こんばんわ、青木です。
今日は
インターネットから誰もいなくなった日~アイデンティティーの喪失~
という話題で記事を書いてみます。
ところで、ぼくはよく夜に散歩しますが、
その時によく考えることがあります。
どうやってブログを読んでいる読者に価値のある情報を伝えようか?
ということです。
この問いを大体考えています。
これが、なんで今日の話題につながるのかは少しおいておきましょう(笑)
で、ブログで情報を発信する時は
自分自身のフィルターを通して発信するべき
だという僕の持論があります。
なぜかというと、
自分のフィルターを通した記事にはじぶんらしさが出るからです。
これはアイデンティティーの確立とも深く結びついた問題です。
なぜなら“自分らしい記事”を書けるのは
自分自身以外にはいないからです。
ということは“自分らしい記事”を書けること自体が
アイデンティティーの一部といえます。
逆に言えば、
記事にどれだけ自分のアイデンティティーを組み込めるのか?
で記事の質が変わるともいえます。
同じ内容でも、
事実をただ並べただけの無個性な記事
読んだだけで書いた人が分かる個性的な記事
この2つなら絶対に個性的なほうを読みたいですよね。
さらに言えば、
事実をただ書いただけの記事って
世の中にこれでもかって位にあふれています。
でも、そういう記事って誰が書いても同じです。
それならわざわざ
“特定の誰か”
の記事を読む必要ないですよね。
だって、誰の記事読んでも同じだから。
僕はこういう風に思っています。
そして、現状のネットの状況が
まさにこういう状況だと感じています。
ただ事実を書いただけ、みんなと同じ事を書く。
それでアクセスさえ集まればいい。
そういうサイトが多すぎると思っています。
そこにはユニークさも個性も現れません。
だから、いまのネット世界って大げさに言えば、
特定の誰かなんて存在しない
といえます。
逆説的に言えば、
みんな同じなら誰も存在しないのと同じです。
そこには他者と自己を区別する境界がないのだから。
余談ですが、これは一種のアイデンティティーの喪失です。
アイデンティティーは他者と自己の差によって初めて確立できます。
さて、それでなんで
こんな話題をしているかというと、
じゃあ、そういう状況のなかで
個性的な記事が書ければアクセス稼げるんじゃねーの?
って、話しだからです。
というか、絶対に稼げます。
だって、個性が出た記事を書くということは、
“特定の誰か”をわざわざ読む理由ができる
のですから。
他のたくさんいるみんなと同じで
名前も知らない誰かの記事ではなく、
あなたの記事でなくてはいけない理由を
読者が見出すから。
言い換えれば、
ネット上でのアイデンティティーを
どれだけ確立しているか
がアクセス数につながるともいえます。
またまた、話しは変わりますが、
現代ではオリジナル(原典)というものは
ほとんど存在しません。
人のアイデンティティーですら、
自己をあらわす言葉なのに
オリジナルたりえません。
なぜなら、
誰にも影響されない人間は
いないからです。
一人ひとりが生きていく中で(ネットでもリアルでも)
自分が有益だと思うことを自分自身の中に模倣して
取り入れていきます。
だから、
個性というものは
独立しているようにみえて、
実は複雑に他者と絡み合っているものです。
独立したものが複雑に絡み合って
形成されているものや場を
一言で表すのならば、
攻殻機動隊のなかででてきた
スタンドアローンコンプレックス
という言葉がもっとも適当でしょう。
(分からない人はぜひ見てみてください。
とても興味深い問題提起がされています。)
このような現代のネット社会のなかで
本当のアイデンティティーをネット上で確立するのは
正直なところかなり難しいです。
ならば、せめて
見方を変えた別の切り口からかいた記事を
書けば自己と他者の区別をつけられます。
たしかに、それですらも
スタンドアローンコンプレックスです。
その見方は絶対に誰かの影響を受けていて
オリジナルではありえないので。
それでも、そうすることで
自己と他者の境界があいまいな状況
からは抜け出すことができます。
ならば、それは
誰かの書いた記事からあなたの書いた記事へ
と変化させることを意味している
のではないでしょうか?
そのために必要なことは、
あなたの書いた記事をあなたが書いたものだ
と分かってもらうための何かを入れることです。
ここでは仮にそれを他者同一性要素と名付けます。
つまり、他者があなたをあなたと認識できるなにかです。
(自己同一性は自分が自分であるといえる何かなので
こういう風に名前を勝手につけてみました。)
実は、
その何かの部分が何なのか?
は僕もよくわかりません。
それはこれからの研究課題です。
というか見つからないかもしれない、
ある意味哲学的な領域の話しなのかもしれません。
ですが、
そういう何かがあるという視点を
持っているか持っていないかだけでも
大きな差が出ます。
なので、
これからネットで何かをしようというのならば
この視点を絶対に忘れないでいて欲しいと思います。
今日の話題は
インターネットから誰もいなくなった日~アイデンティティーの喪失~
でした。
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