早朝に目をさまし、二度寝したら仕事でやらかす夢をみた。
よくない夢のせいで、低血圧の身体がいっそう重い。
冷えた下半身がベットと一対になったようだ。
射手座の星座図を思う。あれは下半身が馬だ、私も寝床をひきずって歩きたい。
ふらふらと起きて、代謝を上げるために白湯を飲むべきだとサイドテーブルのティファールを見やりつつ、携帯で時間を確かめる。
毎朝まいあさ、湯も沸かせない時間まで起きれない自分がうらめしい。枕元の飲みかけのペットボトルに手を伸ばしてなんとか目を覚ます。
ぼんやり袖を通すニットは去年よりも、一昨年よりも、ぶ厚くて、ゆったりしている。ニット1枚に諭吉を差し出すようになったのは、2年前、7年ぶりにひとりで冬を過ごした25歳の冬だった。
引き出しを開け、ねじれた黒いかたまりの中から、生地をつまんで確かめ、ひとつ選ぶ。
裏起毛のタイツは、数年以上前から市場に出回っていたのだろうか。
涙袋をつくるためのシャドウや矯正下着。しかるべき世代のアンテナにしかヒットしない「奥の手商品」というものがある。
一昨年までは、確か80デニールのタイツにも、ちょっとした抵抗というか、
「ちゃんと50デニールも持ってますよ!真冬だけ80なんです!」というような媚びたエクスキューズを持ち合わせていたように思う。
加齢とは、媚びや気まずさに開き直りが勝つことなのか。いま手にしている裏起毛のタイツは150デニール、開き直った後の加速たるや光の如し。
電車待ちの間、駅の自販機でホットのお茶を買い、カイロ代わりにするのが日課だ。
乗りこんだ電車の目の前のシートに座る8人中7人は、スマホを見ていた。
これじゃ交通広告も商売あがったりだわなと週刊誌の中吊りを見やると、久々に見たタレントが袋とじになっていた。
始業時間、気配を消してデスクに滑り込む。
仕事のツケをポストイットに残したのは昨日のわたしだ。3秒見つめて昨日の続きを思い出す。
朝からいくつかのクライアント対応とMTGをこなしていたら、あっという間に14時を過ぎていた。
午前中に買ったコーヒーは、ほとんど口を付けていないまま冷めていた。
カップについた口紅を拭う。
2年前に「大人はすっぴんでも口元だけはメイクしろ」とミス・ユニバースを育てた人の本に書いてあるのを読んでから、それだけは地味に守っている。
取りそびれたランチをコンビニで調達しようと、財布を持ってフロアを出た。
なかなか来ないエレベーターを待っている間、2年半前に別れた元彼の結婚がふと頭をよぎる。
エレベーターがやっと来るも、混みあっていたので、見送った。こういう時は無理やり乗っても見送っても、どちらにしろ気まずいものがある。
目の前に来たタイミングで乗らないと、またしばらく待たなければならないのはなにごとも同じだなぁと思いながらしばらく待ちぼうけていた。
先週末あるイベントで人生の大先輩にあたる著名人に、「あなたは頭でいろいろ考えすぎなのよ。」と言われたことを思い出す。
目の前に座っていたわたしより2つほど上の、髪をきれいにアッシュに染めた主婦が言った。「プライドが高いんですかねー。」
「そうね、ごちゃごちゃ理屈並べて、足がすくんでんのよ。」
ショーケースに並んだ炭酸水に手を伸ばす。きっと今日も帰りは遅くなる。
すこし前、大学時代の後輩が「恋愛と結婚は別ものとわかってわかってるけど、結婚向きの人を好きになれないし、キスできる気がしない」とこぼした。
すると既婚者の先輩が「結婚に夢見すぎじゃないの」と言った。
後輩は一瞬表情をこわばらせた。
みんな、自分の生き方を肯定したい。
自分の生き方を肯定しようとして、ほかのだれかの芽を意識的・無意識的につもうとしてしまう。
正解はどこにも無いと言いつつ、みんな自分を正解だと言って欲しい。
店内を回遊するも、特段惹かれるものもなく、ブロッコリーとジャガイモとタコのサラダに手を伸ばす。
