職場の上司にネットでの立ち振る舞いに付いて相談に乗って貰った結果(以下太字コメント)

Twitterに対して謝罪したものの許して貰えない事で大変悩んでいる様子ですが、

生路自身は常に相手に対する思いやりの心で接するよう希望します。


(本名の処を「生路」にした以外は原文ママ)

悪い事したと思っているのが生路の本心だから…反省しているって、心から謝っているって信じてくれなくても…私が寛容で情深く猜疑心が無い「良い人」に成長するには、どうしたら良いんだろうか?と1人で悩んで考えた末に、行動で反省している・変わりたいと思っている気持ちを示すには?自分が目指す「良い人の行動」と言えば?
家族はもう飽きたと思っているだろうけれど…今でも実家の家族の知らない処で生路はこっそりプレイしている秘蔵のゲームに答えが有った。丁度、この辺りプレイしていたんだけれど、このアイマスコミュパーフェクトコミュニケーションになる行動は………

ネット上では表情や声色で相手が本当に誤っているか確かめる事が出来ない。文章が拙ないから口先だけ・言われて謝っていると疑われる、本心で謝っていると信じてくれない対応に嫌気がさしたので、そういう方は私が本心から謝っていると信じて貰えるまで、もう私の方からはアクションしません。その方がお互いに気が楽だろうし。
私が本心で謝っていると信じてくれるまで私自身と関わらないでください、謝罪文が拙かった事も含めて悪しからず。
生路には行動で反省しているって示しなさいってアドバイスもあったし、ネットの外じゃ「生路が何時か友達になりたい・何時か自分もその人のようになりたいと考えている、『良い人』の行動は何か?」ってリア知人に質問された事もあるけれど…生路に考え付く限りの精一杯の答えとしては結局、前者は他人の事をもう悪く言わない以外には、作品の保存を大切にするスタンスを今でも生路は明確に貫く事だけで、後者は…一部の人がどうであれ、自分は価値観の違う相手にも寛容な人にならないと成長できない内容でした。私の精神安定剤代わりにアップしたものを貼っておきます。一部の方には苦手な表現が含まれているので気をつけて。




親から新聞借りて読んでみたらこんな事が書いてあった
「匿名とは無名であることで、それは強いけれどつらいことなんですよ。だから彼らは名前を出して世の中に出てくる人たちに嫉妬している。少しでも彼らの弱点やアラを探そうと、必死になっている。それに生き甲斐を見出す者さえいるんです。」
…という訳で、匿名の人(「被害者」含)だけでなく名無しの群れに居る作者や絵師(「被害者」含)も生路は信用しませんし、その作者としての意向すら(「被害者」含)蔑ろにする。

ついでに後日「故・東方陰陽鉄wikiと同属性のコミュニティを霊地王生路の名義や作品の名前で再現する名称の使用許可の条件」を投稿します。湖岸さんにだけメールで教えるつもりでしたが怒りで頭が冷えて気が変わりました。

という訳で色々と本とかサイトとか見た末に様々な処に合った言葉を引用した自分が良い人に、真人間になる為に役に立ちそうな学習記録を付けてみる。
何時か…仲直りしたい親友と仲直り出来る日を信じて。出来るなら…今、生路をブロックしている人達や快く思っていない人達も見てくれていると願います。
同時に、私が大概の人が認める「良い人」に更生する為に役に立ちそうな情報や言葉も色々と引用してます。
得られた情報から、完全に事実・真実だと確信した話はピクペディアの「赤き真実」の項目へのリンク付きの、これみたいな→太い赤字で書きます。

2015/01/28年:補足
謝罪している相手に何かを求めているように受けとられる記事で失礼だと頭では解っていたが、これは自分なりに真剣に深く追求した末に「心理学総合案内こころの散歩道」を紹介されて…私に見て欲しい私が広めるべき記事を教えられて…そういう結論にしかならない。

それ故に、この先の話は私がその人のようになろうとしている「良い人」や、生路が「良い人」になる為に協力して欲しいお偉い心理学者の様方達への生路からのSOSにもなっている

リアル社会には支援者がいても趣味が合わないし「ネットの事はよくわからない」と言われる。 ネットには自分と趣向や興味の合う人はいても、怒らせてしまう。 周りというよりあたしの抱えるジレンマで、ひとえに場に相応しい事を考えない、場の空気を考えない人の行動は、1人だけの力で出来る事では唯一このジレンマを解決する事が可能だからではないだろうか?
この先の心理学的な話、特に「社会的絆」の話が全て事実だとすれば、例えば問題行動への対策・問題人物はどう個人的には防御すればよいのだろうか。


