  単純な論を語る明るい理性者
↑6次元 神界 知的な主義者 学者、
 5次元     感覚主義者  難しいことを言わない庶民

私は、本人の哲学から、精神タイプを見分けられる。どんなに探しても5タイプしかいない。あの世にゆくのは人間である。あの世は精神の質によって、住む階層が異なる。というわけで、5つの層に分けることができた。最も優秀な全体理性型が、人間としてはもっとも高いところに。もっとも低い感覚主義者は、最も低いところに。そう分類した。最上層の人間は見たことがない。書物にはいるのだが。

 これが精神次元論だ。これは死後、どの精神タイプはどこに上がれるか、という指標だ。生きている間は、あまり重要ではない。どこにあがるかは、22才までに全て決まる。それは覚えておいてほしい。

 菩薩になろうと修行に励む人は、神界の意識の人間である。だが、けっして理性者(菩薩)にはなれない。それは本人の哲学を改造しないかぎり、無理なのだ。

 では、どうして、知性重視タイプは理性者になれないのか?
 知性タイプと理性タイプには隔絶するほどの哲学的な相違がある。これは問題にしておく。

 では、仏教の覚醒、悟りとは何か?
 これも問題にしておく。

 道徳教育法 本日は休憩

本日の被害
 昨日、自分のカップに入れてしばらく置いた水を飲む。底のほうの水はクレヨンの味がした。どうして? どうも共産が入れる麻薬の一種の味らしい。時々、そんな味がする。
 目や顔は刺されている感じはある。が、ひどくないようだ。悪質なのは、二週間いて去ったようだ。担当は二週間交代なのだろうか。しかし、いまだにコーヒーなどは飲めない。これは買い換えると全体で1000円近くに達する。それは、やられたらすぐそんなことをしていたら、お金がいくらあっても足りない。毎日やられたら、一ヶ月に3万円もかかる。それは無理なのだ。よって、放置する。こういうことは、10年近く続いてきたから、私はなんともないが。

 どうせ、統一選挙が四月にあるから、それまでになんとかなるだろう。共産もいくら川西にたが世間知らずでも、アカ内では顰蹙を買うから、選挙に影響をきたすようなことはしないだろうから。
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発達心理と精神4 精神の6タイプと発達心理

2015-02-17 11:50:27 | 発達心理
こんにちは 大阪は雨

 雨の日は多田通い。ユーチューブを見ていたら、メイク実演していた。日本人がするというメイク。目の周りで下のほうに黒線を引く。その表情を見たら、すぐにいじける女のよう。日本人の女性メイクが暗いのは、その手法が流行っているため、と気づいた。それをとったら、西洋人のように明るく、快活にみえた。

 心理学の話をしたらアクセスが減った。これからは、悟りたい人、精神を向上させたい人、仏教の修行を志す人は必見だ。仏教にとって大問題になるような命題がある。「修行しても、精神の根幹は向上しない。菩薩の精神になれない。」ということがある。
 私は、発達心理で、悟りの謎を解明した。なんと、人間の精神段階は、22才頃までに全て決まる。それ以後は、精神は高くならないのである。精神はよくなってもだ。それを今日は、証明する。

 発達心理と精神3
昨日は、武家の時代(12-15世紀)以前の思想の特徴を明らかにした。貴族文化的で、感性的なのだ。日本の文化から人類の思想を判断するのは、悪くはない。人類はある時期に共通して同じ思想傾向をもつからだ。

 これでおよそ未成年の発達心理の課題を明らかにした

西暦(世紀) 5-8 9-11 13-15 16-19 20-21 21-24
時代      王() 貴族  武家  理性  社会  思想  
年齢(才)  5-8 9-11 12-14 15-17 18-20? 21-24
課題     内感 感性   力   理性   社会  空間

 大雑把にざっと以上だ。各段階の検証は後々行なう。

 人は小学生(5-11)では、感性で考え、明るい。が、中学では暗くなるが、力を基準に判断する。高校生(15才)になると、内向的になり、思想や哲学を志向して、理性で物事を考え、明るくなる。大学(18才)では、社会に関心をもち、社会運動に関わる。が、大学の後半では、空間的なものに興味をもちはじめ、都市や建物に関心をもつ。そういう概観である。

 私は44年も人間を観察してきた。人間の精神的なタイプには、大きく5種類ある。ただ、本ではみかけるその他のタイプが一つある。それを加えて6種類ある。感覚的な人、知性的な人、簡単な理性を好む人、複雑な理性を好む人、理性が満ちている人、学問的な知見をもつ人。

