松山大耕氏(YouTubeより) |
このスピーチは、2014年9月に京都外国語大学で開催された「TEDxKyoto 2014」というイベントにおけるもので、スピーカーは臨済宗僧侶・松山大耕氏。「Reasons for religion — a quest for inner peace」と題して松山氏は、こんなことを語っています。
【YouTube 2014年10月30日】Reasons for religion -- a quest for inner peace | Daiko Matsuyama | TEDxKyoto
(略)
日本人の宗教観は、非常に独特なものがあります。例えば多くの日本人は、キリストの誕生日であるクリスマスをお祝いし、年末にはお寺で除夜の鐘を聞いて、そしてお正月には神社に初詣に行きます。日本以外の方からは、なんて節操の無いと言われることもあるんですけれど、しかしここ日本ではこういった宗教の寛容性というのは一般的です。
(略)
日本では色々な宗教を信じている人がいますが、宗教が違うからといって、争いやもめごとといったことはほとんど起こりません。
(略)
私は世界でも冠たる宗教都市ここ京都から、日本人のもつ素晴らしい寛容性のある宗教観、これをぜひ世界に伝えたいと思います。
スピーチを書き起こした 〈「クリスマスと正月が同居する日本」に世界の宗教家が注目! 寛容の精神に見る、宗教の本質とは〉という記事は、Facebookで8.5万件(2月28日時点)の「いいね!」を獲得し、拡散されています。
しかし、本当に日本人は宗教に寛容なのでしょうか。
■宗教をめぐる弾圧、そして内戦の歴史
日本には、宗教をめぐる弾圧や内戦の歴史がわんさかあります。
13世紀からの「一向一揆」。16世紀、一向宗と織田信長と間で行われた「石山合戦」。豊臣秀吉によるキリスト教禁止。江戸幕府下での内戦「島原の乱」。幕末から明治期にかけての「神仏分離」や「廃仏毀釈運動」──。
秀吉による禁教令の背景には、キリスト教の教勢が広まることで、信長時代の一向宗のような内乱につながることを恐れたことが挙げられますが、同時に、キリスト教徒の大名が領民にキリスト教への改宗を強制したり寺社仏閣を破壊していたという事情もあったようです。秀吉はキリスト教に寛容ではありませんでしたが、当時の日本のキリスト教勢力もまた、日本の宗教に対して寛容ではなかったということでしょうか。
「島原の乱」以降は、江戸幕府がキリスト教徒をあぶり出すため、かの有名な「踏み絵」を行いました。キリスト教徒は「隠れキリシタン」として密かに信仰を維持するしかない時代が長らく続きました。
テレビ時代劇「水戸黄門」で有名な水戸光圀(17世紀の水戸藩主)も、藩内で神仏分離を進め、寺院の半数近くを廃止したり破壊したりしたとされています。目的は仏教排斥ではなく「神仏分離」と不良僧侶の追放だったようですが、幕末から明治にかけて「神仏分離」は「廃仏毀釈」へと過激化し、薩摩藩では明治初期に寺院・僧侶の数が共にゼロになったとかいう話もあるようです。
明治以降の日本政府が神道国家主義を掲げ、1921年と1935年の2度にわたって「不敬罪」などを理由に大本教を摘発した「大本事件」も、国家による宗教弾圧事件として有名です。この時代、キリスト教徒にも逮捕者が出ています。
これらは日本の権力が宗教に不寛容だったことを示す歴史ですが、一方で、寛容ではない宗教団体が社会と対立するというパターンもあります。
先に紹介した秀吉時代のキリスト教にもそういった一面があったようですし、現在、政権与党である公明党の母体「創価学会」は、他宗教を口汚く罵り、いまだに大半の宗教団体はおろか、特定の宗教団体に属さない多くの日本人からも嫌われています。約20年前には、オウム真理教が大量無差別テロを起こし、2つのサリン事件だけでも約7000人の死傷者を出しました。