アンチョビで和えたら、どんな組み合わせもなんとかなるのだろう。
何が「マリアージュ」になるのかなんて、食べてみなければわからない。
わたしにとっての"アンチョビ"は何なのだろう。
フロアに戻りメールを起動すると、同期の退職報告のメールが届いていた。
女はいつも迷っているようで、腹を決めてからは周りがついていけないほど行動が早い。
お互いの近況報告が続くが、わたしの近況・・・はなんだろう。返信を打つ手が止まったまま、メールを閉じる。
夕方から夜まで、後輩から立て続けに仕事の相談を受ける。
独善的で説教臭くて高圧的。
そういう自分をさいきんよく見かける気がする。
昔、同性の先輩がイライラしてる時「あぁはなりたくないよね」と言ってる人がいた。
「だって怖いじゃん。」
その一言が頭をよぎる。
「怖い。」「疲れてるね。」ほど、働く女を傷つける言葉はないと思う。まぁ、言われる方に要因があるのだけども。
そんな自分が嫌で、でも止められない。誰か止めてと思う一方で、誰にも気づかれないで欲しいと願う。
可愛く働けない。
頑張りすぎる、マジメすぎる、主観や正義感が強すぎる。女が仕事に躓く時は、なんでも「すぎる」時が多い。
「女」というより、わたしの場合か。上手にやってる人も居る。
あの頃の自分の視線が痛い。
自分以外の誰かに何を伝えるなら、“経験のシェア”による本人の気付きが最も有効よ、とやり手の女社長さんは言っていた。
人に対して何の圧も発していないのに、思わず周りが助けたくなる、そんな人だって居る。そんな人のことを、わたしはずっと好きだった。
春雨スープとお菓子を夕飯代わりにして、やっとひとり落ち着いてもくもくと仕事を片付ける。
今日も、明日の自分にポストイットで希望を託す。これにて本日閉店、失礼します。
昼すぎに買った炭酸水が残っていた。ビールが飲みたいけれど、今日はこれでがまんする。
炭酸に慣れた喉。
ツンとする夜の冷たさ。
通り過ぎる、28の冬。
寄り道したコンビニで、今朝中吊り広告に載っていた、袋とじの見出しを見つける。
ほとんど見かけなくなっていた彼女は、この数年どんな日々を過ごしていたのだろう。
年中真夏感のある週刊誌の表紙と比べて、女性ファッション誌の踊るような季節感。
石原さとみがこんなに複数の女性誌の表紙を飾るなんて、時代はわからないなぁと思いパラパラめくる。
「女の人はやっぱり恋をしていなきゃ」
芸能人が女性誌のインタビューでそう答えるのは、業界ルールのひとつなのだろうか。
あのアッシュの髪色の主婦は、今でも旦那に恋してときめいてると言っていた。自分から猛アタックして付き合い、結婚出産に至ったそうだ。
結婚後も、はたして恋をするものなのだろうかと気になって、婦人公論の表紙を見た。
今月の特集は『大人の恋 運命の引き寄せ方』だった。
やはり、先のことはわからない。
それより、石原さとみも美容と健康のために、恒常的に白湯を飲用していることを知った。
明日の朝こそ白湯を飲もうと、コンビニの書棚でひとり決意を固め、帰宅する。
帰宅後風呂を沸かし、あたたかい湯船に顔をうずめる。
きょう一日の自分の言動を振り返る。
もう恋をしたくない、わけじゃない。
「恋をしたい」よりも「もう二度と失恋したくない」という気持ちの方が強いのかもしれない。
「あなた傷ついたって言うけど、私の方がもっと傷ついてるんだからね。」
あの人がその後に続けようとした言葉が、「だから人生にもっと飛び込め」なのか「だから偉そうなこと言うな」なのかはわからない。
だけど、自己憐憫にまみれて涙を流すくらいなら、頭でっかちで足がすくむくらいなら、笑ってかけ出していった方がいいのだろう。
さっき雑誌で見た、シフォンスカート可愛かったな。
春には、肩の凝らないGジャンに、春色のスカートをはいて出かけたい。
女の季節は、巡り続ける。
去年よりひとつ歳を重ねたわたしにも、春はもうすぐやってくる。