感覚的な精神
 感覚主義的な精神。明るく、華美なものを好む。難しいことは言わない。感性重視である。人口比率は最も多い。

知的な精神
 知性を好み、難解な物言いが好き。学者に多い。主観と客観という区分を好む。また社会がよいとするものが最も正しいと考える。時々、わい曲したものを好むタイプもいる。真理があるという哲学はもたない。リアリティ論をもつ。経験主義だ。自己は自然の中にまみれている。法則や理性を信じていない。この精神は基本的に科学と相容れない。人口比率は次に多い。1-3割はいる。

単純な理性精神
 理性をもつ。全ては法則、理論で解き明かせると考える。それを学習して、成長することが本人の課題だ。合理主義を信念とする。受動的だ。自然からは独立した理性的な自己をもつ。統一的な見地をもつ。一万人に一人以下である。

複雑な理性精神
 理性をもつが、複雑である。"欲望"という物言いを好む。自ら動くタイプである。社会的な構造を模索しているようでもある。自然と自分との理論的な関係を築くことが課題らしい。データが少なく詳細に判断しにくい。

全てが理性の精神
 理性が満ちる。ここの人は、あらゆる物事を理論的に解釈する。全ては理論である。あらゆる物質に、意思(電子ネットワーク)を感じ取る。これは、電子ネットワークの世界観と似る。あらゆるデータ(理論や事実)を集積してゆくことで、発展してゆく。全てがネットワークでつながっている。

学問的な精神
 ここの人は、技術を好む。その知識は、階層的に整理される。水平的には区分される。あらゆるものが物体で、自立して、動いている。この精神になった人は、古今確認されていない。が、本にたまにみかける。

 多い順に並べた。

 感覚的 → 知性的 → 理性的 単純 → 理性的 複雑 → 理性的 全て → 理性 学問的

 およそ、知性的な人は、感覚的よりも優れている。理性的な人は、知性的よりも優れている。それらの優劣を比較すると、こうなる。下から順に並べた。ここで、気づいたと思う。この順番は、およそ発達心理の段階と同じである。

年齢(才)  5-8 9-11 12-14 15-17    18-20?        21-24
課題     内感 感性   力   理性      社会         空間
精神     感覚的   知性的 単純理性1 複雑理性2 全理性3 総合理性

 何か?
 感性的な人と、9-11才の子供は同じ精神志向だ。知性的な人は、12-14才と同じ精神だ。その段階では、中世的で、理性は知らないが、経験主義的である。理性的な人は、デカルト以後の精神と同じだ。理性で世の中全てが解明される、と思っているからだ。ただ、社会期の精神と対応するものも、全てが理性と考える人と対応する段階もない。それらは、社会期と空間期の間に位置するだろう。なぜなら、どちらの理性タイプも、空間志向はないからだ。

 お気づきになっただろうか?
 感覚・感性的な性格と9-11才の精神は同じ。知性的なタイプも武家政治の時代や中世と同じ精神だ。理性タイプはルネッサンス以後の精神を体現する。
 人間の精神は、その順で発達する。しかし、ある者は、9-11才の傾向・課題を一生持ち続ける。他の知的な者は、12-14才の世界観のまま止まっている。ある者は理性志向になったが、それ以上深く求めようとはしない。人間の精神は、ある年齢の発達心理上の課題を、持ち続ける。つまり、それ以上に、精神は成長しなくなる。人間のとある精神は、20才までにほとんど止まる。
 最も早い人は、9-11才で精神成長が止まり、感性的な性格となる。少し賢い人は、12-14才で止まり、知性志向だが主観的になる。特別に賢い人は、15-17才で精神の向上が止まり、理性を信じるが、深くはならない。さらに万人に一人の才能は20才までに、深い理性を獲得するにいたり、精神の成長は止まる。

 精神の成長は、ある年齢で止まる。その発達心理の段階で、区別できる。それはほとんど20才までに決まる。

 精神成長が止まる理由
 発達心理上の課題をこなせないと、そこで挫折する。成長は止まる。それ以後は、本人は、自分の方向性(内的欲求)をよく自覚できなくなる。成長を続けるとは、その段階の精神課題を本人がこなした場合とみなすことができる。内的課題を意識して、自己の欲求の志向を理解する。その関心を満たすように行動できると、その課題をこなす。すると、それより先に進める。なお、一度、ある年齢で向上の機会を逃すと、二度とその成長の機会は来ない、と思える。特別な精神鍛錬をしない限り。