現時点で日本に宗教戦争が存在していないことは確かですが、そもそも第二次大戦以降、日本は戦争自体をしていません。いま戦争をしている国々と比べれば、日本の現状はぬるいかもしれませんが、歴史的に「寛容」と呼べるほど穏やかな国ではないことがわかります。
■信仰心なき初詣とクリスマス
松山氏の主張の問題点はもうひとつあります。「クリスマスや初詣」が共存する日本人のあり方が、果たして本当に世界に誇れるような「寛容」な宗教観なのか、という点です。
「ISSP国際比較調査(宗教)2008」によると、「宗教を信仰している」人の割合は39%(仏教34%、神道3%、キリスト教1%、その他1%)。それでいて、「初もうで」を「よくする」人は55%もいました。「したことがある」人を加えると92%にものぼります。
初詣はもはや、「信仰」という自覚を伴わない宗教行事なのです。
上記の調査と調査法や対象者がだいぶ異なりますが、2014年にマーケティング会社が行った「クリスマス」についてのネット調査を見てみましょう。
「クリスマス」に関するWEBアンケートによると、クリスマスに「特に何もしない」と答えたのは35.2%。何かする人たちは何をするのかというと、 「クリスマスツリーやリースを飾る」(26.8%)、「家族とクリスマスパーティをする(25.0%)、「プレゼントを買いに行く(14.4%)。いずれも複数回答で、以下、「イルミネーションを見に行く」「仕事・バイトをする」「旅行へ行く」などなど。「イエス・キリストの誕生を祝う(教会に行く)」は0.3%しかいません。
クリスマスもまた、日本人にかかれば「信仰心とは無縁の宗教行事」です。
■受け入れ可能なものを受け入れるのが「寛容」か?
クリスマスや初詣は、信仰と関係ないからこそ、季節の行事として、各種産業が利益を追求するためのイベントとして、カップルがいちゃつく口実として、若い人々すらも受け入れているのでしょう。日本人にとって受け入れてもよいもの、あるいは受け入れるメリットがあるものだったにすぎません。
多くの宗教家が、宗教の「寛容」を説きます。しかしそこで言う「寛容」とは、受け入れても構わないものを受け入れることなのでしょうか。それは、世界の宗教問題に対して何の役に立つのでしょうか。
受け入れても構わないものを受け入れるだけであれば、日本に限らず世界中のどの国でもどの宗教でもすでに行われています。そして、それによって宗教対立や戦争が世界からなくなったりはしていません。
「寛容」の精神とは、受け入れがたいものに対して発揮できるものでなければ、意味を持ちません。松山氏は、「寛容」の意味も理解できていないようです。
■化けの皮は剥がれている
松山氏のスピーチはFacebookで8.5万件(2月28日時点)の「いいね!」を獲得し拡散されていますが、松山氏の言説の浅はかさに気づいている人が皆無というわけでもありません。
普通に考えれば、宗教に造詣が深くない人ですら簡単にツッコミを入れられるレベルの話です。
ちなみに佐々木俊尚氏は一昨年、「世界宗教だって原始段階ではだいたいカルト」というわけのわからない理屈で幸福の科学を擁護し、幸福の科学からお金をもらって教団幹部と対談してしまった御仁です(
■宗教者が推進する"宗教の空洞化"
宗教に対する日本人の無頓着さは、「クリスマスと初詣」どころではありません。仏教や僧侶と葬式などでしか接しない人が増え、その葬式ですら、仏教の形式を取らず僧侶も呼ばないケースが広まりつつあります。信仰を持つ人々を見下す風潮すらあります。宗教を信じる人を「何かに頼らなければ生きていけない弱い人」とネガティブに捉える意見に触れたことがある人は、少なくないでしょう。
これは「寛容」ではなく、明らかに宗教の空洞化です。
その中で、特に仏教者に対しては、神聖視しないどころか、むしろ俗世の標準すらも下回るダメな人種と捉える向きすらあります。あるキャバ嬢は、本紙の取材に対して、こう語ります。