…この記事、投稿したら「仮面ライダー鎧武」とか「フレッシュプリキュア!」とか「ひぐらしのなく頃に」とか地元のサンミュージックでレンタルDVD借りて観ようかな。


最近、今までネット上で対立した人間関係になってしまったトラブルを振り返って理由を考えていたら、何を優先するかという思想の相違(作者の意向⇔需要・保存)や身に着けた知識の属性の相違(著作物⇔需要・流通)の場合が多い事に気付いた。
自分の属性の知識には老獪でも相手の属性の知識に関しては素人なのに、何を優先するかどの角度でどの視点で作品を見るかの相違の盾にする結果、お互い意固地になってしまった気がする。
生路の絶版への免疫の無さは、誰にも永遠に理解して貰えない事なのだろうか?
幸い、生地の場合は、リアル社会で生地の特性や価値観を理解してくれる人たちに囲まれているものの、最近、こういう記事を目にしてもしそうでない時はどうなってしまうのだろうと考え込んだ。

□犯罪青少年のしつけに問題があるとすれば、それは足りないからではなく、まちがった方法で、やりすぎることに問題があるのだ。彼らの親は子どもを容赦しない。を与えるのに熱心すぎる。私が会ったもっとも凶暴な少年犯罪者は、もっとも厳しいしつけを受けてきた子どもだった
心理学総合案内こころの散歩道」犯罪心理学→『秋葉原無差別殺傷事件の犯罪心理学2:事件から1年』より抜粋…何だか少年の心への傷が与える悪影響を考えると納得のいく記事の様に思える。

詳しくはあっちを見て貰うとして、この話は全て覚えてしまうぐらい印象的で、思うところがあった。
何故なら、この話と後述の「絆の話」に照らし合わせれば拒絶・差別・除け者・絶縁は例えそれが問題人物からの防衛行動あるいは人間関係の問題だったとしても近親者の視点からすれば更生・真人間になる事を被害者の視点からすればそれ以降の問題を起こさないでくれる事を考えれば逆効果だと言う事に生路は気付いた事。この話を聞いて私が知っている最も大きな被害を齎した悪質ユーザーは最も厳しい対応・対策・拒絶・絶縁と最も厳しい親からのしつけ・教育を受けて来た事に気付いたのだから。
…いっその事、リア知人の一部に進言された通り、著作権法改正計画の際に不特定多数が使える筈の物を例外として特定の個人に利用拒否する事を禁止した方が良いだろうか?
2ch裏の歴史と噂話と真相を読んでいて、2chに雇われている工作員の話とかも見て考えると…はるかぜちゃんのTwitter放棄のニュースを見て何か嫌な予感がした、2度目の素材利用拒否は名無しで書き込めるニコニコ大百科の掲示板だったし…何かがおかしい。


犯罪心理学者の小田晋氏は、「殺人の最大の抑止力になるのは宗教である」と述べています。ここでいう宗教、神仏とは、おそらくただ怖い罰を与えるような存在のことではないでしょう。むしろ、愛に満ちた神のイメージではないでしょうか。死刑になることも、地獄に落ちることすらも、もうどうでもよいと思っている少年たちを止められるのは、心を断ち切る罰ではなく、心をつなぐ絆となる愛と信頼なのです
□彼を引き戻す現実世界の力とは、たとえば、大切な家族や友人、恋人がいるという感覚、大好きな学校や大切な会社がる、現実的な夢や希望があるという、「社会との絆」です。この社会との絆が、犯罪にブレーキをかけるのです。
心理学総合案内こころの散歩道」犯罪心理学→『少年犯罪の心理 平気で「いのち」を奪う子どもたち』の『犯罪の抑止 心のブレーキ』と『足立少女監禁事件』の『女性(少女)監禁事件の犯罪心理』より抜粋…なんだけど…これって、殺人や窃盗とかの犯罪や少年少女や若者に限った話じゃあ無いよね、ネット上での迷惑行為や荒らし行為や中傷行為にも当てはまる事だよね。

ダークッパ、戦闘員名義よりも古い「AMANN」をネットで名乗っていた頃から入り浸っていたサイトのサイトを見返して思った、もしも、意図的に目を付けた人間の社会との絆と現実的な夢と希望を奪おうとしている人間達の集まりがあるとしたら…?私の問題行動への対策を語って私を絶望させた末に犯罪に走らせるか自殺させようとしていたら…?