 このように、精神成長はほとんどの人は20才までに止まる。その段階の課題をその後、一生持ち続ける。これが真実である。

 では、問題? -- 晩年にいくら修行しても、精神の基本型は変わらないのか? --
 私は人間の知性タイプが理性タイプに進化するのを見たことがない。知性タイプが、老人になっても、もはや現代では通用しない本人の哲学(中世的な経験主義)を振り回すのはみかけても。理論上、仏教で精神修行しても、上がれない。ここは、世界中の仏教徒にとって大問題である。また今度、詳細に論じよう。

 道徳教育法 今日はお休み
 上のが長いし、精神的な内容なので。

 本日の被害
 私の飲み物はお茶、コーヒー、紅茶、牛乳ともに、ばっちい。薬物が入っていて、とても飲む気がしない。ここ数日は、頻尿傾向だ。水はあまり飲んでないのにゆく。電波で刺激を受けている。また目は刺されているようだ。
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発達心理と精神論2 9-11才の課題 感覚的 道徳教育法 思いやり

2015-02-16 11:58:16 | 発達心理
こんにちは 大阪は晴れ

 今日はいい天気。よかった。

 社会論からいったん離れ、これからは心理の話。気楽な話題だ。

 「大東亜戦争肯定論」 林房雄 中公文庫
 また立ち読み。日本は西欧列強のアジア植民地支配を破り、日本の植民地支配を確立しようとする構想があった、という主張の原典。それはアジア解放という意味あいもあったよう。彼は、当時の歴史人物をじかに見て、的確に描写している。体験が多いから、一次資料的な価値がある。彼は元共産党員で、転向した人物だ。アカがどういう人物か、よくわかる。また戦前の動向に詳しい。戦後の左翼闘争を美化し、汚点を全て隠したような嘘くさいもの、日本共産党の歴史のようなものではなく、当時の真実がわかる。戦後、子供だった全共闘達が戦争を体験と称して語るのは実に浅すぎて、全共闘は戦争の事情など何もわかってない、と気づく作品。

 発達心理と精神論2  9-11才の課題 感覚的
 前回は、発達心理を解き明かす新しいアプローチを提案した。1,個人の年齢ごとの関心を調べる。2, 発達心理と人類の思想史は一致するから、人類の思想史から発達心理を解き明かす。今日は、発達心理の青年期以前のテーマについて記す。

 これまでに、青年期の課題はつきとめた。15才から理性(合理主義)、18才から社会、20-22才頃に社会である。では、15才以前は何か? 昨日の議論では、力だった。表にするとおよそこうなる。

西暦(年) 1200-1500 1500-1900 1900-2030 2030-2500
時代     武家       理性     社会思想  
年齢(才) 12-14      15-17     18-20?   21-24
課題  力        理性   社会   空間

 ここからみえてくること。理性に関心をもつのは、約3年である。若いうちは、3年で区切る。これは仮説だ。すると、力をテーマにするのは、12才からとみなせる。中学生は12才からだ。日本人は、中学生と小学生を12才でわけるのがよい、と明治以来、伝統的に考えている。その年齢を発達心理上の区切りとした。

 すると、それ以前は9-11才が一つの段階となる。この時期の関心は?
 正直、私は覚えてない。12才以後は日記をつけていた。が、小学校高学年は、遊んでばかりいたから、自分の関心がひとまとめのジャンルになる、とは気づかなかった。発達心理の教科書には、対象を大きく区分する理論はない。そこから知見は得られない。
 他の方法で探る。発達心理は思想史と一致する。よって武家政治前の様相からヒントを得る。武家政治の頃から、力による支配が始まった。武家政治の段階では、力に人類は関心をもった。その前は、何に?