「お坊さんのお客さん、ときどき来ますよ。お坊さんがキャバクラに来る時点でどうかと思うんだけど、キャバクラ遊び以外にも贅沢な遊びをしていて、それを自慢してくる。お坊さんって、こんなに下衆なんだあと思った」
さらに、伝統仏教業界に詳しい事情通は、匿名を条件にこんな話を聞かせてくれました。
「坊主なんて、集まればキャバクラどころか深夜まで飲み歩いてピンサロとかソープに行ったりもしますよ。そして翌日には悪びれもせず“酒を飲んでる人も風俗に行っている人も見捨てないのが仏の救い”だなんて言い放ったりするクズです」
実際には、信仰にしろ社会活動にしろ、真剣に誠実に取り組んでいる宗教者もいます。しかし、すでに宗教との接点が日常生活から消えている人々にとっては、身辺で見聞きするロクデナシ僧侶の行状、知識人ヅラしてネットや一般メディアで出しゃばる僧侶の胡散臭い美辞麗句、そして僧侶を巡る事件の報道くらいしか、僧侶のイメージを構成する材料がありません。
そこにもってきて、日本の歴史も「クリスマス」の実情も知らず、「寛容」の意味すらもわかっていない松山氏のような僧侶が、上っ面だけの美しい言葉で自分を含めた日本の宗教を自画自賛する。こんなことだから日本の僧侶はバカにされるのだという、お手本のようなスピーチです。
こうした僧侶は、日本の仏教の空洞化に歯止めをかけるどころか、むしろ推し進めていく側の人間でしょう。
伝統宗教の体たらくは、カルト宗教がのさばる遠因になっている印象もあります。一方で伝統宗教の世界には、宗教者としての知識・見識を動員してカルト問題に取り組んでいる人々も少なくありません。伝統宗教が力を失っていくことは、「カルト問題」だけとってみても、日本社会において大きな不利益につながります。
仏教者の皆さん、この松山氏に、もうちょっとお勉強するように勧めてあげた方がいいのではないでしょうか。
◇参考サイト
「クリスマスと正月が同居する日本」に世界の宗教家が注目! 寛容の精神に見る、宗教の本質とは
日本人は異なる宗教に寛容なのか【瓜生崇】
追記(2015.03.01)
記事掲載後、風俗にかんする僧侶のエピソードが寄せられたので追記しました。
6 コメント:
地元の神社のお祭りに使われる費用を
町内会で会費として集め
熱心なクリスチャンが拒否すると
「私も仏教徒だけど払ってるのよ」
と言い放つような寛容。
無知が無知ゆえに自分の不寛容を寛容と勘違いしてるんだろうな。
取り潰される予定になっていた伊勢神宮や靖国神社を守ったのはキリスト教です。
神社の祭礼は宗教的な意味合いというより地域の和のためのものと考え、会社の命令でこれも仕事の一つと割り切ってみこしをかつぐとか、中には順番で回ってくるので寺の檀家総代を務めなくてはならないクリスチャンもいます。キリスト教といってもいろいろです。
伝統宗教はもっと慈善活動をすべきですよね
そうすれば、カルト対策にもなる気がします
>佐々木俊尚氏(実物)が幸福の科学とコラボで炎上中)
このリンクが読めませんね。
この松山氏は日本の宗教の歴史を全く知らないんでしょうね。
申し訳ありません。佐々木俊尚氏の記事へのリンク修正しました。ほかのリンクもガタガタだったので、一緒に直しました。
>「お坊さんのお客さん、ときどき来ますよ。お坊さんがキャバクラに来る時点でどうかと思うんだけど、キャバクラ遊び以外にも贅沢な遊びをしていて、それを自慢してくる。お坊さんって、こんなに下衆なんだあと思った」
>「坊主なんて、集まればキャバクラどころか深夜まで飲み歩いてピンサロとかソープに行ったりもしますよ。そして翌日には悪びれもせず“酒を飲んでる人も風俗に行っている人も見捨てないのが仏の救い”だなんて言い放ったりするクズです」
なんだかんだ言いながら、発言引用の体裁を取りつつ、結局のところ仏教者かなり酷くdisってる藤倉の記事に草不可避wwwww
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