もし親友と仲直りする事がかなわなかったとき、ボクの社会との絆はゼロになってしまう。
素材やキャラクターやサイトの利用拒否が相次ぎ今企画している事が頓挫したらボクの現実的な夢と希望はゼロになってしまう


でも、逆に言い換えれば、親友が西方や東方の旧作や忘却崩魂や削除された作者録作品の代わりとして(あるいはそれよりも見たいとして)、生路にサモヒカン内藤と南方projectの製造を欲した時(その上で親友が一切、キャラクターや素材を生路に対して使用拒否しないという場合)、生路は文化保存計画を署名活動の法改正による保護期間短縮と絶版から一定期間経過後権利切れの仕組みの2つだけに絞って、すぐに素材等の製造に取り掛からなければならなくなる

生路の今の心境で上記の言葉を聞いて生路は気付いた、当事者と絆・信頼・愛が有る立場の人間は多少強引な説得でも問題行動や犯罪にブレーキをかけられる。毅然とした態度で拒絶しなくても突き離さなくても

それらの話がネット上の問題人物においても全て事実と言える根拠としては、Twitterで知り合った反2ちゃんねる活動の仲間には先に話していたけれど、自分が良い人になる為の学習の過程で気になったので、社会的絆がネット上での迷惑行為をも辞めさせられるのか調べる為に、現実の生活においても人にアレコレ迷惑かけている事が発覚して批判を受けているユーザーが愛されている環境、愛を実感できる人間関係、やりがいのある学校生活や仕事、楽しい趣味など
愛し愛される家族や友人がいることや、失いたくない夢や希望があること、つまり犯罪によって失うには惜しいと考えられるもの大切な家族や友人、恋人がいるという感覚、大好きな学校や大切な会社がある、現実的な夢や希望がある、という感覚、専門用語で言う「社会的絆(ソーシャルボンド)」それらがあるかどうかに関するアレコレ調べました。
ハッキリ言って、問題人物の問題行動からの対策と防衛だけ考えて結果が見れていない、まるで成長していないとか精神年齢小学生以下なんて間違いだ。信頼や絆に乏しくなっていった彼らの中では自由意思・本能・感覚・欲求・憧憬だけが一次元的に休みなく「成長」し続けていた
社会的絆理論に基づいてメタ的な事を言えば、彼らは厳密に言えば「社会の一員」ですらなく、同じ仲間以外には自由な立場の「自由」属性の者や共産的な思想の者(該当するのは創価学会、日本共産党、一部の同人サークルや個人あるいは小規模な会社で活動しているゲームクリエイターなど)といった自由や共産を主とする人間や組織とのみ繋がり、自身の自由意思・本能・感覚のみで行動する社会の外で暮らしている人間で、社会との絆が無い事が数少ない親の死んだ後の引きこもり生活を続ける為の基盤となっている


そう考えると「ひぐらしのなく頃に」の羽入は竜騎士07氏に限らず、オタクにもひぐらしファンにも限らず、今の生路や鷹野さんみたいに疲れ切った人にとっては『理想の女神』で、御利益が「縁結び」で横のつながりと結束を重視するオヤシロ様信仰って『理想の宗教』なのかもしれない。

これらの社会的絆に関する情報が本当だとすれば、生路の現在の心境とやろうとしている事、他の批判を受けている人達に対して生路が考えている事や疑問に持っている事も、全部納得がいく。

私に対して無視するか毅然とした態度で拒絶するのが最良の対策だと思っている人達とそれに準ずる人達とそれを実行した人達は「ひぐらしのなく頃に(要原作ノベル本編8話orTVアニメ版or祭全話読破)」「MOTHER2、3」「仮面ライダー555」「仮面ライダー剣」「仮面ライダーカブト」「仮面ライダーキバ」「仮面ライダーフォーゼ」「仮面ライダー鎧武(要全話読破)」「フレッシュプリキュア」「スイートプリキュア」「スマイルプリキュア」「ハピネスチャージプリキュア」「デジモンアドベンチャー02」「サモンナイト」「サモンナイト2」「サモンナイト3」「サモンナイト4」「恋姫†無双/恋姫†夢想(PS2版itルートも含む)」「真・恋姫†無双(蜀ルート)」「アニメ版恋姫†無双(第一期1、4、5話、第二期8、10、12話、第三期7、11話)」「ちはやふる」辺りの作品を見たら、その作中に含まれるある表現を見ると、新しい刺激とショックを受けないだろうか?