 それは平安の貴族政治の時代だ。華美なものが好まれ、また自然を鑑賞することが好きで、あまり争うことなく、のどかにすごしていた。

 貴族の時代の特徴は
 1 王の統治ではないこと。"王"は、個人では、自分の意思という意味合いがある。例えば、絶対王政の16-17世紀は理性の時代だった。自分の意思がテーマになるときは、王が大事な役割を担う。貴族は王のとりまき。テーマは自分の意思に関わるものではなく、その周辺にあるもの、だ。

 2,争いを好まないで、平安は華美で観照的な文化が発達した。力に関心をあまりもってなくて、感覚的なものを好んだ。感覚は直接は、意思ではない。

 つまり、この時期は、感覚に関心をもつ、と推測した。

 実際に小学校高学年の子供はどうか?
 感覚的ではある。きれいなものを好む。趣向が歪んだ大人は暗いものを好むが、子供は好まない。中学生になると、暗いものを好むのがたまに現れる。が、小学生はほぼ全員、明るく、きれいなものを好む。これは感覚志向が強いためだ。他に明るいきれいなものを好むのは、ルネッサンス以後である。そんな精神をもつ人もそうだ。

 子供は難しい論理をこねくりまわすことを得意ともしない。知性的なタイプではない。だが、子供は快楽主義的ではない。ここは、はっきりと根拠を示すことはできないが、感覚的なものを統合する段階と、仮定してみたい。実は、これには別の決定的な理由もあるのだが。

 まとめ
 9-11才は、外面的に感覚的なものに関心をもつ きれいなものを好む。楽しく明るいものを好む。視覚(光)が、テーマかもしれない。

では、5-8才のテーマは何か?
 乳幼児期は発達心理がかなり解明されている。しかし、ここでは大雑把にとらえよう。この時期は、私の体験からは何もいえない。そんなに記憶がないからだ。
 歴史から考えると、この時代は平安期以前だ。つまり、5-7世紀くらいとみてよいだろう。その頃は、王政である。また奈良などに大仏殿など巨大建築が盛んに作られた時代でもある。信仰も厚かった。
 実際に、この頃の子供は何に関心をもつか?
 発達心理だから、子供の興味を直接調べるとよい。だが、過去、それは何度も行なわれたが、私のような分類ができた者はおそらくいない。心理学の主要な理論には残ってない。
 この時期、音楽を学習させるとよく覚える。やはり、聴覚など、内的な感覚がよく発達するのではないだろうか。
 感覚主義ではないとしたら、何か? 内的な感覚が発達する時期かもしれない。この段階はまだ、はっきりしない。音を聞き分ける段階かもしれない。これは候補だ。

 道徳教育法 思いやり
 思いやり、というのは愛の一種である。相手にとってよいことをしようと考えること。相手は何か困っていたら、助けよう。相手が困っているから、優しく接しよう、とすること。

 愛は行なうこと。1,相手に必要なことは何か。と考え、2,どうすればよいか? と考えてから、3,それを行動に移す。その相手の1,問題と2,解決法を考えることが、思いやることだ。

 「思いやりが足りない。」は、相手の痛みに気づかないか、相手に軽率な行為をして、責められる言葉。相手をよく考えると、そんな過ちはしなくなる。

 「あなたは思いやりがある人だ。」は、優しさが届いた時の感謝の言葉。だが、思いやりは、愛ほど立派でない時だ。

 思いやりをするにも、知恵が必要だ。他人の痛み、状態を見抜く賢さがいる。賢く、周囲の人々をよくしようと熱心な人ほど、思いやりが上手になる。賢くても、自分のことしか関心がない、と思いやりは欠ける。一般的には、賢い人ほど思いやりがうまい。末端社員よりも、上司や社長など人の上に立つ人も、思いやりが巧みだ。そうでないと、リーダーシップは発揮できない。他人に関心が強い人もそうだ。

 思いやりを発揮しないといけない状況はある。グループの一人が、体調不良や精神的な悩みで、そのグループ活動ができなくなった。その時は、その一人を思いやり、カバーしなくてはいけない。家族で、そういうのがいたら、すばやくみつけて、助けてあげる。こういうのが思いやりをするタイミングである。

 困っている人は、典型的なパターンがあるから、それを練習をつむと、うまくなる。老人の重い手荷物を持つとか、病人に手を差し伸べるとか、悩んでいる人に話をきいてあげるとか、問題を起こしても追い出さないように見守ってあげる(母親はこちらで、父親はすぐに追い出したがる)とか。

 そんな様々な「思いやり」の行動は、学校で教えることができる。まずは、1,相手の問題をいかに考えるべきか? 2,思いやらなければいけない状況を説明する。そんな時こそ、思いやろう、と教えよう。3,それから思いやりの典型的なパターンを教えよう。それを4,教室で練習させる。やってみよう。
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発達心理と精神論1 発達心理を人類史から解明する

2015-02-14 11:56:23 | 発達心理
こんにちは 大阪は晴れ

 昨日、久々に川西駅前に。遠出ではないが、多田より気が晴れ晴れ。

 岩波に「世界」という左派の雑誌、左翼の指令教書がある。中身は7-8割が低い品位の論文。あまりに真実から離れ、矮小な論点にこだわり、実に扇動的で読む気はしない。左派の最高の教養はこの程度に低い。だが、ここをきっちり反論しておくと、左派の弱体化をはかれる。たまにチェックする。

 多少分析する。この雑誌で、日本人の論文はいつもたいしたことはない。どこかの左翼論の繰り返し、二番煎じだ。彼らの崇める外国の左翼論文が、オピニオンリーダーとなるから、そこを叩けばよい。しかし、いつもよくこんな亜流の左翼論者を世界から集めるもの、とあきれる。

 3月号は、格差が特集され、時流に媚びていた。外国の論文は、オバマのアドバイザー、労働長官を務めたロバート・ライシュ。彼の提案が、一番光っていた、と思う。そこには、格差解消のため「労働組合に入れ」、とあった。私はそこを読んで、ひっくり返った。やはり、ここは日本の民主党支持か。

 また、「日韓共通の価値が・・」という韓国人のは、憲法九条をなぜノーベル賞に推薦したか、とアメリカの傘下にある戦後体制を守れ、という。憲法九条は、日本人にアメリカが課した制裁(論文で見た言葉)だ。その理念は、平和に対しても無能で、まったく貢献してない。

「米・キューバ国交正常化合意」という論文もあった。またまたオバマの世界戦略を擁護するものが。これらタイトルを見て、この雑誌はどうなったのか。気づかない人はかなり鈍い。

 そう、かつて、「世界」は朝日のOBが指令を送っていたような代物。朝日と連動していた。が、いまや、アメリカのサキ報道官のコメント・オバマ外交などオバマ民主党の立場・主張を擁護するようなものがそこに。オバマ、アメリカ民主党の手先と化していた。

 一言では、「赤くゆがんだ世界観」がそこにあった雑誌「世界」は、米国の民主党の色に染まりつつあった。岩波、左翼はアメリカ民主党にすがるらしい。左翼面を廃棄しないと、向こうから拒否されるけど。あの反米雑誌が、アメリカの手下になっていた、とは時代の流れか。

 発達心理と精神論 1 発達心理を人類史から解明する
 今日からは、少し毛色の変わったやさしい話。発達心理論の新しい世界を紹介する。これまでの説明で、人類の思想と発達心理は似ることを明らかにした。ざっと以下のことが判明した。

1, 15-20世紀の思想と青年期の課題が似る
 デカルトのいた1600年から理性主義が席巻した。人は、15歳から、新たな視点をもつ。理性的に物事を解明しようと取り組む。孔子は15にして学を志した。そして、人類は20世紀初頭に、ヘーゲルに魅力を感じなくなり、社会改革をはじめた。人も大学生になる18歳からは、理性的なことの探求をやめ、社会について関心をもつようになった。

発達心理 15-17才  理性、18-20才   社会、 21-24才   空間  
 思想課題 17-19世紀 理性、20-21世紀 社会、 21-? 世紀 空間?

2,人の1年は人類の約100年である

 上の表をみると、およそ人が2-3年テーマにもつことは、2-4世紀の間、人類は探求する。正確な日数はまだ不明だ。およそ人にとって1年の成長は人類にとって100年の進化に等しいようだ。

3, 発達心理は各年代の関心について統計をとると明らかにできる
 人間は、社会に関心を強くもつ青年期にも、ぼんやりしている。社会改革に熱中する人は、少数だ。もし、それら内的欲求に敏感でも、最初は権力志向で、その後、分権志向となり、さらには専門家ずらするようになり、と社会成長理論通りに、本人がテーマを変えるほど器用ではない。ただ大雑把に社会運動に熱中して、ある時に飽きる。内面がどんな細かな社会的欲求を発したかは、自覚しない。しかも、それを表現できない。

 たった一人の人物が、その段階の全ての心の欲求にそのまま表すことはまずない。本人の発達心理上の関心すら、自覚できない人が大半だからだ。鈍い人は、心の内に自分が感じていることも表現できない。

 しかし、青年期の心理テーマは、多くの青年のデータをとれば、しだいに明らかになるだろう。また、内的な感受性の高い青年の興味の変遷を調べるという効率がよい方法もある。