その理由とどういう表現でどういうショックを受けるかというと…実際に指定した作品を全話読破したり、作品や作者や登場人物について調べたりすれば解るので生路からは言わない。

ただ、言える事は…特定の作品を見る事で途轍もない精神的ショックを受ける人間や不幸はこの世の中に存在する。どうしても苦手な表現や作品は誰にだってある。それだけです。
あ、でも、私はあの日以来、人間どうしてもダメなぐらい苦手な表現が含まれる作品の苦手な表現を見れば、現代の精神医学では大量の相性の良い属性の作品以外では治療不能な一生モノの深い心の傷を負う事になると信じて疑ったこと無かったか

不快な体験をすると、昔の心の傷がうずく人もいます。かつての怒りや憎しみがよみがえってきます。そこで激しくキレるわけですが、周囲の人は過去も心の中も見えませんから、突然キレて暴れているようにしか見えません。ドラマでは、こういうシーンがよくあるでしょうか。
「碓井真史の心理学でお散歩」 怒りを爆発させる人々:「キレる」を防ぐ心理学(大韓航空機引き返し事件から)から抜粋

私には作者の意向や気持ちを想像する力が足りないかもしれないが、そういう人達も、フリー素材を利用拒否された側の気持ちも、記憶に残った作品やサイトが消えてしまった気持ちも想像しようとしていない。作者の意思に関係無く消すのを禁止にして作品を永遠に保存すべきという考え方に至るまでに私にどんな体験があったか、どんな知識を私が身に着けて来たかなんて知らねぇんだと傷ついている自分がいる。

したがって、消去法で考えれば、私が前々から言われている私自身の問題とは「人の気持ちが解らない事」ではない

消えてしまった作品の事を忘却する事が出来ないどころか、むしろ無碍の大宝・美術品・文化遺産として扱ってしまうのが、生路の創作が作品が人の記憶や想いに残る事を完全に目的外視している理由で、絶版の(消えてしまった)過去の作品見たい・欲しいと言う重要が今のルールでは作者の意向の前では尊重されるべくがないのが生路が一度作品を公開したら二度と消す事も下げる事も出来ないという普通の作者が公開を尻込みする環境でも新作の公開や創作を続けられる理由の1つになっているのと、任天堂も赤松先生ももう見られない作品は諦めるのが肝心だという事を真っ向から否定する発言をしているとは以前も明言したはずですが…

とりあえず、生路の過去の「体験」からして、私が害悪でしか無いと思っている人にとってとーっても都合の悪い何の偽りも無い「事実」と私の「心境(気持ち)」と心の叫びだけここに書こう。

生路が作る側がその意思に関係無く作品の絶版・削除も個人への利用拒否も禁止にされ受け手側・使う側の都合を(情報的・知識的な基盤を伴ってない物愛着的・属性的な要素を伴ってない物という極色彩教典を渡せば需要側にも安全に突き返せる事を除いて)無制限に聞き入れさせられる世界を望む切欠を作ったのは、今の生路と正反対の価値観を持った作者達である事。

私は過去の体験から一度公開した作品を自由に消せなくても、勝手に消すな残していけやが全体の義務でも新作の製作と公開を尻込みしないし、黒歴史を陳列されても嫌な気持ちにならず、どれだけ風評被害を負おうが気に入らなかろうが被害の元を摘み取る為に潰そうとするのではなく単に無視するか合法的な手段を使うし、棲み分け面の整備はちゃんとやるし、どれだけ信用出来ない相手だろうと大嫌いな相手だろうと誰にも自分の素材やキャラクターの利用を拒否しないし、それらを全体の義務として全世界全宇宙全次元全ての生命が背負わされる事を本気で望んでいる。
そんな顧客・需要・受け手・使う側・欲しい側の正の都合をど重視するメンタリティーの持ち主に生路を「成長」させた切っ掛けは何なのだろう。
昔の盟友に言わせれば、生路は今まで多くの記憶や想いに残った作品やサイトが消えてくるのを見て来る度にボディブローのようにそんな何かしらの作品を作る作者にとって劣悪な環境に耐えられるワクチンを打たれてきた末に東方陰陽鉄wikiと旧アニオタwikiの閉鎖が決定打、その時すでに私のハートは「どんなに受け手側の都合を聞き入れさせられても作品を永遠に公開させられ続けても誰に素材として使われてもモチベが全く下がらずに耐えられるようになる程度のワクチン」の予防接種の注射器の針の痕で一杯だったろう。