4, 発達心理は、思想史から明らかにできる
 人類は大勢いる。何十億人もいる。彼らが、その時代のテーマを意識し、それを表現する。思想や芸術、学問にして。ある段階のテーマ、その頃の人類の欲求、傾向は、歴史に数多く記録される。それは、時代の哲学や思想、風潮に反映される。人類は、個人と違って、その段階のテーマを詳細に表現できるる。
 発達心理と人類の思想はよく似る。よって、発達心理は、人類の思想や文化を研究しても解明できる。

 以上、発達心理の新しいアブローチを提案する。

 さて、発達心理の他の段階 12-14才は?
 私は15-17才は理性,18-20才は社会,21-25才は空間と、青年期の課題は明らかにした。では、それ以前は何だろうか?
 
 私は12-14才に、力に関心をもつと思う。力学に。日本でこの年齢は中学生だ。日本では、この年齢を中学生として、一つの区切りにしている。それはこの年齢の学生が共通する傾向をもつため、と思える。よって、12-14才を一つの段階とみなすのは、正しいと考える。

 テーマは何か?
 彼らは暴力的である。力を使いたがる。運動をしたがる。他人の力を借りようとはしない。そういう意味の自立志向はある。私は彼らの課題は、力の使い方のマスター(運動、力学)だと、思う。

 根拠はあるか? 
 思想史を調べてもわかる。次の理性期は、1600年以後だ。それ以前には何が起きたか? デカルトが「自己」を発見した。それが新しい理性主義の萌芽である。デカルト以前に何があったか? およそ、1200-1600年のことだ。ヨーロッパは中世の暗黒時代だから、参考にならない。この当時、戦争が多かったように思える。日本では鎌倉幕府など、武士の政治が始まり、続いた。貴族政治が終わって。力による支配が始まっている。

 中学生に、スポーツ(運動)をさせたら満足する。そんな風潮が日本にある。それは発達心理では正しいのではないか、と思う。この年齢の心理についての概観である。

 もし、この年齢の発達心理が明らかになったら、中学生の求めるものを適切に教えることができ、その不満による校内暴力や暴力的ないじめはなくなる。家庭内暴力もなくなる。是非、研究しなくてはならない。

 道徳教育法 
 時間がなくなったから、また今度。

 本日の被害
 今日は軽い頭痛がある。エアコンをつけると軽い頭痛になる。そこに、毒を付着させた粉塵を入れたか、何かされた模様。朝から、ややだるめ。また目は毎日刺されている。口の中は、特にたくさん刺されて、一箇所は、歯茎を舌で触ると痛くなる。それほど腫れている。また悪質なのがきた。
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イデオロギーの終焉 11 まとめ 道徳教育法-政治教育の歪みを正す

2015-02-13 12:04:12 | 社会思想の終焉
こんにちは 大阪は曇り 雨が降りそう

 頭痛はやっとおさまった。気楽に記すか。ここは、日によって読者数が変動する。しかも少ない。私のファンがいて、彼らが毎日チェックしているのが大半、と思う。世間受けしてないのが、難だ。がんばろう。

 イデオロギーの終焉 11 まとめ
 昨日は、社会組織成長論の概要を示した。この論は経営学の最難解。これを理解したら、経営学をマスターした、といってもよいほど。一昔前は。だから、研究者も少なく、反響も小さい。私の提案の価値も、理解されないようだ。

 今日は、今まで10回にわたった連載をまとめる。

1, 20世紀は社会イデオロギーの時代
 20世紀は、人類全てが社会改革、社会思想(イデオロギー)に熱中した。「社会」が人類のテーマだった。その期間は正確には、1910年から2030年だった。それまでは「理性」がカント、ヘーゲルなどドイツ人によって探求され、英知をもつ人格が賞賛された。今や、人類の発展には社会改革が必要で、事業に成功した者が認められる。

2, 社会の時代は、6段階ある
 20世紀の変化は、6段階にわけられる。各段階は20年のようだ。

 1,創業期(1910-30年)の段階は、大勢がユートピアに魅力された。軍人会やテニスクラブなど社会グループが雨後のたけのこのように誕生した。

 2,集権制(1930-50年)の段階は、一人が命令をするような組織がたくさんできた。権力を一つにまとめることが課題となった。権力をもつ者への信頼が厚くなり、国家の権力は一つに集中して、独裁国家が猛威を振るった。

 3,分権制(1950-70年)の段階は、権限委譲が始まり、企業は事業部制度になった。自治が流行した。民族主義で各国が植民地から独立した。

 4,官僚制(1950-70年)の段階は、専門家や市民運動が台頭した。初期には、学生の無能化が起き、ヒッピー・全共闘が発生した。各国は巨大な官僚制を敷いた。専門家が人間の究極とされた。

 5,集団制(1990-2010年)は、官僚制が崩壊して、大企業は分社した。多くの共産国家が崩壊して、民主化した。資本主義の時代である。小さな集団でのリーダーシップがもてはやされる。地域主義が発生した。

 6,個人主義型組織(2010-30年)は、独立個人の事業が見直された。コラボレーション、企画ごとに人が集まるという組織形態が流行する。個人、民族のアイデンテティを模索し、ナショナリズムが台頭した。この段階は、国家は機能化しやすい。
そして、社会の段階を終える。

3, この時代は、社会学の中で理論が発展した
 理性期は、カントやヘーゲルなど哲学者が、思想の開拓者だった。社会期は、社会学を純粋に研究する者達が社会思想を切り開いた。マルクスは偽りの社会論である。多くは経営学でその理論が提案された。思想(構造主義など)は、適切に、この時代の原理を説明してはいない。よっていわゆる思想は廃れ、経営学が時代を導いた。

4, この時代の末期には、組織理論の数理モデルが登場する
 理性期は、ヘーゲルが、理性を純粋に現す数式を開発した。"論理学"である。よって、社会期も、社会を純粋に表現する数式モデルが提案されるだろう。

5, この時代の末期には、社会論を工学にしたものが発展する。
 理性期の末期には、理性的なものがものとなって人々の生活を変えた。産業革命のことだ。機械工学が、実用化した。
 社会期の後半には、コンピューターが登場した。特に、インターネットは、人間どうしをつなぐもので、社会的だ。インターネットは、社会期の成果といえる。

6, この時代の次は、空間を課題とする。
 人類の思想区分は、理性→ 社会 → 空間である。次の課題は21世初頭に始まる。厳密には、2030年からだ。最初に、価値観の転換が起きる。それで、空間という尺度で、見直す運動がおきる。それは21世紀のルネッサンスとなる。

7, 人類の思想史と発達心理は相似する。
 人は、15-18歳で合理主義や理性に興味をもつ。18-20歳で社会に熱中する。21歳以後は建築や家、都市など空間的なものに関心がうつる。このテーマの変遷は、人類の関心と一致する。
 人類は、15-19世紀は、合理主義的なものを探求して、カント・ヘーゲルは理性を求めた。20世紀に入ると、社会改革、社会的な地位に関心を寄せた。
 このように、人類と個人の関心は似る。人間の1年が、人類の約100年に相当する。ここから、人類の未来のテーマは、個人の発達心理を明らかにすると、解明できる。それを人類の地図、という。

 以上
 これが、私の「20世紀の社会組織論」などだ。この理論はあらゆる社会イデオロギーを統合する。

 私はこれを1992年の卒業論文で、原案を記した。今は 各部を補う。この理論の価値がわかるのは、当面は、ケン・ウィルバー他、数人だろう。

 これは社会思想を完成させる唯一無二の代物で、世界最高ランクだ。20-21世紀初頭の最も偉大な思想なのだが。世界に影響を与える思想が過去一つもなかった日本人が書き上げたのだ。日本も誇ってよいのかもよ。ここまで見抜けたら、世界の思想に通じている、といえる。

 こんな簡単なものが世界最高? と思うかもしれないが、案外、これは難しい理論だ。

 昨日の宿題
 人は、25歳で絵画、写真に興味をもつ。これは25歳になったら、わかる。絵画を見たくなり、写真を撮りたくなるから。しかし、これは二次元的なもの。それまで三次元の空間を興味をもっていた。残る一次元にどこにいったのか?

 答え
 霊的なことに興味をもつ。見えない領域に、一次元の関心がゆく。これは自覚は弱い。だがも直感など、霊的なものに関心をもちはじめる。さて、これと同じことはね人類は25世紀頃におきるだろう。人類は次の次の段階で霊的なものに関心をもつのである。
 それはつまり、どういうことか? 人類は神と統合される、という意味となる。一次元的に。一次元とは、文や声などをさす。人類は直感的に神に従う。おそらく実際には、神の声を直に聞くシステムが開発され、それが社会全体にゆきわたり制度になる、ということをさす。神の直接統治がその頃に起きる、だろう。

 では、次の問題 私の研究では、発達心理論で精神次元を示せる。いわゆる菩薩の精神(仏教で用いられるものでもよい)は、いったいどの精神段階にあるか? 何歳までの発達心理のテーマを消化した人格か?
 これは、ケン・ウィルバーがとびつく理論だ。精神の向上(精神の基礎的な次元)はなんと若いうちに止まる、という衝撃の理論なのだから。年取ってからはけっして悟れない、という話。

 道徳教育法 政治教育
 週刊新潮の2015年2月19日号、「日教組」教研修会で発表された亡国の授業風景、という記事は衝撃。そこでは、日教組が半ば公然と政治教育をする実態が暴露されていた。安倍政治に反対するため、偏った内容(反原発、憲法、無抵抗平和主義)を叩き込むことに激烈な教師が閉鎖的な学校で暗躍する。

 政治教育は、公共教育で行なわれる。そこに偏りがあってはならない。日教組といえば、人権、個人の思想の自由のため道徳教育を否定する。その反日の人権論では、特定の政治思想などはもっての他。彼らは、それら特定の思想を国が教えてはいけない、という。ならば、教師も同じく教えていけないはず。当然、日教組の教師は特定の政治思想を子供に押し付けてはいけない。

 こういう歪んだ社会教育が行なわれないためには、それを国が禁じるしかない。しかし、学校という国民が見えないところで、隠れてそんなイデオロギー教育が行なわれる。その対処としては当面は、正しく、公平、中立な政治教育を行なうしかないだろう。文部省はそういうカリュキュラムを用意しなくてはいけない。どうしよう?

 私は、国家の仕組みは、小学校5-6年に習った。普通選挙があって、議員が決まる。衆議院の議員から首相が選ばれる、と。選挙は秘密投票にされる、という。このように、首相は国民の代表である、と習う。

 首相は、どんなことをして、国民のために働くか? それはあまり記憶にない。そういうことをよく教えなくてはいけないだろう。過去、首相が行ったことで、特筆するようなものは学ばせたい。歴代首相の功績を。

 どこそこの知事は何をしたか。そういうことは地元の教材になる。だが、国の首相は、そういうことがない。ここはおかしいから、学ばせておく。これをしっかりやらないと、首相に何ができるか、どんなことをするか、具体的なイメージができない子供になる。

 次に憲法論を教える時の問題。憲法とは何か? 私が受けたものは、インチキくさかった。憲法は「最高法規」という言い方が繰り返しされた。しかし、それがよくわからなかった。基本的なルールでよいだろう。

 憲法の精神というのがさらにひどかった。憲法の精神とは、何か? 基本的には、世俗にある理念や慣習・ルールを憲法は採り入れた。よって、その精神とは、個別の制度の理念をさす。私が教わった時には、憲法に書かれているから、理由はなく、それが最高という。何が最高かわからなかった。

 一つ一つは、誰かさんがある理由をもって考えたルールだ。そこを詳しく説明すべきだろう。どうして、誰がそのルールをどういう意図で憲法に採りいれたか。外国はどんなものがあるか。

 選挙もしっかり教えよう。低投票率も、選挙の意義をしっかり教えられなかった結果である。

 このように国の制度だけでも、丁寧にぬかりなく教えておく。すると、あまりに実態や民主主義に反した考え方や過激な思想は、もし左翼教師が説いても、子供は嘘だとわかるだろう。子供を左翼色に染まることから、救うことになる。もし日教組教育を野放しにすると、最悪、子供は反対闘争に憧れ、大学にゆくと過激派になる。そんな子供を減らす上でも、大切である。
 
本日の被害
 昨日は偽装のための頭痛攻撃だった。昨日、麻薬を室内にばらまく犯人の家を区画までつきとめた。多田神社の北西だった。ネットで嫌がらせをする"くず"の南100Mほど。前回の調査では、くずの西から西北30Mを調べたが、そこではなかった。そこを通ったら、中毒にしてきた。理由は不明。この犯人は、独善的な男だ。
 全国の共産が私にのろわれる。これを回避したくて、アカは、おとなしくなるのがふつうだ。が、このアカはそんな規律を守る、共産に迷惑をかけない、というふつうの人がもっている心がない。自己犠牲ができない最たる男だ。他人を巻き込んで犠牲にする、という。自己犠牲が足りない男だ。
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